とんでもない時代というか、世の中になったものだ。
表題のように、知らない人に声かけられた、だけで新聞の大きな見出しとして問題化されるようになった。全く信じられないというか、おかしな時代であり、行きすぎだと言わざるを得ないのではないだろうか。
確かに、子供たちを対象とした、いたずらや殺人事件が頻発し、罪もない子供たちが痛ましい犠牲となる事件が連続して起きて、学校、家庭、地域が一体となって、その防御策に頭を悩ましていることはよく理解が出来る。
しかしである。学校は塀や柵をめぐらし、インターホーンを付け防犯カメラを設置して、家庭では、知らない人に声をかけられても、返事しちゃいけないとか、通報ベルやGPS携帯を持たせ、地域ではPTAや地域の高齢者が登下校の周辺を見守る。
こうした努力や防御策を講じても、小さな子供だけでなく、世の中の犯罪行為はなくなるどころか、ますます増加し、その実態もエスカレートしているようだ。
私は、どうも新聞の見出しやテレビの報道を見ていても、何か大切な問題が欠けている様に思えてならないのである。すなわち、昨今の事件の増加には、この世の中の大きな病巣とも言える、時代の暗い、人間関係の信頼のなさ、社会のルールや常識を越えた、得体の知れない狂気がはらんでいる。
時代は、バブル経済が破綻し、阪神淡路大震災から10年、新潟中越地震や台風などによる、日常生活や経済生活を普通に過ごせない被災者も多い。
一方では、年金保険料不払い国会議員の実態や多くの政府、官庁、警察、NHKなどと続く、無責任な税金や国民負担のお金の無駄遣い。また自衛隊のイラク派兵600億円の支出や、橋本元首相の政治献金隠しでの無責任な発言など。
国の税金を司る政府、内閣のお偉方たちの言動や態度を見てても全く、国民ひとりひとりの命と生活を守るといった様な気概や意欲は感じられない。
そんな日本に誰がした?とでも言いたい世の中で、未だに多くの人たちは、景気回復やバブル時期の金余りの、右肩上がりの、お金、お金を追い求め続けて、本来の人としての心豊かな、幸せ感を忘れてしまったのではないだろうか。
何かにいつも追われているような、刹那的な時代の価値観を、いつのまにか共有し、忙しさの中に、落ち着きのない空虚ないらだちを抱き、ちょっとしたすれ違いや物事にキレたり、怒ったりしてはいないか。
地域の大人や訪問者などが、子供たちに声をかけることすら、犯罪への入り口の様に他人を見たら、泥棒と思え的な、社会の対応は、やはりおかしいのである。
他人であっても、気軽に声がかけられる社会、思いやりと優しさで、お互いが支え、支えあう社会の実現のために、遠慮せず気軽に声を掛け合うことに、喜びを感じる人間関係を、まず大人から取り戻す必要があるのではないか。
他人との出会いの大半は喜びである。