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舍利礼文考ーなぜ舍利礼文を読誦するのか

2008-09-15 06:47:39 | Weblog
9月15日(月)曇り【舍利礼文考ーなぜ舍利礼文を読誦するのか】

昨日、名古屋の覚王山日泰寺をご紹介したので、仏舍利に関連して、拙稿をご紹介させていただきたい。これは昨年発表した論文です。『舎利礼文』というお経をなぜ読誦するのか、自分自身もしっかりと知りたかったので研究してみました。


舍利礼文考
            ーなぜ舍利礼文を読誦するのか


はじめに

「舍利礼文」は、日本の各宗派の読誦経典として用いられている(日蓮宗、浄土真宗では用いられない)。厳密にいえば密教系の経文であるが、曹洞宗においても「舎利礼文」はよく誦されている。(『曹洞宗宗制』の「曹洞宗儀礼規定」には含まれていない。)しかし、流布している経文ではあるが、「舎利礼文」に関しての論考は少ない。管見によれば、石川良氏の「舎利礼文について」①を僅かに探し得た。
 しかるに「舎利礼文」について、この頃気になることを見聞した。一つには、「舎利礼文」は釈尊の舎利を礼讃する経文であるから、在家の人の仏事に用いるのは不適である、という意見を耳にしたことである。また一つには、曹洞宗の経典解説の中に「舎利とは釈尊のお骨のこと、転じて、仏弟子つまり檀信徒の遺骨を指す」という文章を目にしたことである。日々に読誦している経文について、このような異なる二見解が宗門内にあることについて、あらためて一考の要を感じたので参究した次第である。
 
一、「舎利礼文」の撰者について
 
 「舎利礼文」の撰者については、石川良氏の「舎利礼文について」の論考に詳しいが、不空三蔵(七〇五~七七四)説には問題があるようだ。不空撰述の「表製集」に掲載がないので、不空撰述には問題があるとされる。不空は多くの密教経典を訳出したので、後代の者が作成して不空の名を冠したことは考えられる。具体的な例であるが、韓国曹溪宗の僧侶は「舎利礼文」という経文は知らないということであるし、台湾では舎利を祀っている密教系のお寺では知られているかもしれないが、流布はしていない、さらに漢文では「礼舎利文」となるのではないか、ということ。中国系のインターネット配信の「百科大全」には「舎利礼文主要、為三日本真言宗及禅宗所二伝承一」と記載されている。このような具体的事例であるが、日本撰述説の可能性を示唆できるのではなかろうか。  
 空海撰述についても、問題はある。空海撰とされる「舎利講秘式」に「舎利礼文」の語句が全て配されているが、これ自体が偽撰といわれるし、『弘法大師全集』にある「舎利法」の中には「礼仏」はあるが、「舎利礼文」読誦の記載はない②。「舎利礼文」が作られたのは、おそらく空海以降ではなかろうか。弘安六年(一二八三)成立の「沙石集」には「舎利礼の文を唱えて」という一文が出てくるので、この時代には確実にあったことが分かる③。また先にあげた石川氏の研究によれば、道元禅師を荼毘に付した後、懐奘禅師等が「舎利礼文」を誦したということが高台寺旧記には書かれているとある④。
 撰者については、おそらく日本の密教僧によって作られたのではなかろうかと推察される、という程度に本論ではおさめておきたい。

