2月4日(土)晴れ【供養記 中有にあり】
いまだのちの生にうまれざらんそのあいだ、中有ということあり。そのいのち七日なるそのあいだも、つねにこえもやまず三宝をとなえたてまつらんとおもうべし。七日をへぬれば、中有にて死して、また中有の身をうけて、七日あり。いかにひさしといえども、七七日をばすぎず。このとき、なにごとをみ、きくも、さはりなきこと天眼のごとし。
(注・現代仮名遣いになおした)
これは道元禅師の『正法眼蔵』「道心」の巻からの引用である。中有とは、中村元博士の『仏教語大辞典』によれば「意識を持つ生きものが死の瞬間(死有)から次の生をうける(生有)までの間の時期」とある。最長で七七日の間死んだのちに中有にあることを道元禅師もお書きになっている。死者は七七日忌までは中有にあると、道元禅師も言われているではないかと論拠としたいところであるが、「道心」の巻は、説かれた時と処が不明であり、道元禅師のご真作か否かの論議はある。
サンスクリット語で中有とは、antara-bhava(raのaの上に-がつく)、中間的生存のことを言うそうで、上記の意味とは異なっている。説一切有部でいうところの中有とは死んでから生まれ変わるまでの中間的生存であり、輪回の主体のような生命体をさすそうである。仏教は無我の教えなので主体のようなものがあるのは問題なのだが、それは五蘊ということで無我の論に反しないように理論づけられているそうである。
日本仏教では、特に禅宗においては輪廻転生は論外のように扱われているが、原始経典には輪廻転生は多く説かれているそうである。しかし死後すぐに生まれ変わると説かれているそうで、そうなると中有を生命体ととらえるにしても、中有という中間的空間ととらえるにしても、原始経典では中有は関係ないことになる。原始経典では中有の意味は全く異なる意味になるそうである。インド仏教に学びの深い友人に教えてもらったことを要約してみた。
次の生を受けるか否かの論議はさておき、七七日忌の間は死者の念がまだこの世に残っているのでは無かろうかと、感じることが度々ある。七七日忌の法事のとき、突然といってもよいが死者の言葉が胸に飛び込んでくるという表現がピタリ之ようなことがあるのだ。
例えば息子と夫を残して亡くなられた婦人の七七日忌の時のこと、「しっかりしなさいよ、しっかりしなきゃだめよ」と聞こえた。さりげなく息子さんたちに伝えたら、「お母さんの口癖でした」と言い、お祖母さんも「娘の口癖でしたよ」と言われた。(私は法事をつとめるほとんどの方を生前知らないのである。)
11月29日投稿の【四十九日の法事】でもやはり七七日忌のメッセージについて書いたが、度々にこのような経験をすると、未熟な経験ではあるが、中有を否定できないような気がする。
キリスト教でも"FIFTYDAYS"があり、神道でも五十日祭(いとかさい)がある。きっと深い宗教体験をした宗教者たちは中有を知覚したのではなかろうか。
七七日忌はこの世の者があの世に帰り逝く人に感謝を伝える大事な法事と私は受け取っている。ご葬儀とは違い、七七日忌は近しい人だけで営むのがよいのではなかろうか。参列の人たちに遺族が気を遣うようなことなく、死者と静かに時を送れるような場でありたい。家族だけでもよいと思う。とにかく死者がこの世の名残に、もっとも喜ぶ場所と喜ぶ人たちだけで営んでくれることがよいと、私は思う。
前置きが長くなったが、今日は去年の暮れにお亡くなりになった九十五歳の方の四十九日であった。最後まで過ごされた家で、家族とそして生前親交の深い人々とともに、心を一つにして亡き人に供養の真を尽くした。
(12月28日投稿の【ご葬儀の導師】に書かせていただいた方の四十九日であった。)
お料理はこの家のご主人が腕を振るわれた。亡くなられた人の好物のご馳走がテーブルにきれいに並べられた。椎茸や人参の煮物、ひじきの煮物、高野豆腐と蕗の煮染め、花豆の煮豆、みそ味の芋煮汁等々。全ておいしく、私には特に芋煮汁と花豆は絶品の味だった。このようなお料理にはなかなか出会えない。おばあちゃまはいつもこのようなお料理を楽しまれたそうである。
おいしい料理を食べながら、亡き人の思い出話に花が咲く。実は九十五歳の方はこの家の主婦の叔母さまにあたる。おばあちゃまにとっては、続柄から言えば、姪や、姪の夫、姪夫婦の娘さん、優しい家族に見守られて、おばあちゃまは自由に、そして安心して老いの日々を送ることができたことであろう。おばあちゃまにとって「有り難う」という言葉しかないようである。
最後までママさんコーラスに通い、歌のお好きだったというおばあちゃまを偲んで合唱になった。「故郷の空」「花」「鉄道唱歌」「故郷」等々、少年少女時代から可愛がって下さったおばあちゃまに、往年の少年少女合唱団は、おばあちゃまがお好きだった歌を捧げた。今はそれぞれ相応の年齢であるが、亡き人の若い頃を偲べば、自らの少年少女時代も彷彿としてくるのであろう。走馬燈のように浮かび来る在りし日を、懐かしく思い出すのは、この世の者だけではない。きっとこの部屋のどこかで、亡き人も懐かしく愛おしく名残惜しく思い出しているのではなかろうか、と想像するのである。
そして悠久なる風とともに旅立ち消えて逝かれる。(中有の後に、すぐに生まれかわるかということについては、私にはわからない)
亡き人の思い出を語り、亡き人に思いを捧げる四十九日忌。
家族の心からの偲ぶ思いがあって始めて、このように心暖まる四十九日忌ができるのである。そのような四十九日忌を勤めさせていただいて、私も本当に有り難い一日であった。
