平和は創られるものであって、ただ戦争は嫌だとか、戦争はしてはいけないと思うなどと、お念仏のごとく唱えたり語ったりしているだけでは、平和はないのである。
今日、京都市の洛北にある精華大学の構内での日本と韓国の若き作家たちによる「オッケともだち」展と、立命館平和ミュージアムを訪ねることが出来たのである。
午前中に車を走らせて精華大学を訪ねて、若き日本と韓国の芸術家として活躍している多くの人たちのネットワークから生まれた作品展を観たが、反戦の意思を持つ作家達が、戦争と平和についての思索を巡らせて、日韓の市民の国際交流と日本列島と朝鮮半島の友好的な関係を未来に向かって築こうとする意欲的な作品展であった。
戦後60年を迎える日本において、日本が起した侵略戦争から現在アメリカがイラクで行っている戦争まで、地球上では近代史上で戦争が止むことなく繰り返されており、日本へのアジアの諸国の不信感は、今も尚奥深いもので、払拭できない侵略行為であったことを改めて反省し、新たな努力を日本はしなければいけないのである。
中国、韓国における反日デモを目の当たりにして、彼らの思いに心配ることなく、国家主義やナショナリズム、排他主義で自国の正統性のみを唱えていても、何の解決にもならないのである。
過去にアジア諸国に甚大な被害と多大な傷を与えた歴史を直視して、他国に対しても心を開いて、日本人としての努力を惜しまない表現、言葉、態度、行動が必要な時にあると思います。
今、日本国中の多くの大学キャンパスに、学生達の意識的な「戦後60年」を思索する表現や発言、行動が極めて少ない中で、ここ京都精華大学には、辛うじてのアッピールイベントとしての「日韓の軌跡の先に祈りを」と称する、自主的な平和と戦争への展示があったことに、ささやかな喜びと満足感を感じたものである。
午後には、常設展示の「立命館平和ミュージアム」に、実は私の敬愛して止まないO先生が、博物館側の要請で提供された幾多の、戦争と平和や原爆をモティーフとした絵画の作品を観に行ったのであるが、改めて日本の大東亜戦争なる15年戦争以来の、戦争の実態と資料の展示をじっくりと見る機会を得たのである。
今日、京都市の洛北にある精華大学の構内での日本と韓国の若き作家たちによる「オッケともだち」展と、立命館平和ミュージアムを訪ねることが出来たのである。
午前中に車を走らせて精華大学を訪ねて、若き日本と韓国の芸術家として活躍している多くの人たちのネットワークから生まれた作品展を観たが、反戦の意思を持つ作家達が、戦争と平和についての思索を巡らせて、日韓の市民の国際交流と日本列島と朝鮮半島の友好的な関係を未来に向かって築こうとする意欲的な作品展であった。
戦後60年を迎える日本において、日本が起した侵略戦争から現在アメリカがイラクで行っている戦争まで、地球上では近代史上で戦争が止むことなく繰り返されており、日本へのアジアの諸国の不信感は、今も尚奥深いもので、払拭できない侵略行為であったことを改めて反省し、新たな努力を日本はしなければいけないのである。
中国、韓国における反日デモを目の当たりにして、彼らの思いに心配ることなく、国家主義やナショナリズム、排他主義で自国の正統性のみを唱えていても、何の解決にもならないのである。
過去にアジア諸国に甚大な被害と多大な傷を与えた歴史を直視して、他国に対しても心を開いて、日本人としての努力を惜しまない表現、言葉、態度、行動が必要な時にあると思います。
今、日本国中の多くの大学キャンパスに、学生達の意識的な「戦後60年」を思索する表現や発言、行動が極めて少ない中で、ここ京都精華大学には、辛うじてのアッピールイベントとしての「日韓の軌跡の先に祈りを」と称する、自主的な平和と戦争への展示があったことに、ささやかな喜びと満足感を感じたものである。
午後には、常設展示の「立命館平和ミュージアム」に、実は私の敬愛して止まないO先生が、博物館側の要請で提供された幾多の、戦争と平和や原爆をモティーフとした絵画の作品を観に行ったのであるが、改めて日本の大東亜戦争なる15年戦争以来の、戦争の実態と資料の展示をじっくりと見る機会を得たのである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます