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ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「共通番号制度」

2012年01月29日 | ちょっと可笑しいよ
 数年前まで「国民総背番号制度」という問題として、多くのプライバシー侵害や個人的人権にも差し障るのではないかと反対の議論が多かった制度が、いつのまにか「税と社会保障の一体改革という民主党内閣が進める政策に付随する様に画策されていて、来年には法案をまとめて国会で審議、成立を目指すとされている。

 その周知度を知る上で、内閣府が昨年秋に調査したアンケート結果が、さきほど公表されたのだが、なんと「必要」と「どちらかと言えば必要」と答えた人が併せて、57.4%、すなわち約58%、半数以上の国民が必要と思っているとされる様な報道がNHKなどによってなされていた。

 とんでもないことであり、実はこの「共通番号制度」に対して、上記の様な個人情報への危惧を含めた「不安」を感じると答えた人が、なんと85.7%、約86%もいたことを見出しとすると、全く正反対の国民の意思というべき実態に近いものが判明するのだが、マスコミの発表の仕方や内閣の周知度に対する期待感などもあって、恣意的または意図的な調査結果の発表となる場合もあると思われた。

 そもそも、この「共通番号制度」は、社会保障と税に共通の番号を国民一人ひとりに割り振るという制度で、国がより正確な所得情報を把握して、適正な課税や給付につなげて、事務の効率化や国民負担の公平性の向上を図るというのが目的である。

 民主党政権になって、鳩山政権の時代に抜本的な改革に必要な基盤整備として必要と提案され、2010年度の税制改正大綱に盛り込まれ、現野田内閣の不退転の決意での「消費税増税」や「社会保障費の捻出むという表看板に必要な法案として、来年の提出が予定されているというのである。

 「基礎年金」、「健康保険」、「介護保険」、「運転免許」、「パスポート」など、個人に割り当てられた各種番号は多いのだが、社会保障関係においても約90種類もの番号が使用されていて、管理主体である厚生労働省や各市町村などで様々な状況にあり、番号同士を結びつける仕組みや手立てがないのが現状である。

 そこで、複数の行政サービスや税負担、給付対象などに共通した番号があれば、個人ごとに情報をつき合わせて確認したり、一括的な管理とチェックが可能になるということで、行政の事務の簡素化と共に国民とっても各種の手続きが簡素化されるといわれている。

 「共通番号制度」は、制度ごとに付けられた番号を一本化するのではなく、国民一人ひとりに付与する番号(基幹番号)と各制度の番号とを紐付けしていく方向で、検討が進んでいる様で、番号を利用する範囲が広がれば、取り扱いされる個人のプライバシー情報も増えていくために、便利になる一方で、情報流出の危険性も広がると予想されるので、この制度導入そのものに異論や反対論も多くあるのが現状なのである。

 つまり、国を司る政府が一方的に共通番号制度を決めて、国民一人ひとりに所謂「背番号」をつけるということと同様の弊害や問題点が多々あることから、今後の議論を注視しながらも、私はこういった制度は、国が国民をコントロールするための前時代的な制度となる危惧を孕んでいるために、極論では反対なのである。

 私たち国民は、大日本帝国憲法の時代、すなわち戦前までは「天皇の民」、すなわち「皇民」もしくは「臣民」とされ、お国のために働き、「天皇陛下万歳!」と言わされていた時代ではなく、戦後の民主主義の時代、人間天皇とされた国民の象徴とされた天皇制度の下ではあるが、一人ひとりの人権が個人的人権として最大限保障されるという「日本国憲法」の下に日々の生活をしているのであるので、今更行政事務の簡素化や「やりやすさ」のための「共通番号制度」など要らないのである。 
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『小寒』

2012年01月06日 | ちょっと可笑しいよ
 正月6日、今日は歳時記カレンダーによると、「小寒」、寒さが日増しに加わり、降雪がられる日であり、冬至と大寒の間の節気とある。

 太平洋側に近い私たちの住む京都府南部では、冬の気候となっても、昨今はめったに雪は降ることがなく、少し小雪がぱらついただけで、何だか大変な寒さがやってきたように感じたり、人々の会話でも「雪になった」と強調したりするのだが、北関東、甲信越、北陸、東北、北海道などの北日本地域においては、もう早くも大雪の季節に突入しているたいで、各地で降雪による事故や凍結による交通事故が多発していると報道されている。

