天気は快晴で十二月にしては暖かく汗ばむ程の気候であった。いよいよ上海と江南地方へと旅立つ。外国への旅行は三十年ぶりであるが、国内旅行と違ってやはり緊張とわくわくした神経の高ぶりがある。長崎空港から上海まで九十分足らずの空の旅でも外国旅行の意思を固めるのに勇気がいる。国内旅行では簡単な準備で済ませられるが、外国旅行はあれこれと心配が絶えず手荷物が増える。旅行前の時間を楽しむのも外国旅行の魅力の一つかもしれない。出国手続は無事に終わったが、中国東方航空機は数十分待てど一向に姿を見せなかった。「上海は台風の影響で気象状況が悪く、いまだ上海空港を飛び立っていない。」とアナウンスが流れた。結局二時間後に乗り込む羽目になった。中国人のフライトアテンダントが昼食の機内食を配膳した。機内食の中国語のパッケージを物珍しく見ながらフリーのビールを味わうことにした。機内食のメインディシュはそばヌードル(スパゲッティ麺)だった。欲張ってビールと一緒に中国茶をもらい、最高の気分で食事に没頭した。時々エアーポケットに入り機体の揺れを感じた。ところが食事の真最中に大きく機体は揺れはじめ、慌てて両手に飲み物をそれぞれ持って、バランスを保つために必死となった。機体の揺れに合わせてカップを上下左右に動かし、ビールやお茶がこぼれないようにした。脳がスーットと一瞬真っ白になり気分の悪い状況が続いた。機内食は喉を通らず楽しさはなくなり、飛行機が落ちないことをひたすら祈った。その後フライトも落ち着き、上海の上空から下界が見渡せる高度となった。うす汚れた黄色ぽっい大海に点々と小さな黒いものが見えた。日本の漁船とは形が異なり、それらの漁船は黄浦江にも、五大湖のひとつで琵琶湖の3倍の広さがある太湖や白蛇伝の舞台になった西湖でも姿を見せた。物資を運搬して船上生活をしていることを知った。タラップを降り中国大陸の第一歩を踏んだ。空港の発着ビルがとても長く大陸の広さを感じた。入国手続きに時間を要した。SARSの防疫対策として体温を感知するセンサーを通りぬけるセクションがあった。ビルを抜けると交通ラッシュで自転車、車や人の怒号それに気笛のようなクラクションがけたたましく鳴る中で交通は不思議と流れていた。道路は広く地方都市でも片側4車線あり、歩道や自転車道もゆっくりとしていた。歩道に車が駐車してあってもまだ広いスペースである。毎朝の出勤ラッシュに遭遇したが、自転車の数の多さに驚いた。自転車が我がもの顔で車道を走るのを見ると爽快な気分である。三輪車やリアカーもバスと一緒に並行して走っている。また、本当に走れるのかと疑いたくなるポンコツ車など当たり前で、トロリーバスや外観の異なるバスが走っていて満員の状態であった。運賃は一般バスと空調付きバスとで異なる。一般道路やバスの中で携帯電話をしている人はあまり見かけず、日本の若者が携帯と睨めっこしている風景とは違っていた。経済化が進んでいる印象はトラックの多さとビル建造のラッシュだ。マンションの建設もスケールが大きく数十棟が一斉に建造されている。夜の高速道路を走る車窓から見える景色は真っ暗闇と言っても過言ではない。民家は電気を点灯していないか、垣間見えるのは裸電球の灯りだけである。一方昼間は見事に、市街地であろうとそのアパートの窓に洗濯ものが花を咲かせている。上海の郊外ではおとぎ話にでてくるような小綺麗な家が延々と続く。いつまで行ってもその風景は変わらないほどで圧巻である。fuki_yonde/}
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