二、日本における仏舍利信仰及び舎利会
 
 日本に初めて舎利がもたらされたのは、敏達天皇一三年(五八四)蘇我馬子に司馬達止が献じたときのようである。その後、崇峻天皇元年(五八八)には、百済王によって舎利が贈られたという。次は、鑑真和上(六八八~七六三)が天平勝宝六年(七五四)入朝の折に将来したとされる。空海も仏舍利八〇粒を、延暦二五年(八〇六)の帰朝の折、将来したという。天台宗の慈覚大師円仁(七九四~八六四)も、唐から帰朝した承和一四年(八四七)に仏舍利を将来している。このように多数の舎利が将来されている。舎利といっても、お骨そのものではなく、水晶や瑪瑙などの宝石も舎利とされているようである⑤。
 そして、日本における舎利供養と舎利讃歎の舎利会(舎利講)は、真言宗では仁和寺に於いて永治三年(八四三)に、天台宗では貞観二年(八六〇)、円仁によって初めて開かれたとされている。なんといっても中世において舎利信仰を盛んにしたのは、東大寺復興の勧進をした重源(一一二一~一二〇六)と、真言律宗の叡尊(一二〇一~一二九〇)であろう。重源は仏舍利を奉安して盛んに勧進活動を展開したようである⑥。叡尊は「仏舎利湧出」という神秘的な霊験を度々に起こしたという記載がある⑦。このような舎利信仰のなかから「舎利礼文」はうまれたのではなかろうか。(また達磨宗では祖師方の舎利信仰はあったようである⑧。)
 
