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ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

市議会と市長の対立。

2010年11月29日 | ちょっと可笑しいよ
 先日来、名古屋市で「市議会のリコール」を求める市民署名運動があったが、残念ながら選挙管理委員会の署名簿の確認において不確かな署名が混じっていたとして、正式には法定の署名数に達しないとの判定が下されて、市議会のリコールへの住民投票がなされないことが決定し、この運動を率先していた河村たかし名古屋市長が辞任することで、改めて市長選挙が行われるという事態になっている。

 そもそも河村たかし氏は衆議院議員のときから「名古屋弁」まるだしの庶民派的議員として名をはせてはいたが、市長に当選以来は、市議会議員の定数の半減や市議会議員報酬の抜本的値下げなどと共に、市民税の十パーセント減税などを打ち出して、激しく議会と対立していて、今回が初めてではない「議会VS市長」の対立と言う地方自治体としてはめずらしい構図が続いている。

 また鹿児島県阿久根市においても、竹原信一市長と市議会が激しく対立しており、市長を支持する団体が「阿久根市議会リコール実行委員会」を結成し、市議会の解散請求の署名活動をして、有権者の三分の一、約6700人を超える署名簿を選挙管理委員会に提出したというニュースが伝わっている。

 この阿久根市においては竹原信一市長が再三再四、市議会を召集せずに市長の独断で、「専決処分」という名の重要事項の執行を独断で決めるという実態があり、議会側は副市長の選任や予算執行に関するの決定を、議会軽視や地方議会のあり方に対する挑戦だとして、議会側は一方的な違法行為だとして無視したり、鹿児島県庁からの指導もあるのだが、竹原市長は抵抗していたのである。

 愛知県の県庁所在地である大都市名古屋と、鹿児島県の小さな市である阿久根市とでは状況が大きく違うのだが、いずれも構図は市議会と市長の対立と言う実態があからさまに露呈している、きわめて珍しいケースである。

 私自身は、四期十六年の地方議員の経験からすると、今回の稀と思われるケースは大いに結構だと評価せざるを得ない構図であり、つまり今までの地方議会はほとんどが市長与党と称する過半数議員が極端に言えば「市長のいいなり」もしくは、「市長擁護」の立場に徹していて、徹底的に市民の生活感覚や要望とはギャップのある従来通りの予算の継続や新規事業もままならぬままに、旧態依然とした市政運営を長期にわたって「黙認」してきたきらいがあるからである。

 地方議会選挙においても「市長支持派」と「反対派」などという構図ではなく、市民生活のあり方と地元自治体の施策を議論して決める、つまり「行政府」に従属する「議会」ではなく、「立法府」としての独自の主体性が望まれるし、当たり前の議会のあり方ではないのだろうか。

 ここに来て「橋下大阪府知事」が自分を支持する「大阪維新派」なるグループを立ち上げて、大阪府議会および市議会、そして政令指定都市の「堺市議会」にいわゆる「橋下派」で過半数を占めて、自分の施策を推進しようとする、とんでもない手法での策を講じようと躍起になっていて、来春の統一選挙で戦おうと気勢を上げているというのだが、私は全く賛同することはできない。

 つまり市議会と市長は本来「対立」する施策があって当然であり、市長提案や議員提案の施策や条例を真摯に審議して、予算も含め、市民のために何が必要でどうするべきかを決めるための議会制度であって、首長の思い通りに地方行政を強引にするのは非民主的な手法であり、許しがたい形なのではないだろうか。 
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尼崎市長に稲村さん。

2010年11月22日 | ちょっと可笑しいよ
 昨日、11月21日の投開票の兵庫県尼崎市長選挙で、前任の女性市長白井文さんの後継として立候補した前兵庫県県議の稲村和美さん38歳が圧倒的な票差で当選を果たして、次期尼崎市長になることとなった。

 稲村和美さんは、前市長の白井文さんの市長選挙のときからのスタッフとして活躍し、白井市長誕生後は兵庫県議に立候補して二期を務めて今回の白井市長が二期で退任するのを受けて後継市長として立候補して、見事当選したのだが、五歳の子供を育てるママでもあり、今後の市長としての激務をどうこなしていくかが注目されるところでもある。

