中山可穂の小説「白い薔薇の淵まで」(2001年)を読んだ。彼女の作品は印象的だった「ケッヘル」(2006年)以来だから2年ぶり。第14回山本周五郎賞を受賞したらしいから出来は良いのだろう。少し引いていたのは内容がレズビアンを扱ったものだったから。
図書館で書棚から取ると、なんと表紙が女性のヌード。さすがに前からじゃなく後ろからだったけど。その時に借りたのがたまたま1冊だけで、しかも受付がキレイ系の若い子だったから、なんか借りにくかった。まあそんなことはどうでもいいけど。
ふとしたきっかけで若き女流作家と年上の平凡なOLが出会い、惹かれあい、関係を持ち、そして愛欲の日々が続くというストーリー。極めて日常的な文章で物語は進んでいく。そのかなりの部分が愛欲描写。自分の場合、欲情する対象は女性だけなので、ホモだとかレズだとか、どうも同性同士の行為というのが現実的にあり得ないだけにイメージが涌かなくて。せいぜい避妊しなくていいから楽だと思うくらい。だから読んでいてリアリティが感じられない。しかしそれを超越して心が揺さぶられた。
小説を読んでいて、ある特定のパラグラフに魅せられることはあまりない。でもこの小説では、はっきりと。抜粋すると、”塁は何度でも天国へ連れていってくれた。いや、それはむしろ、地獄へのはじまりだったのかもしれない。”に続く”午後の病室のベッドの中で、わたしたちは白い薔薇の淵を見た。”という部分。なんかね、すーっと超自然的な世界へ誘われて。
その白い薔薇の花びらは、夢の中で見る最愛の女性の涙。”塁はずっと、ずっと、ずっと、ずっと、あそこでわたしを待っていたのだ。わたしは塁と行くつもりだった。白い薔薇の淵まで行くつもりだった。”、というラストで再び唐突に浮遊する幻想的な空間。モノクロの世界。遠くからキース・ジャレットの「ザ・ケルン・コンサート」(1975年)[試聴]のラストチューンが聴こえてきた。
文庫/白い薔薇の淵まで CD/The Koln Concert
図書館で書棚から取ると、なんと表紙が女性のヌード。さすがに前からじゃなく後ろからだったけど。その時に借りたのがたまたま1冊だけで、しかも受付がキレイ系の若い子だったから、なんか借りにくかった。まあそんなことはどうでもいいけど。
ふとしたきっかけで若き女流作家と年上の平凡なOLが出会い、惹かれあい、関係を持ち、そして愛欲の日々が続くというストーリー。極めて日常的な文章で物語は進んでいく。そのかなりの部分が愛欲描写。自分の場合、欲情する対象は女性だけなので、ホモだとかレズだとか、どうも同性同士の行為というのが現実的にあり得ないだけにイメージが涌かなくて。せいぜい避妊しなくていいから楽だと思うくらい。だから読んでいてリアリティが感じられない。しかしそれを超越して心が揺さぶられた。
小説を読んでいて、ある特定のパラグラフに魅せられることはあまりない。でもこの小説では、はっきりと。抜粋すると、”塁は何度でも天国へ連れていってくれた。いや、それはむしろ、地獄へのはじまりだったのかもしれない。”に続く”午後の病室のベッドの中で、わたしたちは白い薔薇の淵を見た。”という部分。なんかね、すーっと超自然的な世界へ誘われて。
その白い薔薇の花びらは、夢の中で見る最愛の女性の涙。”塁はずっと、ずっと、ずっと、ずっと、あそこでわたしを待っていたのだ。わたしは塁と行くつもりだった。白い薔薇の淵まで行くつもりだった。”、というラストで再び唐突に浮遊する幻想的な空間。モノクロの世界。遠くからキース・ジャレットの「ザ・ケルン・コンサート」(1975年)[試聴]のラストチューンが聴こえてきた。
文庫/白い薔薇の淵まで CD/The Koln Concert
あっ、私が図書の人なら、大人の男の人がこういう本を読まれているのはそれはそれですごく素敵だと思うけどな。(笑)
言葉一つ一つがとても切なく苦しくて読んでいて呼吸困難に陥りそうになりました。
「ケルンコンサート」はそうですね。そうですね。
聴いてみて納得してます。
確かに切ない。僕が気に入った部分は文体が違うのでよけいにね。作者が意図的にそういう表現を使ったのだと思うけど。ケルンコンサートは僕も久しぶり。ジャケだけじゃなくて音楽もマッチしているなと僕も納得しています。