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孫の節句の飾り
突然の訃報である。
春の陽気が増し、東京の桜も盛りを過ぎて、息子の家で「お食い初め」をしよ
うとしていた、うらうらとした日の朝であった。
30年来の畏友とも言うべき、知人の奥様からだった。
「昨日なくなりました」。声もない。お通夜や告別式の時間、場所を聞くのが精
一杯であった。4,5年前だったか消化器系のがんで名古屋の国立がんセンターに
入院し、順調に回復していた。退院後ゴルフや花見を一緒にした。
5年ほど前に伊那市外の農村にセカンドハウスを購入し、最近は近くの山歩きや、農作業に勤しんでいた。
もともとは、彼が日本を代表する通信機メーカーの名古屋支店に勤務していた頃
知り合った。その後彼は東京に転勤となり、やがて子会社の役員となった。
性格は温厚篤実で、バランス感覚に優れ、人の悪口言う事の少ない人だった。
「ハンディキャップ」の語源や「名古屋は住みにくい」風評の誤解を実証的にと
いて見せてくれたのも彼である。
まだITということが世の中で言われていない時代に、インターネット社会の到
来を示し、電子メールの紹介をしてくれたのも彼である。最近はクラウドコンピュー
ターの未来についても教えてくれていた。
昨年高遠の桜を案内していただき、小型ユンボや、トラクターを駆使した家の周
りの畑を見せてもらい、「うまくできたら届けるから、期待をしないで待ってい
て」と歓談した。冬には一緒に「鰤しゃぶ」をつつき「暖かくなったら、またゴ
ルフをしよう」と語り合ったばかりである。
性格は春風の如く物柔らかであるが、キチッとした主張を持っている。特にIT
関連のことには、何かと相談に乗ってもらった。尊敬すべき友人であった。
寂しい。途方もなく淋しい。思い出すだけでほっと心の中が暖まるような人が逝っ
てしまった。私より6歳も年下である。これから生き続けてゆくのは、こんな寂
しさに度々耐えてゆくことなのか。
大震災の人たちには較べるべくもないだろうが、脱力感は大きい。
早速お通夜に駆けつけたが、生前の故人の人柄を反映し、大勢の人が参列していた。
控え室にかけてある、ユングフラウヨッホへ旅をした時の、奥様と二人の写真が
微笑んでいた。
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新しい命 大切に育ってほしい
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