 彼女は、早速今朝は地元の駅頭に立って、当選報告をしたらしいが、その前に最愛の長女を保育所に自転車で送り届けてから駅頭に立ってマイクを持って挨拶していたというからあっぱれである。

 市民派的立場から県政に対してもどんどん発言していた彼女だが、議員時代とは違って、今度は尼崎市政を担うトップである市長として手腕をふるわなければいけない重責を自らすー勝手出て、それなりに評判のよかったと言われている前任者の白井文市長の後、まだまだ難問山積の赤字財政をはじめとする尼崎市政をどのようにリーダーシップをとって行くのかが見ものである。

 私自身も三年余前に地元の市長選挙にやむにやまれず立候補した者として、同じように市民派という、組織や政党の所属ではなく、市民の側に立って発言し行動すると言うスタンスは、理想ではあるが非常に厳しい現実の中で、市職員や府県と言う上位?にある自治体との権限の違いと国政の意向や予算配分、税の負担など、多くの地方行税独自では決められない課題を背負いつつも、一番身近な自治体としての市政運営を「市民の立場」に立って先導してもらいたいと念願している。

 マスコミ、メディアは、全国一若い女性市長として取り上げて注目しているのだが、女性、男性ではなく、一政治家としてのしっかりとした理念と理想を持っている稲村和美さんに期待するところ大であり、多くの有権者の市民の声に耳を傾けつつ、信念を貫いて、特に社会的弱者をサポートする市政運営を明るく堂々と展開していただきたいと思うのである。

 早速インタビューに答える形で、彼女は朝に食事の準備をして幼い子供さんを保育園に送ってから、市役所へ通勤し、市民のための政治を全力で展開したいと明るく強く語っているのであるが、残念なのは5万票以上の次点の候補者にダブルスコア以上の大差をつけての当選だったにもかかわらず、投票率がなんと30パーセントにに満たないという状況下で、結局有権者市民の15%ほどの支持で市長になったという現実があるのである。

 本当に一番身近な地方自治体の首長選挙に、三人に一人も投票せずにいて、自分勝手な欲求や文句を言う人がいるとすれば、それはあまりにも理不尽でもあり、義務を果たさず権利だけを主張すると言う典型的な「身勝手住民」という形になるのであって、やはり選挙で一票を投じる市民参加をはじめとする地方行政となってほしいものだと痛感するものである。

 いずれにせよ、稲村和美さん、市長としての重責を担って全力投球を明るく元気に信念を貫いてやっていただきたいとエールを送りたいと思う。
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TPP協議開始。

2010年11月13日 | ちょっと可笑しいよ
 先日来、民主党政権は大揺れであるが、尖閣沖での中国漁船の衝突事件、ロシアの大統領が北方領土を訪問したという事実など、ロシアと中国という社会主義国による、日本の領土、領海を無視する事象が相次いでおきているのにもかかわらず、国会での議論や答弁では、菅首相も「遺憾の意」を表すのだが、対外的には「はっきりと言わない」という曖昧模糊とした゛政治姿勢が続いていて、国民の多くは「いい加減にせえや!」と、怒りにも似た思いである。

 尖閣列島沖の中国漁船のわが国の海上保安庁の巡視船への体当たり的犯罪のビデオの流出公開についての、神戸海上保安庁の43歳の航海士に対する事情聴取や国家公務員法としての「守秘義務違反」の是非をめぐって、本人の告白に基づき「逮捕」するか否かが問題ではなく、明らかに挑発的犯罪行為をした中国側への厳しい抗議と、日本の固有の領土への侵犯に対する警告を政治家として強く発信することを怠って、中国への遠慮?としか思えない生半可な態度に国民は怒っているのである。

