7月1日(水)夜中【『刑事一代~平塚八兵衛の昭和事件史』を観て】(ルナの写真ですみません)
先月の20,21日の二夜連続で、渡辺謙さん演じる「鬼の八兵衛」「捜査の神様」等と言われた敏腕の刑事、平塚八兵衛を主人公にしたテレビドラマが放映されました。吉展ちゃん誘拐殺人事件は忘れられない事件でしたので、遅い時間帯ですが、観てみました。このブログにご訪問のあなたはいかがですか、ご覧になりましたか。
吉展ちゃんの事件は、たしか高校時代だったかと思います。ラジオで聞いた記憶があります(1963年3月31日)。それから36年経ったとき、知り合いの曹洞宗のあるお寺で37回忌の法要が行われたのは、私が駒澤大学に通っていた1999年でした。今年は、吉展ちゃんの遺体が見つかったというお寺(荒川、円通寺)にも、たまたま人権学習で伺いました。
果たしてどのような事件であったのか、どのようにして犯人は捕まったのか、実は高校時代、我が家にはテレビがありませんでしたし、詳しくは知りませんでした。
ドラマとして作られているでしょうが、事実とそれほどかけ離れていないとすると、八兵衛刑事の御陰で、小原保という犯人はどんなにか救われたことだろうかと思いました。
別件で容疑者小原保は、逮捕されていました。勾留期間は10日しかありません。その間に犯人の自供をとらなくてはならないのです。八兵衛刑事は、小原の故郷に行って、徹底的に聞き込みをして、アリバイ崩しはできていました。しかし、八兵衛刑事の説得に近い取り調べにも、小原はのらりくらりと答えて逃げます。なかなか落ちそうにはありません。しかし、小原の供述によれば、東京にはいなかったはずの4月2日、うっかりと東京の大火事(日暮里大火)を見たことを話し出します。それは紛れもない脅迫電話を入れた4月2日で、小原は東京にはいなかったと供述していたはずです。八兵衛刑事はこの供述の綻びを逃しませんでした。その矛盾をついて容疑者の心を揺すぶり、さらに土下座して容疑者の母の気持ちを伝えます。「もし犯人ならば、罪を償うように言ってください、そしてそんな息子を産んだこの母を許してください」と、いうようなことをその母は、聞き込みに来た八兵衛刑事に泣いて頼んだのです。「真っ当な人間になれ、自供して罪を償え」とさらに八兵衛刑事は責め寄ります。母の言葉と、八兵衛刑事の真剣な説得に、容疑者はついに心を開いたのです。落ちた、のです。
罪を認めてからの小原保のもとに母から手紙が届きました。「罪を償って死刑になりなさい、母は先に地獄に行って待っているから」と。(言葉は、多少テレビの通りではないです。はや10日以上たってしまい、記憶が薄れました)
何年か経って、八兵衛さんが他の事件(三億円事件だったか)を担当しているとき、電話が入ります。(1971年12月23日)
「今日、小原保の刑が執行されました。刑事の御陰で、真人間になって死ぬことができますと、伝えて欲しいということでした」と。小原保享年39(1933~1971)。(正確には「今度、生まれてくるときは真人間に生まれてきますからと、どうか、平塚さんに伝えてください」という言葉らしい)
どこまでがドラマか分かりませんが、この通りだとしますと、八兵衛さんという方が伝説の刑事と言われる所以が理解できますね。真人間になって死ねることは、人間の究極の願いでしょう。それを刑事は助けてくれたのです。平塚八兵衛享年67(1913~1979)。
今度生まれてくるときは真人間になって生まれてきたい、という願い(誓願)をおこさせたということは、僧侶に勝る働きではないでしょうか。
*( )内の補注はインターネットで調べた情報。
*享年の数え方は、満年齢とは違います。このブログでも以前詳細に説明しました。
先月の20,21日の二夜連続で、渡辺謙さん演じる「鬼の八兵衛」「捜査の神様」等と言われた敏腕の刑事、平塚八兵衛を主人公にしたテレビドラマが放映されました。吉展ちゃん誘拐殺人事件は忘れられない事件でしたので、遅い時間帯ですが、観てみました。このブログにご訪問のあなたはいかがですか、ご覧になりましたか。
