晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

木工 7/17

2010-07-18 | 日記・エッセイ・コラム

2010.7.17(土) 晴

 山鉾巡行の今日梅雨が明けた。各地で水害の被害が起きていたが、ここ京都北部は割合雨がおとなしかったようだ。やはり例年地域によって差があるようだ。スッキリ晴れたのでじょんのびの木の写真をお目に掛けよう。この木陰が最高によくて、将来はハンモックを作ったり、芝を植えてのんびり出来るスペースを作りたいなあと秘かに考えている。Img_1045
 さて、先日じっかん屋さんが手作りの行灯を持ってこられた。上林には木工をやってる人も多いが、こちらに来てやろうとしている方も沢山いらっしゃる。都会では騒音や埃、スペースなど木工をやって行く条件が整わない。私の知り合いでも、大変良い仕事をされるのだが、何しろ街の真ん中なので騒音、埃対策のためガレージにブルーシートで小さな小屋を造り、真夏でも汗びっしょりでこもっておられたのを憶えている。田舎の広いところで音も埃も気にしないで思い切り製作に打ち込めたらと語っておられた。そんな方が沢山おられるようで、じっかん屋さんもその一人である。もう200個以上作られたという行灯は、細かい仕事で丁寧にこしらえられており、同じものはひとつと無い一品ものである。じょんのびに置いてあるので興味ある方は見ていただきたい。定価は6,000円である。Img_0965
 



近所にアトリエのあるM井さんは先生について木工を勉強されており、花器や看板など頼まれて作っておられるようだ。先日おしゃれな黒板と卓上の小物入れを頂いた。前者はタモ、後者はケヤキの良い材料を使っておられ、販売もされたらと誘ってみたがそういう気は無いみたいだ。
Img_1053 Img_1054  さて、当の私だが細かい仕事は苦手で、もっぱらは土木作業に近いことばかりやっている。作らねばならないものが出来上がったら、ガーデニング用品などそう細かくなくて、アイデアで勝負できるものを作って、販売できたらなあと思っているところである。木工って楽しいなあと思うときは、ああしようこうしようとアイデアを繰っているときが一番である。もちろん出来上がって、思い通りになったときも楽しいものだが、納得のいかないものは蹴飛ばしたくなるものである。

【作業日誌 7/17】
じょんのペットゲート取り付け工事

今日のじょん:じょんが一番喜ぶお客さんは舞鶴のヤーダさん夫妻である。というより一緒に来るジローかもしれない。一番仲良しのジロー君とは一緒に繋いで放っておいても大丈夫。オトーはおみやげに果実酒を貰ってご満悦。Img_1046 Img_1049

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蝦夷・アイヌ・縄文人(5) 7/16

2010-07-18 | 日記・エッセイ・コラム

2010.7.16(金)曇

  7月14日讀賣新聞の文化欄に「蝦夷を阻止 東北に防衛線」という記事が載った。ヤマト王権の侵略を甘んじて受けていた蝦夷が反乱を起こし、そのために強固な防衛線を張ったという土塁等が発見されたと言うことだ。現地の歴史関係者が色々と語っているが、タイトルにある様な感じで、いかにも蝦夷が侵略者のような書き方をされている。私たちも教科書には無くても、親や先生から、悪い蝦夷や熊襲を朝廷が征伐したという風に教えられている。もちろん事実はまったく逆で、侵略者は大和王権である。勝てば官軍式の歴史認識は根強いと思うが、学問の先頭に立っている者がそうであってはならない。歴史は常に権力者の私物であった。しかし歴史と文化の本来の持ち主は民衆である。私が歴史を研究する際のポリシーは、「歴史を民衆の手に取り戻す」ということである。
 この項の最後に言語について、私の想像を語っておきたい。
 地名を研究しているとアイヌ語地名というのに出くわす。地名に何の興味も無かった学生時代から、新聞や週刊誌に東京にもアイヌ地名が残っているとかいう記事を見かけた。麻布が入っていたと思うが、果たして麻布がアイヌ地名かどうかは定かでない。しかし東京にもアイヌ文化の影響が及んでいるのかという驚きを憶えたのは確かである。北海道の一部に住んでいると思っていたアイヌ人が実は本州の遠いところまで住んでいたんだという驚きである。いまではアイヌ文化圏というのは静岡県当たりまであるというのがひとつの説らしい。ところがアイヌ地名というのは近畿でも、九州でもあるらしい。これはどういうことだろうか。「地名の研究」柳田国男著にもアイヌ語地名について記述があり、トマム、トマン、ニト、ヤチなどの湿地についての地名について考察しておられる。バチェラー氏語彙を基礎にした考察で、実際の地名は東北、関東に多いが近畿にも九州にも見受けられる。山に登る方なら比良山系の堂満岳はご存じだろうし、岩登りをされる方なら六甲の堂満の岩場は知っておられるだろう。ニタ、ニト、ヌタ、谷地なんて小字も近畿でいくらでも見られる。
 近畿から西におけるアイヌ地名に関する書物は沢山出ている。まだ読んでいないので何とも言えないが、アイヌがそういう地域に居住したということは、歴史や言語の専門家からは認められてはいないのじゃないだろうか。それにもかかわらずアイヌ語地名が存在するとしたら、それはアイヌ民族のルーツと考える縄文人、あるいは蝦夷の使っていた言葉、これは原日本語とでも言うべき言語が各地で使用されており、その文化を忠実に継承してきたアイヌ人の言葉、アイヌ語が最も類似しているということなのではないか。これがわたしの想像する歴史である。
 上林の地においても原日本人が居住していたと思われる。葛禮本神社の石棒、大唐内の大蜘蛛退治伝説などわずかではあるが痕跡らしきものが存在する。地名においてもアイヌ語で理解できるものもいくつかある。Img_4752 Img_4176

念道と志古田


無理矢理アイヌ語で考えると、念道はnay to(川の沼)、志古田はsi-kot(大きい窪地)などとなるのだが、さて?

  それらを研究する前に、人類学、言語学、そして原日本人と考える縄文人に関する研究の旅をしてみたいと期待にあふれているのである。終わり(蝦夷・アイヌ・縄文人(4)は2010.7.13)

今日のじょん:蚊やブヨの季節となってきた。ダニ、ノミはフロントラインでどうにかというものだが、蚊、ブヨは困ったものがある。フェラリアは予防接種で大丈夫だが、刺された後の痒みで、一日中カイカイじょんとなっている。虫除けスプレーや電気蚊取りなどのヤワなもんじゃ上林の蚊には太刀打ちできない。極めつけはやっぱり蚊取り線香である。ところが一日中焚いてもお腹のあちこちをやられている。特に皮膚の柔らかいところは気の毒だ。かみさんが気づいたのだが、ウッドデッキに寝そべっているとき、ウッドの隙間から、床下の蚊に刺されているようだ。こりゃあデッキの上でいくら焚いても効かないわな。Img_1030
 
 

 

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