2010.7.28(水)曇
梅雨明け十日が過ぎたら、夏の太陽が姿を消した。夕べなんかは虫の声も聞こえ始めて、暑さの中にも秋の気配があるのだと気づいてしまう。
興味のない方にアイヌだの縄文人だのたいくつなことかと思うが、こと上林、あるいは何鹿の地にかつてアイヌならぬ原日本人の縄文人が居住していたことを証明できたら、たいくつだなんて言ってられないと思うのだが。
念道、引地、遊里の地名について現在調査執筆中だが念道は例が少なすぎて比較検討が出来ずに困っている。引地は例が多すぎて収束してこない、遊里は英断を持って自説を展開したところだが、調べていくに連れて実は「ユリ」「ユラ」というのは専門家の間でも難解地名として各種の説がある事が解り、もちろん私の説と同一の学者は存在しないようだ。根拠もフィールドワークも希薄で、誠に恥じ入るばかりである。これらの難解な地名がアイヌ語の原型である縄文語(原日本語)で解けるとしたら画期的であり、おそらくそれは地域も限定されるだろうし、符合する確率もかなりアンバランスになるのでは無いかと思う。
鍛治屋町岼ヶ上、「古地名の謎」ではユリはIwori(その猟場)といことだが、私は納得いかない。
話がそれたが、本書にはもちろん私の知らなかったことも沢山出てきて、その中で最も印象に残ったことを紹介しよう。アイヌも和人もモンゴロイドであるというのは誰でも考えつくことと思うが、実は従前はアイヌ白人説が主流であったり、オーストラリア原住民に近いとかガラパゴス島のように人種孤島説もあったそうだ。
モンゴロイドにも古と新があり、日本列島に入ってきて各地に定着したのが古モンゴロイド、大きな特徴のひとつが頭が長いことだ。その後時代が進んで主に朝鮮半島などから移入してきたのが新モンゴロイド、これは頭が丸いそうだ。時代で言えば新モンゴロイドが弥生時代以降、古モンゴロイドはそれより以前ということとなる。
頭の形だけでいうと、長型は東北、関東、山陰、九州の一部、四国の一部で、丸形は近畿を中心とした西日本ということだ。古モンゴロイドは日本人の基調で、そこへ弥生時代に北九州、瀬戸内、近畿と新モンゴロイドが進入してきたということは、神武東遷伝説、邪馬台国の東遷説などを裏付ける現象として考えることもできよう。
一重瞼で扁平な顔、いわゆるお公家さんタイプの顔が新モンゴロイドで、逆に目鼻立ちがはっきりしているのが古モンゴロイドの特徴である。古モンゴロイドが寒冷地適用したのが新モンゴロイドということだが、鼻の低いのも、一重瞼も寒冷地適用の結果と言うことだ。
歴史的には主流のように思われがちな、近畿を中心とした新モンゴロイドが実は少数派であることが読み取れるのである。おわり
【作業日誌 7/28】
芝刈完了
今日のじょん:なちゃけ無い顔シリーズ。じょんは風に揺れるものが苦手、風でカーテンが揺れたらおっかなびっくり。
くわいヨ~。