遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
更新は猫以下の頻度です。

訃報 届く

2011-04-19 12:57:34 | 雑感

 孫の節句の飾り


突然の訃報である。

春の陽気が増し、東京の桜も盛りを過ぎて、息子の家で「お食い初め」をしよ
うとしていた、うらうらとした日の朝であった。

30年来の畏友とも言うべき、知人の奥様からだった。
「昨日なくなりました」。声もない。お通夜や告別式の時間、場所を聞くのが精
一杯であった。4,5年前だったか消化器系のがんで名古屋の国立がんセンターに
入院し、順調に回復していた。退院後ゴルフや花見を一緒にした。

5年ほど前に伊那市外の農村にセカンドハウスを購入し、最近は近くの山歩きや、農作業に勤しんでいた。

もともとは、彼が日本を代表する通信機メーカーの名古屋支店に勤務していた頃
知り合った。その後彼は東京に転勤となり、やがて子会社の役員となった。
性格は温厚篤実で、バランス感覚に優れ、人の悪口言う事の少ない人だった。
「ハンディキャップ」の語源や「名古屋は住みにくい」風評の誤解を実証的にと
いて見せてくれたのも彼である。

まだITということが世の中で言われていない時代に、インターネット社会の到
来を示し、電子メールの紹介をしてくれたのも彼である。最近はクラウドコンピュー
ターの未来についても教えてくれていた。

昨年高遠の桜を案内していただき、小型ユンボや、トラクターを駆使した家の周
りの畑を見せてもらい、「うまくできたら届けるから、期待をしないで待ってい
て」と歓談した。冬には一緒に「鰤しゃぶ」をつつき「暖かくなったら、またゴ
ルフをしよう」と語り合ったばかりである。

性格は春風の如く物柔らかであるが、キチッとした主張を持っている。特にIT
関連のことには、何かと相談に乗ってもらった。尊敬すべき友人であった。


寂しい。途方もなく淋しい。思い出すだけでほっと心の中が暖まるような人が逝っ
てしまった。私より6歳も年下である。これから生き続けてゆくのは、こんな寂
しさに度々耐えてゆくことなのか。

大震災の人たちには較べるべくもないだろうが、脱力感は大きい。

早速お通夜に駆けつけたが、生前の故人の人柄を反映し、大勢の人が参列していた。
控え室にかけてある、ユングフラウヨッホへ旅をした時の、奥様と二人の写真が
微笑んでいた。


新しい命 大切に育ってほしい



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