 またロシアのべドジェーエフ大統領の国後、択捉島への訪問は、日本の固有の領土とアメリカ合衆国も認めている国際的世論の中なのに、全く直接的な抗議や声明も出さずに、モスクワにいる駐露大使を五日間ほど日本に戻して、打ち合わせや事情聴取を行っただけで帰国させ、これで少しは「抗議の姿勢」を表したつもりらしいが、全くなめられたものであり、中国についでロシアにも「日本はチョロイ!」と見られている恥ずべき状態である。 

 こんな外交姿勢に業を煮やした国民、有権者の菅内閣に対する支持率は一気に15パーセント近く急落し、いろんな週刊誌や新聞、テレビでも連日「批判的な特集」を組まれているのが現状なのに、いまだに仙石官房長官も馬渕国土交通省も菅直人首相も「思い切った発言」ができないままである。

 そんな外交面での弱腰姿勢の中、G20についで横浜を会場にAPEC首脳会談が始まるのを前に、取り急ぎなぜかパフォーマンスなのか、TPP(環太平洋パートナーシップ)なる新たな貿易関税の撤廃を軸とする経済協定に対する協議を開始すると表明したのである。

 この経済協定に対しては、主に農業関係者を軸に「反対の声」が上がっていて、もしすべての貿易関税が撤廃されれば、日本の米をはじめとする農業者ならびに農業関係者にはとんでもない痛手を食らうばかりか、日本の農業の将来の危機がまことに迫るという問題提起が真剣にされていて、いわゆる食料の国内産自給率が現在なんとか40パーセントぎりぎりをキープしているのに、この協定に無条件に参加すれば、10パーセント前後の自給率に急落すると言われているのである。

 こんな大問題を棚に挙げて、民主党政権は「ええかっこ」するためにか財界や産業界の大手企業のためかどうかはわからぬが、自動車をはじめとする工業製品などの貿易、投資を加速させる自由貿易圏構想に加わろうとする協議に突入するというのである。

 せめて、ひとつひとつの業界、つまり自由貿易にしたらまずいと思われる「農業」を含む業界の意見や協議を入念にした上で長期的見通しを明確に持って、ケースバイケース、つまり例外規定や除外品目など詳細に議論しながら、国内産業や農業の国際化を検討する必要があるのではないだろうか。
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菅首相の続投!!

2010年09月14日 | ちょっと可笑しいよ
 二週間にわたって、テレビ、新聞を中心に大騒ぎした「民主党代表選挙」が、今日午後三時前に「菅直人代表」の圧倒的な勝利となって決着した。

 この二週間の騒動は何だったんだろうか。

 特にマスコミの騒ぎぶりは異常な感じではなかっただろうか。

 いくら政権政党の代表選だと言っても、「菅直人VS小沢一郎」の対決の構図がたぶん、とってもマスコミ受けした形として取り上げられて、民主党国会議員400余名が持つ、一人2ポイントの票を巡っては、国会内外で激しいバトルが続いていたと報じられていて、政府の施策や日本の課題もそっちのけで、まだどちらに投票するかを決めていないという新人議員を中心に追い続けたりしていた。

 全国各地と言っても、党員、サポーターとされる人々が何処にどれ程いるのかは、一般国民には見えないのだけれど、全国の衆議院の小選挙区に1ポイントつづの「党員、サポーター票」というのが割り当てられていて、今回の選挙結果によると300の内250近くを菅首相が獲得し、小沢一郎氏に投じられた票は50ポイント少しだったことは、普通の国民、有権者の意識、すなわち一般的な「菅首相にもう少しやってほしい」という願いというべきか、感情と同質の流れが強かったと言える。

 地方議員票は、菅60に対して小沢40だったのだが、地方議員も人の子であり、有権者の支持だけでなく、党内での立場や今後の選挙への当選の可能性に関しての、どちらの陣営につくかの「踏み絵的」投票行動となったと言える。

 いずれにせよ、私自身は民主党支持者でもなければ、ましてや党員、サポーターでもないが、このブログ「ガリバー通信」でも、明確に菅首相が誕生した時期に書いた様に、「菅首相」を「選挙管理内閣にしてはならない」と表現した如く、小沢支配の自民党的政治の傀儡や権力闘争と利害に結びつく組織や業界の方を向いた政治からオサラバして、時間は必要だが、真の有権者、国民の心をとらえる政治へチェンジしていただきたいものである。

