先週のニュースで最も衝撃的だったのは、女子高生が同学年の高校1年生に刺殺された事件でしょう。この事件の内容については後述(※1)するとして、一番疑問に思い且つ腹立たしく感じたのは、この女子高生が30分にも亘って悲鳴や「助けて」などの助けを求めて大声をあげていながら、団地の誰一人として助けにいくこともなくまた警察へ通報していなかったことだ。夕方から夜にかけてであって夜中ではなかったのに・・・。あれだけの人間がいて、悲鳴を聞いていながら・・・。なのに嬉しがって、TVのニュースで悲鳴についてしゃべっている住人の声を聞くと吐き気がする。亡くなった子の、母親の悲しみや怒りは犯人のみに向けられるものではないでしょう。
また先週には東武鉄道で運転士の子供が、運転中に運転室に入っていたことが乗客の通報によってわかり、運転士が懲戒解雇となった。これも内容については後述(※2)するが、全く、人情紙風船である。人情が無いというのは、東武の処分のことではなくて、通報した乗客のことです。
同じ様なことが、今日(11/15)札幌の丸山動物園でもあった。火事で焼け出されて商品価値の無くなった食品を動物の餌として寄贈を受けた動物園の職員が、動物があまり食べない刺身や米(こしひかり)を家に持ち帰って食べたことで処分を受けそうになっている。どうでもいいじゃないか、どうせ捨てるしかないものなのだから。米や刺身を食べる動物なんて何がいるんだ。こんなことでも、マスコミに垂れ込んで正義ずらしている奴がいる。
近所で悲鳴が上がったときは、自分がめんどくさいから通報一つせず、他人があまり表ざたにしたくないようなことなら匿名で通報する。全くひどい世の中になったものだ。首都圏は昔から人情が薄いといわれてきたが、そこに原因のすべてをもっていって良いのかどうか私には判らない。どうなんでしょうか。
P.S.
※1 女子高生殺人事件について
私が思うに、変な意味での平等がこの事件を引き起こしたのではないかと思う。被害者の女子高生は、ハッキリ言ってかなりかわいい。私が学生の頃(まあ昔っていうこと)ならば、まず「自分の面を見る」そしてあまり良くなかったら、思いっきり勉強して目立ったり、スポーツで目立ったり、とにかく面白かったりといったように自分を高めてからこういうかわいい子に好意を伝えたものだ。(できなかったら、諦める。)
まあ、自分の身の程ってやつをわきまえていたって訳です。それが戦後教育の影響か知らないが、何でも平等とかいうことで何の努力もしないで平等ばかりいっているやつが多すぎる。平等というのは「人種や出自他によって教育の機会や就職・賃金に差をつけない」つまり、スタートであったりチャンスが平等ということであって、結果が平等ということではない。いくら努力をしたって、報われないことの方がはるかに多いことも教えるべきでしょう。
この殺人を犯した子も、自分を客観的に見れずに「自分が好きで、努力しているのだから好かれて当然だ」「自分は、何も悪くないのに振るなんてけしからん」とか思ってこういった事件を起こしてしまったのではないでしょうか。
※2 東武鉄道車掌、懲戒解雇の件
私はこの車掌が懲戒解雇されることは、当然だと思います。今回はたまたま事故が起こらなかっただけだとも言えるからです。また今回は子供が3歳だったから良かったのですが、これが18歳の子供だったらどうですか?もし今回懲戒解雇しなければ、18歳の子供が運転室に入ったときと処分の内容を違える事が出来ますか。
運転室に部外者の立ち入りを禁止するのは基本中の基本。彼も知っていて入れたのだから、今回の処分は仕方がない。「子供が大きくなって、自分のせいで父親がクビになったのを知ったら傷つく」とかは会社が考えることではないでしょう。むしろ問題は、子供がぐずっているのに叱らなかった母親でしょう。子供を張り倒してでも、いすに座らせるべきだったのではないでしょうか。それが躾というものなのではないですか。最近の若い母親は、躾と体罰がごっちゃになってるし、子供に好かれたいのか全く叱ろうとしない。それが、この家族にとっての悲劇を生んだように思えるのだが。
(ただ、まあ3歳の子供なんだから乗客が黙ってやったらそれで済んでたんだけどね。それが人情って奴でしょう。会社にしたら、乗客から通報があったら厳正に処分するしかないでしょ。)
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