ゆうちゃんの世界へようこそ!

旅好きなゆうちゃんです。旅は脳の活性化と健康増進です。歩くは食べるはどなんしよう。永遠の青春を求めていくのが旅かな。

上海旅情(2)

2005-01-05 11:20:08 | Weblog
天気は快晴で十二月にしては暖かく汗ばむ程の気候であった。いよいよ上海と江南地方へと旅立つ。外国への旅行は三十年ぶりであるが、国内旅行と違ってやはり緊張とわくわくした神経の高ぶりがある。長崎空港から上海まで九十分足らずの空の旅でも外国旅行の意思を固めるのに勇気がいる。国内旅行では簡単な準備で済ませられるが、外国旅行はあれこれと心配が絶えず手荷物が増える。旅行前の時間を楽しむのも外国旅行の魅力の一つかもしれない。出国手続は無事に終わったが、中国東方航空機は数十分待てど一向に姿を見せなかった。「上海は台風の影響で気象状況が悪く、いまだ上海空港を飛び立っていない。」とアナウンスが流れた。結局二時間後に乗り込む羽目になった。中国人のフライトアテンダントが昼食の機内食を配膳した。機内食の中国語のパッケージを物珍しく見ながらフリーのビールを味わうことにした。機内食のメインディシュはそばヌードル(スパゲッティ麺)だった。欲張ってビールと一緒に中国茶をもらい、最高の気分で食事に没頭した。時々エアーポケットに入り機体の揺れを感じた。ところが食事の真最中に大きく機体は揺れはじめ、慌てて両手に飲み物をそれぞれ持って、バランスを保つために必死となった。機体の揺れに合わせてカップを上下左右に動かし、ビールやお茶がこぼれないようにした。脳がスーットと一瞬真っ白になり気分の悪い状況が続いた。機内食は喉を通らず楽しさはなくなり、飛行機が落ちないことをひたすら祈った。その後フライトも落ち着き、上海の上空から下界が見渡せる高度となった。うす汚れた黄色ぽっい大海に点々と小さな黒いものが見えた。日本の漁船とは形が異なり、それらの漁船は黄浦江にも、五大湖のひとつで琵琶湖の3倍の広さがある太湖や白蛇伝の舞台になった西湖でも姿を見せた。物資を運搬して船上生活をしていることを知った。タラップを降り中国大陸の第一歩を踏んだ。空港の発着ビルがとても長く大陸の広さを感じた。入国手続きに時間を要した。SARSの防疫対策として体温を感知するセンサーを通りぬけるセクションがあった。ビルを抜けると交通ラッシュで自転車、車や人の怒号それに気笛のようなクラクションがけたたましく鳴る中で交通は不思議と流れていた。道路は広く地方都市でも片側4車線あり、歩道や自転車道もゆっくりとしていた。歩道に車が駐車してあってもまだ広いスペースである。毎朝の出勤ラッシュに遭遇したが、自転車の数の多さに驚いた。自転車が我がもの顔で車道を走るのを見ると爽快な気分である。三輪車やリアカーもバスと一緒に並行して走っている。また、本当に走れるのかと疑いたくなるポンコツ車など当たり前で、トロリーバスや外観の異なるバスが走っていて満員の状態であった。運賃は一般バスと空調付きバスとで異なる。一般道路やバスの中で携帯電話をしている人はあまり見かけず、日本の若者が携帯と睨めっこしている風景とは違っていた。経済化が進んでいる印象はトラックの多さとビル建造のラッシュだ。マンションの建設もスケールが大きく数十棟が一斉に建造されている。夜の高速道路を走る車窓から見える景色は真っ暗闇と言っても過言ではない。民家は電気を点灯していないか、垣間見えるのは裸電球の灯りだけである。一方昼間は見事に、市街地であろうとそのアパートの窓に洗濯ものが花を咲かせている。上海の郊外ではおとぎ話にでてくるような小綺麗な家が延々と続く。いつまで行ってもその風景は変わらないほどで圧巻である。fuki_yonde/}
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上海旅情(3)

2005-01-04 11:53:37 | Weblog