 菅直人首相も民主党代表選を終えて、これだけの国民の支持を背景に、国会議員の支持に関しては「206VS200」の薄氷を踏む如き接線とは言え、辛うじて過半数を超える支持を得たのだから、本当に正々堂々と「薬害エイズに取り組んだ」際の初々しく頼もしくも感じた「市民運動出身政治家」としての感性と今までに培った経験を生かして「思い切った菅直人色」での政権運営を目指していただきたいと強く要望する。

 本当に「民主党代表選挙」に限らず、マスコミの論評や予測は当てにならない面が多く、今回の結果が「菅首相の圧勝」であったとしても、新聞、テレビは決して「予想が外れた!」とは言わないだろうが、「予想屋」や「的中率」を競うゲームではないのだから、謙虚に反省し、今後の日本経済、日米関係、安保、福祉、税制、自衛隊、年金など山積した課題に取り組む政策を追って、批判の為の論評ではなく、建設的な実現への応援をしてほしいものである。
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「限界集落」の再生!

2010年09月05日 | ちょっと可笑しいよ
 全国的な少子高齢化と共に、自動車交通の普及、高速道路の整備など、日本各地がとってもアクセス的には便利になった一面が強調されている場合が多いが、一億二千万人を越す日本の人口も徐々に減少傾向の一歩を辿りだしていて、特に山間部の町村を中心に「限界集落」と呼ばれる、高齢化率が50%以上で生活基盤すら危ぶまれる僻地的地域が急増しているという。

 そんな「限界集落」と呼ばれて、地方行政からもほって置かれかねない地域は、あとは老人たちが住み慣れた家を放置するか、死ぬまで住もうとしても生活基盤が維持できなくなって故郷を離れざるを得なくなったり、ともかく「死」を待つのみといった感じの地域も多いといわれている。

 今朝のテレビで、こんな「限界集落」の活性化、再生に取り組んだ地方行政マンの一人である石川県羽咋市の高野さんという地方公務員、お役所の職員が紹介されていた。

 役所と言えば「縦割り行政」と言われて、先日来の100歳以上の高齢者の戸籍上や住民登録はされていても、実際は行方不明であったり、既に死亡されているケースが続出している実態も、死亡届けが出されていても、年金受給者としてのストップは自動的には届けがされないとなされないという様なケースが多いのである。

 そんな行政システムそのものにも問題が多いのだが、行政マンそのものにも大いに問題がある場合が多く、公務員は万事が「休まず、遅れず、逆らわず」などの「仕事をする」ことよりも、事なかれ主義とでも言うべき、突出したり目立ってはいけないという目に見えない常道があるらしいのである。

 そういえば、私が16年間の地方議員として、当時の町役場から市役所への変遷を見守って来たのだが、定年退職で役所を去ることになった部長職以上のお役人さんたちは、議会で必ず「退職の弁」を語られるのが慣わしとなっていたのだが、大抵は「大過なく○○年、務めさせていたただいた」と仰ったのである。

 「大過なく過ごせた」とは、結局極端に言えば「何もしなかった」、それとも「問題になるような挑戦や仕事」はしなかったと仰っていると受け取らざるを得なく感じたことがしばしばであった。

 そんな地方公務員の典型ではなく、自らが「限界集落」と呼ばれた地域に通われて、農家が主体の老人世帯に、女子大生の農業体験ボランティアを派遣し続けて、高齢者の農業に若い助っ人と共に、新しい新鮮な話し相手や家族同様の明るい風を吹き込まれたのであった。

 それからは、地域特産のお米や農産物のブランド化や差別化を試し、何と「神の子」という地域名をヒントに、キリスト教の大本山、ローマ教皇にお米を献上したことがきっかけで有名になったために、高額の価格でおいしさが評判で売れ出したというのである。