 自動車交通がとても盛んになった現代の日本では、この時期になるとスタッドレスタイヤを装着するのが当然の地域と我々の住まいのある京都府南部では、たまに雪国へのスキーやドライブをされる方を除いては、そうした降雪の準備などを行う自家用車は少ないと思われるが、新年になる前に雪の地域へ正月を過ごすために出発された、あるご家族はタイヤの付け替えとチェーンを装備して出発されていた。

 しかし、スタットレスタイヤで走行しても、スピードの出しすぎやむやみなブレーキのかけ方をすると、自動車自身の制動が思い通りには行かなくなって、スリップしたり尻を振ってまっすぐには走らなくなったりして、接触事故や自損事故に繋がっているケースが起こりやすいと言われている。

 とにかく、雪が振ったりする気温になると、路上の凍結も目には見えずとも起こっている場合があるので、十分ドライバーは、注意喚起して、無理な運転やスピードの出し過ぎ、そして車間距離の短い様な運転は謹んで、お互いにとって事故を未然に防ぐための知恵と経験を活かした慎重な車の運転が求められると思われるのである。

 話は全く変るが、新年を迎えて、わが国の政治の行方を運転する、野田首相と民主党を中心とした内閣の「新年の動き」は、どうだろうか。

 昨年暮れからもたもたしながらの、基本姿勢として「消費税の値上げ」問題が明確に浮上し、政府・与党案として「税と社会保障の一体改革」素案が決定したらしく、消費税は2014年4月に8%、2015年10月に10%に引き上げ、社会保障に関しては低所得者に対する年金加算、パート従業員の厚生年金適用、そして衆議院議員定数の80削減などを骨子として発表した。

 昨年民主党の三人目の首相として登板した「どじょう内閣」と自称する野田佳彦総理大臣だが、地味な人間性なのか性格なのか、「安全運転で行く」といった姿勢は決して悪くはないのだが、例の「ぶら下がり」と称される様な、マスコミの取材にも応じず、毎日それなりに首相の動向と考えや思いを見守ることが出来た前首相までの恒例な場面がないので、余計に陰に篭って施策を練っているのか否か、明るさや元気さは全く伝わって来ないのである。

 一方、昨秋の大阪府と大阪市の同時選挙を圧倒的大差で勝利した、大阪市長橋下徹氏は、政治理念やパフォーマンスのやり方はともかくとして、明るく元気な見せ方をマスコミを利用して行うというスタイルで、何事もアカラサマに市民や部外者にも見せるというやり方で、大変好評を博しているとみえるのである。

 こんな国のトップとその背景にいる民主党など与党の議員たちの動向は、どうみても次の選挙に際して、如何に自分自身が生き残れるかを模索したり、誰の配下やグループに入ることが自らの利に近づくかを察知しての行動や言動としか思えない様な動きが、ここのところ顕著に目立っていて、政治家としての政策に関する自らの姿勢や指導力、イニシアティブを感じる言動すら感じられない人が多いのである。

 一方、地方議員も同様な面が概ねあり、大阪維新の会の旋風が吹いたといわれている大阪府を中心とした地域においては、次の国政選挙でも、既成政党としての自民、民主、公明、共産、みんなの党などに所属する議員ですら、維新の会との連携や協力をどうにかして結びつけて、自らの選挙を優位に進めたいとの思いだけが先行している模様である。

 そんな状況下のお正月早々ではあるが、早くも恒例の衆院選「当選完全予測」なる見出しを掲げた「サンデー毎日」が発売されて、野田民主は140議席減で分裂し、自民党がやむを得ず議席数を挽回し、与党全てで163議席、野党が311議席を獲得し、過半数はとれない自民党が再び他党か他のグループとの連立というカタチで内閣を発足させるしかないと予測しているのである。

 それに加えて、まだ総選挙がいつ行われると決まったわけではないのに、橋下維新連合は35議席を獲得し、政権運営や国会での重要なキャスティングボードを握る勢力となるであろうと予測しているのである。

 野田内閣ならびに野田首相の「安全運転」と言われている政権運営の明るさや元気さのなさに加えて、消費税増税だけが浮き彫りにされるような状況が、国民、有権者の苛立ちに似た思いに拍車をかけかねない状況が、徐々に「路面凍結」や「ノーマルタイヤ」での危険性を危惧する気持ちと同様に、最近特に変化してきている様子であり、確かに消費税増税を巡る議論や対応いかんによっては、解散・総選挙も週刊誌の予想とは異なる結果も含み行われる時期が近づいているのできないかと思われるのである。

 「小寒」は、気候としての冬の寒さを感じるだけでなく、政界や政権運営の「寒さ」をも実感することとどう時期に突入していると言っても過言ではないかと思われるのである。
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何故、政治家に?

