ガリバー通信

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やっと春を告げる「お水取り」

2007年03月14日 | 季節の話題
 奈良、東大寺の「修二会」と正式には呼ばれる「お水取り」の行事がクライマックスを迎えたと新聞が報じているが、奈良時代からの大和、日本の歴史の変遷の中で、始まって以来ずっと続いている伝統行事である。

 何と752年に始まったというから、1255年になるという、信じられない「春を告げる」行事である。

 地元京田辺市でも、30年前から復活した「竹送り」という行事が、毎年2月11日の朝、市内の普賢寺地区の「大御堂」というお寺を拠点に、立派な孟宗竹を数本切り出して、根つきで「奈良東大寺」の「お水取り」に献納する行事として続いている。

 「お水取り」は、「水」を連想する行事名ですが、実際は「火」の行事と言うべき、勇壮な松明が、東大寺二月堂の本尊である、十一面観音に、僧侶達が「世の中の罪を一身に背負って、人々に代わって、苦行を引き受け、国家安泰などを祈る」祈願の法要なのです。

 3月1日から、既に行事は始まっているのですが、12日から14日にかけてが、二月堂の欄干を移動する、「大松明」の火の粉が飛び散り、この燃え残った炭を持って帰ると、「無病息災」であるということで、観光客や集った人々が群がって、見つめている行事でもあります。

 奈良の春を告げる「火」の行事としては、毎年昔は「成人の日」としての1月15日の夕刻から夜にかけての「若草山の山焼き」が、年明けの恒例行事としてあり、毎年たくさんの人々が、「山焼き」を楽しむのですが、数年前からの「成人の日」の祝日としての日が毎年変わるためと、天候の都合で順延したり、少ししか見られなかったりすることが多く残念です。

 東大寺、二月堂の「お水取り」は、天変地異や気候不順など、全く関係なく、毎年、いや1255年もの長きにわたっての伝統行事で、関西地方では「お水取り」が終わらないと本格的な「春」にはならないと信じられている一大イベントとなっています。

 今年の天候不順、気象異変は、地球環境問題としての「地球温暖化」と間違いなくリンクしているという実感を、多くの住民は感じているのですが、政府、地方公共団体、企業などの、指導的かつ主体的に「排出ガスの削減」すなわちCO2の抜本的削減への動きは、まだまだ鈍く、しかも「排出量取引」といわれる様な、発展途上国から「排出量枠」を大金で買い取って、自分の国や地域は、「排出ガス」を今まで通りか、少しの削減しか行わないという、とんでもないルールや約束をしているようでは、「地球」規模の四季、すなわち、日本の「春らしい季節」は、今後全く期待できないでしょう。

 「春を告げるお水取り」が、全世界の本当の「春」を告げ、地球人が自分達と多くの生物達が棲む。この地球を後世にちゃんと残すための警告をはっしていると受け止めて、私たち現代に生きる人間達が、日々の生活を正し、質素で心豊かな生き方、またスローライフな生活をしなければいけないと思うのである。
コメント (1)
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