晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 地獄の思想 7/30

2010-07-31 | 雨読

2010.7.30(金)曇

 歴史の本ばかり読んでいたので、今回は毛色の変わった本を読んでみた。というより、随分昔に買った本を見つけて読んだということだ。
「地獄の思想」梅原猛著中公新書680円、なんとも強烈な内容の本である。その前に断っておくが、私はこのブログであまりスピリチュアルな話はしたくないと思っている。本来は心の奥にしまっておくものだと思うし、読者にとってはそれほどつまらないものは無いだろうからだ。しかしこの本を紹介するに当たっては、私自身の精神的なというか宗教的な側面を書かざるを得ない。
 この本は私自身が地獄で喘いでいる時に、そこから脱出する何かを得ようと買ったものである。新興宗教の講演会などに行かないところが私らしくていいが、パソコンのマニュアルのように、解っている人にしか解らないという、そういうものである。もちろん坊さんの説教でも、座禅でも、写経でも地獄からの脱出には何の役にも立たない。自分で考えることで、私は解脱した。「え~、あんたみたいに怒ってばかり居る人が解脱した??」とかみさんは言うが、「決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラツテイル」のが解脱ではない。解脱とはあらゆる欲、煩悩から解き放たれることである。これは人間が苦の世界に生きていることを認識し、苦によって地獄に堕ちることを認識することである。すなわち地獄は生の世界にあるものであって、地獄から脱出する方法は二つ、死ぬことと解脱することである。地獄に堕ちた私が生きているのは解脱した証左である。
 解脱すると世の中のことがよく見えるようになり、特に地獄で喘いでいる人はすぐ解る。「大地の母」の中で、人の顔が狐に見えたり狸に見えたりという場面があったが、地獄に堕ちた人間をはたから見れば、獣に憑依されたと表現することが解りやすいのかもしれない。
 新興宗教の教団に財産をそっくり持ってかれるという奇妙な現象もよく解るようになった。教祖様は当初は真に信者を救うために財産を手放すという対処療法をしたのかもしれない。ところがその財産を教団の運営とかの理由で私物化した途端に教祖教団自身が金銭欲の地獄に陥り、際限のない求不得苦の苦しみを味わうこととなる。これじゃあ信者も救われないという結果になるのだが、何とも奇怪なこの現象が簡単に理解できることとなる。
 こうなって初めてこの本の中身が理解できるようになるのではないだろうか。
 地獄が、特に仏教の思想としていかに日本の文化と民衆の間に浸透したか、なんともロジカルに述べられている。地獄とはなにか、地獄はどこにあるのか、なぜ仏教では地獄はあの世にあるのかといった疑問の答を読み取れる人は、ひょっとしたら地獄を生き抜いた人かもしれない。Img_1130

地獄は観念の中にあるもので写真はお見せできない。


【作業日誌 7/30】
芝生仕上げ刈
草刈り6回目完了
夏野菜施肥、草抜き

今日のじょん:今日も本格的に無駄吠え無くし訓練をする。特に夕食前の無駄吠え、虫に対する吠えを無くそうとしているのだが、夕立時にカゲロウが大量に飛散し、キリが無く吠えることとなった。Img_1129

コメント
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