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ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

ネパールの火葬場。

2008年08月22日 | ガリバー旅行記
 ほとんど当もなく旅立った今回のネパール、インドの旅は、まずタイ・バンコックを経由して、昼過ぎにネパールの首都・カトマンドゥーの国際空港に到着した。

 朝方、トランジットで約4時間強待ちのバンコックの巨大なハブ空港で、カトマンドゥー行きを待つ、二人の日本人青年に声をかけるところから始まった。

 一人は、熱心に脇目も振らず「地球の歩き方・ネパール編」に釘付けの学生風の青年で、もうひとりは既に知り合っているらしい青年に一緒に声をかけた。

 先の青年は、滋賀県の大学に通うまだ三年生らしく、漠然と初の海外旅行にネパール・インドをインターネットを見て選んだと言う。

 もう一人の青年は、既に就職が内定している来春卒業の22歳の大学生で、カトマンドゥーは一日滞在するだけで「西遊旅行」の手配で「ブータン王国」へ5日間旅するという。

 私も初めてのネパール入国だが、たぶん現地の友人関係のNPOの日本語のわかるスタッフが空港に出迎えてくれるので、市内まで同じ車で移動したらと誘ってみた。

 滋賀の大学生T君は即座にYESであったが、栃木のブータン行きの大学生は、旅行社の手配があるので残念ながら、空港でおさらばとなった。

 空港の待合を出たところで、たくさんのタクシーやホテルへの誘いの中、誰が迎えに来てくれているやらわからないまま、二十数分間人を探して、やっと小柄な好印象の30代と思われる青年が、「ガリバーさんですか」と声をかけてくれたので、自己紹介をしてT君と共に市内へと向かった。

 ネパールの自然と人たちをイメージしながら走ること約三十分、いつのまにやら喧騒の街中へと入って、元王宮跡をよぎってタメル地区と呼ばれるホテルや飲食店が立ち並ぶダウンタウンの一角へと到着した。

 今夜からの宿泊地は、交渉により一泊350ネパールルピー、約500円の安宿と決まった。

 安宿と言っても一応シャワーはあり、ベッドはダブルサイズなので、ゆったりと休むことができそうなので満足であった。

 しかし初日の夜から「蚊」だけは歓迎してほしくないのに、耳元でブーンと羽音を立て続けたり、一応寝袋で下半身を包んで眠ったのだが、蚊取り線香の効き目が悪く、顔、手、腕を数箇所かまれてしまった。

 ネパールの蚊にも、たまにはプレゼントが必要かもしれないと変な納得をして初日の夜をすごした。

 翌日からは、六月下旬からカトマンドゥーに行きネパールの児童や女性労働の実態をカメラで撮影しようと取り組んでいる友人のTATSUと行動をしばらく共にすることになった。

 最初に出かけたのが、聞きしに勝る「ネパールの河畔の火葬場」であった。

 まじ、人間の最後が見事なセレモニーとして全部見える感じで、家族、親族、友人たちによって執り行われている様子を、川辺の対岸の至近距離からじっと観続けたのである。

 人間の生と死を誰もが感じずにはいられない素朴な儀式に熱い感動を覚えた。
 
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無事帰国しました。

2008年08月20日 | ガリバー旅行記
 ブログでは予告してた通り、8月5日の夕食後、自宅を出て関西空港から、初めてのネパール、インドの独り旅をほぼ半月して、今朝方無事戻ってまいりました。

 ブログの読者の皆さん、出発のご挨拶もなく出国してしまいましたので、すみませんでした。ご心配をかけた方もおられると思いますのでお詫び致します。

 いろんな事件や現象にも遭遇しましたが、結構面白い旅となりました。

 このブログを通じて、明日から何回かにわけて報告したいと思います。

 ただ、途中北インドのヴァラナスで、自分の不覚で愛用のデジカメを紛失してしまった失態があったので、十分カメラの映像で伝えられないのが、とても残念ですが、よかったら、また覗いて読んでくださいませ。

