ブログ「風の谷」  再エネは原発体制を補完する新利権構造

原発事故は放射能による公害。追加被曝阻止⇒放射性廃棄物は拡散してはいけない⇒再エネは放射能拡散につながる⇒検証を!

三井化学岩国大竹工場、劣化ウラン廃棄触媒のドラム缶3379本が海の近くの新倉庫に移動。

2014-02-17 | 三井化学大竹工場爆発問題 

 http://jp.mitsuichem.com/corporate/group/pdf/do05-140106.pdf

劣化ウラン廃棄触媒、200リットルのドラム缶3379

 

 

建設費 3億円の新倉庫

 

 

 


 

劣化ウラン含む廃棄触媒 新倉庫への移動完了 三井化学岩国大竹工場  山口新聞より抜粋転載

和木町の三井化学岩国大竹工場は12日、同工場内の劣化ウランを含むアクリロニトリル(AN)廃棄触媒新たな保管倉庫への移動を完了したと発表した。和木町や岩国市など関係機関に報告した。

 この廃棄触媒は1968年2月から73年1月まで操業していたANプラントで発生した200リットルの2重ドラム缶3370本で、工場の正門近くの倉庫に保管していた。1昨年4月のプラント爆発火災事故で倉庫の存在が明らかになり、倉庫が和木町の住宅地から約50メートル地点にあるため、住民から不安視する声が相次いだ。

 同社は既存倉庫から海側に約350メートル離れた敷地に無窓で鉄筋コンクリート造り平屋建て(920平方メートル・耐火構造・鉄の扉)の新保管倉庫を建設した。屋根・壁とも厚さ200ミリで一般のコンクリート壁の3倍の強度。南海トラフ巨大地震の岩国の想定震度6弱、津波最大高3メートルという新耐震基準に対応する。昨年8月末に完成した。建設事業費約3億円。

放射性物質を含む廃棄触媒の移動は9月から開始し、今月7日に完了した。


三井化学が放射性廃棄物の移動作業完了(山口県)http://news24.jp/nnn/news8704520.html 

三井化学岩国大竹工場は敷地境界近くに保管していた放射性廃棄物を新しい倉庫に移動する作業が完了したと12日発表した。三井化学岩国大竹工場には、かつてプラントで使っていた劣化ウランを含む廃棄触媒ががれきなどとともにドラム缶で3379本保管されている。

しかしこの保管倉庫は敷地境界に近く、おととし4月の爆発事故以降、周辺住民から不安の声があがっていた。これを受け三井化学では構内に350メートル入ったところに3億円をかけて新しい倉庫の建設を進め、去年8月に完成した。

その後、放射性廃棄物の移動をはじめ、2月7日にすべての移動作業が完了したという。新しい倉庫は鉄筋コンクリート造り平屋建てで壁の厚さは20センチあり、震度7の地震に耐えられるよう設計されている。三井化学岩国大竹工場では「地域のみなさまに安心していただけるよう適切な保管、管理を継続していきたい」としている。〆 [ 2/12 15:16 山口放送]


(管理人より)  同じ県内に劣化ウランのドラム缶が3379本もあるというのは、はっきり言って恐怖です。またプラント爆発事故が起きてもし類焼したら、周辺住民は完全にシーバーン災害に巻き込まれることになります。 

新しい倉庫といえど、海側に移転したということは、津波に襲われる確率は高まるわけで、新倉庫が敷地内のどこかもHPに出てませんでした。http://jp.mitsuichem.com/corporate/group/domestic_05_02.htm

「コンクリートで燃えないから安全だ、周辺住民にも理解を得た」 という論調の報告がメディアでなされていますが、すべての県民がそれで納得したわけではありません。周辺自治会には回覧板で知らせたようです。

以前の倉庫を解体したのであれば、がれきが発生しているはずです。放射能汚染がれきになっていなかったか検査・確認したのでしょうか?