三、「舎利礼文」の訳について

 舎利礼文の訳文は、各宗派の経典を解説している一般書にも散見される⑨。宗派によって多少の違いがあり、訳として問題になる箇所が数箇所ある。新義真言宗豊山派長谷寺一一世の亮汰(一六二二~一六八〇)⑩の『舎利礼文鈔』⑪があるので、その解説及び伝慧(生卒年不詳)の註を中心に問題となる箇所を検討したい。(以下『鈔』と『註』と略称。)
 なお仏舎利を賛嘆する功徳は『大般若経』や『法華経』や『大乗悲分陀利経』等に舎利供養の功徳が説かれている⑫。
【舎利礼文】『註』には、「大智度論に、舎利は砕骨生身の舎利、経巻法身の舎利」と説かれていることがあげられ、舎利は骨舎利と法舎利をさす。 また舎利を念ずることは「即身成佛の妙術」であることが明かされている。
【一心頂礼 万徳円満 釈迦如来 真身舎利】この四句についてはあまり大きな問題はないだろう。真身舎利は真実生身の舎利の意。身心は誤り。一心頂礼は法界塔婆までかかる。
【本地法身】は『鈔』に「式に云く、本地法身は大日如来なり。大日経疏に云く、薄伽梵。即ち毘盧遮那本地法身なり」とある。式とは覚鑁(一〇九五~一一四三)の「舎利供養式」のこと。この訳について、現代における真言宗と天台宗以外の宗派の解説書では、本地法身を大日如来と明記していないが、「舎利礼文」は本来密教系の経文であるのだから、本地法身は大日如来と訳すのが本来であろう。また『鈔』には「理智不二の本地法身」であり『密厳諸秘釈』(覚鑁の著作集)では「仰ぎ願わくは本地法身大日如来、伏して乞う金剛堅固如来舎利」と唱えるとあり、大日如来と釈迦如来が不二であり、かつ釈迦如来は現身の仏であることを舎利と表現しているという意味であろう。
【法界塔婆】とは『鈔』に「大日経疏に云く、法界とは広大金剛の智体なり。この智体は所謂如来の実相智身なり。塔婆とは窣都婆なり」と。法界(Dharma-dhatu)の解釈は密教では法の体性(阿字体性六大体大)を表す。界の原義は、「構成要素」「基盤」。顕教では法界を真如と解釈している。しかし「法の世界」という解釈もみられるが、その訳は界の原義からはずれるだろう。
 また「式に云く、塔婆とは功徳聚と飜す」と。それについては、塔婆を造立供養する者は「無量の功徳、無辺の善根、自然に円満す」と。故に塔婆は功徳聚という意味になる。(塔婆供養は、塔婆は大日如来ー法身仏ーを礼拜供養するもので、その功徳を死者に回向するために建立される。)ここまでで釈迦如来の舎利と大日如来の法界を具現した塔婆を一心頂礼するという意味になろう。
【我等礼敬 為我現身 入我我入】初二句の問題は現身してくださる仏はどなたか、ということだが、密教では大日如来ということになろう。入我我入は『鈔』に「諸仏を我が身の中に引入すること」「我が身を諸仏の身中に引入すること」と云う。(この我はアートマンを意味する我ではない。)
 入我我入観は密教において三種秘観の一つとされる。三種秘観とは身密の入我我入観、口密の正念誦、意密の字輪観である。『秘蔵記』⑬に三密観として「本尊の三密(身・口・意)と吾が三業(身・口・意)とが入我我入すると観じること」とある。『お経ー真言宗』では「一体の境地になること」と訳されている。『弘法大師全集』所収の「舎利法」には「本尊與自身無二無別也」とも記されている。入我我入観は即身成仏を説く密教において重要な秘観である。少し禅的であるが、高田道見師は『舎利礼文講話』⑭に「衆生と仏陀とが一身同体となる。この入我我入が即ち生仏一如迷悟不二といふので、感応道交とはこの義を申したものである」と説かれている。
【仏加持故 我証菩提】とは、『註』に「三世常恒に舎利の全身、法界に遍くして、仏、大悲を加被したもう故に、所化の衆生、常恒に持つ義、之有るが故なり」と。如来の大悲大智が、所化の衆生の機に応じることを加といい、この加被力を受けて衆生は大悲大智を任持することができているのである。そうであるから「我証菩提」と次の語句が続くのであるが、すべての解説書は「我は菩提を証す」と能動的に訳しているが、仏の加持力の故なのだから、「我は菩提を証させていただくのである」と私は訳したい。
【以仏神力 利益衆生】『註』には「釈迦如来の化用は、即ち大日法身仏の神力加持なり」とあり、「今按ずるに仏は神変加持力を以て、一切衆生を利益する義を曰うなり(今按曰仏以神変加持力利益一切衆生義也)」とあり、仏が主語となっている。『鈔』には「仏加持故 我証菩提」は「自証を顕す」、「以仏神力 利益衆生」は「化他を示す」とある。現代の解説書もこの二句は我が利他する、と訳している。検討の余地はあるが、一応、主語は我とし、仏の神力のお陰で我は衆生を利益させていただくと訳しておく。
【発菩提心 修菩薩行 同入円寂】この語句の主語は何になるか、我か、衆生か。現代の解説書、真言・天台ではこの三句の主語は衆生としている。曹洞・臨済の僧侶の訳では、主語を我としている。『註』に見てみると、「衆生、法爾の仏位に安住すと雖も、煩悩の為に永く流転の凡夫となる。今日帰還の心を発して修行昇進するなり」とこの初二句の註にある。また『註』には「利益一切衆生故、顕衆生発菩提心修菩薩行成満因果同入四徳涅槃也」とある。この裏付けとして『大乗悲分陀利経』に、次の一文を見つけた。「又我般涅槃後。衆生以我舍利神変発阿耨多羅三藐三菩提心者。(中略)成阿耨多羅三藐三菩提已」(「立願舍利神変品」第一七T3-270c)とあるので、この三句の主語は衆生とするのがよいのではなかろうか
【平等大智 今将頂礼】平等大智は『華厳経』には仏智としてこの表現はあるが、密教でいう五智のなかには平等大智はないので、平等大智の語には一考を要する。『註』には「自他平等にして、四智円明の覚を成じたもう法界体性智、則ち究竟円満の果徳なり」と五智の中の大日如来の智ととるのが宜しいかと云っている。この経文は釈迦如来と大日如来を礼讃しているので、密教では不二の仏ではあるが、二如来の智を顕したいことと、四字熟語におさめたいこととで、平等大智と表現したのではなかろうか、と推測してみた。
 本地法身(大日如来)が我等の為に身を現じ(釈迦如来)たもうが故に「我証菩提」できるのであり、衆生も「同入円寂」させていただけるのであるから、平等大智は大日如来ー釈迦如来ーの大智であり、この平等の大智なる舎利を、今将に最高の尊敬をもって礼拝を捧げます、というのが結句二句の意味になるであろう。