2011年12月15日 | ちょっと可笑しいよ
 12月も半ばになろうとしている今日この頃だが、やはり年末ということで家の中の片づけを家内がやっていて、「これ捨ててもいい?」とか、「ここ掃除して!」とか、いろいろと注文があるのだが、何処からか20年ほど前の私の手書きの原稿のコピーが出てきたので、私に渡されたのであった。

 その原稿は、何処かの出版社が当時の地方議員たちに依頼した「子どもに宛てた手紙」として、テーマが「政治家としての夢」というものであった。

 私は1991年に地元の議会議員選挙に政党や組織との関わりが全くない立場から初めて立候補し、幸い多くの人たちからの得票を得て、無所属、市民派としての議員活動を4期16年間させていただいたのだが、その最初の一期目の時に記した文章で、今読み返してみると、なんともお恥ずかしい文章で、決して皆さんに公表する様なものではないのだが、それから20年が経過して、現在は政治家でもなんでもない一市民に戻っているので、せっかく見つかったので、ここにご披露することにする。

 自分が書いたものであっても、20年もの時が経ったものだから、「十年ひと昔」と言われた時代なら、既に「ふた昔前」の自らの素直な思いを、それも「息子宛」に記した形の文章となっているのであった。

 子供(いない場合は21世紀の子供たち)に宛てた手紙として、1000字以内で「政治家としての夢」を書けという要求なのだったが、私は何故か「何故、父は議員になろうと思ったのか」とい手書き出しで、自分の政治家になるきっかけと思いの一部を記していたのであった。

 下記にその全文を書き写すカタチで皆さんにも記すことにしたい。

 何故、父は議員になろうと思ったのか、それは私自身の中に幼児期から潜んでいた「素直な正義感」が、この町に住み10年を経て、ふつふつと沸いて来たからである。

 この「素直な正義感」ってやつは、幼稚園の子どもの頃から、おかしいと思ったことは「おかしい!」と疑問を持ち、両親や教師に必ずたずね、正そうとしていたことに始まっている。

 私自身の自慢のひとつに、小学校1.2年時期を共に過ごした同窓生で始めた「竹の子会」という、ちょっと珍しい同窓会がある。何が珍しいかと言うと、小学生の1.2年生のクラスで一緒だっただけの、すなわち6.7歳時期の同窓会だからである。

 若い女性教師が我々のクラス担任だっのだが、そのS先生が私たちの4年生になる春に転勤のため、他の小学校へと移られると聞いたので、まだ9歳だった私たちが先生を囲んでのお誕生日会を始めたのが、この「竹の子会」という自慢の珍しい同窓会のスタートとなったのであった。

 この集いが毎年続く中で、いまだに先生は私に対して、「あなたは、よう喧嘩をしたが、それはいつも他の人のことや正義感からのケンカやった」と証言して下さっていたのであった。

 そうした「曲がったこと、不法なこと、弱者をいじめること」または、「ちょっとしたことで解決しそうなこと」などは、私にとっては、知らんぷり出来ない、ケンカの種になっていた様である。

 中学校で半年間だけ、生徒会の会長をやったのだが、その期間に初めて、ただ素直な正義感だけでは、多くの生徒の賛同や協力を得られないという現実を知ることになる出来事があり、時には「偉そうに!」とか「かっこつけやがって!」という野次や批判を耳にすることも経験した。

 真実への発言や行動だけでは、他人はなかなか協調したくれないという厳しさを知らされ、大変悔しい思いを何度もしたし、誤解や中傷も多く体験した。

 高校時代には、何故か沈黙の2年間を過ごしたが、大学に入学するや、その反動なのか、「反安保、反万博、そして寮闘争」と言われる、政治的時代の渦中にいて、いろいろと発言する機会が増えてきた。

 大学での学園闘争、学生運動といっても、私は常に非暴力での抵抗と勝利なき戦いを繰り返していた様であった。

 社会人となって、東京での暮らしが10年近く続いて、二児の父として京都に戻り、「子どもたちの遊び場活動」に12年間、仕事として関わり、身近な生活圏での諸問題にぶつかる様になって、教育、環境、福祉などの諸課題で行政の壁にぶつかることを体感したのである。

 そこで、素直な正義感に立ち戻って、発言し行動する一人として、住民参加の議員のひとりとして役立ちたいと思って立候補することになったのである。

 以上が、約20年前に記した、息子に宛てた手紙としての、ほとんど原文のままの転載である。

 いずれにせよ、普通の住民のひとりが地方議員として活動をさせていただくためのチャレンジを、素直な正義感でしたに過ぎないのだが、今振り返って見れば、何と無謀かつ経済的背景や家庭の生活を鑑みることなくしたことかと思う面もあるのだが、ともかく4期16年、少しでもお役に立てたのではないかと、自画自賛、自己満足しているばかりである。
 
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市議選の結果は落選!