 ともかく、実際の地方地域の疲弊は厳しい場合が多いのだが、「やる気」のある職員がアイデアと共に地域の高齢者と共に、地域再生に真剣に取り組んだ一例だが、「お役人仕事」で終らせない、一職員の努力が実を結んだ例だと紹介されていた。

 全国のお役人さんたちよ、給料泥棒、税金泥棒と言われない、住民本意の仕事を試みてほしいものである。
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マグサイサイ賞受賞。

2010年09月01日 | ちょっと可笑しいよ
 民主党代表選挙の国民不在感の強い、菅、小沢の一騎打ちというニュースの影に隠れて、アジアのノーベル賞とも言われている「マグサイサイ賞」の授与式が31日に、フィリッピンのマニラ首都圏のパサイ市の文化センターで行われて、「核兵器なき世界」の実現に取り組んできた、秋葉忠利広島市長が今年の受賞者のひとりとして、アキノ大統領からメダルを贈られたそうである。

 秋葉忠利市長と言えば、社会党時代からの平和主義者で広島の市長となって三期目なのだが、広島、長崎でオリンピックを誘致したいと名乗りを上げたり、八月六日の広島被爆の日には、原爆投下国であるアメリカ合衆国をはじめとする世界の首脳に、広島での平和式典に出席を依頼したりと、地方都市の首長としては特に目立った政治家のひとりである。

 秋葉忠利広島市長は受賞の挨拶で、「広島、長崎両市と、両市の被爆者の方々、平和市長会議の4000以上のメンバーを代表して、この賞を喜んで受けたいとスピーチした。

 受賞を機に、ここアジアでさらに多くの人と共に平和への活動を広めたいと願っているとも語り、今後もさらに「被爆地の市長」として、全世界に「核兵器廃絶」の運動を高めて行く決意を述べられた。

 アキノ大統領は、あの銃弾に倒れたアキノ元大統領候補と奥さんのアキノ大統領の息子なので、誰もがよく知る人物なのだが、この「マグサイサイ賞」の授賞式の主宰者となっているのは、もともとこの賞がフィリッピンの大統領であった「マグサイサイ元大統領」によって創設されたものであり、アジアで社会貢献したあらゆる分野の個人、団体に授与されている栄誉あるものなのである。

 アキノ大統領は、「秋葉市長は核軍縮の主要な提唱者の一人であり、そのビジョンと決意と行動力が高く評価された」と式典で全受賞者と共に称えた。

 秋葉市長については、さらに「核戦争の危機のない世界を創造するために、強い信念と指導力を発揮し、市民も動員して、各政府や団体に世界的なキャンペーンを展開した優れた指導者と評価した。

 今年の受賞者は秋葉市長も含む七人で、他には中国の環境問題に取り組む非政府組織の代表、障害者問題に尽くしたバングラデシュ人の活動家、基礎教育の普及などに貢献したフィリッピンの教育者などであった。

 民主党が政権交代を国民の絶大なる期待で一年前に果たしてから、丸一年が経ったが、子ども手当て、高校授業料の無償化、高速道路の無料化実験、農業の収益保障などの「バラ撒き」とも批判される政策の実施もあい半ばで、代表選挙という権力闘争で現を抜かしている間に、日本の経済状況は、円高、株安でとんでもない事態に陥っていると言っても過言ではない。

 そんな状況をどうして切り開くのか、国民に分かりやすい政策論争を堂々としていただいた上で、国民世論にも耳を傾けて、「今の日本、そしてこれからのニッポン」の舵取りをしっかりとしていただきたいものである。
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説明になっていない。

2010年08月31日 | ちょっと可笑しいよ
 昨年八月の総選挙で圧倒的な勝利を獲得し「政権交代!」を果たした「民主党」だが、丸一周年たっただけなのに、党内の嵐と言うべきか、国民不在の権力闘争は自民党時代とあまり変わらないヘンなムードである。

 先日来の菅直人首相の続投への民主党代表選挙への対抗馬として、前幹事長の「小沢一郎」が出馬との憶測の中、鳩山由紀夫前首相が仲介役を務めた形で、菅と小沢の会談がようやく実現したと思ったら、大方の予想を裏切った形で「小沢前幹事長代表戦に立候補」というどんでん返し的結論が出た模様である。

