献堂式を迎えて
DCG建築に携わってくださった業者の方々と話す機会があった。彼らが言うには、建築会議のときに、いろいろと質問されたり、意見や要望を毎回のように言われるので、自分たちとしては、それに何とか応えようと努力したが、それが自分たちのやる気ともなり、よかったのだと言われた。
私たちは、この施主は何とうるさい人たちなのだろうかと、嫌気がさしているに違いないと思っていた。しかし、確かに週に1度の打ち合わせ会のときに、侃々諤々とまではいかないまでも、かなり激しいやり取りをしたのは事実であった。DCGは、DCG委員一人一人の思い、教会員一人一人の思いが、至るところに詰まっている。それがすばらしい。DCGに集われる人々が、温かさや明るさや居心地の良さを感じるのは、多くの心が込められているからだ。
それを導いてくださった主に感謝しよう。私は、今朝、祈祷会の前に平尾教会の多目的ルームに久々に掃除機をかけた。掃除機をかけるのが、我が家でも教会でも好きなのだ。この格調の高い平尾教会の建物も愛している。平尾も大名も共に私たちの建物だ。どちらにも愛情を注ぎ、大切にしなければならない。
同じ娘なのに、姉だけを愛し、妹には愛情を注がない父親がいるだろうか。どちらも私たちの娘なのだ。私たちは、二人の娘たちの親であり、責任がある。これから、献堂記念日は両方とも毎年2月の第2主日となる。同日に、平尾と大名をおぼえることになる。
平良師