 ガリバーは元気です。みなさん、夏バテしてませんか。残暑お見舞い申し上げます。
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田舎のたぬき。

2008年08月04日 | ガリバー旅行記
 夏休みに田舎に帰ったという人の話をよく聞く、

 最近では、この「田舎」がなくて寂しいという人の贅沢な悩みも聞くことが多くなった。

 今年の夏の暑さは格別で、お盆を前にすでに里帰りをしたという私の友人の話を聞いた。

 彼女の故郷は石川県輪島市で、能登半島の先っちょの農業と漁業の田舎町である。

 彼女の弟さんは、その地方でも珍しい専業農家で、広い田畑を独りで耕し、米作りを中心に野菜もふんだんに作っておられるらしい。

 彼女が約一週間里帰りした間の面白い話をお茶のみ話として聞いたのである。

 それは、熊こそ出てこないが、鹿、サル、いのしし、そして狸にウサギがしょっちゅう田畑やお家の近くにやってくる「田舎町の話」である。

 とある昼下がりね自家用車で町に出た帰り道、道路を横断する奇妙な物体を発見したというのである。

 お腹の出たタヌキが、なんとスイカを抱えてよっこら、すったと道路を横断して住処へと急いでいる途中だったらしい。

 自動車から遠目に見ていた彼女たちの目線とタヌキの目が合った瞬間、なんとタヌキはスイカをほうり出して、すたこらさっさと逃げて行ったというのである。

 マールい大きなスイカを丸ごと抱えて歩いていたタヌキの様を想像しただけで可笑しいのだが、人間に見つかっては驚いて、身の危険を感じたのか、せっかくの獲物であるスイカを残して逃げて行ったのだそうだ。

 この話には余談があって、彼女の弟さんは、あのスイカは、たぶん○○とこのスイカだろうと目星をつけて、奴のとこのスイカはあまり甘くも旨くはないと言って、せっかくの丸ごとのスイカは人間にも見捨てられて道路上にコロリと転がっていたというのだ。

 また、彼のスイカ畑にやってきたタヌキたちの話だが、そっとスイカ畑に入ると、なにやら黒い物体がこそこそと動いていたので、そっと眺めていたら、なんとタヌキさんの目と彼の目が合ってしまったそうで、タヌキは夢中で食べていたスイカをなんと裏返しにひっくり返してから、一目散に逃げて行ったというのである。

 タヌキのスイカ泥棒やスイカ食いはしょっちゅうなのだそうだが、何故に食べ散らかしたスイカをひっくり返してミドリの丸い形を見せてから逃げるのか、タヌキの心境や如何にである。

 ついでに、彼の畑には必ずウサギさん親子も毎年やってくるらしく、彼は手入れをあまりしないままに大根畑に「ウサギ用」の大根も用意して育てているらしく、毎年ウサギの家族がやってきて、満足そうにウサギ用の大根を食べるのだそうだが、自家用や出荷用のきれいな大きい大根まで手を出して食べることがあって、かわいいのだが怒っているという。

 お百姓さんと野生動物の間の友情なのか、生態系の中の共生なのか、人間たちも動物たちの餌の減少の原因を作っている罪滅ぼしに、田畑のおこぼれを野生児たちに用意しておく必要があるみたいである。
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出逢い・感動・生かされる。

2008年07月23日 | ガリバー旅行記
 ほんとうに暑い夏の到来である。昨年の七月は今日23日まで、真夏日と称される気温が30度を越す日が、たった六日しかなかったそうだが、今年はなんと21日、つまり七月に入ってほとんどの日が「真夏日」になっているという極暑である極暑が続いている。

 今日、この真夏日の中、汗びっしょりになりながら外歩きの「おっさんフリーター」をしていたら、なんと偶然だが、とってもハッピーな名前の明るい奥さんに出会った。

 なんとお名前が「明るく楽しい」と記す、「明楽」さん、お名前は「あきら」さんと読むのだそうである。

 外歩きの営業仕事をしていると、いろんな変わった姓に出くわすことが多くて、珍しい姓に出会うと、それだけでうれしくなるのだが、今日の出会いは、なんとも極暑の中でオアシスに出会ったような喜びであった。

