本日21日はお大師さまの御影供。仲秋の十五夜。そして昨日20日からは秋の彼岸を迎えている。勝福寺境内の日中の気温は28℃と、扇風機だけで過ごせるようになった。写真は少しピンボケしたけど、夜10時過ぎの勝福寺上空。綺麗なお月さま。
さて、今日は前回の日替わりブログで触れていた、ブ゙ルーノート大阪(現在はビルボードライブ大阪)の音響と、勝福寺のライブ音響にまつわるエピドードを書こうと思う。内容的に興味をそそらないかも知れないけれど、若き夢追う人には本物の追求という観点において何らかの参考になれば有難い。
かつてブルーノート大阪へは学生時代から、社会人に至るまで幾度となく訪れた。ブルーノートでいつも感じていたのは音楽空間を全体的にまとめるPA設備、つまり音響の良さだった。
Gikoohが勝福寺の御本尊さまと仏縁を頂いたのは1999年。この当時は勝福寺LIVEが生まれる前だったけれど、既にミニコンサートを何度か企画した経験もあり、いつかは寺での本格的なライブの開催を夢見てしたいとPA設備の導入を考えていた。
当時は、まさかアメリカの「ジャズの殿堂入り」をされている穐吉敏子さんや、小曽根真さんをゲストとしてお招き出来るなんて夢のまた夢だったけれど、第一線で活躍するビッグネームの方々のご来寺に備えて、勝福寺をブルーノート大阪と同じような音響を提供したいと真剣に考えていた。
ある日、ブルーノート大阪のPA設備を企画設計された、業務用音響機器の会社「HIBINO」さんに電話を掛けた。受話器を握ったあの時の震えるような緊張感は今でも懐かしい。
ヒビノさんはこの業界では特に有名で、とにかく多くのアーティストの音源をサポートするPA業界屈指のレジェンドなのだ。ピポパ、ピポパとダイヤルし…。プルルル…「はい。ヒビノ〇●〇●がお受けします。」
当時20代半ばのGikoohは無我夢中で自分なりの音楽感を伝えた。何故、寺でライブを行いたいのか、何故、音響に拘るのか…。何の実績もないGikoohの夢物語など相手にされなくても仕方ない、と思っていた部分もあるけれど受話器の向こうでは、真剣に耳を傾けて下さる雰囲気が伝わってきていた。その方は何と、ブルーノート大阪のPAを担当された方だった。運命の出会いだった。
勝福寺の客殿は、華美さも飾り気もない昔ながらの民家作り。ましてや音響のことなど考える由もない。これをブルーノート大阪と同じようになんて、現実的に無理は百も承知だったけれど、その後、ヒビノさんによって勝福寺用のPA設備が納品された。
どんなアーティストでも対応出来るPA設備。プレーヤーもオーディエンスも心から音楽に陶酔出来る空間。そんなGikoohの理想の音楽空間が実現した瞬間だった。スピーカーは大阪ブルーノートと同じ、フランスの「NEXO」。音の良さが半端ではない。
それから、しばらくして「勝福寺ザ・スーパーライヴ・シリーズ」が幕を上げることとなった。
音楽を聴く空間としては、コンサートホールでもライブハウスでもない勝福寺は、総合的な設備は整っていない。けれど、仏さま達が醸し出す清浄な空間と、唯一無二のPA設備のお蔭で、素晴らしい音空間になっている。
今はコロナ禍の影響もあり、ライブは行なっていないけれど、闇夜が明けたらライブを再開させたいと願っている。