2011年04月24日 | ちょっと可笑しいよ
づくめで 京田辺市議会議員選挙の開票が終わり、残念ながら落選でした。

 21名の議会議員が新たに選出され、今後の市議会を活発に議論のできる場にして行っていただき、京田辺市がより良い生活者目線での施策が進み、住み易い町になるように頑張っていただきたいものです。

 私はこの四年間の普通の市民としての生活で、選挙準備も十分でなく、この一ヶ月は一生懸命にやってきたのですが、市民の皆さんには届かず、残念な結果に終ってしまいました。

 市長も無投票当選ということで現職の市長が再選されましたし、私にとっては今回の選挙は異例づくめで終った感が強く、まだ敗北感よりも、心に厳しい思いが鬱積しています。

 さて、普通の市民に戻って、明日からは選挙の残務整理と共に、新たな今後の生活のことを考えて歩んで行かねばならないわけなので、このゴールデンウイークが終ったら、またしっかりと歩き出したいと思っています。

 人生には山や谷もありますが、家内が言った「マサカ」と言う名の「坂」もあるという今回の落選も、たぶん人生に於いて私自身には大いに勉強になる結果なのでしょう。

 1991年から4期16年を議会議員として働けたことを感謝し、今後は一市民としての生活者として、この町を愛し、この町でいきいきと暮らして行きたいと改めて思っています。

 「先生」と呼ばれる様な「議員」になりたいわけでもなく、何とか「お役に立ちたい」という一心で、市議会への再度の挑戦をさせていただいたのですが、結局思いは届かず、多くのご支援をいただいた方々、ご協力を賜った市民の方々と家族にお礼を言いたいと思います。

 2011年、私ガリバーは63歳の春を迎えて、高齢者の仲間入りをする年齢に達していますが、心と気持ちはまだまだ30代から40代にかけて、当時の田辺町に引っ越して来た頃と同じ気持ちで、今後も「おまけの人生」を自分の為だけでなく、他人や地域の役に立つ役割をささやかでも担って生きて行きたいと思います。

 せっかく与えられた健康と「いのち」を大切に、東日本大震災、大津波に見舞われた被災者や原発放射能漏れから避難せざるを得ない多くの人々のことを思うと、より一層現状に感謝しつつ、元気に明るく生きて行くと共に、しっかりとした支援と継続的なエールを送りつつ、自らも人に恥じない歩みをしていきたいと改めて肝に銘じています。

 ともかく市議選が終ったことで、私の人生の第三ステージのコーナーを曲がる時期にさしかかったと感じていますので、今後は第四コーナーに向けて、ゆっくりと充実した日々を送り、考え、行動して行きます。

 このブログ「ガリバー通信」は、日々の日常を感じたままに記して、今後も皆様に目を通していただきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。
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選挙活動終了!

2011年04月24日 | ちょっと可笑しいよ
 四月17日に告示された、統一地方選挙後半戦、市議会議員選挙に四年ぶりに立候補し、一週間の選挙運動期間を昨夜無事終えることが出来ました。

 市内各地を選挙宣伝カーでくまなく回り、車の中からと街頭でのスポット演説など、一日中マイクを握ってのアナウンス中心の市議会議員選挙の運動でしたが、今回は生憎の雨天の日が多く、告示日と三日目だけが晴れと言う選挙戦にとってはとてもやりづらい天候で、四月半ばを過ぎたというのに、肌寒い日々が続きました。

 それでなくても、先月十一日に発生した東北、北関東の大地震と大津波と福島原発の放射能漏れが多くの被災者や被災地を生み、日本国中が悲しみと共に心が痛む日々を送らざるを得ない感じの時期となったために、選挙活動の自粛や宣伝活動をしない申し合わせをされた地域もある様で、私自身も少し憂慮したあげく最低限度の選挙活動をさせていただきました。

 軽四輪の小型自動車の選挙カーに小さなスピーカーをつけての街宣活動でしたが、連日市内随所を約100キロ強走りながら、無所属・市民派としての立候補の挨拶とお願い、ならびに政策や思いを語る選挙戦を展開しました。