 ほんとうに「明るく楽しいだけが取り柄ですよ」とおっしゃるお母さんは、二人の女の子のママで、少しお話するだけで幸せそうな普通のオカァサンだが、とってもうれしくなる出逢いとなった。

 先日、あるテレビ局で、「三浦雄一郎さんの75歳でのエベレスト再登頂」のドキュメンタリーが放映されていたのだが、これも偶然にも観ることができ、三十年以上前に、東京のテレビ局のロビーで偶然お逢いした「三浦雄一郎さん」にサインをいただいたことを思い出した。

 その頃、我が息子が三浦さんと同名の「雄一郎」だったことと、彼が幼くして二回の手術を余儀なくされた状態にあったことで、冒険家として名高かった三浦雄一郎さんのオーラと力強い生き様に「あやかりたい」と思ってサインを求めた記憶があった。

 そんな彼も高齢となったが、お父さんの100歳でのスキーをはじめ、息子たちと共に「エベレストへ再登頂する」という夢とチャレンジ精神に敬服すると共に、エールを送りたい衝動にかられた。

 またこの春「傘寿」、つまり80歳を迎えられた、北海道に住む「森の子ども村」の徳村彰さん夫妻の、土、水、木で造語された「もり」の村からの通信を読んで、40年前に名医とよばれた医者から「あと2年の命」と宣告された「じいじ」こと徳村彰さんが語る森と共に「生かされる」生き様に感動を覚えている。


 また、近くに住む独り暮らしの80代の「鈴子」さんと20年ほど前に出会っていて、今彼女が、この夏の暑さに参っていて、毎日の食事と医者通いのサポートが少しでも出来たらと時間が許せば顔を出しているのだが、彼女の感謝と素直な心にも大きな励ましを受けているのである。

 いつものことだが、ちょっとした出逢いと言葉と勇気に、私自身が励まされ、生かされていることに感謝であるが、明るく楽しく生きられるようにと努めたいと、改めて思ったのである。
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やった。坂本達

2008年07月19日 | ガリバー旅行記
 ある日、仕事帰りに寄った大型書店のレジのそばに「やった。」「ほった。」
と書かれたワゴンが置いてあって、なんだろうと覗いて見ると、なんと坂本達という名の青年の冒険紀行記の宣伝販売であった。

 四年三ヶ月の有給休暇で「自転車世界一周」をした男、坂本達氏が著者で、勤めていた会社が、彼の夢を実現させるために、就職した会社で義務付けられていた年二回の業務レポートに、仕事上の希望などを書くついでに、勝手に欄を設けて「自分の夢」を書き綴っていたら、入社して四年目にの新年会の後、しばらくして「タツ、社長は給料も出すから行ってこいって。期間も希望通りでええって」と上司に呼ばれて告げられたと言う。

 なんと、そんな太っ腹な会社があったもんである。その会社名は子供服を中心に商品の開発、企画、製造、販売をしている「ミキハウス」という会社である。

 その四年三ヶ月での世界一周自転車旅行の顛末が「やった。」というタイトルの坂本達氏の最初の著作である。

 「20代のうちに自分の足で回って世界を見ておきたい」との思い、夢を社長にぶつけ、もし願いが叶わなければ、会社を辞めてでも行こうと決意したレポートの直後に、なんと「よく決心したな、俺の分まで夢を叶えてくれ」と友人や社員の中には、選別までくれて彼の夢の実現に期待して送り出してくれたらしい。

 それも日本経済がバブルという好景気が破綻した1996年だったのに、社長はね「一人ぐらい普通に仕事せんと、変わったことやる奴がおってもええやないか」「応援してやりたいんや」と言っていたらしいと後で聞いたらしいのだが、あっぱれな太っ腹の社長である。

