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ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

夢から醒めない夢

2007年07月04日 | ガリバー旅行記
 皆さん、最近「夢」を、ご覧になりますか。

 全く「夢」とは縁のない生活ですか。いや失礼しました。けっして「人生に夢が無い」と申し上げているわけではありません。

 私は、ここ数週間、たぶん朝方だと思うのですが、よく「夢」を見るんです。

 しかも、その「夢」は、昔、若かりし頃に、よく見た「夢」に近い「夢」で、終わりの無い「夢」、つまり「夢か現かわからない夢」なのです。
 
 というのは、いつも私は誰かと共に、長い長い廊下というか通路を一生懸命に早足で歩きながら、「何かを求めて」急いでいるのです。

 決して明るくは無い長い廊下の様な通路ですが、至るところで人と出会い、何かをされている人々の横を素通りしながら、私たちはただひたすら前進するのみと言った感じで進んでいるのです。

 気がつくと、一緒に歩いているのが時には有名人であったりもして、なかなか面白いのですが、なかなか行き着く宛が見当たらないのです。


 たぶん、おっさんフリーターとしての仕事に精を出しているのですが、何時まで何処までやれば気が済むのか、また頑張っただけ先が見えてくるのかと言えば、決してそうではないという現実があるからです。

 若い人たちのネット上の日記などを垣間見ていると、他愛も無いと言ったら叱られるかもしれませんが、日々の出来事や、ちょっとしたエピソードを綴りながらも、明日へのエネルギーや元気が伝わってきます。

 私も至って元気なのですが、「夢」は、なかなか醒めない「夢」を追い続けているようなんです。

 決して焦っているわけでもなく、一日、一日は充実しているのですが、社会の中での「役割」としての仕事としての明確な明日が見え難いためだと思っています。

 人は、日々の平凡な日常生活のリズムの中で、健康と幸せに感謝しながら生きているわけですが、時折「このままでいいのかな?」という疑問にぶつかる時があるものです。

 後一週間で私もついに、とうとう、「還暦」と称される年齢になろうとしている「今」、たぶん、また新たな目標としての「何か」を探しだそうとしているんだと感じています。

 私がガリバーと呼ばれて25年余が経過して、新たな「ガリバー旅行」としての行き先を捜し求めていることに気づかされました。

 「夢」って、ほんとに面白いですね。

 「夢から醒めない夢」を今夜も見ながら、明日への体力と気力を蓄えて、新たな目指すべき道を探し求めて歩きたいと思います。

 また今夜、僕と一緒に長い道のりを歩いてくださるのは何方でしょうか。

 楽しみです。ぜひ僕の「夢」に登場して、新たな想像力とエネルギーを下さい。





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うまい「出し巻き卵」!

2007年06月18日 | ガリバー旅行記
先日、やおやのお客さんとお話してて突然思い出したんだが、私が学生時代に食べた「出し巻き卵」の味が忘れられないし、最高にうまかったのだ。

 大学二年生の冬だったと思うが、寮の同僚学生に誘われてのバイトで食したものだった。

 京都三条蹴上にある「都ホテル」に入っている某日本料理店の「ホテル朝食」の段取りと片付けのバイトであった。

 寒い冬の夜、朝早いバイトのため、まだ夜の街として賑わっている祇園界隈の路地を入った職人宿のような場所の二階に、せんべ布団がいくつもあって、そこで一夜を過ごして、早朝に連れ立ってホテルへ出勤するのである。

 夜のネオンが二階の窓からちかちかと見え隠れする中、夜半に我々バイト生は、週刊誌や漫画本を枕にして浅い眠りについて、まだ暗い早朝に目覚めて仕事に行くのである。

 三条通りに出て、四、五人の学生がタクシー待ちをしていると、おまわりさんに職務質問された時があるくらい、風情はちょっと危うい感じの学生集団に見えたのだろう。

 おまわりさんに、「どこから来たか?」と問われて、「あっち」と答えたり、「どこへ行くのか?」に対しては、「あっち!」などと答えて、しっかり叱られたりもした記憶も蘇ってきた。学生運動が華やかな時代だった。