 縦約7キロ、幅約4キロぐらいの市域なので、中日に行った普賢寺地域と言う山岳地帯を除けば、ほとんどが丘陵に開かれた住宅地が中心ですので、同じような住宅地をぐるぐる回る感じの選挙カーによるアナウンス合戦となり、30台弱の各々の選挙カーが狭い道を行き交い、お互いに挨拶しあう場面も多く、果たして住民、有権者にどれほど個別な候補者の声が届いているのか確認することは困難ですが、一応頑張っていると感じていただくパフォーマンス的活動と言わざるを得ない一週間でした。

 しかし、大切な四年に一度の市議会議員選挙ですし、私の場合はこの四年間のブランクとでも言うべき、普通の市民としての生活をしていたので、じっくり市民の多くに再度市議会に送っていただくためのアッピールが必要なので、精一杯何度も何度も住宅街を中心に回りました。

 選挙宣伝カーの走行距離は、何と一週間で約900キロに達し、スポット演説も100回を超えましたが、前回の市長選のことを思うと少ない感じすらする活動距離と回数のような気がしました。

 桜が散って、街路樹のハナミズキがキレイな白とピンクの花をつけて、春めいて来た感じの街中ですが日曜、土曜日でもスーパー付近や駅前を除いては非常に人出が少なく、スポット演説をする場所、機会を選ぶのが難しく感じた選挙戦でした。

 今朝は、いつもの様に五時台に目を覚ましましたが、投票日当日の為「選挙に行く」以外は、選挙活動も終っていますので半日、投票結果が出るまで時をどのように過ごそうかと思案しつつ、25年前の4月26日に当時のソビエト連邦、ウクライナのチェルノブイリ原発で起きた事故の記念集会に足を運び、福島原発だけではない日本国内の54基の原発の現状と今後を考える時にしたいと思っています。

 といいながら、落ち着かない半日を過ごして、今夜の開票での結果を不安を抱きつつ信じて待つしかない候補者の一人であり、明日からの生活、日常がどのように変るか、白黒が判明するまで判定を待つ被告人の様な心境です。
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市議選前哨戦!

2011年03月31日 | ちょっと可笑しいよ
 弥生三月も今日でお終いで、明日は四月となれば、「サクラの開花便り」もあちこちで聞かれる本格的な「春の到来」というところだが、今年は例年より「花の便り」もちょっと遅く感じる気候が続いているし、ともかく連日連夜の「東日本大震災関連のニュース」と「福島原発の放射能漏洩の不安」が重なって、気分的にはどうしても明るくできないムードの中、私にとっては市議選の告示まで約半月ということで、この一週間は連日足が痛くなるほど歩いて、自分の自己紹介リーフレットと「ガリバー通信」の再活動号を届けている。

 四年前に「やむを得ず」、市長選にチャレンジしたために、この四年間はふつうの市民として仕事をしていたために、なかなか活動をするといった時間もなく、「ご無沙汰しています」という状態で長くお会いしていなかった方々とも久しぶりに言葉を交わす機会ともなっているので、「私は健康に恵まれて元気です」と告げるのだが、先方さんの近況やご家族の動向、または震災、原発関連の思いなども聞かせていただきながら、いろいろと懐かしさと共に嬉しいニュースもたくさん聞けたのである。

 子どもさんにお孫さんが誕生したニュースやご結婚された話などが主な嬉しいニュースなのだが、一方亡くなられた方やご不幸を知らなかったことなどもあって、あるご家庭では故人となられたご主人様のご霊前に手を合わせるために上がらせていただいたり、お茶をいただいたり、いろんな再会や励ましをいただくこととなり、こちら側からの「選挙に出る」というご報告の機会なのに、いろいろと気を使っていただいて「頑張ってください」とエールを送られる「うれしい知人たち」に多く出逢えたのである。

 たった四年間なのだが、過ぎ去った日々はお互いの近況や周辺のお子さん、ご家族に変化が出ているのは当たり前のことなのだが、日ごろのご無沙汰があって、なかなかそうした情報を耳にすることが久しく、とっても嬉しい気分にさせてくれることが多かった。

 印刷しだしたのが三月二十二日だったので、翌日の23日から配布を開始して約一週間、約一万部印刷したリーフレットと手作りの「ガリバー通信」をセットにして、市内の北部から配布を兼ねての「挨拶回り」を始め、現在約7000部、つまり一日に平均1000部前後を配布しているので、足は棒のようになり、階段があって10数段登らなければならない玄関の多い地域もあるので、この季節だが汗をかいて一日に二度は下着とシャツを着替えなければ風邪を引きそうにもなるので、注意して二時間から三時間ほどで休憩をとってはいるが、たいそう疲れるものである。

