ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

仏陀悟りの聖地。

2008年08月31日 | ガリバー旅行記
 インドの仏陀の足跡をたどる聖地は数知れずあるのだが、私はネパール国内にある仏陀の生誕の地である、ルンビニを目指すことをやめて、インド北部の有名な聖地のひとつで、ブッダが最初に悟りを開いたと言われる「ブッダガヤ」に向かった。

 ここは、仏陀が最初に悟りを開いた地で、大きな塔のあるメインテンプルに案内を勝手出てくれた日本語が分かる青年たちと一緒に少し半信半疑で境内を回ったのだが、なぜかこの日はスリランカからの大勢のヒンドゥー教徒のお参りがあって賑わっていたが、大きな菩提樹のある「仏陀悟りの座」が鉄格子で囲われていた。

 全く私は意外な事実を日本語のわかるガイドから聞かされて仰天したのである。

 実は、この仏陀が悟りを開いたと言われる黄金の座は、十数年前までは自由に観覧できたのだが、あの忌まわしい麻原ショウコウというとんでもない奴がインドを訪れた際に、この黄金の座に勝手に座して汚したということで、それ以来閉鎖されたのだという話を耳にしたのである。

 私は仏教徒でもヒンドゥー教徒でもない、ただのクリスチャンなのだが、なんとも日本人の一人として怒りに近い思いがこみ上げてきて、なんとなく謝罪したい心境にまでさせられたのは、いかなることなのだろうか。

 ともかく、ブッダが悟りを開いたとされる聖なる地で、日本の新興宗教、しかも犯罪集団と化して、サリン事件をはじめ数々の事件を起こしたオーム真理教の松本智津夫とか言う男が、インドだけではなく世界の仏教徒たちの大切な聖地を汚す、とんでもない自分勝手な行動に出たということに恥ずかしさを感じずにはいられなかった。

 このブッダガヤという聖地には、数多くの寺院があり、日本人が建てた寺もいくつかあったが、この市内に日本のNPO団体の資金で、小学校を造ったという話もあり、インド各地に、日本人のお金と協力で学校建設もなされていることは、少しは罪滅ぼしになっているのかなとも感じたのである。

 今回のインドの旅に出る前にはあまり意識していなかったのだが、実は私も二十数年前から数年間、そういえば「フォスタープラン」という名の団体を通じて、インドの貧しい子どものサポートになればと、年間6万円、毎月5千円の基金を寄付していたことがあり、そのときの少年が今、何処に住んで成長しているのかと思い出してはいた。

 インド各地を歩いていると、至るところに日本の基金の支援での学校の話があり、ブッダガヤ郊外のスジャータ村にも小さな建物の私立の学校があって、少し寄ってみると、50人程の小学生が暗い部屋で古い教科書とノートで勉強している様を見ることが出来た。

 しかし、その学校の執事か関係者が領収書を手にずっと付いて来て、少しでも寄付をと言い続けていたので、どうもその気にはなれず断って、その学校を後にしたのである。

 確かに、この村の生活の貧しさは、バイクの後ろに乗って十数キロを走っているだけで、よく分かるほど、近くに住む人々や子どもの姿は経済的には豊かさを感じるものは何もなかった。

 それにしても、寄付を請うのが仕事と化して、来る人全てに「物乞い」と同様に学校関係者までが、「お金を」と請求する日常が、どうも違和感を感じる訪問者が多いのではないかとも思った。

 仏陀の悟りの地は、今観光地化して、お金をと強請る町に化していた。

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