 ともかく立派な一流ホテルの日本料理の「朝定食」は、当時で一人前500円だったのである。

そんな高価な「朝定食」を食べるホテルの宿泊客がどういう人たちかは知るよしもないが、ともかく「出し巻き卵」と「赤だし」が絶品であり、最高にうまかったのである。

 ホテルに入っていた有名な日本料理店は、「出しまき卵」と「赤だし」が勝負と見えて、毎朝、番頭さんがやってきては、「出し巻き卵」と「赤だし」の味を味見してチェックするのが日課となっていたようである。

 その番頭さんは年の候なら、30歳を過ぎたばかりと思われる御仁なのだが、いつも当時流行っていた、千昌夫の「星影のワルツ」を口づさみながら、味見にやってくるので、私たちは、さすが伝統の日本料理屋だと納得と感心をしていたのである。

 出された「朝定食」が、全く手もつけずに戻ってくることもあり、我々貧乏学生にとっては、信じられないセレブな人たちの「財布」を想像したりもしたもんだ。

 朝食の時間がほぼ終わる頃、私たちは皿を片付けて一段落して、この「朝定食」の「出し巻き卵」と「赤だし」を食すのだが、これが何とも贅沢の極みと言った感じのプレゼントだったのである。

 夜から泊りがけの朝10時頃までのバイト料は、当時のお金で800円位だったと思うので、この500円の「朝定食」のうまさと値段は、格別の感があった。

 今、この「出し巻き卵」の味が続いているとしても、さぞかし2000円か、3000円の「朝定食」となっているのではと思うほどの絶品だった。

 このうまい「出し巻き卵」の味に、も一度出会うには、ホテルに泊まるしかないのかな。

 
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モンゴル草原に行きませんか?

2007年06月03日 | ガリバー旅行記
1988年夏に、初めて中国・内蒙古自治区の「モンゴル草原」へ行って以来、縁あって今年で20年が経過した。

 1991年の夏に、子供たち100名を全国募集して、内蒙古のバイインオーボ
という、素晴らしい大草原とロケーションに、ゲルを設営しての一週間を経験して以来、「モンゴル族」の血を引いているのか、ほとんど毎年の夏に仲間を連れて行く様になったのである。

 今年は20周年記念なので、格安で行く「内蒙古・地球散歩ツアー07」を企画した。

 「遊牧民との草原ゲル生活と乗馬散策の旅」

 いきいき地星の会主催・旅行企画、引率・ガリバー。
 旅行手配・マイチケット&内蒙古赤峰順達旅遊公司

 壮大なるジンギスハーンノ歴史的ロマンを夢見て、私たちは大草原で逞しく明るく素朴に生活する、内モンゴルの遊牧民たちの拠点である、ゲル(中国語ではパオ)に5日間滞在し、蒙古族との交流、大自然の眺望と風に、感動の時を体験する。

 モンゴル民族特有の風俗・文化・伝統は、モンゴル族の諺の「モンゴル人は馬上に生まれ、馬上にて死す」に由来するように、現在でも大草原に、家畜でもある羊・牛・馬と共に、ゲルで暮らす中に息づいている。

 乗馬や草原散策を自由に楽しみ、360度地平線の眺望を満喫し、朝夕の太陽の姿や夜空の満天の無数の星や流れ星を眺める自然な生活を過ごす。

 食事は、乳製品いっぱいのスーテー茶(蒙古風ミルクティー)やチーズ、草原酒などの「白い食物」と羊肉料理を中心とする「赤い食物」が、モンゴル人の日常だが、私たちは一般的な中国料理も食する。

 現代社会に生きる私たちにとって、日常生活の価値観や時間の流れに疑問を感じたり、いのちの洗濯の機会となるのではないでしょうか。
 
<内モンゴルツアー・日程>
8月16日(木)~25日(土),9泊10日、帰国は、8/25,午後8時関空。
 8/16・12時,関空集合・出発、北京一泊後、17日、金山峰万里長城登頂し、シリンホト飛び、18日、大草原へ向かう。