 四年前は市長選ということもあって、若い学生さんたちにもおおいに手伝ってもらったのだが、精神的にはまだまだ若いつもりの己の肉体、体力の減退を止む無く感じざるを得ない「疲れ」を感じつつも、自分の仕事と肝に銘じて「歩く」ことに専念しているのである。

 「市議選・前哨戦!」は、如何に歩き多くの知人たちと挨拶をし多様な近況や問題を会話することにあり、マイクや他人に頼ってはいられない過酷な日々であるが、そのぶん大変楽しく嬉しい言葉やニュースを聞くことができるので、また明日への活力となっているのである。ありがとう!
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市議選告示まで25日!

2011年03月22日 | ちょっと可笑しいよ
 ここは京田辺市、私の第二の故郷と言っても過言ではない。

 1980年に移り住んでなんと31年が経過して、その間に京都府綴喜郡田辺町だった約3万数千人の町だったのに、1997年に「京田辺市」となって早や14年。人口も63000人の地方都市として、京都府の南部に位置するが、大阪、奈良にも近く、通勤、通学にも便利な交通アクセスとして近鉄京都線とJR学研都市線が市の中心部を走っているので、「京田辺」に来るのはとても簡単です。

 JR京都駅からだと、奈良、天理、橿原神宮行きなどの急行で約23分で、最寄の駅である「新田辺駅」に着くし、大阪からだとJR環状線の京橋で乗り換えて学研都市線でわが町の北の表玄関である「松井山手駅」まで快速に乗ると約28分で到着するし、近鉄電車なら奈良西大寺乗換えで快速や急行に乗れば約45分かかるが、あっと言う間に到着してしまう近さである。

 いずれにせよ、あの漫画の「一休さん」で名を馳せた「一休禅師」が室町時代の晩年を過ごした寺として「酬恩庵」というのが正式名称の禅寺なのだが、『一休寺』として有名になっているのだが、落ち着いた方丈から見る「枯山水のお庭」や大晦日に「除夜の鐘」を毎年の恒例行事として衝きに行く「鐘楼」がとっても感じのいい建物として残っているのです。

 それから今年でもう何年になるのか我が同志社大学の京田辺キャンパスも忘れてはならない、京田辺の南部にあって多くの若い学生たちが近鉄興戸駅やJR同志社前駅を使って通学して来ているのだが、バイトや遊ぶ場所が少ないことから、いずれ3回生になったら京都市内の今出川のキャンパスに通学するケースが多いため、京田辺市内に下宿するより、近鉄沿線の城陽や宇治、または京都市内の伏見区あたりに下宿して通学している学生さんたちも多い。

 自然環境が良くて、生駒山の南端の丘陵地帯にある甘南備山と三重に源流を発する木津川にはさまれたなだらかな平野部を中心に、近年は住宅開発が進み、近郊の市や町から移り住んで来る若い世帯も多くて、いまや「京田辺市」は、「住みたい町」の中にあげられるくらいの人気の町となっているらしいのである。

 玉露をはじめとする宇治茶の生産地でもあり、田辺ナスやエビ芋などの農産物もちょっと有名で、米づくりの田んぼと近郊畑作も残る、住宅都市として一層発展しつつある「京田辺市」の市民派市議会議員として四年前まで四期16年活動してきた私なので、前回は市長選にやむを得ず出たため失職した市議に、再度立候補して挑戦することとなっているので、この「ガリバー通信」も、選挙準備に没頭するためにしばらく選挙が終るまではお休みさせていただくこととする。

 いつも気軽に覗いていただいている皆さんにはお礼を申し上げたいと思います。

 東日本大震災に遭遇された被災地の皆さんには、本当に心からお見舞い申し上げます。

 また、元気で明るいブログを皆様に読んでいただける様に、選挙戦も戦った上でご報告をさせていただきます。

 しばらく「さよなら」、またブログで「逢いましょう」

 
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ガリバー再び始動!