 世界一周自転車旅行中に彼は、アフリカ、ギニアでマラリアと赤痢にかかって倒れたのだが、無償の友情で救ってくれたギニア人ドクターへの恩返しとして、「恩返しの井戸」を完成させ、「ほった。」という二作目のドキュメンタリー本が完成したのである。

 彼は資金も知識もないままに、学生時代のアメリカ冒険留学の経験を礎に、無謀ともいえる自転車世界一周を成し遂げて著した「やった。」の印税で「恩返しの井戸」づくりを完成させた男である。

 現在もミキハウスに在籍し、社長室人事担当として勤務しながら、ギニアとの交流活動を続け、井戸の次には診療所プロジェクトの準備に取り掛かっているらしく、自転車冒険野郎としてのモチベーションを持ちつつ、早稲田大学の客員教員としても特別講義をしたり、日本国内でも自転車で日本を縦断しながらの全国86会場での講演もこなしている。

 「夢を持ちづらい時代」とも言われている現代に生きる青年の一人として、世界中に、また日本国内でも「夢の大切さ」や「夢は持ち続けると叶う」という話をテーマに語り続けている坂本達さんをうれしく思うのである。

 ちなみに、全国高校英語リーディングの教科書に「やった。」が採用されているらしい。
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ネパールからのメール。

2008年07月02日 | ガリバー旅行記
 今年の夏休みの予定がほぼ決まった。

 おっさんフリーターとしての毎日の外歩きの仕事も、七月に入って暑さがまして、なかなか汗との格闘と言った感じてあるが、決して「夏」は嫌いではないのだ。

 僕の勝手な観測によると、誕生月が五月から九月にかけての夏生まれの人は、たいてい「夏が大好き」なようで、七月生まれの私自身も例外ではなく大好き人間である。

 しかし汗っかきな私は、一人で行動しているときは気にしないが、外歩きの営業仕事のために、他人様には「汗かき」が気になる場合もある。

 ともあれ、今年の夏は「北京オリンピック」の開催で中国、北京を中心にとんでもない大騒ぎが予想され、物価高と群集の集まるのを嫌って、例年夏の「モンゴルツアー」を今年はお休みし、ネパール、インドへと気ままな個人旅行をする計画である。

 原油価格の高騰に伴い、航空運賃に付随する「燃料サーチャージ」がとんでもなく高くつきそうなのが気がかりだが、念願のネパール、インドへの初めての旅が実現しそうで、毎日わくわくしている。

 そこへ電話が入り、ガリバー宛に送信した「HOTメール」が届かないらしく、私の友人を通じて、返信を求める要望であった。

 先月中旬に飛び立った友人Tは、すでにネパールのカトマンズーにいて、暖かな農村家庭にホームステイし、そこからの近況とお願いのメッセージであった。

 彼は、早速カトマンズで11歳の少年と仲良くなってサッカーをしたり、のんびりとしたマイペースで暮らしていて、子供たちの写真を日夜カメラにおさめているという。

 十一歳の少年は日中は路上でプチトマトを販売しているらしく、たぶん家庭で出来た農作物を販売するお手伝いをしているらしい。

 現地カトマンズーの友人の関連するNGOのスタッフたちとも仲良くなって、彼らが日本の食べ物で大好きな「ナマ節」、ココナッツサブレ、柿の種、ふりかけ各種、塩昆布などを、私がネパール入りする時にお土産に持ってきてほしいと記されていた。

 私がカトマンズに到着する予定が八月六日なので、良かったら自分の滞在しているホテルに予約を入れておこうかとの問い合わせもあった。

 なにぶん世界中に自由に発信できる「ホットメール」なのだが、半年以上私のパソコンのメール機能が故障し自由に送発信できない不自由さの中での間接的なFAXでの受信であった。

 いよいよ後一ヶ月に迫った「夏休み」の最大イベントが「ネパール、インドの旅」なので、航空券の手配に次いでインドの入国ビザの申請や、少しは旅の準備に取り掛からなければと思っている。

 最近、テレビや雑誌に登場するインド、ネパールの写真や情報は欠かさず見ていて、気分はすでにインド、ネパールを旅している気分である。

 ただ言葉は「ナマステ!」以外、まだちっとも覚えていないが、持ち前の度胸とボディランゲージで、約二週間の初めてのネパール、インドを楽しんでこようと思っている。
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またやっちゃった!!