 大草原でのゲル生活5日間は、乗馬散策、遊牧民との交流、チーズ、餃子づくり、乳搾り、羊解体料理、モンゴル語遊び、満天の星空散歩、草原軽登山、植物採集など、自由にお過ごし下さい。時間の流れが違います。

<参加費用>※全ての交通費、飲食代を含む。
大人・218,000 学生198,000 子ども(12歳未満)178,000
<募集人数>
健康な男女(自分のことは自分でできる方)10名。
 
<申込み・問合せ>
いきいき地星の会・ガリバー
 PCメール:guli0711@d1.dion.ne.jp または、mixiからメッセージで。7/10迄に。

 この旅行は、個人の集まったグループ旅行です。ご参加をお待ちしています。

 
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今夏は内モンゴル20周年だ!!!

2007年05月11日 | ガリバー旅行記
今年の夏の「ガリバーと行く・内モンゴル地球散歩」が、なんと私自身の内モンゴルと出会ってから、満20周年の記念の旅となる。

 当初、例年通りの8月16日出発で25日帰国の、9泊10日のツアーとして計画していたのだが、今年は20周年の記念とともに、新たなオメデタイことが重なって、私自身は二日早く、中国へと出発することになりそうなのである。

 それは、私と今から18年前の1990年に出会って以来の友人となった、中国内蒙古自治区の赤峰市、ダライの町に住んでいた「包海岩」君の結婚式が行われるためなのである。

 彼は、モンゴル人なのだが、現在は中華人民共和国に政治的には支配されている、内蒙古自治区の出身なのだが、六年と少し前に京都にやってきた留学生なのである。

 不幸か幸いか、彼が最初に出会ったのが私であり、91年の私達の企画である、「内蒙古地球学校」に現地の交流学生のひとりとして参加して以来、93年に始めて日本に「日本海地球学校」のメンバーとしてやってきた、ご縁が今に続いている。

 彼は、13歳の時に「日本」と「日本人」に始めて触れて、「日本」との縁が深まり、今日のお昼ご飯を一緒に食べながら、「人生の四分の一」は、日本にいることとなった」と供述しているのである。

 日本の京都、そして同志社大学との「ご縁」で、私も何度も食事を共にしたり、遊んだりしながら、彼を見守り、そして彼の弟や妹も、京都にやってくることになり、みんなで交流を深めたのである。

 一方、私が主宰する「いきいき地星人の会」が企画する毎年夏の「中国・内モンゴル地球散歩ツアー」では、内蒙古草原でのゲル生活や生活全般のサポートを、彼のご両親がしていただくこととなり、一昨年からは本格的に現地で手伝っていただいている。

 弟のオラクルは、昨年夏前に帰国し、シリンホトに住む両親の手伝いをしながら過ごしているが、妹のナラングリは、同志社大学留学生別科で、二年間日本語を学んだ後、今春から名古屋の大学へと進学したため、現在は名古屋で一人暮らしである。

 しかし、実は結婚する相手の彼女が、六年前からの名古屋暮らしであり、彼女は兄嫁にあたる「お姉さん」のいる名古屋に生活しているので、安心なスタートを切れたとも言える。

 ともかく、バオハイェン君の「結婚式」に参列することを前提に、今年の夏の予定は決まったと言っても過言ではなく、彼は私との打ち合わせの上、8月15日に、内モンゴル自治区のシリンホトのホテルで結婚式をすることにしたのである。

 さて、楽しみなお祝いごとが加わっての、今夏の「内モンゴル地球散歩ツアー」は、大草原でのゲル生活と乗馬を楽しむ一週間となるのだが、赤峰市での20周年記念パーティーも企画されるので、どうなることやら、とっても幸わせなツアーとなることだろう。
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市長選の結果とご報告

2007年04月24日 | ガリバー旅行記
 4月22日投票、即日開票の京田辺市長選は、午後10時過ぎに大勢が判明し、私、たちばな雄介は、全く予想を下回る得票数で、完敗でした。

