ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

忘れてはいけない!!

2013年01月03日 | 感じたこと
正月三が日が終わろうとしていますが、私たち家族は恒例の京田辺市薪にある甘南備山の初登山に孫たちも一緒に6人で参加して、正月の二日間の運動不足の解消と市内の友人、知人たちとの新年のご挨拶の機会となりました。

 と言っても、京田辺市民にとってのシンボル的な山なのですが、標高は200メートルちょっとという丘の様な山なので、頂上まで登るのに一時間もかからないナダラカな山なので、60歳を過ぎるまでは何の大変さも感じずにすいすいと登っていたのですが、孫のお兄ちゃんの方が小学5年生ともなると、同じペースで登るのがしんどく感じるほど、自分の体力の衰えを感じざるを得ないひと時ともなりました。

 頂上付近で恒例の京田辺市の歌をみんなで歌った後、今年は昨秋に初めて開催された京田辺第九コンサートの出演者の有志がドイツ語での第九の合唱の一部分を歌われるおまけもあって、我が孫で五歳の男児も耳から聞いていた歌詞を覚えていて一緒に口づさんでいました。

 しっかり汗して帰宅した私でしたが、着替えてから私にとっては地元の父と母と慕う方のお宅にお年始の挨拶を兼ねて伺い、日頃は毎月の様にお会いはできるものの、ゆっくりとお話を聞く時間がないので、正月休みくらいはじっくりとお話を伺おうと出かけました。

 この老夫婦は今年ご結婚67年目を迎えられるという人生の大先輩なのですが、私を幼い時に亡くされた長男のように思っていただいていて、毎回時間の許す限りいろんなお話を聞かせていただく父と母と言った感じの老夫婦なのでした。

 今回は90歳を過ぎられた父なる先生と80代も後半になられたお母さんがご自分たちのご結婚に至る思い出から、戦争中のご経験や広島での被爆者の支援運動や平和を守るための憲法を守る大切な活動に参加される経緯とでも言うべき、貴重かつ大変な経験について詳しくお話して下さいました。

 お父さんの召集令状が来てからの思いや妹さんが広島で被爆された直後に広島に行かれての二次被爆の体験から、戦後十数年経過した後に被爆者手帳を交付され、被爆者の救済活動に積極的に参加されたことや奥様も同様の活動に参加された思いなども熱く、しかも胸のうちをアカラサマニ語って下さいました。

 お母さんは戦時中に大阪のご実家を後にして広島へと向かう日に大阪大空襲に遭遇されて、幸い地下鉄で動物園前から梅田へと移動中となったために災禍に見舞われることは避けられたとのことや、人生での大変な苦しみや痛みの部分までお話くださいました。

 現代の日本に生活している我々にとって、平和であることは当たり前のことだと思っているかもしれませんが、とんでもない犠牲と惨禍から戦後67年有余続いている戦争のない日本は、間違いなく平和憲法のお陰なのであって、憲法改悪やましてや国防軍の設立、徴兵制などを力強く語る輩の思い通りにしては断じていけないのだとの決意を伝えられました。

 お正月のおめでたい楽しい三が日でしたが、しつかりと伝えるべきことを伝え、子供や孫たちにも伝承していくことは当然ですが、戦争を知らない子供たちの私たち以降の世代に語り続けなければとの思いを新たにしました。
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