勝福寺 Gikoohの日替わり法話

山寺の住職、Gikoohが日々感じたことを綴っております。
(プロフィール用の落款は天野こうゆう僧正さま彫刻)

あるNHKの番組を見て

2013-08-24 21:36:26 | Weblog
昨晩10時からNHK総合で「東日本大震災(亡き人との“再会”~被災地 三度目の夏に~)」という番組を偶然に見た。最近のGikoohはこの時間帯にテレビを見ることはなかったのだが、昨晩は偶然に導かれるようにリモコンのボタンを押していた。内容は震災の犠牲者となられた故人が夢枕に立たれたり、気配を感じたり、亡き人との再会をされる人が後を絶たないというものだった。あの日以来、心に深い傷を負ったまま生活をされている人々がいかに多いか、改めて思い知らされた。

Gikoohは本堂の御本尊と対峙しながら、拝んで世の安寧を願うことしか出来ないけれどどうしたものか。よく、僧侶でも地方から被災地を訪ねて犠牲者の鎮魂供養を行っていることを聞くことがあり、善意に感心すると共に祈りは持続性がなければ一時的な過信ともなりかねない。本物の仏教者、そして宗教界全体の大きな力が結集して、国家を挙げて、東日本のみならず、全国の被災者の鎮魂を行うのが理想だ。宗旨問わず、全体をまとめる偉大なリーダーの出現が待たれてならない。

そして、番組にはなかったけれど原発問題。事故から2年半が過ぎても新たな問題が次々と起こり、解決には程遠い感を受けずにはおられない。日本を原発国にした先達のリーダーは、日本の原風景や子孫を思う気持ちを欠き、目先の欲望に踊らされてしまった。現在の政治家も、過去の政治家も日本の発展にとって多大な貢献をされているけれども、しかし一方で、後世が被る影響を知りながらも偽善行為を繰り返す実態は今も昔も変わっていないのかも知れない。

Gikoohの地元、岡山県でも産業の水島コンビナート、瀬戸大橋の開通等々、ビッグプロジェクトが立て続けに行われて便利にはなったけれど、現況、或いは未来のことを考えると不安材料も多く、決して先達の英断とは言いづらい面がある。その時は良くても、後で困ることが予想されるならば、手を打ってはならぬことが多々あるのではないか。

少子高齢化にも歯止めがかからない。Gikoohはこれも、高度経済成長期に文明の発展の陰で精神面が独善的な考えに翻弄された一つの結果であって、今を生きる中心世代は軌道修正を急がねばならない。

話を戻すが、Gikoohは自坊において、全国の被災者の鎮魂、そして勝福寺檀信徒の総菩提所の住職としての職責を全うすべく、祈りの誠を継続させたいと思う。何でも一過性とか一時的にというのは良くないと思っているから。
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