翌朝は、誰が袖の料理長西くんにくっついて、湯布院の里の駅、
ゆふいん川西農村交流センターへ。
ここに直売所があり、周辺の農家の人たちが自宅用の野菜を持ち込む。
湯布院には大きな市場がなく、名だたる旅館の料理人も買いに来る。
朝採りだから、畑から客の口に入るまでの時間も距離も短い。
だから新鮮でアクも少ない。
バックヤードに加工場を持ち、地鶏おにぎり(旨い)、ジャンボいなり(これもいけた)、おはぎ(同行カメラマンによると旨かったそう)、ゆず味噌、ブルーベリージャムなどを作って販売。らっきょうの漬け汁なんてのもあって、水で薄めて飲むと体にいいっていうんだけど。
宿「誰が袖」へ取って返し、朝食。
朝・生卵のある食卓・・・
朝食も八寸風に出すのが面白い。瓢箪型長皿に瓢亭玉子?
クレソンのわさび和え、クレソン・胡瓜・かぼちゃなどの三五八漬け(塩・米麹・ご飯の割合)なども出してもらう。
料理長は亀の井別荘に5年修業した。亀の井主人、中谷健太郎は湯布院の隆盛の基礎を作った一人で、「湯布院映画祭」「湯布院音楽祭」などを驚異的な推進力で作ってきた人物。味のチェックもうるさかったらしく、まさに亀の井学校というべきものだったようだ。納豆、豆腐、切干大根など、普通のものが普通に旨い。もちろん、玉子かけご飯がうめぇのうまくねぇの。
宿を切り回すのは主人、太田さんのお母さん、多津さん。
主人、洋一郎さんは42歳。本職は床屋、湯布院のメインストリート湯の坪街道に大正時代から続く理髪店の三代目。旅館の他、カレー屋、ケーキ屋も出し、つかこうへい演出の芝居にも出るという人。湯布院の景観を守る活動もしている。息子と夫婦に間違われるという多津さんは、骨董屋、カメラマンと、なんとまぁマルチな親子がいるもんだ。
太田さんに案内されたのは、江藤農園。湯布院の旅館ホテルの料理人が作るゆふいん料理研究会と意見を交換し合い、野菜作りに精出す江藤雄三さん。左の太田さんとは同級生。「玉の湯」の朝食に出るクレソンのポタージュも彼の畑のもの。
右に立つ奥さん、国子さんは農水省をやめて農業に飛び込んだ。アニメ声で「毎日楽しい!」と言いながら土を触っている。まもなく家の前で直売所を始めるという。ちょっと辺鄙ではあるが、湯布院土産にはこんな野菜が一番。間違っても湯の坪街道でト○ロなんぞの店に金を落としてはいけない。
湧き水を引き込んであるクレソン畑。台風で冠水してしまうと溶けてしまう。ギリギリセーフだった。
今回、由布岳は不機嫌なまんま、一度もくっきりと頂上の姿を見せてくれなかった。あの喧騒の湯の坪街道をちょっと離れると、こんなどこにでもある、農の風景がある。農業を忘れた観光は成り立たないのと同様、農の基本を忘れた国に前途は暗い。食糧自給率28%(穀物)でほんとにいいのかぇおまいさん、と思った。
いま湯布院旅館御三家というと、今は亀の井別荘、玉の湯、そしてここ、「山荘 無量塔(むらた)」。ここは外部から来たオーナーが始めた宿だが、評価が高い。湯の坪からかなり離れた丘の上の静かな宿。東北から移築した建物。サービスの人間も折り目正しく、変な民芸の旅館と大ちがい。
Pロールはここの名物。こぶしよりでかいロールケーキは軽くスッとお腹に収まった。おかげで昼飯を忘れてしまうほどだった。
「川西農村交流センター」
「旅宿 誰が袖」
「江藤農園」
「山荘 無量塔」
一所懸命、観光を誘致した結果、湯の坪街道は清里か軽井沢か竹下通りか、という惨状になってしまいましたが、気骨のある若い連中がこのままではいかんと行動し始めているようです。
そう、ちょっと離れるとどこにでもある田舎の風景が広がってて気持ちいいんです。
観光バスで来て、湯の坪街道でアリバイ作りに買い物して、コンビニで何か買って食うなんていう客が一番いかんのですわ。
昔は湯布院は別府の奥座敷なんて言われていましたが、今や立場が逆転してますね。
表通りはすっかり観光地化されて本来の湯布院らしさは失っていますが、ちょっと外れるといい意味の田舎らしさがあって、いい宿や立ち寄ってみたい店もありますね。
温泉はもとより、空気と水と食材に恵まれてておいしいものが多いです。