おわりに

 はじめに、で紹介した〈「舎利礼文」は釈尊の舎利を礼讃する経典であるから、在家の人の仏事に用いるのは不適である〉という意見に対しては、「舎利礼文」のみならず一切の経典を読誦することは、読誦の功徳を回向することなのであるが、「舎利礼文」は更に、仏舎利を礼する功徳は、礼拝する我も、一切衆生も仏と一つにならせてくださるという経文なので、仏事に読誦することは理に適っている、と云えよう。
 また同じく、はじめに、で紹介したが「舎利とは釈尊のお骨のこと、転じて、仏弟子つまり檀信徒の遺骨を指す」という解釈は、拡大解釈すぎると云えよう。仏と一つになる、衆生の舎利も趣入するということを『註』でも云ってはいるが、あくまでも仏舎利を礼讃する功徳の結果であるので、舎利が檀信徒の遺骨まで指すという都合のよい解釈は経文が本来持っている真義を曲げてしまうので注意を要するのではなかろうか。
 宗門としては日本達磨宗の祖師方の舎利に対する信仰と「舎利礼文」読誦の関係、さらには道元禅師が『随聞記』で舎利信仰を誡めているという問題もあるが、それは次の課題としておきたい。

①『印度学仏教学研究』第一一ー二、昭和三八年、六五〇~六五四頁
②『弘法大師全集』巻第一三「舎利会」(吉川弘文館、明治四三年刊、第四巻七七〇~七七三頁)舎利会における式次第等が記されている。これも偽撰の記あり。
③無住編、巻二上所収。「仏舍利感得人事」の冒頭に舎利礼文毎日五百返読誦の記載あり。
④筆者未見。石川氏の論文には「題なし、鯨尺にて竪四寸二分横三寸一分、墨付二葉半。今津洪獄先生の御教示に依った」とある。
⑤『如意宝珠金輪呪王経』(不空訳)に「若無舍利、以金銀琉璃水精馬腦玻梨衆寶等、造作舍利。珠如上所用。行者無力者。即至大海辺拾清浄砂石即為舍利。」(T19-332c)とある。近年には明治三三年(一九〇〇)名古屋の日泰寺に、ピプラーヴァーの古墳から発掘された本物の仏骨が祀られている。
⑥このことについては、『中世の勧進聖と舎利信仰』(中尾堯著、吉川弘文館、平成一三年、一一七頁)に詳しい。山口県防府市にある阿弥陀寺には重源が祀った仏舍利五粒と水晶の舎利塔(国宝)が現存する。
⑦⑥に同じ。一二〇頁。
⑧参考「三宝寺の達磨宗門徒と六祖普賢舎利」高橋秀栄(『宗学研究』二六、昭和五九年)
⑨『お経ー真言宗』(勝又俊教、講談社、昭和五八年)、『お経ー天台宗』(塩入良道、講談社昭和五八年)、『曹洞宗大辞典』「舎利礼文」項(桜井秀雄監修、ぱんたか、平成一四年)『お経の意味がわかる本』(服部祖承ー臨済、光明社、平成一九年)黄檗宗は未見。 
⑩字は峻彦。薩摩の生まれ。九才で得度。その後京都に上がる。亮典より法華を学ぶ。鷲尾興法寺に住す。四二部八七巻の著作あり。延宝八年一一月一〇日示寂。寿五九。
⑪A『舎利礼文鈔』(寛文七年〈一六六七〉前川茂右衛門刊行)、B『(頭註)舎利礼文鈔』(天和三年〈一六八七〉前川茂右衛門刊行)延宝四年(一六七六)亮汰著。天和三年伝慧註。Bは『続豊山全書』第六巻に所収。441~459頁。(本論はこれを使用。本文該当の掲載頁は紙面がないので省略する)
⑫「令於如来般涅槃後、有得一粒如芥子量。供養恭敬獲福無辺。於天人中受多富樂」(『大般若経』巻四三〇T7-165c)「仏滅度後供養舎利。(中略)為供舎利厳飾塔廟。国界自然殊特妙好」(『法華経』序品T9-3b)「我般涅槃後。其有衆生以衆宝物供養舍利。乃至一称南無仏。一礼一旋一合掌業一花供養者。令彼一切随於三乗得不退転」(『大乗悲分陀利経』立願舍利神変品第十七T3-270a)
⑬弘法大師編。密教特有の法相約百条を解説した雜録。
⑭明治三四年、国会図書館マイクロフィル特46-197
「舎利礼文」(拙訳)
 あらゆる徳を完全に具えられた釈迦如来の骨舎利と法舎利、そして本地の法身仏である大日如来の法の智体を顕している舎利塔に、一心に五体投地をして礼拝を捧げます。我等がこのように礼拜恭敬しましたなら、我が為に仏は、この世に身を現してくださり、我に入ってくださり、我をして仏に引き入れてくださるのです。仏の加持力によって、我は無上の正覚を証得させていただき、仏の神通力によって、衆生を利益させてもらえるのです(仏の神力のお蔭で)衆生もまた菩提心を発し、菩薩行を修し、同じく円寂(衆徳円満、諸悪寂滅)に入らせていただけるのです。平等なる大智慧の仏舎利を、今将に我等は五体投地をして礼拝を捧げるのです。
(『教教化研修』第52号掲載)

