8月4日(土)晴れ暑し【坊やの読経】
東京は、暑い一日でした。夜になってもまだ暑さはやわらぎません。我が家の温度計は室温は30度、湿度は55%を示しています。ついにクーラーの電源を入れました。私は冷房病なので、ドライ運転にしてみました。
読書をし出すと眠くなります。それでは少しでも寝た方がよいかと、横になると、眠気はどこかにいってしまいます。諦めてパソコンに向かっています。
皆さんは如何な週末をお過ごしですか。
さて、お経先でのこと。5歳の坊やが法事の席に並んでいました。坊やにとってはお祖父ちゃんになる人の一周忌です。法事が始まるまでは、元気に動き回っていましたが、誦経をはじめますと、静かになったようです。私は仏壇のほうに向いていますので、後ろの様子は見えません。でも気配でわかります。
法事の進め方は、曹洞宗としての基本はありますが、基本以外に、それぞれのお寺の伝承があります。それぞれのお師匠様から教えられた口伝もあるでしょう。私は『般若心経』を、列席の人たちと一緒に唱えます。
法事の当事者は、お坊さんではなく、法事の主役である故人と生前に縁ゆかりのあった人たちであり、その方々がともに供養のまことを表せるように、お導きするのが、僧侶の役目の一つであると、考えています。お坊さんだけが一人でお経をお唱えして、法事に列席の人が、意味の分からないお経を、ただ聞いているだけのような法事の進め方は、私はしていません。(多くのお坊さんはそのようになさっているのでは、と思いますが。ただそれぞれの方法がありますので、どのような法事の勤め方がよい、といえるものではありません。)
さて、まだ坊やは就学前なので、『般若心経』の経典は読めないでしょう。しかし、『舎利礼文しゃりらいもん』というお経を、私が唱えていますと、可愛い声が聞こえてくるような気がしました。自分の声を少し小さくしますと、坊やが『舎利礼文』をお唱えする声が、はっきりと聞こえてきました。私の誦経にきちんと合わせてお唱えをしてくれています。
誦経が終わってから、聞いてみますと、お寺が経営している幼稚園に通っているので、毎日お唱えしているのだそうです。そして、お祖父ちゃんの月命日には、お墓参りに行って、いつもお唱えしているのだそうです。
こんなお孫さんと一緒に、お勤めができて、嬉しいご法事でした。『舎利礼文』の意味は分からなくても、神妙に合掌して、神妙にお経をお唱えする、それが坊やに、染み込んでいくのではないかと思いますが、将来への影響まで、論じるのはやめましょう。今、このとき、このようなひとときがある、ということを、私は讃じます。
明日のことは、誰にもわかりません。今日一日、かくてあったことを、ただ感謝して。
東京は、暑い一日でした。夜になってもまだ暑さはやわらぎません。我が家の温度計は室温は30度、湿度は55%を示しています。ついにクーラーの電源を入れました。私は冷房病なので、ドライ運転にしてみました。
読書をし出すと眠くなります。それでは少しでも寝た方がよいかと、横になると、眠気はどこかにいってしまいます。諦めてパソコンに向かっています。
皆さんは如何な週末をお過ごしですか。
さて、お経先でのこと。5歳の坊やが法事の席に並んでいました。坊やにとってはお祖父ちゃんになる人の一周忌です。法事が始まるまでは、元気に動き回っていましたが、誦経をはじめますと、静かになったようです。私は仏壇のほうに向いていますので、後ろの様子は見えません。でも気配でわかります。
法事の進め方は、曹洞宗としての基本はありますが、基本以外に、それぞれのお寺の伝承があります。それぞれのお師匠様から教えられた口伝もあるでしょう。私は『般若心経』を、列席の人たちと一緒に唱えます。
法事の当事者は、お坊さんではなく、法事の主役である故人と生前に縁ゆかりのあった人たちであり、その方々がともに供養のまことを表せるように、お導きするのが、僧侶の役目の一つであると、考えています。お坊さんだけが一人でお経をお唱えして、法事に列席の人が、意味の分からないお経を、ただ聞いているだけのような法事の進め方は、私はしていません。(多くのお坊さんはそのようになさっているのでは、と思いますが。ただそれぞれの方法がありますので、どのような法事の勤め方がよい、といえるものではありません。)
さて、まだ坊やは就学前なので、『般若心経』の経典は読めないでしょう。しかし、『舎利礼文しゃりらいもん』というお経を、私が唱えていますと、可愛い声が聞こえてくるような気がしました。自分の声を少し小さくしますと、坊やが『舎利礼文』をお唱えする声が、はっきりと聞こえてきました。私の誦経にきちんと合わせてお唱えをしてくれています。