2008年06月30日 | ガリバー旅行記
 また来月からガソリンが値上がりするそうだ。

 原油の元売価格がなんと一バレル140ドルを越え、やむ得ずガソリン精製販売各社は、今年に入って二度目の大幅値上げを断行する予定だとのことである。

 今日の夕刻から、町のガソリンスタンドには、またもや長蛇の列ができ、少しでも家計に負担を軽くとの願いから、自家用車をガソリンが少し減っているだけでも満タンにしようとやつてきた庶民でいっぱいであった。

 「またやっちゃった」というのは、ガソリンとは関係ないのだが、私の失態である。

 もう自動車免許を取得してからずいぶん長い間、自家用車も含めて毎日のように自動車のお世話になっているのだが、年に少なくても一回か二回は、JAFこと日本自動車連盟の車にお世話になっているのである。

 たぶん、今までJAFに加盟して以来、30年以上が経過していて、ゴールドワッペンを交付されている、JAFメイトなのだが、年間4000円、家族会員としては6000円の年会費は、ほとんどこのための保険みたいな費用となっている。

 このためとは、「自動車キーの閉じ込め」である。

 実は今日の午前中に久しぶりに「JAF」に携帯電話から電話をしたのである。

 おっさんフリーターとしての外歩きの営業中であったが、あるマンションのわきの路上に駐車して、そのマンションの訪問をしていたのだが、資料が足りなくなって車に戻って、初めて気づいたのである。

 どこを探しても自動車の鍵がないのである。

 ひょっとするとと自分の乗ってきた軽自動車を覗き込んで「あぁ、やっぱり」とため息が出た。

 自分の車のキーを差し込んだまま、車のドアをロックしてしまっていたのである。

 JAFに連絡すると「すみませんが作業員が到着まで40分か50分かかりす」とのこと、急いでもしょうがないと諦めて、もう一度マンションに戻って訪問を続けていたら、ちょうどJAFから携帯電話に連絡が入った。

 幸い、営業仕事で「成約」があって、その事務処理中であったが、親切で気のいいお客様で「どうぞ行ってきて下さい」とお許しを頂いて階下に下りて、閉じ込めキーのトラブルは一件落着。

 JAFの作業員もとっても感じの言い方で、「待ってますからごゆっくり」と言っていただいて、作業は寸秒で終了し、踵を返して階上へと戻った。

 お客様もとっても理解と余裕のある方で、お話も弾み、お茶まで頂いて、自分のちょつとした失態なのに、とっても気分のいい、ラッキーなトラブルに思えるほどの「またやっちゃった!」となった。

 私の場合、過去にも年に多くて一度か二度はキー閉じ込めでお世話になる程度なのだが、JAFカードは欠かせない必需品である。

 お客様とJAFのスタッフの方に「お礼」を申し上げます。ありがとうございました。
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今夏はインド。

2008年06月09日 | ガリバー旅行記
 突然ですが、今年の夏はインドとネパールに海外逃亡しようかと思っています。

 毎年、私の場合はここ20年間、夏休みとなれば「中国・内モンゴル」へと一年の「命の洗濯」と称して、仲間を募っての恒例の旅に出かけていたのですが、昨年夏に満20年を迎えた時に、「来年は北京オリンピック」の開催年なので、混雑と物価高と環境悪化を理由に、「来年は中国・内モンゴルツアー」はお休みと宣言したのである。

 縁あって1988年夏に初めて、中国・内モンゴル自治区に旅して以来、20年間の間、毎年のように「夏はモンゴル」と決めて企画してきて、いろんな理由で行けなかった年も二回ほどあったが、通算で21回も中国・モンゴルの地に足を踏み入れているのである。