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4 コメント

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五体投地 (光泊)
2008-09-15 18:54:49
テレビで見たことがあります。チベット仏教だったか、霊山の麓まで、気の遠くなるような距離を五体投地でやって来た女性。在家でもこんな苦行をするのかと驚きました。
ところで日本では五体投地をやっている人を見たことがありません。またそのような行をしていたと言うことも読んだことがありません。
実際はどうなのでしょうか。日本には入ってこなかったのか、根付かなかったのか。
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五体投地 (風月)
2008-09-16 11:40:15
テレビで映される五体投地はチベット式五体投地です。五体投地というのは両手両足と頭を地につけてする礼拝のしかたです。

日本の仏教寺院でも毎朝しています。韓国では僧侶に対して在家の方は必ずなさいますので知らない人はいません。韓国、中国や台湾の仏教信者は必ず仏前でしていますのでやはり知らない人はいません。

日本は仏教国とはいえ、あまりお寺で五体投地をしている人を見かけないのは残念です。

チベット式はカイラッサンなどの聖地を巡礼するために自然にあのような形になったのではないでしょうか。

五体投地を是非折あらばご覧頂くだけではなく、なさってみてください。
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Unknown (うさじい)
2008-09-17 17:49:25
>拡大解釈すぎると云えよう。・・・あくまでも仏舎利を礼讃する功徳の結果であるので、舎利が檀信徒の遺骨まで指すという都合のよい解釈は経文が本来持っている真義を曲げてしまうので注意を要するのではなかろうか・・


私もそう思います。
焼香中の時間調整のように読まれ、ひいては佛祖を蔑ろにしているような感じがして嫌なのではないでしょうか。

私は、「よき人」の教えとして守って生きたいと思います。他に読むお経はいくらでもあるのですから。

それにしても、綿密に調べられましたね。
非常に解りやすく、説得力があります。尊敬する風月庵さまのお考えは正しいと思います。
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うさじいさんへ (風月)
2008-09-18 10:54:50
舍利礼文は、南無釈迦牟尼仏とお唱えすることに等しいと受け取ってよいのではないでしょうか。そのつもりでお唱えすれば、その波動が伝わるように思います。

応援のコメント有り難うございました。
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