何度となく登場する道頓堀。すっかり観光旅行のガキと中国人団体
旅行の町になっているが、元はこんなじゃなかった。
左の建物の裏には道頓堀川。右側には中座を始め、五座の櫓が
立ち並んだ。
同じアングルの昔の写真が・・・。
74年前、昭和8年の中座盆興行の際の道頓堀の賑わい。
右手に芝居小屋。左手にはズラリ芝居茶屋が軒を連ねた、
そんな大人の街だった。
(三田純一さんの「道頓堀」からお借りしました)
三田さんの実家もこの中の芝居茶屋だった。
戦後派のくいだおれも、あと残すところ二月。
話のネタに一度は食っておこうかな。
唯一、昔の風情を残そうとする、うどんの「今井」。
高校時代、女友達と何か食べようということになり、ここに
引っ張って行かれた。その子は手慣れた様子で「かちんうどんと
豆ご飯」なんぞを頼んだ。ツウやなぁ…とたじろいだ。
相変わらず行列の「大たこ」。隣り合う「味一」(今は変わった)はヒマで、両者は仲悪く、二軒並列で取材申し込むと拒否されるので、アングルにも気ぃ使ったものだ。
個人的には大たこのビロビロ踊る花かつをは苦手とする。
昨年半世紀以上の歴史に終止符を打った「道頓堀東映」。
あとは何になるのだろう。その昔は五座の一つ「朝日座」だった場所。
賢いリニューアルがなされるといいが。
昨年秋、「本家たこ梅」が甦ったのは南地好きには嬉しかった。
たこ梅の名前を知ったのは小説「夫婦善哉」である。あそこへ出てくる店を片っ端から探し回った。
長いこと、放置されたままだった頃の姿が・・・
5年間も放ったらかしだったので、あちこちボロボロだったそうな。
ここの主人とは再建を巡って、ブログでやりとりさせてもらった。
創業は弘化元年(1884)ふくよかな前女将(現主人の祖母)は病院で元気にされていると聞いた。
無愛想な店員のおばはん達には賛否両論あるが、僕は結構好きだった。無愛想の愛想というのがある気がするのだ。
9種類だか11種類だかを使うここの辛子を「味噌は入ってるやろ?」などと当て合いながら、あの錫半の酒器で飲む酒は気分がよかった。
この猪口がすり鉢状になっており、いくらも入らぬ。一杯ごとにおばはんがザラリと積み上げていく値札に、何度ドキリとさせられたことか。
豆腐と大根。おでんの定番中の定番だが、旧たこ梅は大根を出さなかった。サエズリ(鯨の舌)はあったがコロ(皮下脂肪)はなかった。
そういうことでいうと、同じレシピのだしでも具から溶け出すエキスによって、味は微妙に変わるだろうと思う。
蕗もなかった。じゃがいももなかった。だしが濁るからと言い。
中央のおでん鍋は丸から四角へと変わった。
う~ん、味は微妙に変わったような気がする。
しかし、まったく同じに作っていても、手が変わるだけで客は変わったと言いたがるもの。
明瞭会計になったのは喜ばしい。梅田の方のたこ梅とちがって、名物煮たこばかりを押し付けないのもよろしい。
あとは大人の客や昔の客が戻ってきたら尚いい。
店の空気感とは、長年かかって客がかもし出すものだから。
本家「たこ梅」 中央区道頓堀堺筋手前
確かコップも錫でした。
甘ったるいどて焼きがたまに食べたくなって行ってましたが、キャベツを箸で食べたら叱られました。
手で食べなはれって。
まろやかにしてくれるんなら錫粉入りの酒があってもいいのでは…なんて考えたり。
京橋の立ち飲みで錫器を?やりますなぁ。どっち方面ですかな。
京橋の某立ち飲み屋も、錫の徳利を使っているの(だけ)は評価してます。
>店の空気感とは、長年かかって客がかもし出す
おっしゃるとおりです。店構えやメニューだけではできませんな。通ってきた人達とその歴史が店の空気を作り上げていくもんですね。
し、しまった。日本語が不自由になってしまった!
笑ってお忘れ下さい・・・
燗番のすぐ側にいたわけではないので、見えませんでしたが、タンポで出てきた酒は以前の酒器ではありませんでした。以前のはかなり色もくすんで変形してましたからね。あの一升ほども入るそれほど柔らかい金属なんですね錫って。でも真新しい錫器でしたよ。たぶん大阪錫器のものかなと推察。
錫半から出た人が手作りで伝統を守る大阪錫器という会社があります。http://osakasuzuki.co.jp/
錫だと酒がまろやかになるといいますね。飲みすぎると一緒ですけど、そんな気もします。阿倍野の「明治屋」の燗酒器も管の内部を錫でメッキしているとのことでした。
蕗に反応するところなんざ、ツウですなー!
錫の酒器は以前のものを使われてるんでしょうか。
昔、中央区にあった「錫半」のすぐ近くで勤めていたので、ショーケースの中で鈍く輝いている錫の器をよく見ていました。
今はもうなくなってしまいましたが。
それにしても、蕗のおでんって美味しそう…。