遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
更新は猫以下の頻度です。

ボランティアをしたら

2011-04-17 17:30:45 | 雑感
今日は5月中旬の陽気。とてもいい天気だ。

春爛漫という風情で、野山に春の暖気が満ち満ちてきた。

東北の被災地にもこの陽気が来て、少しでも元気が出てくるといいのだが。

50年ほど前、学生の頃、伊那谷の集中豪雨の被災地にボランティアに出かけた
ことがあった。まだ本格的な夏になる前だったと思う。そのことを思い出す。
まず、松本駅前で募金活動をし、そのお金を持って伊那市へと向かった。「伊那
谷集中豪雨救援」「信大学生自治会」とB紙に墨書し、机に貼っただけ、メガホ
ンと募金箱も手製だったと思う。それでも、道行く人は呼びかけに応じ、次々と
募金してくれ、2時間くらいでナップサックが硬貨で一杯になった。ラーメン一
杯が40円の時代、5~7万くらい(ひょっとしたら10万円台か)が集まったように思う。ザックを担いだら重みでひもが切れた記憶がある。

復旧された鉄道で着いた伊那谷の、街道沿いの家々は軒先まで土砂に埋もれ、悲
惨であった。元気と体力だけはある我々は、スコップと鍬で直ちに掘り出しにか
かった。作業は翌日も続いたが、一日半かかって、土砂はやっと埋もれた家の中
から取り除けた。私が作業したのは馬の蹄鉄をうっていた鍛冶屋らしく、すり減っ
た蹄鉄が壁際の棚からたくさん出てきた。

その日の宿舎は、高台にある公民館で、日が暮れかかった道に蛍が飛んでいたの
が印象的だった。何かとっても良いことをしたような気分で気持ちが高揚して
いたが、今にして思えば、若さ故、被災者の人を傷つけるような、行き過ぎた振
る舞いや言質も吐いたのではないか、と気になる。それでもとにかく「沈んでは
おられない」という元気は届けられたかもしれない。

東北では津波で押しつぶされた瓦礫の山が至る所で散乱しているが、片付けるに
は機械力に加え、やはり外部からの元気の良い人の手助けが必要なのではあるま
いか。

私たちは、まだ本格的なボランティアの概念が出来ていない時代に、とにかく力
になれればと駆けつけ無我夢中でお手伝いをした。大して役には立たなかっただ
ろうが、それでも家主の中年のおじさん、おばさん達にすごく感謝され、「秋に
はまた来ます」と約束してしまった。
実際秋の収穫時に手助けに行ったが、稲刈りは、稲藁に脂肪分が取られ手が「か
さかさ」になるのと、稲穂がずんと腰に来た重さを覚えている。若い私達がふら
つくのに、おばさんはしっかりした腰つきで稲束を運んでいるのに驚いた記憶が
ある。励ましに行ったつもりが、こちらが元気をもらうようなことがあった。

正に「情けは他人のためならず」だ。もう一ヶ月過ぎ、ライフラインや交通網が
整備されてきたので、ボランティアの活動が本格化してもいい頃だ。元気な若い
人達の活躍が期待される。現在就職難の学卒が多いと聞く。東北の現場で一年間ボランティアをして、その評価を受けた後企業が採用の材料にしたらどうか。



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