ゆうちゃんの世界へようこそ!

旅好きなゆうちゃんです。旅は脳の活性化と健康増進です。歩くは食べるはどなんしよう。永遠の青春を求めていくのが旅かな。

とぼけた愛嬌のある「愛犬」

2005-02-06 12:05:18 | Weblog
 平成7年で生まれて丸15年目を迎える愛犬です。歳を取り階段を踏み外したり、頭をごつんとしたりしてよくぶつかるようになりました。愛嬌をふりまき賢い犬です。お手やおすわり、伏せや待てなどは朝飯まえです。トイレも合図してドアをがりがりして教えます。痩せすぎてきたので心配です。長生きして欲しいね。
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上海の旅情に酔いしれて(1)

2005-02-02 11:12:53 | Weblog
平成16年十月頃「戦後の長崎観光の歩み写真展」と銘打って上海航路の時代―大正・昭和初期の長崎と上海―を振り返る展示があった。旧長崎市街風景にも関心があり、また両親から上海航路のことを「長崎から上海に行く親戚をよく見送りしたんだよ。」と聞いた覚えがある。また妻の話では、義母はうら若き頃上海に住んでいて、「上海は都会でね、長崎なんかへ戻りたくなかったね。」当時の上海の様子を誇らしげに語っていた。これらが写真展へ足を運ばせ、上海への旅立つ気持ちにさせたのかもしれない。八十年ほど前、長崎と上海間に日華連絡船として長崎丸と上海丸が就航した。長崎と上海間は二十六時間かかり一昼夜の船旅で結ばれた。その当時上海はパスポートなしで行ける最も近い外国と言えた。 
 昭和二十年代、小学生だった私は対岸の水ノ浦に住んでいた。水ノ浦の桟橋から大波止へ市営船が出ていた。当時の船はデッキにコールタールが真っ黒に塗ってあり臭気はすごかった。今でも懐かしく出航風景が脳裏に浮かんでくる。私の父は水ノ浦で長年衣料品店や食堂などを営んでいた。裏庭の作業場で布を染めるため藍色のお湯をぐつぐつたぎらせたり、今川焼きなどのあん作りのため大きな鍋にこしあんや水飴などを入れ、両手で大きな木のしゃもじを器用に掻き回していた。私はその作業場で満州や中国の地方の話を父からよく聞いた。そのひとつに上海航路もあった気がする。父は商売の関係で町へよく出かけていた。父に「町(浜ん町)へ連れて行くぞ。」と声を掛けられると、どんなに遊びで熱中していてもついて行ったものだ。大波止から必ず町へ行くのに線路を渡る。その線路は出島埠頭に発着する上海航路との連絡のため、1930年に長崎駅から長崎港駅まで延伸された線路である。その長崎港駅が終着駅でそこから上海航路へつながる。母親の話では昭和の初め活気があり積み荷でごったがえしていたそうだ。線路は戦後しばらく貨物線として利用されていたが、昭和五十七年に廃止されその線路跡は残っていない。
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