 昨日は、「完敗」を肝に銘じて「乾杯」しました。

 私が市長選への立候補を決意して以来、70日間の戦いが終わりました。

 私は、現在の京田辺市に居を構えて27年。この町でプレイスクールという、子どもの遊び場活動のリーダーとして「ガリバー」と呼ばれながら、91年に当時の田辺町議に当選以来、無所属、市民派の立場から、10年前の市制移行で市議会議員になり、通算4期16年の議会活動をしてきました。

 生活者市民の立場から、政党、組織、団体と関わりのない、所謂しがらみ、地縁、血縁と無縁な普通の市民のひとりとして議会活動としての市政のチェックとリサイクルバザールや内モンゴルとの交流、料理サークル、ボランティア活動などの市民活動をしてきました。

 今回の市長選挙には、「このままではいけない」「黙っておれない」と立ち上がって、「市民の眼と心で 変えよう!市政を」を合言葉に、多くの市民、友人、学生達に支えられて、事前準備と一週間の選挙活動を精一杯行いました。

 しかし、残念ながら結果は完敗でした。

 石井明三氏(59歳・前市経済環境部長・自民党推薦)が当選され、新市長になられました。

岡本茂樹氏(62歳・元宇治市監査事務局長、現市長が後継として指名)は、惜敗されました。

 今回の選挙は、現市長の町長、市長としての3期12年の後を受けての新人3人による三つ巴の選挙でした。

 でも、選挙戦になると旧態依然とした選挙手法での、地元土建業者や商店主、政党、宗教団体、地域、サークル、その他の組織の思惑が先行した、「どちらが得か」のしがらみと地縁、血縁の選挙と化しました。

 今回の市長選から初めて公費負担で、選挙期間中にマニフェストが頒布できるようになって、少しは政策重視の論戦を伴った選挙が実現するかと思いましたが、全く古いタイプの「連呼、連呼」の攻防だったと思います。

 私は、施策の目標、手段、期限、財源などを記した「マニフェスト」を学生や仲間達と議論しながら、創り上げて、A4版のチラシとして、新聞折込や手渡しで配布しましたが、市民、有権者には、しっかりと私の主張や訴え、夢などは伝わらなかった様でした。

 しかし、選挙期間中には、多くの住民の方々と出会い、握手を交わし、熱いご声援と気体の眼差しを受け止めさせていただき、とっても嬉しく、楽しく、力強く、私を支えて下さった市民、友人、学生、家族と共に戦うことが出来たと感謝しています。

 今後は、多くの励ましの言葉、カンパ、電話、メール、お手紙等をいただいた、市民の皆様や全国各地の友人、知人たちのエールを胸に大事に受け止めて、この感動と感謝を力に、さらにな精進を重ね、健康に留意しながら、ゆっくり、しっかりと歩んでいきたいと思っています。

 本当にありがとうございました。
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市長選への準備でブログ休みます。。

2007年03月19日 | ガリバー旅行記
 とんでもなく超多忙な毎日を、体力勝負で元気に活動しています。

 感謝です。ほんとうにたくさんの方々に支えていただいて、市長選にチャレンジできる幸せを感じながら、思いっきり大好きな京田辺の住民の一人として活動します。

 この町をもっと住みよい町にするために、誠心誠意語り笑顔と明るい希望を抱きながら、子ども達と高齢者、しょうがい者を大切にした「住民主体のまちづくり」を目指しています。

 しばらく、「ガリバー通信」はお休み状態になりますが、あしからずご了承くださいませ、ませ。ありがとうございます。


 皆様も季節の変わり目、お風邪やインフルエンザ、花粉症などに悩まされないように、ご自愛のほどお祈りいたしています。

 また元気に、明るく「自然・いのち・元気」をスローガンに、選挙戦を戦い抜いた後に、ブログを通じてお会いできることを楽しみにしています。

 では、皆様に良い報告ができる様に祈っていてください。よろしく。ガリバー。
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選挙の前哨戦の準備

