ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

市議選の結果は落選!

2011年04月24日 | ちょっと可笑しいよ
づくめで 京田辺市議会議員選挙の開票が終わり、残念ながら落選でした。

 21名の議会議員が新たに選出され、今後の市議会を活発に議論のできる場にして行っていただき、京田辺市がより良い生活者目線での施策が進み、住み易い町になるように頑張っていただきたいものです。

 私はこの四年間の普通の市民としての生活で、選挙準備も十分でなく、この一ヶ月は一生懸命にやってきたのですが、市民の皆さんには届かず、残念な結果に終ってしまいました。

 市長も無投票当選ということで現職の市長が再選されましたし、私にとっては今回の選挙は異例づくめで終った感が強く、まだ敗北感よりも、心に厳しい思いが鬱積しています。

 さて、普通の市民に戻って、明日からは選挙の残務整理と共に、新たな今後の生活のことを考えて歩んで行かねばならないわけなので、このゴールデンウイークが終ったら、またしっかりと歩き出したいと思っています。

 人生には山や谷もありますが、家内が言った「マサカ」と言う名の「坂」もあるという今回の落選も、たぶん人生に於いて私自身には大いに勉強になる結果なのでしょう。

 1991年から4期16年を議会議員として働けたことを感謝し、今後は一市民としての生活者として、この町を愛し、この町でいきいきと暮らして行きたいと改めて思っています。

 「先生」と呼ばれる様な「議員」になりたいわけでもなく、何とか「お役に立ちたい」という一心で、市議会への再度の挑戦をさせていただいたのですが、結局思いは届かず、多くのご支援をいただいた方々、ご協力を賜った市民の方々と家族にお礼を言いたいと思います。

 2011年、私ガリバーは63歳の春を迎えて、高齢者の仲間入りをする年齢に達していますが、心と気持ちはまだまだ30代から40代にかけて、当時の田辺町に引っ越して来た頃と同じ気持ちで、今後も「おまけの人生」を自分の為だけでなく、他人や地域の役に立つ役割をささやかでも担って生きて行きたいと思います。

 せっかく与えられた健康と「いのち」を大切に、東日本大震災、大津波に見舞われた被災者や原発放射能漏れから避難せざるを得ない多くの人々のことを思うと、より一層現状に感謝しつつ、元気に明るく生きて行くと共に、しっかりとした支援と継続的なエールを送りつつ、自らも人に恥じない歩みをしていきたいと改めて肝に銘じています。

 ともかく市議選が終ったことで、私の人生の第三ステージのコーナーを曲がる時期にさしかかったと感じていますので、今後は第四コーナーに向けて、ゆっくりと充実した日々を送り、考え、行動して行きます。

 このブログ「ガリバー通信」は、日々の日常を感じたままに記して、今後も皆様に目を通していただきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。
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選挙活動終了!

2011年04月24日 | ちょっと可笑しいよ
 四月17日に告示された、統一地方選挙後半戦、市議会議員選挙に四年ぶりに立候補し、一週間の選挙運動期間を昨夜無事終えることが出来ました。

 市内各地を選挙宣伝カーでくまなく回り、車の中からと街頭でのスポット演説など、一日中マイクを握ってのアナウンス中心の市議会議員選挙の運動でしたが、今回は生憎の雨天の日が多く、告示日と三日目だけが晴れと言う選挙戦にとってはとてもやりづらい天候で、四月半ばを過ぎたというのに、肌寒い日々が続きました。

 それでなくても、先月十一日に発生した東北、北関東の大地震と大津波と福島原発の放射能漏れが多くの被災者や被災地を生み、日本国中が悲しみと共に心が痛む日々を送らざるを得ない感じの時期となったために、選挙活動の自粛や宣伝活動をしない申し合わせをされた地域もある様で、私自身も少し憂慮したあげく最低限度の選挙活動をさせていただきました。

 軽四輪の小型自動車の選挙カーに小さなスピーカーをつけての街宣活動でしたが、連日市内随所を約100キロ強走りながら、無所属・市民派としての立候補の挨拶とお願い、ならびに政策や思いを語る選挙戦を展開しました。

 縦約7キロ、幅約4キロぐらいの市域なので、中日に行った普賢寺地域と言う山岳地帯を除けば、ほとんどが丘陵に開かれた住宅地が中心ですので、同じような住宅地をぐるぐる回る感じの選挙カーによるアナウンス合戦となり、30台弱の各々の選挙カーが狭い道を行き交い、お互いに挨拶しあう場面も多く、果たして住民、有権者にどれほど個別な候補者の声が届いているのか確認することは困難ですが、一応頑張っていると感じていただくパフォーマンス的活動と言わざるを得ない一週間でした。

 しかし、大切な四年に一度の市議会議員選挙ですし、私の場合はこの四年間のブランクとでも言うべき、普通の市民としての生活をしていたので、じっくり市民の多くに再度市議会に送っていただくためのアッピールが必要なので、精一杯何度も何度も住宅街を中心に回りました。

 選挙宣伝カーの走行距離は、何と一週間で約900キロに達し、スポット演説も100回を超えましたが、前回の市長選のことを思うと少ない感じすらする活動距離と回数のような気がしました。

 桜が散って、街路樹のハナミズキがキレイな白とピンクの花をつけて、春めいて来た感じの街中ですが日曜、土曜日でもスーパー付近や駅前を除いては非常に人出が少なく、スポット演説をする場所、機会を選ぶのが難しく感じた選挙戦でした。

 今朝は、いつもの様に五時台に目を覚ましましたが、投票日当日の為「選挙に行く」以外は、選挙活動も終っていますので半日、投票結果が出るまで時をどのように過ごそうかと思案しつつ、25年前の4月26日に当時のソビエト連邦、ウクライナのチェルノブイリ原発で起きた事故の記念集会に足を運び、福島原発だけではない日本国内の54基の原発の現状と今後を考える時にしたいと思っています。

 といいながら、落ち着かない半日を過ごして、今夜の開票での結果を不安を抱きつつ信じて待つしかない候補者の一人であり、明日からの生活、日常がどのように変るか、白黒が判明するまで判定を待つ被告人の様な心境です。
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