内モンゴルの留学生二人と、ある中国人夫婦がやっている北大路川端付近の「餃子の店」に立ち寄り、久しぶりに美味しい餃子をたくさん食べたのである。
十二、三人で一杯になる程の小さな店だが、店の主人が作る「ギョーザ」は格別に美味しく、水餃子と焼き餃子の両方をたくさんオーダーした。
中国では餃子と言えば通常は「水餃子」で、ふっくらとした蒸した餃子をたれにつけて愉しんだ後、日本では定番の焼き餃子をいただいたのである。
あんまり美味しいので、マーボ豆腐で白ご飯をいただきながら、再び「水餃子」を頼んで、三人で「餃子」をトータルで十皿も頼んだので、中国人夫婦もビックリして、「まだ食べるの・・?」と驚いていた様子だった。
「餃子」と言えば、私は中国で忘れることの出来ない思い出がたくさんある。
一つは、1985年に初めて中国を独り旅した時、桂林(クイリン)と呼ばれる水墨画に描かれた奇妙な山々で有名な観光地で、早朝から午前中の飛行機を待っていたのだが、リムジンバスが長時間来なくて昼過ぎになり、腹が減ったので当時の民航のオフィスが見える向かいの餃子屋で昼飯となった。
中国語もほとんど話せないので店に入って、前の男子学生が頼んだ「餃子とビール」を真似て、同様に頼んでみたのである。彼は「イーチンパン」、すなわち一斤半頼んでいたのである。運ばれた水餃子は普通の皿に大盛で二杯半もあった。
若い中国人の男子学生は、ビールを飲みながら約半時間で、この量の餃子を難なく平らげたのである。私もまだ30代の若さだったが一生懸命、餃子を口に運んで食べ切ろうと頑張ったが、遂に一時間経っても一皿分は食べることできなかった。
まさに「食の中国」、中国人の大食漢を目の当たりにして感動というより、驚き以外の何物でもなかった。
その翌年、今度は中年の友人五人で「中国の食」を体験しようと北京ダック、上海ガニ、そして西安餃子を食する旅をしたのだが、西安での餃子専門店での餃子の多種多彩さと量には絶句せざるを得なかった。
餃子のフルコースをオーダーして、ある程度は予測していたので、前菜的な食べ物は少ししか食さず、「ギョーザ」の多種多彩な数量は覚悟して、慎重に中身を確認しながら味わっていたのだが、四字熟語の様な中国語表記の餃子が、ひとりに二個づつ、日本の握り寿司の一貫のように順に出てくるのであった。
肉、魚、野菜は当たり前だが、中にはフルーツ餃子や砂糖餃子などもあり、多種多彩なのは面白いのだが、どんどん腹が膨れてきて、次に運ばれて来た異種の餃子に目をやりながら何時まで続くのかと、ため息交じりで惰性の様に口に二つづつ入れていったのである。
その店だけでも二百種類はあると言われる餃子の内、四十種類程だったと思うが、もう食べられない!と思う感じであった。また運ばれて、皿に残っている餃子を指差し、お互いに「俺の分は食べたぞ、君のだぞ!」と半ば喧嘩ごしで、他人に食べさそうと皆んな必死の形相となり、参った!!。
ギョーザのフルコースが終わったと思ったら、何とでっかい包子(バオズゥ)が大きなお皿に山盛り出てきた時には、皆の目が点となり驚きを通り越してしまい、笑うしか出来なかったのを今でも覚えている。
中国は、餃子の本場である。とんでもない量とビックリする様な餃子が存在するのである。日本の上品な餃子の世界で、私は十分だが、毎年行く夏の内モンゴル草原では、一年に一度は食べきれない程の餃子を皆で作って食べることを楽しみにしているのである。
十二、三人で一杯になる程の小さな店だが、店の主人が作る「ギョーザ」は格別に美味しく、水餃子と焼き餃子の両方をたくさんオーダーした。
中国では餃子と言えば通常は「水餃子」で、ふっくらとした蒸した餃子をたれにつけて愉しんだ後、日本では定番の焼き餃子をいただいたのである。
あんまり美味しいので、マーボ豆腐で白ご飯をいただきながら、再び「水餃子」を頼んで、三人で「餃子」をトータルで十皿も頼んだので、中国人夫婦もビックリして、「まだ食べるの・・?」と驚いていた様子だった。
「餃子」と言えば、私は中国で忘れることの出来ない思い出がたくさんある。
一つは、1985年に初めて中国を独り旅した時、桂林(クイリン)と呼ばれる水墨画に描かれた奇妙な山々で有名な観光地で、早朝から午前中の飛行機を待っていたのだが、リムジンバスが長時間来なくて昼過ぎになり、腹が減ったので当時の民航のオフィスが見える向かいの餃子屋で昼飯となった。
中国語もほとんど話せないので店に入って、前の男子学生が頼んだ「餃子とビール」を真似て、同様に頼んでみたのである。彼は「イーチンパン」、すなわち一斤半頼んでいたのである。運ばれた水餃子は普通の皿に大盛で二杯半もあった。
若い中国人の男子学生は、ビールを飲みながら約半時間で、この量の餃子を難なく平らげたのである。私もまだ30代の若さだったが一生懸命、餃子を口に運んで食べ切ろうと頑張ったが、遂に一時間経っても一皿分は食べることできなかった。
まさに「食の中国」、中国人の大食漢を目の当たりにして感動というより、驚き以外の何物でもなかった。
その翌年、今度は中年の友人五人で「中国の食」を体験しようと北京ダック、上海ガニ、そして西安餃子を食する旅をしたのだが、西安での餃子専門店での餃子の多種多彩さと量には絶句せざるを得なかった。
餃子のフルコースをオーダーして、ある程度は予測していたので、前菜的な食べ物は少ししか食さず、「ギョーザ」の多種多彩な数量は覚悟して、慎重に中身を確認しながら味わっていたのだが、四字熟語の様な中国語表記の餃子が、ひとりに二個づつ、日本の握り寿司の一貫のように順に出てくるのであった。
肉、魚、野菜は当たり前だが、中にはフルーツ餃子や砂糖餃子などもあり、多種多彩なのは面白いのだが、どんどん腹が膨れてきて、次に運ばれて来た異種の餃子に目をやりながら何時まで続くのかと、ため息交じりで惰性の様に口に二つづつ入れていったのである。
その店だけでも二百種類はあると言われる餃子の内、四十種類程だったと思うが、もう食べられない!と思う感じであった。また運ばれて、皿に残っている餃子を指差し、お互いに「俺の分は食べたぞ、君のだぞ!」と半ば喧嘩ごしで、他人に食べさそうと皆んな必死の形相となり、参った!!。
ギョーザのフルコースが終わったと思ったら、何とでっかい包子(バオズゥ)が大きなお皿に山盛り出てきた時には、皆の目が点となり驚きを通り越してしまい、笑うしか出来なかったのを今でも覚えている。
中国は、餃子の本場である。とんでもない量とビックリする様な餃子が存在するのである。日本の上品な餃子の世界で、私は十分だが、毎年行く夏の内モンゴル草原では、一年に一度は食べきれない程の餃子を皆で作って食べることを楽しみにしているのである。
中国ではお祝いごとや、人が集まる時には必ず餃子を作って食べるそうですね。
ギョーザという漢字は食偏に交わるに変更しても良いのではないでしょうか。