いよいよ私の夏休みに入るのだが、今年の内モンゴル行きは大変なことになりそうである。
1988年から中国・内蒙古に縁あって行きだして今年で満20年になるし、今年のメインイベントは、何と「モンゴル式結婚式」に参列することとなったのである。
1991年に開催した「中国・内蒙古地球学校」と称する、日本全国から小学4年生以上、高校2年生までの男女100名が参加した、「大きな学校」プロジェクトの準備を兼ねて、男女40名の大人たちが「幻の湖と言われたダライノール」を目指したテストランの旅から20年が経過したのである。
このテストランでは、ダライノールという大きな湖の湖畔に日本から持って行ったダンロップの山用簡易テントを10張設置したのだが、二日目の夕刻に大きな三つの雨雲が湖付近に近づいて、何と真夏の雹が降ったのである。
ゴルフボール大の突然の雹の襲来に、私たちはあわてて草原を見渡したのだが、テントはものの見事に全部倒れていて、止むを得ず、モンゴル製の大きな「ゲル」に逃げ込んで難を逃れたのである。
その夜、水浸しで浸かった草原から我々の脱出を手伝いにやってきてくれた地元の旅行局の青年であった、張志遠という男に出会ったのが、現在に至るほぼ毎夏、私が内蒙古に行くきっかけとなったのである。
その上、3年後に実施した「内蒙古地球学校」への地元の中学生へ交流目的での参加を依頼に翌年夏に出向いた時に、最初に出会った少年が「宝海鷹」というとっても素敵な名の男の子であり、彼が後に日本の京都に留学し、実は今年の春同郷の女性と入籍し、この夏内蒙古自治区の彼の実家がある、シリンホト(錫林浩特)で結婚式をあげることになったのである。
私は、彼との20年近い交流関係から、結婚式に列席することとなり、それも日本人としての「゛和服の正礼装」である、紋付、袴、羽織を初めて着て参加することにしたのである。
と言っても、私は紋付、袴、羽織など持っていないばかりか、一度も着用したことがないので、さぁ大変なのである。
和のフォーマルウェアである、紋付、袴、羽織で日本人の民族文化である出で立ちで参加するために、京都の呉服屋さんから古い三点セットを借り受けて、俄か勉強で着付けを学び、モンゴル衣装の蒙古族の多くの皆さんの中で、スピーチをしなければならないのである。
長襦袢を含め、白足袋、白鼻緒の雪駄も用意し、あとは竹骨の末広の白扇が必需品と聞く。
ともかく、この暑い夏に、リュックの草原生活の持参品に加えて、和正装の品々を風呂敷に包んで持参し、着付けをし、列席することになるので、どうなることやら・・・。
日本と蒙古の友好、交流のひとつの印として、包(宝と同音)海岩(鷹と同音)君の結婚式と張志遠氏との20年目の再会を楽しみに出発する。
1988年から中国・内蒙古に縁あって行きだして今年で満20年になるし、今年のメインイベントは、何と「モンゴル式結婚式」に参列することとなったのである。
1991年に開催した「中国・内蒙古地球学校」と称する、日本全国から小学4年生以上、高校2年生までの男女100名が参加した、「大きな学校」プロジェクトの準備を兼ねて、男女40名の大人たちが「幻の湖と言われたダライノール」を目指したテストランの旅から20年が経過したのである。
このテストランでは、ダライノールという大きな湖の湖畔に日本から持って行ったダンロップの山用簡易テントを10張設置したのだが、二日目の夕刻に大きな三つの雨雲が湖付近に近づいて、何と真夏の雹が降ったのである。
ゴルフボール大の突然の雹の襲来に、私たちはあわてて草原を見渡したのだが、テントはものの見事に全部倒れていて、止むを得ず、モンゴル製の大きな「ゲル」に逃げ込んで難を逃れたのである。
その夜、水浸しで浸かった草原から我々の脱出を手伝いにやってきてくれた地元の旅行局の青年であった、張志遠という男に出会ったのが、現在に至るほぼ毎夏、私が内蒙古に行くきっかけとなったのである。
その上、3年後に実施した「内蒙古地球学校」への地元の中学生へ交流目的での参加を依頼に翌年夏に出向いた時に、最初に出会った少年が「宝海鷹」というとっても素敵な名の男の子であり、彼が後に日本の京都に留学し、実は今年の春同郷の女性と入籍し、この夏内蒙古自治区の彼の実家がある、シリンホト(錫林浩特)で結婚式をあげることになったのである。
私は、彼との20年近い交流関係から、結婚式に列席することとなり、それも日本人としての「゛和服の正礼装」である、紋付、袴、羽織を初めて着て参加することにしたのである。
と言っても、私は紋付、袴、羽織など持っていないばかりか、一度も着用したことがないので、さぁ大変なのである。
和のフォーマルウェアである、紋付、袴、羽織で日本人の民族文化である出で立ちで参加するために、京都の呉服屋さんから古い三点セットを借り受けて、俄か勉強で着付けを学び、モンゴル衣装の蒙古族の多くの皆さんの中で、スピーチをしなければならないのである。
長襦袢を含め、白足袋、白鼻緒の雪駄も用意し、あとは竹骨の末広の白扇が必需品と聞く。
ともかく、この暑い夏に、リュックの草原生活の持参品に加えて、和正装の品々を風呂敷に包んで持参し、着付けをし、列席することになるので、どうなることやら・・・。
日本と蒙古の友好、交流のひとつの印として、包(宝と同音)海岩(鷹と同音)君の結婚式と張志遠氏との20年目の再会を楽しみに出発する。
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