吉展ちゃんの事件は、たしか高校時代だったかと思います。ラジオで聞いた記憶があります(1963年3月31日)。それから36年経ったとき、知り合いの曹洞宗のあるお寺で37回忌の法要が行われたのは、私が駒澤大学に通っていた1999年でした。今年は、吉展ちゃんの遺体が見つかったというお寺(荒川、円通寺)にも、たまたま人権学習で伺いました。
果たしてどのような事件であったのか、どのようにして犯人は捕まったのか、実は高校時代、我が家にはテレビがありませんでしたし、詳しくは知りませんでした。
ドラマとして作られているでしょうが、事実とそれほどかけ離れていないとすると、八兵衛刑事の御陰で、小原保という犯人はどんなにか救われたことだろうかと思いました。
別件で容疑者小原保は、逮捕されていました。勾留期間は10日しかありません。その間に犯人の自供をとらなくてはならないのです。八兵衛刑事は、小原の故郷に行って、徹底的に聞き込みをして、アリバイ崩しはできていました。しかし、八兵衛刑事の説得に近い取り調べにも、小原はのらりくらりと答えて逃げます。なかなか落ちそうにはありません。しかし、小原の供述によれば、東京にはいなかったはずの4月2日、うっかりと東京の大火事(日暮里大火)を見たことを話し出します。それは紛れもない脅迫電話を入れた4月2日で、小原は東京にはいなかったと供述していたはずです。八兵衛刑事はこの供述の綻びを逃しませんでした。その矛盾をついて容疑者の心を揺すぶり、さらに土下座して容疑者の母の気持ちを伝えます。「もし犯人ならば、罪を償うように言ってください、そしてそんな息子を産んだこの母を許してください」と、いうようなことをその母は、聞き込みに来た八兵衛刑事に泣いて頼んだのです。「真っ当な人間になれ、自供して罪を償え」とさらに八兵衛刑事は責め寄ります。母の言葉と、八兵衛刑事の真剣な説得に、容疑者はついに心を開いたのです。落ちた、のです。
罪を認めてからの小原保のもとに母から手紙が届きました。「罪を償って死刑になりなさい、母は先に地獄に行って待っているから」と。(言葉は、多少テレビの通りではないです。はや10日以上たってしまい、記憶が薄れました)
何年か経って、八兵衛さんが他の事件(三億円事件だったか)を担当しているとき、電話が入ります。(1971年12月23日)
「今日、小原保の刑が執行されました。刑事の御陰で、真人間になって死ぬことができますと、伝えて欲しいということでした」と。小原保享年39(1933~1971)。(正確には「今度、生まれてくるときは真人間に生まれてきますからと、どうか、平塚さんに伝えてください」という言葉らしい)
どこまでがドラマか分かりませんが、この通りだとしますと、八兵衛さんという方が伝説の刑事と言われる所以が理解できますね。真人間になって死ねることは、人間の究極の願いでしょう。それを刑事は助けてくれたのです。平塚八兵衛享年67(1913~1979)。
今度生まれてくるときは真人間になって生まれてきたい、という願い(誓願)をおこさせたということは、僧侶に勝る働きではないでしょうか。
*( )内の補注はインターネットで調べた情報。
*享年の数え方は、満年齢とは違います。このブログでも以前詳細に説明しました。
私のような凡愚は、目先の利益や自分の生活が先に来てしまうのでダメです。
「無私」と言うことは難しい。
特に家庭のある人には難しいでしょうね。
本人はそれでよいけれども、結局家庭を蔑ろにすると言うことですから。それでも、その父親の姿を見て家族が「立派な人だった」と思ってくれれば、双方が救われるのですが・・・。
無私は仏様の境地でしょう。仏弟子の目指すところでしょう。なかなかできませんが、目安があれば、多少は自戒の助けになります。八兵衛刑事さんのような刑事さんも不世出の刑事さんでしょうね。