 さて旅行の楽しみは料理である。旅行前に長崎のじげもんが口にする中華料理とは異なると考えていたので、出される食べ物にはどん欲に手を出した。(内心糖尿病が気になっていた。)朝食はどのホテルもバイキング形式で、飲み物としてスキムミルクぽい牛乳や甘い豆乳などもでる。数えきれないほどの料理皿があり、見たこともない炒めたものが中心である。味を確かめるために、もの珍しさから少しずつ取ってみる。結局取り皿に食べきれないものが山となる。野菜や肉類はすべて脂っぽく朝からはこたえる感じだ。同じ宿泊の中国人は平然と脂っぽい料理を平らげている。籾殻に包まれた鶏卵より大きめの形状のものと殻が剥かれたものとが皿に丸ごと一杯盛りつけてある。試しに一個を手で割ってみると卵の黄身は不気味に黒く、白身は褐色半透明で、どう考えても腐っていると思われるにおいが鼻を打つ。見た目が悪いため食べる意欲をなくさせるその正体はピータンである。ピータンはアヒルの卵を特別の調味料に付け込み、卵は泥ともみ殻におおわれ数ヶ月貯蔵される。一緒に水を使って殻を取るため手を洗う壺まである。手は脂でにぎにぎしてどうしようもない状況になる。小龍包や豚まんなどの饅頭類は味もよくそれだけで腹一杯になる。上海名物の小龍包は挽肉を小麦粉の皮で包み蒸したもので、口の中で熱々のスープがにじみ出る。また、カステラみたいな甘い物の品数も多い。昼食は酒家や飯店そして茶社などのレストラン食事となり、一般の方が十人掛けの円卓で皿を積み重ねて食べている。総じて声がでかく年寄りでも元気だ。朝昼夕ともまさしく中華料理一色のためか顔もてかてかして艶がよい。お茶は欠かさずジャスミン茶やウーロン茶が出る。ビールを注文して飲むと水っぽい感じである。アルコール度数の低いのは水代わりに飲むせいかもしれない。ラベル面に青島や西湖と書いてあるビールだった。また、蛇が漬けてある酒を瓶ごとワゴン車に載せて廻ってくるのには腰が引けた。夕食で有名な上海蟹をいただいた。蟹の大きさはこぶしぐらいで小さくかわいいものだ。すぐに喰いつきたくなるような焼き色をしていて味は絶品である。味噌のとろりとした甘さが口中に広がりいつまでも余韻が残る。上海蟹の偽物と区別するため蟹の足にリンクの表示が付けられている。蘇州の唐揚げあんかけ料理でサクッと香ばしい歯ごたえの桂魚は甘いタレがほどよく溶け合ってまろやかなおいしさだ。じっくり煮こんだスペアリブの排骨は箸で切り分けられるほどの軟らかさで甘さが程よく効いて飽きない。スープ類では西湖の採湯はつるっとしたのどごしがさわやかで数杯おかわりした。私達になじみのある麻婆豆腐は絶妙な辛さの味付けで口に合う。激辛ではないが後からじっくり効いてくるのでほどほどにする。餃子は長崎の餃子とそうかわらないのがでたが、脂っぽいうえに焼きすぎでつめたかった。餃子はこんがり焼き上げたアツアツがやはりよい。炒飯は米そのものが太めでぱさぱさしている。白ごはんも鉢一杯盛られたのが出てきて食べきれない。白ごはんをながめながら、この時こそ淡白な漬物や「こしひかり」のごはんを身体が欲しがっている気がした。デザートも必ずでるが見事にどこもスイカである。朝のバイキングでもスイカが切ってあり、さくさくしていないため歯触りは悪いうえに水っぽいのでおいしくない。果物不足を心配したので存分に食べはした。ファーストフード店はどこも人が多く、当たり前だがうーん中国だという感触を受けた。中国の料理は全体的に塩や胡椒がよく効き、私のような減塩をしている者にはすべて体に堪えた。最初口にするものがすべておいしいく食はすすむが、食事の量には限界がある。限界の早いのは脂のせいかもしれない。つぎに中国といえばすぐに甘栗も浮かぶ。焼き栗売りはよく見かけた。私は中国語でよく声をかけられ、中国風の顔して炒野栗子とやらをちゃっかり味見した。私と容貌はそう変わらないので中国人と思われてもしかたがない。にこりと笑って「你好」と言いながら手を出す図々しさである。