誦経が終わってから、聞いてみますと、お寺が経営している幼稚園に通っているので、毎日お唱えしているのだそうです。そして、お祖父ちゃんの月命日には、お墓参りに行って、いつもお唱えしているのだそうです。
こんなお孫さんと一緒に、お勤めができて、嬉しいご法事でした。『舎利礼文』の意味は分からなくても、神妙に合掌して、神妙にお経をお唱えする、それが坊やに、染み込んでいくのではないかと思いますが、将来への影響まで、論じるのはやめましょう。今、このとき、このようなひとときがある、ということを、私は讃じます。
明日のことは、誰にもわかりません。今日一日、かくてあったことを、ただ感謝して。
最近お檀家の方々に接する機会が増えると、こういう話のアンテナが敏感になります。
お坊さんとしては良い事だと思っております。というか、忘れちゃいけないアンテナですね
> 法事の当事者は、お坊さんではなく、法事の主役である故人と生前に縁ゆかりのあった人たちであり、その方々がともに供養のまことを表せるように、お導きするのが、僧侶の役目の一つであると、考えています。
この感覚よ~く分かりますよ
最近私もこの感覚を念頭において檀務は勤める様にしています。
また、最後の
> こんなお孫さんと一緒に、お勤めができて、嬉しいご法事でした。『舎利礼文』の意味は分からなくても、神妙に合掌して、神妙にお経をお唱えする、それが坊やに、染み込んでいくのではないかと思います
が良いですね。
私にとっても、お寺という空間、檀務という務めにおいて、染み込むものを大事にしていきたいと思っております。
風月さんは、ご法事等で定期的に確認作業ができるから良いですね
それではおやすみなさい
叢林@Netさんのコメントを頂くと、嬉しいです。檀務やら、なにやらと、お忙しいことでしょう。またもうすぐお盆ですので、体調を万全にしておきませんと、まわりきることができませんから、お互いに頑張りましょう。
私も今年もまだお参りができそうです。しかし、一日に数軒まわるのは、だんだんこたえるようになりました。
また暑さとの闘いですね。濡れたタオルをクーラーボックスに入れて置いて、頭を冷やしながら、回っています。
こんな可愛い坊やに出会うと、力をもらえるのですが。
叢林@Netさんもくれぐれも、ご法身ご自愛ください。
初めのうちは読まなかった人たちも、1周忌3回忌と進むにつれ読めるようになります。
皆さんが大きな声を出してくれるようになったのは良いのですが、初めに「普通の声で、変な抑揚をつけない」ことを指導をするにも拘らず、変に力んだりする人がいるので困ります。
お経を読むことによって、少しでも仏縁を結んでもらえたらと思い続けております。
舎利礼文について、ある老僧から聞いたことをお話します。その老僧の言われるには、短いお経として便利につかわれていますが、表題の通り「佛舎利を礼するお経」なのでそれ以外に使わない、とのことでした。
お教えに従い、便利に使うことをやめました。
実は私もそれについての疑問があり、あらためて考えました。やはり、仏舍利を供養と共に、亡き人の供養も、舎利供養としてなされたようなので、『舎利礼文』を唱える意味の納得を下次第です。
老僧の教えも大事なのですが、また角度を変えますと、納得がいくように思いました。
それとこのお経は、日本で作られたのではないかと、今のところは考えています。
コメント欄には御無沙汰状態で(汗)
一緒にお経を読むということは、功徳が増すような気がします。
特に子どもが法事の席に連なり、声を出して読もうとすることは、いい縁作りですね。
幼い頃から、お経にふれたり、特に一緒にお唱えしたり、合掌したり、その子供にとって、何かしらよい影響を与えてくれるのではないかと、思います。
イスラムの子供たちも、幼い頃から、アッラーの神に祈りを捧げる生活から、強い信仰心が生まれるのでしょうが。
できうれば、仏教のように、穏やかな波動の影響が程良いのではないかと、思います。
キリスト教も、柔らかな波動でしょう。個人を縛らない程度の宗教教育は、害は無いように思います。
さて、法事での読経参加、私も同感です。私も法要では必ず配経して、心経、修証義、舎利礼文などを一緒に読んでいただいています。
本日、施食会のあった寺では、回向として「普回向」を全員で唱える習慣にしているそうで、勉強になりました。うちの施食会には、大悲、甘露門も冊子を作って読誦していただいています。自分事として供養を捉えて参加意識を持ってもらえればと思っています。
小さい子の読経は、心温まるものがあっていいですね。ひらがなを覚え立ての幼子が、一生懸命に読む姿は、亡きご先祖にとっても一番の供養になると思います。
暑さ厳しき折、ご自愛ください。