 それにしても多くの新聞、テレビを中心とするマスメディアの報道の方向は、鳩山が仲介した「挙党態勢」と言う名の「小沢、菅、鳩山」のトロイカ方式の民主党結党当時、すなわち「旧民主党」と小沢一郎率いる「自由党」が合併した時期の原点にたち戻って「初心を貫くため」、小沢一郎の代表選出馬は回避されるという見通しであった。

 しかし、菅と小沢の一時間余の会談後の午後6時前の「小沢一郎」の記者会見の模様をテレビの生中継で見たのだが、全く「理解に苦しむ」内容とでも言うべきか、政治家の言動としての慎重さは理解できるが、「挙党体制」を確認しながら、なぜ「小沢一郎」が出るのかが全く理解できない説明であった。

 今回の「民主党」内のお家騒動とでも言うべき「代表選挙」を前にした権力闘争は、全く国民の思いとはかけ離れていることは明らかであり、各種世論調査による「次期首相」にふさわしい人とのアンケート結果は、菅直人現首相が7割以上で、小沢一郎を推す意見は、2割に満たない絶対少数であった。

 にもかかわらず「小沢一郎」が民主党代表選挙に立候補するという決意は、明日の記者会見で明らかになるのかも知れないが、国民不在の党内事情と旧態依然とした「政治家たちの駆け引きと損得」の表れとしか思えないのである。

 それにしても、あの小沢一郎氏の記者会見の「意味不明」のごたごたとした説明になっていない「おしゃべり」の中で、何度も「鳩山先生、輿石先生」という表現が使われていて、私は何とも言い難い、「政治家の心」を読み取る術を知らないが、不快感で一杯となった。

 多くの政治家が政治家同志を「○○先生」呼ばわりするのは如何なことなのだろうと常日頃から私は感じていて、表向きは「○○先生」と敬うような物腰ではあるが、心底は決して他の政治家を尊重しているのではなくて、自分を支持してもらう手前、表現としては尊敬と謙譲の言葉を用いているだけなのだと思っている。

 自民党政権時代の若き幹事長に抜擢された、生え抜きの保守政治家であり、幾多の権力の離合離散を見てきた張本人でもあり、自らがその仕掛け人となって政界再編を繰り返してきた男である「小沢一郎」の最後の勝負が、ここに隠されているように感じるのである。

 国民、有権者に分かりやすい政治家としての説明の務めでもある「記者会見」で、こうも「わからない」言葉の羅列を聴かされる、一有権者として、今回の「政変」に繋がりかねない国民不在の「党内主導権争い」に対して強い不信感と不快感を覚えるものである。
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「理想」と「現実」

2010年07月29日 | ちょっと可笑しいよ
 今週のはじめ、社民党の元国土交通省副大臣であった「辻元清美議員」が、社民党を離脱し、今後しばらくは無所属で活動すると記者会見で発表した。

 前日に重野社民党幹事長と会談し、社民党離脱の意思を伝え、一昨日には党首である福島瑞穂参議院議員と会談し、本人の決意は固く、選挙区である大阪で記者会見に臨んで「胸の内」の一部を披露した。

 「辻元清美議員」と言えば、小泉政権下の予算委員会だったと思うが、質問に立って「ソーリ、ソーリ、総理!」と追求したり、あの鈴木宗男議員に対して、「あなたは疑惑の総合デパート」だとか言ったり、いろんな名言を吐いた御仁でもあるが、本人の公設秘書給与問題では、涙の会見をして衆議院議員を辞職するに至ったこともあった。

 もともとは、若者を中心とする「ピースボート」を主宰するリーダーでもあり、社会運動家としても名を馳せていた女性活動家だったが、時の「オタカさん」こと、土井たか子社会党党首に誘われて政治家としての階段を上りだした方である。