 満足した食事の後はすっきりする必要がある。お分かりのように中国のトイレ事情は悪い。有名な観光地であろうとどっぽん方式で、かろうじて仕切り板がある。お互い顔を合わせることもあり様子はよく分かる。ふき取り紙は各自持参のものを使い、どっぽんの中へ捨てずに籠の中に入れる。「郷に入っては郷に従え」をまさしく体感する。それは本当につらいことで、習慣を変えることの難しさを知った。上海ではデパートの横に有料トイレがあり利用したが、中国ではトイレに本当に苦労する。中国の方はトイレをどうしているのか疑問に思う。次に困るものとして観光地で必ず出くわす物売りには閉口した。私に纏わり付き手を離してくれない。私は逃げるが勝ちを実践した。纏わる時間が長ければ長いほど品物は安くなり本数が増えていく。もちろん全体的に何事も安いのは事実である。平均給料は一般人で3千元から6千元と幅がある。公務員は2万元の高給取りであり、公務員志向の多いことはうなずける。自家用車はまだ庶民にとって高嶺の花である。続く
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上海旅情(4)

2005-01-03 12:01:53 | Weblog
 印象的な観光地として水の都である蘇州の寒山寺があげられる。六世紀初頭に創建された臨済宗のお寺で除夜の鐘で知られている。一回つくと十年長生きすると言われる。寒山寺の由来は楓橋夜泊の漢詩「月落ち烏啼いて霜天に・・・」からとられたそうである。住職や僧侶の書かれた書画のすごさには驚かされる。書画に描かれた生物がまるで生きているかのようで、いまにも絵から飛び出しそうな躍動感に溢れている。鑑賞中に子供達が教師に引率されて字を書き写している研修場面に遭遇した。熱心な子供達の様子は日本の小学生とはかなり違っていて、物静かで声をだして騒ぐことなどなかった。境内では数人の老人がゲームに熱中していた。盤上の駒には漢字で書いてあり見たこともないゲームだった。公園であろうと境内であろうと時間を楽しむための太極拳やゲームが日常生活に溶け込んでいる。私も太極拳をすこし習ったが、単純な割に身体を結構使い、身体の柔らかさを求められる。ひとつひとつの動きは私の身体に堪えたことを知っているので、老人の方がさりげなくやっているのに感心する。
今回旅先の至る所で古き良き中国を垣間見ることができた。この尽きることのない魅力的な中国の歴史は私の心を強く引き付ける。私達は歴史的なものを大事にすることを忘れかけている。私がほっとした気持ちになったのは大陸の風土であり、何千年も培ってきた歴史に触れたからだ。それは子供時代に心温かい母の懐に包まれた安心感と似ている。私達は次の世代に何を残せるのだろうか。この殺伐とした世の中だからこそ私達は歴史を知り、学び、活かしていく必要があるのではないだろうか。中国が近代化でどんなに変わろうと歴史の重みは変わらない。私はこの旅を通してさらに中国や自国の歴史や文化を勉強する必要を感じた。
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海岸線の美しさに惹かれ野母崎半島を一周して

2005-01-02 09:31:56 | Weblog
平成14年の6、7月に土日の晴れ間を利用して野母崎半島を一周した。まず茂木を始点として網場まで歩き、茂木から為石、為石から脇岬を経由して高浜へそして蚊焼から旧深堀街道を歩き江川までを完歩した。さりげなく始めたウオーキングが野母崎半島を歩くことになるとは思わなかった。そこまで引きつけるものはなんだろう。海や山や昔とそう変わらない生活のたたずまいはほっと心の安らぎを与えてくれる。ふと小さい頃の自分が脳裏をよぎる。舗装されてないでこぼこした土の道、車は走ってこない。無心に友人と独楽を興ずる。歩いて海岸まで蟹取りに行った。竹に「松やに」を塗り、蝉捕りに行った日々がいつもどこか頭の隅に残っている。意識することなくどこにでも自然と触れあえたあのセピア色の自然との郷愁だろうか。何か心の侘びしさを感じさせる世が掻き立てさせたのかもしれない。自然との触れあいは心が軽くなり心地よい気持ちにさせ、明日への活力となってくれるのも事実だ。私は自然の懐の深さや母親に抱かれたあの安らぎを求めて、このウオーキングを始めたと言えよう。また、野母崎の海岸の美しさを皆さんに伝えたいし、まだ豊かな自然に恵まれているぞと思いつつ、どれほど自然を子孫に残せるかの不安も感じた。
