ゆうちゃんの世界へようこそ!

旅好きなゆうちゃんです。旅は脳の活性化と健康増進です。歩くは食べるはどなんしよう。永遠の青春を求めていくのが旅かな。

海岸線の美しさに惹かれ野母崎半島を一周して

2005-01-02 09:31:56 | Weblog
平成14年の6、7月に土日の晴れ間を利用して野母崎半島を一周した。まず茂木を始点として網場まで歩き、茂木から為石、為石から脇岬を経由して高浜へそして蚊焼から旧深堀街道を歩き江川までを完歩した。さりげなく始めたウオーキングが野母崎半島を歩くことになるとは思わなかった。そこまで引きつけるものはなんだろう。海や山や昔とそう変わらない生活のたたずまいはほっと心の安らぎを与えてくれる。ふと小さい頃の自分が脳裏をよぎる。舗装されてないでこぼこした土の道、車は走ってこない。無心に友人と独楽を興ずる。歩いて海岸まで蟹取りに行った。竹に「松やに」を塗り、蝉捕りに行った日々がいつもどこか頭の隅に残っている。意識することなくどこにでも自然と触れあえたあのセピア色の自然との郷愁だろうか。何か心の侘びしさを感じさせる世が掻き立てさせたのかもしれない。自然との触れあいは心が軽くなり心地よい気持ちにさせ、明日への活力となってくれるのも事実だ。私は自然の懐の深さや母親に抱かれたあの安らぎを求めて、このウオーキングを始めたと言えよう。また、野母崎の海岸の美しさを皆さんに伝えたいし、まだ豊かな自然に恵まれているぞと思いつつ、どれほど自然を子孫に残せるかの不安も感じた。
子供時代に自然と戯れることはとても大事な気がする。そこには樹木や生き物と共に生きることが自然と心に育まれ、子ども達に心の優しさや思いやりを育てる。親の愛情や思いやりとの関わりはいうまでもないが、自然の生命との関わり大きい。自然に対する謙虚な気持ちになれるのは、自然への恐れや生命に対する感動などの体験をしたかによる。人間同様に素直な思いやりのある気持ちをいつまでも持ち続けることが自然を守る第一歩かもしれない。
邪心もなくひたすら野母崎の海岸沿いを歩いた。半島の美しさをどれほど伝えられるでしょうか。まず目にするのは、道すがらの枇杷の木が斜面にびっしりと熱い太陽を一杯浴びて、キラキラ光る一粒一粒が何ともいいようのない生命を感じる。小さな漁村や入り江や峠から下りた時の一望できる遠くかすんだ山々などは絵になる美しさだ。まだ半島の海岸線はきれいだ。
まず田上より旧茂木街道を下り茂木港へ出た。すぐに潮の匂いがし、懐かしさのある魚の干し物が目に飛び込み、昔の町中ではごく当たり前の風景がそこにあった。心を和らげてくれる一抹のノスタルジアかもしれない。昔から海の近くに住む長崎のじげもんにとって海の風景は生活の一部であり、安心感をあたえてくれるものでもある。地元産のぽんかんをかじりながら日吉へでた。こぢんまりとした集落の飯香ノ浦と太田尾を抜け快調な足取りだ。網場の方面がかすかに見え隠れしてから、ぐねぐね続く道は足にこたえてきた。峠から網場の全貌が見える風景はすばらしく一瞬立ち止まらせてくれる。茂木から網場まで休憩入れて6時間ほどかかったが、何とも言えない汗の心地よさだろう。
 茂木から宮摺までは老舗の料亭を数軒とおり抜ける。栄枯の盛衰ではないが、客足が遠のいたことを耳にする。古びた昔ながらの温泉があると聞き探したがわからなかった。宮摺は昔よく泳ぎに来た。砂浜の白さがやけに目についた。当時はかなりくすんだ色をしていた記憶がある。川原までの沿線は枇杷の木が目立ち手の届くところまで実がたわわだ。木場あたりまで枇杷の木は見えるがそれから先はあまり植えられていないようだ。ハウスものが路上で売られていて口にほおばると甘さが神経細胞まで伝わりいっぺんに元気が出た。亜熱帯植物園まではひたすら歩くのみである。途中土井首からのサイクリングの終点になる駐輪場がある。亜熱帯らしさの木々が植えられていて植物園に近いことを知らせてくれる。植物園から脇岬までは下りで一気に降りられる。脇岬を初めて見た子供の頃の感動はないが一人たたずむ海岸も粋なものだ。この脇岬から黒浜まではとても海がきれいで立派な海岸線である。テトラポッドがなければすばらしい海岸が続くので残念に思う。野母から南越まで裏街道もある。岳路から蚊焼は道が狭いうえに登り道でやっかいである。深堀までの旧深堀街道はきれいな入り江や砂浜のある海岸があり、小さな教会からの夕日の眺めはよい。駆け足で野母崎半島を紹介しました。自分の足で確かめながら一歩一歩歩くと、車では見逃してしまうスポットに足をとめられます。よくこんな所に史跡があるぞと脇道へ入ることが再々です。寄り道が時間を食い泥沼化することもあります。人生も同じでしょう。人生はどこかで足をとめ、自分を振り返り、一歩進めることだと思います。よく言われます一人で生きているのではなく、活かされているとまさしく自然と共に活かされているともいえるでしょう。どんな方とも自然に素直に接することができることは大事です。心にわだかまりがあってはいけません。他人を思いやる気持ちを持つことは自分を思いやる気持ちになれます。たまたま「生きる」に載せる機会が与えられましたが、違う形でこのウオーキングは整理するつもりでいました。先日は神の島まで歩き、女神大橋の橋梁をみてきました。人間の技術のすごさと同時に自然との闘いや自然との調和を考えさせられ、自然を守ることも我々が生きていくためには必要なことだとこのウオーキングを通して思いました。心の荒廃は自然破壊と同じ気持ちです。豊かな心を育むのはあなたがた一人一人の気持ちの持ち方だと思います。次のウオーキング挑戦は福田から式見、三重線を考えています。
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