2011年03月10日 | ちょっと可笑しいよ
 三月十日、今日は「初雷」だという。

 雷はなかったが、昨日は宮城県沖を震源とする地震があったり、今日は外回りの仕事中に「小雪」が降って来てまだまだ「春は遠い」と感じるのだが、四月下旬の統一地方選挙での「市議選」への「立候補」のために、 私は急ぎ目覚めて「動き出す」時期を迎えている。

 現在はまだ平日はパート職員とはいえ営業の外回りの仕事で毎日勤務しているために、なかなか「選挙準備」ができないでいるが、あと一ヶ月ちょいに迫った「告示」に向けて少し焦りを覚えつつ、来週迄でパート職員を退職し、本格的に「選挙準備体制」に入ることとした。

 ほんとうに仕事をしながら選挙準備をするのは並大抵なことではなく、市役所の選挙管理委員会に「立候補届」の事前審査を受けに来いとのことでも、平日の9時~4時に予約をとって審査を受けろという、「お役所仕事の時間内」という制約がある。

 そこで、無理を言って私の場合は「一次の審査」をパスして、二次審査が始まる3月22日以降に「審査」を受けることとして、実質的には3月20日で退職することとなったのである。

 実は、議会議員当時の議会報告のタイトルが「ガリバー通信」だったので、この『ブログ』と同じタイトルなのだが、ガリバーの再始動版を再来週から印刷、発行して自らで出来るだけ多く各戸配布することとなったので、その書き出しを紹介する。

 「ガリバー再び始動!}

 4年前の市長選挙に「やむにやまれず」立候補したが、今春ふたたび動き出しました。

 石井明三現市長の4年間の市政運営を市民の立場で見守りつつ、一人の生活者市民に立ち返って、平日はパート職員の営業仕事をする傍ら、週末は自営の有機農産物と無添加食品の八百屋の移動販売を続けてきました。

 多くの市民の皆さんと、八百屋を通して安全な食材、食品の話から、環境、教育、福祉などの行政課題に関する諸問題のいろいろな意見や要望を耳にしながら、もう一度議会を通じて、市民の目線から市政をチェックしたり、提案することが必要であると痛感しました。

 現状の議会は、相変わらずの「市長与党体制」といった感じで、本来の議論を通じて「是々非々」で決定をするべき民主主義的な議会とはなっていません。

 ほとんどが市長提案の議案で、結局全て「可決」するという、数の論理のみの議会では、何人議員がいても意味がありません。
『議論』を通じて、ほんとうに市民にとって、より良い選択肢を提案したり、修正する積極的な取り組みが欠けているのではないでしょうか。

 ぜひ、政党や組織の利害や立場ではなく、普通の生活者市民の目線で、市民にとってのより良い選択を議論を通して導き出す「議会」に変革しなければ、京田辺が「住んで良かったまち、住みやすい町」にはなりません。

 今後、少子高齢化がますます進む日本社会ですが、地方都市の地元の自治体行政が市民を守り、市民に役立つ「市役所」に近づくためには、市民が選出する「議会議員」と市民参画による行政チェックと監視が必要なことは言うまでもありません。
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立候補説明会。

2011年03月05日 | ちょっと可笑しいよ
 いよいよ、統一地方選挙の春が近付いて、今日京田辺市選挙管理委員会が主催する「選挙事前説明会」が行われ、定員21名の市議会議員の選挙に立候補を予定している現職19名と新人、元職9名の陣営が参加し、市長選挙に関しては現職だけの立候補予定との噂であるが、とにかく選挙管理委員会のメンバーと市役所の総務、選挙関連職員の説明が行われた。

 私も4年ぶりの選挙への立候補の準備ということもあって、選挙をお手伝いいただく男性と女性のおふたりと共に、予定時刻の少し前に会場前に到着したのだが、お二人と雑談をしていて受付を済ませて会場に入場したら25番目となり、後ろの方から立候補予定者陣営の参加者を見渡す感じで説明を聞き入ったのであった。

 市役所の職員や選挙管理委員会ならびに警察署や郵便事業会社の職員などが、手引きや説明書に記載された重要な箇所をポイントとしてあげて説明されていくのだったが、ほんとうに事務的な立候補届けに関する書類や捺印などの必要性が何処まであるのかと疑問を感じざるを得ないほど、インターネットの情報やペーパーレス時代と言われているのにも関わらず、未だにいつの時代に作られたのか、公職選挙法を軸とした「手書きで事務的に一字一句を間違わずに記入しなければならないために、立候補届けの書類の事前審査という名のチェックを最低二回は受けなければ、告示当日の「立候補届け」が円滑には受付られないという、時代遅れともいうべき手順やルールの説明が主であった。

 参加していただいた市民のお二人にとっては、とっても退屈かつ眠たい二時間余だつたと推察されるのだけれど、立候補を予定している本人である、私自身にとっても「何でこんな面倒な形」を踏襲しなければ「被選挙権」を行使できないのかと、甚だ疑問に感じる手続き論と記載、記名などの書類が多いと思うのであった。

