3月23日(日)晴れ、暑い【ドクター・中松その5,天才はいかにしてなったか】
このタイトルのことについて書きたいが、あまりにいろいろとあります。
だれでも教育によって博士のようになれるものではないと思いますから、書いても参考にはなりませんね。
『頭の良い子を育てる環境・運動・食事』という博士の本がありますので、興味の有る方は参考になさってください。
元々優れた頭脳を持ってこの世にお生まれになった、と思います。しかし、何かを成し遂げるのに、努力を惜しまない。模型飛行機づくりに夢中になって、どうしたら重心がずれない飛行機がつくれるか、毎日執拗に考え抜き、ひらめきを得て、ついに作り上げたのは、なんと、5歳のときです。多摩川べりで開かれているマニアたちの大会の難しいランクのグル-プで、大人たちに交じって5歳の少年が模型飛行機を飛ばしていたのです。
これがはじめの話ですが、とにかく諦めない、なにか必要があって作成を始めたら、出来上がるまで諦めない。そうして、多くの発明を成し遂げていらっしゃるのです。それも根本に、人のお役に立ちたい、それがあります。「発明は愛」です、とおっしゃっています。とにかく何事を成し遂げるにも惜しまぬ努力あり、です。
ヴァイオリンニストの吉村妃鞠さんや、ピアにストの辻井伸行さんにしても、たゆまぬ努力があっての演奏会における素晴らしい演奏です。もともとの才能はもちろんあるでしょうが、その上に不屈の精神、たゆまぬ鍛練、努力、精進、それができるのがまことの天才なのですね。
しかし、博士も『頭の良い子を育てる環境・運動・食事』で書かれていますが、胎教から心して子どもを育てたら、頭の良い子は育てられるようです。
博士は子供のころから一度も「勉強しなさい」とは親に言われなかったそうです。いう必要もなかったのでしょう。因みに私も一度も勉強しなさい、と言われたことはありません、が、天才にはなれませんでした。
とにかく博士のお母さんが、並大抵のお母さんではありませんでしたね。はじめ通っていた小学校が青山から世田谷区の学芸大学に移転するとなると、千駄ヶ谷に住んでいたのに、学校の近くに引っ越し、博士の為に「勉強部屋」「工作室」「寝室」の3部屋を作って、工作室では好きなだけ工作をし、勉強部屋と寝室はいつもきれいにしているようにと躾けられたそうです。
なんでも博士が望むことをさせてくださった。これはすごいことですが、親もそうしたいほど、義郎少年が並外れた頭脳を持っていることを親は実感していたのでしょう。
ということで、一般的にはあまり参考にはなりません。
あまりだらだらと博士の紹介を続けるのをやめましょう。
なぜ選挙にいつもたつのか。それも書きたいですが。ドラマがあります。長くなりますのでやめます。
3500以上もの発明をなさったうちの、いくつかの発明を列挙しておきます。(変なおじさんではなく世界の発明王です)
石油ポンプ(醤油チュルチュル)
ドローン
フロッピーディスク(IBMにライセンスを売る。日本の会社はその時価値が分からなかった)
地震シェルター
此処であまりに眠くなりましたので、続きはまた。