子供時代に自然と戯れることはとても大事な気がする。そこには樹木や生き物と共に生きることが自然と心に育まれ、子ども達に心の優しさや思いやりを育てる。親の愛情や思いやりとの関わりはいうまでもないが、自然の生命との関わり大きい。自然に対する謙虚な気持ちになれるのは、自然への恐れや生命に対する感動などの体験をしたかによる。人間同様に素直な思いやりのある気持ちをいつまでも持ち続けることが自然を守る第一歩かもしれない。
邪心もなくひたすら野母崎の海岸沿いを歩いた。半島の美しさをどれほど伝えられるでしょうか。まず目にするのは、道すがらの枇杷の木が斜面にびっしりと熱い太陽を一杯浴びて、キラキラ光る一粒一粒が何ともいいようのない生命を感じる。小さな漁村や入り江や峠から下りた時の一望できる遠くかすんだ山々などは絵になる美しさだ。まだ半島の海岸線はきれいだ。
まず田上より旧茂木街道を下り茂木港へ出た。すぐに潮の匂いがし、懐かしさのある魚の干し物が目に飛び込み、昔の町中ではごく当たり前の風景がそこにあった。心を和らげてくれる一抹のノスタルジアかもしれない。昔から海の近くに住む長崎のじげもんにとって海の風景は生活の一部であり、安心感をあたえてくれるものでもある。地元産のぽんかんをかじりながら日吉へでた。こぢんまりとした集落の飯香ノ浦と太田尾を抜け快調な足取りだ。網場の方面がかすかに見え隠れしてから、ぐねぐね続く道は足にこたえてきた。峠から網場の全貌が見える風景はすばらしく一瞬立ち止まらせてくれる。茂木から網場まで休憩入れて6時間ほどかかったが、何とも言えない汗の心地よさだろう。
 茂木から宮摺までは老舗の料亭を数軒とおり抜ける。栄枯の盛衰ではないが、客足が遠のいたことを耳にする。古びた昔ながらの温泉があると聞き探したがわからなかった。宮摺は昔よく泳ぎに来た。砂浜の白さがやけに目についた。当時はかなりくすんだ色をしていた記憶がある。川原までの沿線は枇杷の木が目立ち手の届くところまで実がたわわだ。木場あたりまで枇杷の木は見えるがそれから先はあまり植えられていないようだ。ハウスものが路上で売られていて口にほおばると甘さが神経細胞まで伝わりいっぺんに元気が出た。亜熱帯植物園まではひたすら歩くのみである。途中土井首からのサイクリングの終点になる駐輪場がある。亜熱帯らしさの木々が植えられていて植物園に近いことを知らせてくれる。植物園から脇岬までは下りで一気に降りられる。脇岬を初めて見た子供の頃の感動はないが一人たたずむ海岸も粋なものだ。この脇岬から黒浜まではとても海がきれいで立派な海岸線である。テトラポッドがなければすばらしい海岸が続くので残念に思う。野母から南越まで裏街道もある。岳路から蚊焼は道が狭いうえに登り道でやっかいである。深堀までの旧深堀街道はきれいな入り江や砂浜のある海岸があり、小さな教会からの夕日の眺めはよい。駆け足で野母崎半島を紹介しました。自分の足で確かめながら一歩一歩歩くと、車では見逃してしまうスポットに足をとめられます。よくこんな所に史跡があるぞと脇道へ入ることが再々です。寄り道が時間を食い泥沼化することもあります。人生も同じでしょう。人生はどこかで足をとめ、自分を振り返り、一歩進めることだと思います。よく言われます一人で生きているのではなく、活かされているとまさしく自然と共に活かされているともいえるでしょう。どんな方とも自然に素直に接することができることは大事です。心にわだかまりがあってはいけません。他人を思いやる気持ちを持つことは自分を思いやる気持ちになれます。たまたま「生きる」に載せる機会が与えられましたが、違う形でこのウオーキングは整理するつもりでいました。先日は神の島まで歩き、女神大橋の橋梁をみてきました。人間の技術のすごさと同時に自然との闘いや自然との調和を考えさせられ、自然を守ることも我々が生きていくためには必要なことだとこのウオーキングを通して思いました。心の荒廃は自然破壊と同じ気持ちです。豊かな心を育むのはあなたがた一人一人の気持ちの持ち方だと思います。次のウオーキング挑戦は福田から式見、三重線を考えています。
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