 1991年からの町議選2回、市議選2回と前回は市長選への立候補だったが、計5回の立候補に際して同様の説明会には参加し、今日と同様の説明を聞いて来たのであるが、この四年間普通の市民としての生活をしてきたというギャップもあってか、余計に「お役所仕事」を改めて感じざるを得なかった。

 たぶん、市民としてはじめて公職選挙法や「選挙の手引き」「統一地方選挙」についての説明を聞く体験をされたお二人の知人は、どう感じられたのであろうか。

 四十代のサラリーマンの男性と50代の五人のお子さんの母である主婦のお二人に参加していただいたのだけれど、私以上に違和感を感じられたことだろうと推察しつつも、現行の法律、ルールにのっとっての「選挙の仕方」をしなければならないので、いよいよ決戦が近付くと言った感じての、闘争準備に入る気力とスケジュールだけは確認して、明日からの選挙準備にあたり、少ない準備期間とは言え、当初に念頭にあった「挨拶」や「書類」「通信」の類の設計を急いでしなければとの思いが強くなって帰路についた。

 もっと簡単に気軽に市民が立候補や議会参加や行政参画ができる制度やルールを考える時が来ていると痛感したのである。 
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2011年の初夢。

2011年01月03日 | ちょっと可笑しいよ
 2011年のお正月も、いつもの様に私たち夫婦の年老いた母に会いに行ったり、年賀状の整理や返信を書いたり、また京田辺の新春行事のひとつである「新春甘南備山登山」をしたりと、つつがなく三が日が終わろうとしている。

 まだ正月気分の中、明日もう一日お休みをいただいているので、二日遅れの「書初め」を孫のK君としようということになっているのだが、昨夜の「初夢」では大した夢を見ることはできず、かすかに覚えている「初夢もどき」では、何かの順番を待っているという、あまり意味や夢や理想を感じさせない内容だったので、ここでご披露するには及ばない。

 さて、正月三日になって「新春のご挨拶」を兼ねて伺ったご高齢の私の敬愛するご夫婦宅での「新春よもやま話」で、語り合った「政治にまつわる話」では、私は今の政治状況を含む日本の政党政治に疑問を感じる話題があった。

 一昨年の総選挙で、待望の「政権交代」とやらが実現し、いわゆる「二大政党時代」に日本の民主主義も発展したかの如く感じたのもつかの間で、鳩山首相も一年ももたず、歴代の自民党の最近の内閣と同様に、なんとも信頼されない内閣が続いていて、あの小泉内閣後は、福田、安部、麻生、鳩山と一年前後の内閣が出来ては退陣し、元自民党ではない「菅直人内閣」が誕生し、ようやく戦後65年続いた自民党を中心とする保守的議員の首相を頭とする内閣ではない、少し違ったのは村山富市元社会党党首と細川護煕日本新党代表の首相就任だっただけで、ちっとも背景は変わらない政党政治が続いていたわけだったのである。

 そこへ、民主党の元自民党の鳩山由紀夫氏が退陣し、元自民党の幹事長で政界の実力者と言われた「小沢一郎」と元社会民主連合の若き闘士だった「菅直人」が民主党代表選挙を争い、辛うじて市民派に近いと思われていた菅氏が首相に就任したのに、結局自民党政権下での野党精神があってか、陣頭指揮を取るというリーダーシップがほとんど感じられない存在感の薄いパフォーマンスばかりの弱い首相姿しか感じられず、国民の多くが失望感を感じて、昨年秋から今年の正月を向かえているのである。

 私は以前からも述べている様に、国民、有権者の大半は普通の市民であり、政党所属や政党支持を色濃く持っている人は少数であり、国民生活に密着する課題を議論し決定を下す「議会議員」だけが政党政治の暗中模索の中にいるに過ぎないのではないかとさえ感じているのである。

 つまり、国民、市民のための政治に携わる「議員」たちだけが大げさに言えば、「政党政治」に拘っていている様で、私も含めて大半の市民は、「政党」に興味や期待をしているのではなく、政治家の思想、生き方、考え方に賛同したり共感を覚えるかどうかで、投票という行為をしているに過ぎないはずなのに、多くの場合が組織や政党の利害に利用されているのではないかとすら思えてならないのである。

 敢えて言えば、私の初夢は「政治」と「政治家」が「政党から脱却」して、本当に一市民、有権者として、本当に願うココロ豊かな生活と環境づくりへの提案と決定をなす使命を果たせるかどうかではないかと強く感じる思いである。
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