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ボランティアガイドと歩く  各務原の中山道 その2

2022年03月12日 23時37分01秒 | 各種講座

各務原市西ライフデザインセンターが主催する「ボランティアガイドと歩く  各務原の中山道」と言う短期講座の2回目です。第1回はコロナ禍と言う事で中止でした。今回は2回目で、JR坂祝駅から鵜沼宿まで歩きます。
定員が20名で全員が出席で、3班に分けて歩きだしました。私は第1班で、男性3名女性3名のメンバーした。2班と3班は7人づつに人数を分けたのだと思います。全体的には女性の参加者が多い様に感じられました。
講師は鵜沼宿ボランティアガイドが担当してくれ、班毎に分かれて出発しました。



ボランティアガイドと歩く  各務原の中山道」講座のチラシです。

スタートが坂祝駅でした。私は第1班で、男性3名女性3名の班でした。
坂祝駅から岩屋観音までの画像を誤って削除してしまいました。





岩屋観音に有った石碑。
地元、坂祝の人が寄進したので無く江州とか上州、信州と刻まれています。
百疋とか二百疋と刻まれています。
今の貨幣価値でいくらくらいになるのでだろうか。





岩屋観音から歩きだしました。



歩きます。



遠くの方に見える列車。
先ほど横を走って行った特急「ひだ」。
名古屋行きです。



路傍のオオイヌノフグリ。



歩道を歩きます。



私たちの横を普通列車が通過して行きます。



春の花。
サンシュユです。



自転車の若い女の子。
何処から来たのと聞いたら、一宮からと言ってました。
そして、猿啄城に行くと言っていました。
この近くの山に行くにしては、重装備です。



県道を横切り高山線の下のトンネルに向かいます。



トンネルを抜けます。



トンネルを抜けてからボランティアガイドが説明してくれました。



中山道を歩きます。



途中で休憩です。



ボランティアガイドが資料を使って昔の旅について説明してくれました。
上が古文書で、下がその解説文です。
安政と言う年号の時期、江戸時代の終期です。
旅の途中に亡くなっても連絡は不要となっています。



うとう峠近くの石碑です。




表側は小田原宿喜右衛門菩提と彫られています。
また裏側の桜井と言う姓は本陣の人の姓です。
ボランティアガイドは追剥に襲われて亡くなったのだと言っていました。



うとう峠へ来ました。



ボランティアガイドが地図を広げて市内の一里塚の位置を説明してくれました。
市内にはうとう峠の一里塚。山の前の一里塚。六軒の一里塚。新加納の一里塚が有ります。



地蔵堂まで来ました。



地蔵堂と解説板です。



高札場に来ました。



宿場と宿場の間の荷駄賃が明示して有ります。



これより西尾州領の石柱が有りました。



ボランティアガイドが門について説明しています。
この門。鉄板が貼って有り黒鉄門です。
大垣城の門で有ったものが移築されました。



脇本陣に来ました。
お疲れさまでした。




最後に
岩屋観音は大きな岩に出来た洞穴に観音堂が祀られていました。何本もの石柱が有り近州とか上州、信州と刻まれていました。旅人が金を残し、石柱に名残して欲しいと頼んでこの場を立ち去ったのでしょう。
石に刻まれた名から各地との交流が想像できます。
それだけ中山道の往来が盛んだったと言えます。

諏訪や観音に数回来たことが有ります。
ガイドの説明でこの石柱を知りました。
新しい発見が面白いです。


この中山道を歩くと言う企画。昨年も参加しました。昨年は鵜沼宿から西へ、2月と3月に歩きました。
2021年2月27日に第1回目でした。
ボランティアガイドと歩く  各務原の中山道 その1 - Kオジサンの気の向くまま (goo.ne.jp)
第2回目は2021年3月6日でした。
ボランティアガイドと歩く  各務原の中山道 その2 - Kオジサンの気の向くまま (goo.ne.jp)





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