2007年03月12日 | ガリバー旅行記
 なんと、市長選、市議選の告示まで33日となっている。

 本日の議会、予算特別委員会では、来年度すなわち平成19年度の骨格予算の審査が始まって、総務費の中ではひときわ目立つ歳出が「選挙費」なのである。

 選挙管理委員会費が1900万円、選挙啓発費が72.3万円のほかは、実質的に三つの選挙にかかる財政支出であり、国政の参議院選挙費が2730万円、府議会議員選挙が1620万円、そして市長、市議会議員選挙が5700万円の予算である。

 すなわち冠雪経費も含めて、62000人ほどの人口規模の小さな地方都市でも、何と合計1億2千万円強の税金が支出されるのである。

 その内訳は、担当職員二人分の給与、手当と選挙管理委員会委員の報酬などと、投開票管理者などの報酬、開票などのための職員の時間外勤務手当などを含む人件費及び手当、報酬に、消耗品費、印刷製本費、通信運搬費、制作委託料、アルバイト賃金、会場借上代、選挙に関わる公費負担分などである。

 いずれにせよ、参議院議員は一人、府議会議員2人、市長一人、市議会議員21名を選ぶために、相当のお金がかかるのであるが、市民、有権者は、こんなにお金が税金から支出されていることすら関心なく知らないのではないだろうか。

 行政施策や住民サービスと言っても、全て自治体の予算によって決められており、毎年度の四月を前に、年度初めの当初予算の審議を七日間もやるのだが、今年は市長も改選期が市議会議員選挙と同日の「統一地方選挙」のため、骨格予算としての暫定的とでも言える必要不可欠な予算を審議、検討する予算委員会となっている。

 私は、この4年間、全ての予算、決算委員会と前半の2年は文教福祉常任委員会の委員として、また後半の2年は建設経済常任委員会委員として、時間の許す限りの質疑と事務調査をしてきたので、毎定例議会毎の「一般質問」と共に、現在欠員一名のため議員20名の中では、間違いなく一番数多く発言し、発言時間、回数ともトップである。

 今回は、一ヶ月余で告示される予定の「京田辺市長選挙」に立候補予定になったために、この定例議会が議員としての最後の議会となるため、思いも新たに精一杯の質疑、討論を行っているのである。

 そのために、選挙体制の人、場所、作業、印刷物制作、印刷、決意文やリーフレットによる本人紹介をはじめとする、市長選への実質的なネットワークのスタートの集いの案内などとお手伝いのお願いなど、多種多様な準備が交錯しているのに、予定候補者としての動きが十分でせきない面もあるのである。

 しかし、ネットワークと言う名の、実態の無い選挙体制の中で、私を支持し応援していただく方々の協力が徐々に始まっていて、今日も選挙参謀的に準備をして下さる御仁と隣町からやってきてくれた女性とで、私のいない間に、多くの前述の事務的な仕事をしていただいていたのである。

 事務所が決定して、今週末から、いよいよ市長選挙の前哨戦の実質的スタートである。
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団塊の世代の奮起!!!

2007年03月11日 | ガリバー旅行記
写真に自分を登場さすことは極力控えていたのだが、いろんな事情と時代と責任から、徐々に自分を言葉だけではなく、直接顔を伴って表現しなくてはいけない世代となったような気がする。

 先日のブログにも綴ったが、同年輩の日本画家であり、私の20年以上の友人のひとりである「鈴木靖将」さんは、亡くなられた奥さんで画家としての同労のパートナーであった「三橋節子」さんとの同時期展を開かれたので、鑑賞に行った際のスナップを掲載した。

 鈴木靖将氏は、とっても大きく温かなお人柄で、私をも同輩として包み込んで下さる方であり、私の尊敬できる画家のひとりであるだけでなく、団塊の世代の同輩としての誇りをも感じる人である。

 今回の鈴木氏と三橋さんの同時期展では、私は自分史の中の60年代から70年代の青春期を重ねながら、まだまだ青い心と経験のない若さゆえに、何事にも一生懸命だった心と、あの時代が持っていたエネルギーを、少し屈折した心の襞と共に強く思い出したのである。