いまだのちの生にうまれざらんそのあいだ、中有ということあり。そのいのち七日なるそのあいだも、つねにこえもやまず三宝をとなえたてまつらんとおもうべし。七日をへぬれば、中有にて死して、また中有の身をうけて、七日あり。いかにひさしといえども、七七日をばすぎず。このとき、なにごとをみ、きくも、さはりなきこと天眼のごとし。
(注・現代仮名遣いになおした)
これは道元禅師の『正法眼蔵』「道心」の巻からの引用である。中有とは、中村元博士の『仏教語大辞典』によれば「意識を持つ生きものが死の瞬間(死有)から次の生をうける(生有)までの間の時期」とある。最長で七七日の間死んだのちに中有にあることを道元禅師もお書きになっている。死者は七七日忌までは中有にあると、道元禅師も言われているではないかと論拠としたいところであるが、「道心」の巻は、説かれた時と処が不明であり、道元禅師のご真作か否かの論議はある。
サンスクリット語で中有とは、antara-bhava(raのaの上に-がつく)、中間的生存のことを言うそうで、上記の意味とは異なっている。説一切有部でいうところの中有とは死んでから生まれ変わるまでの中間的生存であり、輪回の主体のような生命体をさすそうである。仏教は無我の教えなので主体のようなものがあるのは問題なのだが、それは五蘊ということで無我の論に反しないように理論づけられているそうである。
日本仏教では、特に禅宗においては輪廻転生は論外のように扱われているが、原始経典には輪廻転生は多く説かれているそうである。しかし死後すぐに生まれ変わると説かれているそうで、そうなると中有を生命体ととらえるにしても、中有という中間的空間ととらえるにしても、原始経典では中有は関係ないことになる。原始経典では中有の意味は全く異なる意味になるそうである。インド仏教に学びの深い友人に教えてもらったことを要約してみた。
次の生を受けるか否かの論議はさておき、七七日忌の間は死者の念がまだこの世に残っているのでは無かろうかと、感じることが度々ある。七七日忌の法事のとき、突然といってもよいが死者の言葉が胸に飛び込んでくるという表現がピタリ之ようなことがあるのだ。
例えば息子と夫を残して亡くなられた婦人の七七日忌の時のこと、「しっかりしなさいよ、しっかりしなきゃだめよ」と聞こえた。さりげなく息子さんたちに伝えたら、「お母さんの口癖でした」と言い、お祖母さんも「娘の口癖でしたよ」と言われた。(私は法事をつとめるほとんどの方を生前知らないのである。)
11月29日投稿の【四十九日の法事】でもやはり七七日忌のメッセージについて書いたが、度々にこのような経験をすると、未熟な経験ではあるが、中有を否定できないような気がする。
キリスト教でも"FIFTYDAYS"があり、神道でも五十日祭(いとかさい)がある。きっと深い宗教体験をした宗教者たちは中有を知覚したのではなかろうか。
七七日忌はこの世の者があの世に帰り逝く人に感謝を伝える大事な法事と私は受け取っている。ご葬儀とは違い、七七日忌は近しい人だけで営むのがよいのではなかろうか。参列の人たちに遺族が気を遣うようなことなく、死者と静かに時を送れるような場でありたい。家族だけでもよいと思う。とにかく死者がこの世の名残に、もっとも喜ぶ場所と喜ぶ人たちだけで営んでくれることがよいと、私は思う。
前置きが長くなったが、今日は去年の暮れにお亡くなりになった九十五歳の方の四十九日であった。最後まで過ごされた家で、家族とそして生前親交の深い人々とともに、心を一つにして亡き人に供養の真を尽くした。
(12月28日投稿の【ご葬儀の導師】に書かせていただいた方の四十九日であった。)
お料理はこの家のご主人が腕を振るわれた。亡くなられた人の好物のご馳走がテーブルにきれいに並べられた。椎茸や人参の煮物、ひじきの煮物、高野豆腐と蕗の煮染め、花豆の煮豆、みそ味の芋煮汁等々。全ておいしく、私には特に芋煮汁と花豆は絶品の味だった。このようなお料理にはなかなか出会えない。おばあちゃまはいつもこのようなお料理を楽しまれたそうである。
おいしい料理を食べながら、亡き人の思い出話に花が咲く。実は九十五歳の方はこの家の主婦の叔母さまにあたる。おばあちゃまにとっては、続柄から言えば、姪や、姪の夫、姪夫婦の娘さん、優しい家族に見守られて、おばあちゃまは自由に、そして安心して老いの日々を送ることができたことであろう。おばあちゃまにとって「有り難う」という言葉しかないようである。
最後までママさんコーラスに通い、歌のお好きだったというおばあちゃまを偲んで合唱になった。「故郷の空」「花」「鉄道唱歌」「故郷」等々、少年少女時代から可愛がって下さったおばあちゃまに、往年の少年少女合唱団は、おばあちゃまがお好きだった歌を捧げた。今はそれぞれ相応の年齢であるが、亡き人の若い頃を偲べば、自らの少年少女時代も彷彿としてくるのであろう。走馬燈のように浮かび来る在りし日を、懐かしく思い出すのは、この世の者だけではない。きっとこの部屋のどこかで、亡き人も懐かしく愛おしく名残惜しく思い出しているのではなかろうか、と想像するのである。
そして悠久なる風とともに旅立ち消えて逝かれる。(中有の後に、すぐに生まれかわるかということについては、私にはわからない)
亡き人の思い出を語り、亡き人に思いを捧げる四十九日忌。
家族の心からの偲ぶ思いがあって始めて、このように心暖まる四十九日忌ができるのである。そのような四十九日忌を勤めさせていただいて、私も本当に有り難い一日であった。