 しかし、今年はどうしても行きたくはないのだ。

 あの「北京」が中国の首都として2008年、8月8日に開幕する「オリンピック」の開催都市として、全世界からの観光客や報道陣、選手、関係者で賑わうのだから、益々環境悪化は否めないし、衣食住全てに関して、「オリンピック価格」として上昇し、ホテルなどは例年の4倍から5倍の高騰ぶりが予測されていて、とんでもなく「行く気にならない」のである。

 それでは、今年の夏は?、何処へ行くべぇか・/?と考えている時期に、あのチベット人の暴動やアジアの動向の中で、アジアの大国として中国の次に人口が多くて経済成長も著しい「インド」に行くことを思いたったのである。

 友人のカメラマンがネパールの貧民街の子供たちの撮影のために、六月半ばからネパールに出かけると聞いて、ついでにネパールにも足を延ばしたいと思っているのだが、全くまだインド、ネパールへ行く情報を手にしていないのが現状である。

 世界の人口60数億人のうちの1/3を越す人たちが暮らす、中国とインドという人口の多い大国である、アジアの二つの国の著しい成長振りは、日本にとって脅威であるばかりではなく、世界にとってもアジアにとっても、今後は役立つ大国に間違いない。

 中華人民共和国には、モンゴル自治区だけでなく旅したことは何度もあるが、世界とアジアで二番目に人口が多くて、IT関連を中心に成長と共に、インド人の優秀さが世界に示されつつある国、インド。

 今までの様な「カレーとヒンズゥーの国」「牛と沐浴のガンジスの仏教国」なんて言うイメージだけでは納まらない、近代国家「インド」をこの目で見て歩いてみたいと強く思っているのだ。

 さて急遽、インドとネパールを旅するための情報と資料を取り寄せたり、経験者や情報通らに伺って、安くて興味深いインドの旅を現実化するための作業に取り掛かろうと思う。

 2008年夏、ガリバーはインドを初めて旅することを心に誓ったのである。
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かあさんの下駄

2008年05月28日 | ガリバー旅行記
 皆さん、「かあさんの下駄」という曲をご存知だろうか。

 実は、私が70年代に音楽事務所をやっていた頃にマネージメントしていた一人の歌手、といっても当時は俳優としての活躍の方が有名だったかもしれない「中村ブン」というアーチストの自作自演の作品として、79年に発売したシングルレコードであった。

 今日の毎日新聞の夕刊の芸能欄の「私の3枚」というコーナーに、音楽評論家の伊藤強氏が、シングルの②に「中村ブン/かあさんの下駄」(テイチク、1200円)として紹介されていて、①の「堺正章/忘れもの」と並んでいるのを発見して大変喜んでいるのである。

 「中村ブン・かあさんの下駄」は、長年、独自の活動を続けてきた作者の作品。
幼いころ、小遣いをためて母親にプレゼントした下駄の思い出がテーマ。話は古いが、それなりに涙もの。とコメントされていたのである。

 中村ブンちゃん、と言っても、いまやいい大人の小さなおっさんなのだが、当時は俳優として「柔道一直線」や「太陽にほえろ」にも出演していて、宇津井健さん主演の「たんぽシリーズ」にも必ず出ていた、小さくて目と口が大きくて色黒の俳優さんだったのである。

 その当時、フォークソングやニューミュージックと呼ばれる若者中心の音楽シーンの中で、小さな音楽事務所をやっていた私は、とある時にワーナーパイオニアのディレクターから「中村俊男」という、後の「中村ブン」を紹介されて、彼の素朴で日本人の心を語る歌に感動して、自分の事務所である「ゼロ音楽出版」でマネージメントを始めたのである。

 「自転車にのって」「花泥棒」「冬」などの名曲を次々と発表し、LPレコード一枚とシングルレコード三枚を出したのだが、私がマネージメントとして関わった最後の曲が、この「かあさんの下駄」だったのである。

 授業参観やPTAにも男物の鼻緒の下駄を履いてくる母親に、彼は見かねて毎日もらう弁当代のおつり銭の五円玉をタコ糸に通して貯めて、ある日「赤い鼻緒の下駄」を買って母親にプレゼントするのだが、母親はどっかから盗んできたと思って怒るのである。