 あの時代の持つ社会、経済、政治、生活などの各々の分野での、うねりとでも言うべき、ふつふつとしたエネルギーに、つき動かされるように私たちは語り合い、議論し、行動し、落ち込んだり、挫折したりしながら、少しの青空を求めて彷徨っていたのである。

 しかし、いつの間にか「団塊の世代」と十束一からげに「塊の世代」の如く語られだし、「団塊の世代の功罪」や問題点として、多くの論評や批判も受けなければならない事態に陥っている。

 確かに私たちの世代は、戦後の日本の復興期に「ベビーブーム」の落とし子として生まれた多人数であり、高度経済成長期の労働力として社会や会社を支えつつ、ニューファミリーや新人類として、消費者、変革者とも揶揄されて生きてきたのである。

 今、その「団塊の世代」が会社や社会的責任からリタイアしつつある時期を迎え、世の中では「2007年問題」とやらで、困りごとのように扱われることもある。

 とんでもないと思う。世代の人間の数が多いだけで、如何にも社会に迷惑をかけて来たかの様に言われることが多いが、どっこい、たくさんの時代的貢献もしてきたという自負もある。

 私は、先月中旬に、地元の京田辺市の市長に立候補することを決意して、本日から「京田辺いきいきネットワーク」という「勝手連」的な人の繋がりのご協力、ご支援を得て、縁あって住まうことになり、とっても大好きな町となり、終の棲家となるであろう、この京田辺市がより一層、生活者や訪問者にとっても、心通う素敵な町になるために、行政の仕事は欠かせないとの認識から、シティマネージメントとしての、市行政の舵取り役の仕事をしようと決意したのである。

 団塊の世代の再びの奮起である。全国各地で団塊の世代の奮起が待たれる。
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寝不足だが、充実。

2007年03月07日 | ガリバー旅行記
 なんだかんだと言っても、市長選への立候補を心に決意してからというもの、実際には、布団に入ってもなかなか眠れないのである。

 気持はすっきりし気力も充実していて大丈夫なのだが、昨日の一日も多忙と言うのか、走り回っていたことを書こうと思う。

 定例議会中なのだが、金曜日の私の一般質問中の昼休憩からが俄かに忙しくなったのである。私は一般質問を終えて、日曜日の候補予定者説明会に出席した時点で「市長選立候補の意向」がはじめて伝わり、翌日記者発表をする予定だったが、突如O氏が出馬の意向を固めたというニュースが飛び込んできた。

 正式に私が発表する前に、第三の候補者、それもよく存じているO氏の立候補宣言にはビックリしたが、当事者同士でどうこうする話ではなく、挨拶を交わして、お互いの意思を確かめ合って、数日後の記者発表となり、市役所内の雰囲気がガラッと変わったようで、何とも奇妙な静寂とみんなの視線を感じるようになった。

 昼休みに私の大好きな『カレー屋』さんに行って、食事をしながら調理をするオーナーの息子と話していたら、お店のカウンターに以前も見たことがある常連客の男性と髭を蓄えた華奢な僕よりは若い中年男性が座っていた。

 昨日の候補予定者説明会の顔ふれと共に、早くも次の朝の朝刊紙上で「私の市長選への出馬」が写真入の記事として出たのである。

 親父さんの入院後、孤軍奮闘でカレー店のマネージメントと調理をしている息子と私は、「2週間近くぐっすりと眠れない」話と「市長選」の四方山話をしていたら、隣のカウンターに座っていた髭の客が、「眠れないのなら、私のとこに来なさい」と声をかけてきた。近くで開業する精神科医で2週間以上は予約で満員だ「カレー屋で出会った者」と言ってくれれば、特別に優先的に、すぐ診察すると言う。

 夜には数年前に合併して、滋賀県湖東市となった町で、町議18年と町長を一期4年やったことのあるS氏を訪ねたのである。久しぶりご自宅に寄せてもらい、いろいろと先輩としての首長の経験談を、同じような新興住民地住民と旧来地域との壁やハードルなどの意見交換もしたのである。

