最近、定年後と思われる特に男性による絵画や作品展のお知らせをいただくことが多くなった。先日も図書館ギャラリーで催された、ご夫婦による「絵画展」を拝見した。
ご主人は定年前から絵画のご趣味はあったらしいが、定年後ご自宅に「絵を描くスペース」をお作りになって創作活動に励んでおられ、奥様も野山を歩くことがお好きで、山野草のスケッチを中心に描かれていた。
ご主人の油絵は年季が入っていて、お仲間と共にスケッチ旅行もされ、韓国やスペインの地方色を感じさせる光景の作品も何点か展示されていた。
団塊の世代のリタイアの急増が「2007年問題」と称され、あれこれと取り沙汰されているが、肝心なのは、高齢者の仲間入りをする各々個人の生き方に対する選択なのである。
絵画だけでなく、カメラ、ダンス、走る、園芸、料理、農業、音楽、シニアスポーツなど、多種多様な趣味の世界と、個人的なビジネスへの挑戦やシルバー人材雇用などの仕事の世界、そして地域活動やボランティアの世界がある。
実は近くの住宅街の一角で、「なんでもボランティア」を掲げた看板が数年前から掲示されていて、一度私も興味を感じたのでお訪ねし、お話を伺ったことがあった。
その方は長年の経済活動としてのビジネスから定年を迎え、新たな気持ちで、いろんな資格や経験をして、福祉、法律、環境などの分野でのボランティア精神での「助っ人」的役割を地域で目指しておられた様に思うのである。
しかし、数年経った現在、残念ながらお家の両サイドに大きく看板で書かれていた「地域ボランティア」の看板もなくなり、果たして初期の目的や活動が、どれほど出来たのか、わからぬまま「閉店」となったのではないかと危惧しているのである。
と言うのは、お話を伺った時の印象からの憶測なのだが、ご本人は真面目な方なのだが、資格の取得と最低限の経験はされている様子だったが、人付き合いやネットワーク的人脈への積極的な関わりが少ない様に思えたからである。
人は生まれ持ったDNAも含め、人それぞれの能力が成長と共に、勉学や経験で身について、それぞれの個性として他人にも認知されるようになれば、仕事においても、社会的日常生活においても、普通に機能可能になるだろう。
しかし、最後は人と人とのコミュニケーションにより、その機能が活かされる形として役立つか否かは大きく異なったり、差が生じたりすることが多いのである。
他人に認められ、人から依頼を受けることは、本人にとっては、何物にも変え難き喜びになろうが、その手立てにおいて、意外と大きな壁がある場合に気づかなければならない。
ボランティア活動は、おせっかいでもある。でも気持ちよく「おせっかい」をしあえる関係が、お互いの信頼で生まれれば、いいのである。
定年後の趣味、仕事、ボランティア活動、どれもが自分の生きがいでもあるが、他人とのコミュニケーション能力そのものに、その成果の鍵があるのだろう。
ご主人は定年前から絵画のご趣味はあったらしいが、定年後ご自宅に「絵を描くスペース」をお作りになって創作活動に励んでおられ、奥様も野山を歩くことがお好きで、山野草のスケッチを中心に描かれていた。
ご主人の油絵は年季が入っていて、お仲間と共にスケッチ旅行もされ、韓国やスペインの地方色を感じさせる光景の作品も何点か展示されていた。
団塊の世代のリタイアの急増が「2007年問題」と称され、あれこれと取り沙汰されているが、肝心なのは、高齢者の仲間入りをする各々個人の生き方に対する選択なのである。
絵画だけでなく、カメラ、ダンス、走る、園芸、料理、農業、音楽、シニアスポーツなど、多種多様な趣味の世界と、個人的なビジネスへの挑戦やシルバー人材雇用などの仕事の世界、そして地域活動やボランティアの世界がある。
実は近くの住宅街の一角で、「なんでもボランティア」を掲げた看板が数年前から掲示されていて、一度私も興味を感じたのでお訪ねし、お話を伺ったことがあった。
その方は長年の経済活動としてのビジネスから定年を迎え、新たな気持ちで、いろんな資格や経験をして、福祉、法律、環境などの分野でのボランティア精神での「助っ人」的役割を地域で目指しておられた様に思うのである。
しかし、数年経った現在、残念ながらお家の両サイドに大きく看板で書かれていた「地域ボランティア」の看板もなくなり、果たして初期の目的や活動が、どれほど出来たのか、わからぬまま「閉店」となったのではないかと危惧しているのである。
と言うのは、お話を伺った時の印象からの憶測なのだが、ご本人は真面目な方なのだが、資格の取得と最低限の経験はされている様子だったが、人付き合いやネットワーク的人脈への積極的な関わりが少ない様に思えたからである。
人は生まれ持ったDNAも含め、人それぞれの能力が成長と共に、勉学や経験で身について、それぞれの個性として他人にも認知されるようになれば、仕事においても、社会的日常生活においても、普通に機能可能になるだろう。
しかし、最後は人と人とのコミュニケーションにより、その機能が活かされる形として役立つか否かは大きく異なったり、差が生じたりすることが多いのである。
他人に認められ、人から依頼を受けることは、本人にとっては、何物にも変え難き喜びになろうが、その手立てにおいて、意外と大きな壁がある場合に気づかなければならない。
ボランティア活動は、おせっかいでもある。でも気持ちよく「おせっかい」をしあえる関係が、お互いの信頼で生まれれば、いいのである。
定年後の趣味、仕事、ボランティア活動、どれもが自分の生きがいでもあるが、他人とのコミュニケーション能力そのものに、その成果の鍵があるのだろう。