2月25日(土)晴れ【再び輪廻転生について書く前の前置き】
輪廻転生についてもう少し学んでみたい。愚禿さんという方からコメントを頂いたことも参考にし、またフクロウ博士にお教えいただいたことなど、咀嚼できたところを書きとめたい。
その前に一言。仏教と一言で言っても、なにが仏教なのかを説明しようとすると一言ではすまない。昨日電車の中で、インド人の五歳ぐらいの少女と一緒になった。少女のつぶらな瞳に「おはよう」と言ったら、「何を読んでいるの」と尋ねられた。『ミリンダ王の問い』(中村元・早島鏡正訳、平凡社)を読んでいたのだが、「ぶっきょうの本よ」と答えると、「ブッキョウ?それは何?」と、オウム返しに聞かれた。答えようと思っているうちに少女とパパの降りる駅に着いてしまった。「また会いましょうね」「バイバイ」と別れた。あの後、パパが仏教について何か教えて下さっただろうか。少女にとって初めて耳にしたであろう言葉、「ブッキョウ」について。
「お釈迦様が教えて下さった教え」その後になんと言おうか。キリスト教なら「イエス様の教えて下さったのは、神の愛よ」と一応説明がつくだろう。勿論キリスト教にも難しい教義はいろいろとあるであろうが。
私は二人の師匠のもとで坐禅修行を修行した。そして『正法眼藏』(道元禅師の著作)と『従容録』(宋代の禅僧宏智正覚が百則の問答に頌をつけた『宏智頌古』に南宋の禅僧万松行秀が解説-示衆・著語・評唱-を加えたもの)の提唱(講義)を聞いて育った。師匠なき後、仏教という教えがどうもぼんやりとしているようで、このままでは死ねないと思い駒澤大学に学んだのである。せめて師匠に教えられた『従容録』だけでも、もう少し理解したいと思い、私は主に中国禅を学んだ。
今は研究所で道元禅師の著作を学ぶことも多いし、室町時代の禅僧の語録を訳さなくてはならないので、一日の殆どを語録の研究で終わってしまっているのだが、簡単にいうと日本の禅を学んでいるということになる。
お釈迦様の教えにアプローチするのには、実にいろいろな道がある、いやありすぎると言わせて貰いたい。この頃は、釈尊の説かれた直接の教えを学ぶには原始仏教を学ばなくてはならない、ということを特に思っている。しかしである。悲しいかな、私は原始仏教系の著作を読むと頭がくらくらしてしまうのである。書いてあることが頭に入ってこないのである。フクロウ博士に言わせると基本的なことが分かれば読みやすいと言われるのであるが、あまりに理論的な展開に私の頭脳がついていけないのである。それがフクロウ博士に説明を受けると、よく理解できるのである。どうして原始仏教について書かれた書物は難しいのであろうか。
前置きが長くなったが、いよいよフクロウ博士から学んだ輪廻転生についてまとめてみたい。しかし話を聞いているときは分かったような気がしたのだが、それを書くと言うことはまた別の作業になる。今日は前置きだけで、はぐらかすようで申し訳ないのだが、本題に入るのはまた後日とさせて頂きたい。
次に愚禿さんからの情報を転載させて頂きたい。輪廻転生について興味のある方の参考になると思います。
《モークシャーカラグプタという人が書いた『タルカバーシャー』という仏教論理学の書があります。梶山雄一先生が『論理のことば』と題して、全文を邦訳していらっしゃいます(中公文庫)。この『タルカバーシャー』に「輪廻の論証」(梶山訳)という一節があります。輪廻の有無を直接知覚的に「立証」するのは不可能かもしれませんが、論理的に証明する「論証」は可能なのではないでしょうか?。対象の認識手段は直接知覚(現量)だけではないからです。》