 人生でも10歳ほど先輩の彼は、数年前に町長を一期やり、国の思惑での合併市の初代市長選にも立候補したが叶わなかった、元町長である。

 S元町長夫妻と約3時間、首長選挙のことだけでなく、多種多様な話題を語り合い意見交換し、奥様も最後まで話を聞いて下さって、笑い、愉しく歓談でき、帰路についたのが23時を過ぎていた。

 急いでお願い事をひとつして軽四輪の車を走らせ、名神高速の竜王インターから、途中瀬田東から京滋バイパス経由で小椋インターを出て、24号線バイパス、京奈和自動車道の通称百円橋を渡って、なんと自宅にたどり着いてのが23時50分、すなわち40分ですっ飛んで帰ったのである。

 寝不足が続いてはいても元気で、一日、一日がとっても充実しています。時折急に睡魔が襲ってきて、このブログの執筆中も少し眠ってしまったが、運転中なら危険だよね。

 告示まで38日しかないが、熱い心で誠意をもってやりぬくよ。
 

 

 
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ひと休みした風景

2007年03月04日 | ガリバー旅行記
 ここ3週間の多忙さは、尋常ではなかった。

 先月2月中旬に「市長選に立候補」の決意を固めたが、私も歌う「田辺混声合唱団」の第8回定期演奏会があったし、開会した今年度最後の市議会で私の最後になるであろう「一般質問」が3月2日にあったので、それが終わってから公表しようと心に秘めて多様な思いを封印していたので、なかなか眠れずに、うとうとして目覚める「寝不足」が連日続いていた。

 昨夜は、有機八百屋の移動販売を終えてから、急ぎ着替えと髭剃り等の身だしなみを整え、友人から紹介のあった京都市内の写真館へと車を走らせ、選挙用ポスターやリーフレット用の写真撮影をしていただいた。

 デジタルカメラによる撮影で夜半遅くに、出来上がりの写真とCDロモへのデータ落としに、多種多様な作業や試行が繰り返されて、やっと見本にプリントされた「我が身の写真」を携えて帰路についたのである。

 深夜、今日開催された「市長並びに市議選挙の予定候補者説明会」に出席するための準備を行ってから床にはついたが、案の定少ししか眠ることが出来なかった。

 言い訳以外の何物でもないのだが朝、気がつけば左目が充血していて、少しはれぼったくなっていた。

 説明会後、新聞各社が「市長候補」としての「写真撮影」をしたいとのことで、会場横の壁の前に立ち、まるで逮捕された容疑者みたいに、自らの手に「京田辺市長候補者」とマジックで急遽書かれた紙を持たされて、しかも背が高いので膝を少し折り曲げて、カメラ目線で撮影に応じるという格好になった。

 ともかく「腫れて充血した左目」を気にしながらも、やむを得ず5社の被写体となってから、急遽取材に応じるという形で、「市長への立候補予定者」としての一日目がスタートした。

 一緒に説明会に出席し今回の選挙を支えて下さるお二人と共に、打ち合わせを兼ねて昼食を近くのレストランで済ませた後、私は立候補予定者の説明会会場に一度戻って、市議会への予測されていた立候補予定者の確認を行った。

 噂も含めて予定通り、私を除く29陣営が来られており、全陣営から立候補者が出たとすれば、定数21の議員数で8名が落ちる厳しい選挙となることが予想される。市長選挙は現在で3人が立候補者確定で、共産党系からもう一人出られる可能性もあるという。

 その後、隣町の友人宅に大工であるご主人に依頼していた選挙カーの上に載せる箱型の看板の取り付けに向かったのだが、疲れがどっと出てきて途中で軽い居眠り運転になっていて、危険すら感じる状態になった。

 そこで、看板取り付けの作業を任せて、ご自宅に上げていただいて、コタツに足を突っ込んだ状態で、少し眠らせてもらうことにした。

 結局、しっかりとは眠れなかったが、体を休め、風呂に入れていただき、少しリフレッシュして帰途についたのである。感謝。コタツの上は、写真の如き家庭の安らぎと、おやつや果実などが並んで見えた。

 
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