 しかし、万年野党の社会党が、村山富市首相の内閣で大きく変身し、徐々に党勢を弱体化させる中で、福島瑞穂党首の社民党として小さくても存在感のある党として、政権交代の主役民主党との連立の一角を担う党として、昨秋に再出発し、彼女は国土交通省の前原大臣の下での副大臣として、馬渕議員と共に官僚たちともチームを組んでの政治の実行的立場に立ったのであった。

 その数ヶ月間、たぶん彼女が感じていたのは、「政治を動かす」という与党政治家としての遣り甲斐。すなわち野党としての社民党時代とは全く異なる、政治家としての政策立案と、それを具現化する官僚たちとの仕事の実態が強く印象的で、存在感を感じていたのであろう。

 あの「普天間基地」問題で、福島瑞穂社民党は、当時の鳩山内閣との連立を解消し、再び「沖縄の心を大切に、普天間基地の代替施設は作らせない」という主張を貫くことで、社民党の存在感をアッピールしたが、参議院選挙では沖縄を除く、すべての都道府県で得票率を下げて、福島党首は比例代表で当選したものの、党勢は弱体化する現実に直面した。

 たぶん、彼女の脳裏を行き交う思いは、次の総選挙での自分の選挙区での「勝利」と共に、与党としての政治の現実の舞台で「仕事がしたい」という、一度経験した思いがふつふつとわきあがっているのだろう。

 それと、前原国土交通大臣との二人三脚とでも言うべき、同じ世代の新しい政治家像とでも言える、現実的対応こそが実際の国民生活に直結した課題を「変えていける」という実感をより進めるために、そこに参加したいと強く思うようになったのであろう。

 「理想」を掲げても、「理想」を語るだけでは、何も変わらない現実を、嫌というほど見てきた彼女が、政治生命をかけて「現実」を動かす存在感ある立場に立つための、第一歩として、「社民党離党」を決断したのだと確信している。
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二人とも辞めた!

2010年06月02日 | ちょっと可笑しいよ
 ここ一週間、どんどんと増すマスコミを中心とした「鳩山首相退陣要求」に屈したかの様に、漸く重い腰が上がったのか、鳩山由紀夫首相の退陣と共に小沢一郎民主党幹事長の辞任も決定した。

 昨日から協議を継続するという形で、踏ん切りがつかなかったのか、どのような決着が次期参議院選挙に有利に働くかの議論や読みが先行した形で、死に体に近い状態で得俵に片足を乗せて踏ん張っていたと言っても過言ではない鳩山首相が、小沢幹事長の辞任も求めて一緒に辞任したのであった。

 さらに鳩山由紀夫議員は、次の衆議院選挙には出馬しないで政界をも引退するという決意を固めたと報じられて、「首相退陣」を要求する姿勢であった自民党谷垣総裁までもが、逆に「無責任な投げ出し」だと批判を強める形の辞任劇となってしまつた。

 沖縄普天間基地の移転問題では、沖縄県民の怒りは最高潮に達していて、稲嶺名護市長は、先月28日の日米協同声明で、名護市辺野古に代替施設を作るという、鳩山内閣の決定に対して、「屈辱の日」とさえ言わしめてしまった「裏切り」は、辞任という形で治まる責任ではあるまい。

 せめて、沖縄県民のインタビューである人が答えていたが、グァム島や県外への移設の交渉を米国と徹底的にした挙句の「沖縄」への協力要請ならまだしも、全く「最低でも県外」と公言していた首相が、最後に決断したというのが、自民党時代の決定とほぼ同じ名護市辺野古だったのには驚きというよりも失望感と共に差別に近い屈辱感を抱いたというのである。

 首相になって数ヶ月経って、今更沖縄に米軍基地があることが東アジア諸国の平和と安定のための「抑止力」になっているという認識を再確認したと言われて、説得と協力と理解をと言われても「呆れてものが言えない」感じであった。

 これで、お坊ちゃま宰相の連続「無責任」な首相の地位と責任の投げ出しが、自民党時代の小泉から福田、安部、麻生と一年ごとに投げ出しの連続が続いたのに対して、政権交代を担った民主党は、4年間は現体制を維持して国民のための政治をすると言った言葉も、無責任に放り投げたことになり、世襲的政治家の首相が五代も続いて辞任したことになる。

