屯田物語

フォレスターとα6000が
旅の仲間
さあ、カメラを持って
出かけよう!

「銃口」 そして旭川の錦座通り

2009年11月20日 | 


「銃口」 から・・

竜太の家のすぐ傍に、錦座通りという目抜き通りがある。
錦座というのは映画館だが、時折東京からの芝居もかかる。
・・・
その錦座があるので、錦座通りという。
呉服屋、薬屋、八百屋、菓子屋、かまぼこ屋、金物屋などがずらりと並んでいて、大きな市場もある。
この通りを北に四百メートル程行ったらもう学校だ。


たぶん竜太の家は4条16丁目・・
三浦綾子さんがここで誕生されたからね。
そして、大きな市場というのは第一市場のことではないかと思っている。

わたしは4条15丁目に住んでいた。
真向かいに松竹座という映画館があって、もともとは錦座と呼んでいたそうだ。
錦座が経営上の問題から松竹に移って、その名も松竹座と改名、
通りの通称も錦座通りから松竹座通り(いまは銀座通り)と変っていったのである。

5歳になったばかりの昭和21年1月の夜であった。
母(祖母かも)に思い切りたたき起こされたことをおぼえている。
玄関に出ると松竹座から出火した炎が闇を真紅に染めていたが、不思議と怖ろしさは感じなかった。

「銃口」上巻の前半は大成小学校が主舞台となって、神楽岡公園、上川神社、聖台などがしばしば登場する、
ふるさと旭川の昭和のそのときが懐かしく思い出されるのである。



三浦綾子記念館の駐車場・・
ストローブ松の樹間からフォレスターがみえた。(笑)