 しかし、彼が必死で「そうじゃないんだ」と説明したら、内職していた母親の目から大粒の涙が新聞紙の上に落ちた、という概略の歌詞なのである。

 当時、この歌を酒屋の配達の途中に車のラジオで偶然聞いた、私の友人は涙が止まらなくなり、踏切を渡ったところで、自動車を停めて聞き入ったというエピソードも後に聞いてびっくりしたことがあった。

 その名曲「かあさんの下駄」が約30年ぶりにCDとして、昨年11月に再発売され、今注目を集めるシングルとして評判になってきているというのである。

 とっても嬉しいことであり、皆さんにも機会があれば、ぜひ聞いていただきたいし、出来れば買っていただきたいと思うのである。

 忘れかけていた日本人の優しい気持ち、貧しくても暖かな親子愛が感じられる秀作である。

 「中村ブン」の「かあさんの下駄」をよろしく。
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チェ・ゲバラの娘。

2008年05月26日 | ガリバー旅行記
 国境や国籍にとらわれない平等主義者だったチェ・ゲバラが亡くなって40年以上が経ち、その娘である「アレイダ・ゲバラ」さんが現在来日していて、全国各地で講演活動と共にキューバと日本の平和の橋を架けようとしている。

 1960年代の日本の学生たちにとって、チェ・ゲバラは、キューバ革命の英雄的活動家で、政治や変革に興味のない若者までもが、「ゲバラ」の名を語るほど有名な革命指導者である。

 ゲバラは、ラテンアメリカ諸国での反政府活動を行う中で、フィデル・カストロと出会って、キューバ革命に参画し、革命軍の指導者として勝利に貢献したのだが、その後ボリビアでの活動中に、政府軍に捕らえられて、1967年10月9日に銃殺されたのだが、今もチェ・ゲバラの理念がラテン・アメリカの人民の精神的礎となっている。

 その娘、アレイダ・ゲバラさんは、7歳で父を亡くしたのだが、父と同じく医師ととなり、現在は小児科医をしている女性である。

 現在は、キューバの親善大使を務めながら、全世界を飛び回って、国境なき平和と共に、子供たちの医療活動も行っている。

 彼女の日本講演では、必ず「広島の原爆」の話が登場するらしく、父ゲバラが日本の広島と原爆については多くを語っていたらしいのである。

去る五月二十日に大阪府立青少年会館でキューバ・ジャパンフェスタが開催されたのだが、平日のために私は参加できなかったが、私の古き友人たちの中には、「ゲバラ」と聞いて、若き青春時代を思い起こして参加した者もいたのである。

 キューバという国については、ゲバラとカストロの国であり、アメリカ帝国主義に反旗を翻し続けている共産国として知られてはいるが、都市の野菜自給率が100パーセントとか、医療は予防医学を中心として、学校教育や福祉も全て国家が責任を持つ形で、無料であり、歌と踊りをこよなく愛する国民性であり、国内中ヒッチハイクを交通手段として使う国としても有名である。

 キューバの人々は、勤勉な私たち日本人に尊敬の念を抱いてくれており、さらに八月六日に広島。長崎の原爆慰霊祭を行ってくれていることをご存知でしたか。

 ただ「ゲバラ」という今は亡き偶像を崇拝するのではなく、現実的な国家としてのキューバを少しでも知って、日本に足らない政策や情熱を参考にして、今後のキューバと日本の友好活動を、このゲバラの娘の来日を期に、再び大切にしようではありませんか。

 音楽・ダンス・野球だけではないキューバの新しい顔は、食糧危機が近いとまで言われている現在の地球上にあって、市民の食糧を都市の至るところの畑で、無農薬で栽培しているという国でもあり、食の安全、地産地消、省エネ、農的生活、スローライフ、コミュニティづくり、持続可能な社会へのヒントに満ちた国だと言えます。
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