2010.7.27 快晴
雨が降らないのになんで雨読なのかというと、晴れすぎて暑くて読書の時間が多くなっているからだ、店が超ヒマということも影響していて、あまり良い傾向ではない。
「アイヌは原日本人か」梅原猛、埴原和郎著、小学館創造選書、1982年10月15日発行、初版第1刷、定価880円、購入価340円という本で、内容は両氏の対談をまとめたものである。7月3日以来5回にわたって書いてきた「蝦夷・アイヌ・縄文人」は私の古代民、古代語に関する仮説、ならぬ想像である。古代民、古代語に思いを馳せることとなった原因は「鉄と俘囚の古代史」「白鳥伝説」の二つの書物である。歴史の教科書や授業では決して出てこない被征服者の実態を確かめてみたいという欲求である。そしてそれは北九州や奈良盆地、そして東北の地だけにあるのではなく、この丹波の地にもあったのではないかという思いである。
この私の想像を確かめるべく数冊の本を買いあさった。「蝦夷・アイヌ・縄文人」を書き終えるまでは中身を見ないようにしていた。書き終えて2冊目が本書である。梅原氏が自然人類学の第一人者の埴原氏に、解りやすく人類学、日本人、アイヌについて聞き出そうというのが趣旨である。その狙いはズバリ的中し、本当に解りやすく、誰にでも理解できるように、人類の誕生から今日までを説明して頂いている。そしてもっと驚いたことは、私の「蝦夷・アイヌ・縄文人」の内容が見事に的中していることである。
梅原 そうするとわかりやすくいうと、日本には原住民として古モンゴロイド的性質をもった縄文人がいた。それが独自な小進化を遂げて現在のアイヌになった。ところが和人の方は外来人であろうと思われる農耕民が入ってきてそれと混血する。それが小進化を遂げて現在の和人になった、、、、、。(本書の中の一文)
同様にアイヌ語についても、縄文言語が小進化したものという結論を出されている。
何の根拠も持たない私の想像と、科学的な最先端の調査研究機能を持たれている両氏の説が同一であったことは私自身驚いているところだが、もっと驚くべきことはその説は過去からの常識ではなくて、過去の常識を覆す新説だということだ。アイヌやアイヌ語に関する研究は明治になって本格的になったようだが、アイヌ人は日本人とは別の人種であるとか、アイヌ語と日本語とは全然別の形態の言語であるというのが過去の常識であったようである。科学的調査研究が進んでいなかったという事由もあるが、アイヌ民族に対する偏見があっただろうと言うことにも言及されており、科学者として素晴らしい態度で研究されているという思いが強く残った。つづく
【作業日誌 7/27】
プッコチ植え付け
メーパパがバーク堆肥のみで作っていたというしろもの。
今日のじょん:日照りが続く毎日、植物たちは青色吐息となっている。特に刈り込み後の芝はストレスがきつそうだ。倉庫に転がっていた、バーゲン商品のスプリンクラーがここで活躍することとなったが、芝よりもじょんが喜んでくれているようで、芝の守もやりでがあるようだ。