 アメリカのテレビニュースネットワークは、この日本の首相の辞任のニュースを「回転ドアの如き」とたとえて嘲笑しているかの様な報道振りであり、全世界にまたしても短命内閣の無責任さを露呈させた感がある。

 つい先日まで中国の温首相の来日に際して、日中首相会談までしていた鳩山首相だが、十日前から辞任を考えていたというから、小沢幹事長と共に、どのタイミングで一緒に辞めようかと相談していたのかもしれない。

 「小鳩」共に辞任のニュースが、全世界的にはどの様な扱い方かは定かではないが、「また代わった」という印象だけであり、参議院選挙前のぎりぎりで、少しでも民主党の支持率及び候補者への投票に有利なようにとの「選挙対策辞任」とでも言うべき、党利党略的辞任となったと言えよう。
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何故に徒党を組むのか?

2010年04月19日 | ちょっと可笑しいよ
 昨日、山田宏杉並区長が代表で、中田宏前横浜市長が代表幹事を務めるという地方自治体の首長新党「日本創新党」が発足し、今日は橋下大阪府知事を代表とする「大阪維新の会」が府議会会派というグループだけでなく、府議や市議も服務新党として旗揚げしたらしい。

 とにかく、参議院選挙を約3ヶ月後に控えて、政権与党の鳩山内閣の支持率が急低下して、なんと33%というテイタラクの状況下で、あっちにもこっちにも少数政党が「雨後の竹の子の如く」誕生している。

 先の老人決断新党「たちあがれ日本」は五人の国会議員による新党という形なので、政党用件としての最低の議員を確保して、所謂「政党助成金」の対象政党として、税金からの政治資金を得られるのだが、「日本創新党」や「大阪維新の会」は、単なる政治グループであり、何故にこうも「徒党を組みたがる」のか、私には理解できない心情である。

 私自身は幼い時からやんちゃ坊主だったのかもしれないが、「お山の大将」になったこともなければ、グループを率いる闘士として活動したこともなく、親しい友人や協調できる仲間はいたことはあるが、「政党」や「○○組」などに所属したことは一度もない。

 悪く言えば「一匹オオカミ」なのかもしれないが、私自身は「私の考えや主張は私自身のもの」と思うので、テーマや課題においては協力や協調を求めたり、逆に協力したり同調したりすることもあった。

 しかし、常に「○○党の党員」だから、党の考え方に従うのは当然とか言った責任と義務が尊ばれる、従属的関係がある「○○グループ所属」を決して私は好まない立場で、政治的活動や町議、市議としての発言、行動もしてきたのである。

 「徒党を組む」とは、ある目的の為に同志を集めてパーティーを組むことなので、英語でいう「政党」とは「パーティー」というので、徒党をまとめるリーダーである党首を中心に戦略と戦術を考えて進む集団となるのである。

 逆に考えれば、私自身は、いろいろと市民生活のこと、日本人としての生き方についても私自身の考え方があるので、党や組織によって決定された結論に従うという形で、自分自身の発言や行動が制約されるのが不自由だし、出来ないのである。

 ある人は、返って政党人として政治活動をする方が楽だし、選挙の時も戦いやすいと思っているらしいが、私は全く逆で、自分自身が思ってもいない政策や考え方を主張したり、説得したりする行動や言動は許せないのである。

 「徒党を組む」とは、何でも一緒に一緒の目的の為に汗を流し活動し、達成感を得られるという盛り上がりや集団心理が大きく働くのだろうが、私はほとんど関心がなく、一人で主張し行動し、同調してくれる方がいたら、協力をお願いして共に、その問題においては行動を共にするといった、テーマごとのグループは容認できると思うのである。

 昨今の新党ブーム?!なのか、小さな徒党を組むグループの出現には、ほとんど関心も無く期待もない。

 一つ間違えば、自分の意見や考え方に同調しなければ批判と敵対の精神で戦うというファシズム的徒党になる危険性も孕んではいないだろうか。

 
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