周辺土壌の放射能検査や、そのほか化学物質の汚染検査などしたのでしょうか?

新倉庫と現在稼働中のプラントはどのくらい離れているのかわかりません。

http://tank-accident.blogspot.jp/2013/01/2012.html  より

三井化学株式会社 岩国大竹工場 レゾルシン製造施設 事故調査委員会 報告書

 

 新倉庫に移動したって29もプラントがある敷地内です!

プラント爆発で類焼する可能性がなくなるわけではありません。

永遠にその倉庫で劣化ウラン廃棄物を保管し続けなければならない異常さ。

次世代に負の遺産を残しておいて、何が「品質管理」か、何が「経済成長」かと私は思います。 

 



 

追記  以前の週刊誌の記事ですが追記しときます。

 ■週刊朝日9月2日号(8月23日発売) スクープ!「新しい放射能危機」放置された劣化ウラン 全国195カ所に1545万6600リットル分の放射性物質

より抜粋

 核燃料物質を管理する文部科学省は05年と09年、放射性物質の使用許可を受けた事業者に対して、届け出漏れがないかを調べるために一斉点検を実施した。
 すると、所在不明になったものを合わせて、08年から現在までに20件以上も、新たに放射性物質が見つかっている。物質は、ウラン、セシウム、ストロンチウム、ラジウム、コバルトなどのおどろおどろしい名前が並ぶ。
 場所は、企業、大学、病院が多いが、東京都港区の個人宅からはポリ容器に入ったトリチウム、プロメチウムが見つかったケースもあった。前述のように、中には、保管段階で密閉などされていない"放置"状態のものも多かった。
 文科省担当者によると、放射線障害防止法ができたのは1957(昭和32)年で、それ以前に購入された放射性物質は届け出されていないことがある。また、長い間に保管場所が移動して、所在不明になることもあるという。
「我々の間では、事業所からウランなどが突然見つかることを、どこからともなく水が湧いてくる様子に似せて『湧き出し』と呼んでいます」(文科省担当者) 
 新たに見つかる放射性物質を、ふんだんにある水に例えること自体、管理が行き届いていない現状を認めているようなものだ。

約半世紀も放置された放射能汚染
 全国に「湧き出し」の例は後を絶たない。放置されていた放射性物質が原因で、敷地内が"放射能汚染"されたケースもある。
 07年6月、住友軽金属工業の名古屋製造所(名古屋市港区)から、
①硝酸・酢酸ウラニル(ウラン量で144グラム)
②塩化・硝酸トリウム(トリウム量で26グラム)
③棒状の天然金属ウラン(6.2キログラム)
④ペレット状の天然金属ウラン(3・95キログラム)
 などが見つかった。
 同社の安全衛生室長によると、硝酸ウラニルや塩化トリウムなどの薬品(①と②)は試薬瓶入りで、毒劇物等の保管庫にあった。天然金属ウラン(③と④)は、実験室の片隅でプラスチックケースや鉄缶に収められた状態だったという。
「人の目に触れないところにひっそりと置かれていました。弊社の敷地では、昭和30年代に当時親会社の住友金属工業が核燃料に関する研究をしていたことがあり、そのときに研究で使っていたものが一部残っていたと推測しています」(前出の安全衛生室長)
 とりわけ、トリウムは、
「ガンマ線を放出するので、保管状態が悪いと、外部被曝する可能性がある」(前出の矢ケ崎氏)
 というから危険だ。
 さらに、会社が調査すると、放射能汚染された場所が見つかった。驚きなのは、汚染場所は、ウランが見つかった場所とは、まったく別の建物だったことだ。
 汚染濃度は、建物内の床面で最大16マイクロシーベルト毎時、建物外も最大1・1マイクロシーベルト毎時。早ければ、昭和30年代から約半世紀もの間、放射能汚染が放置されていたことになる。
 会社側は慌てて建物を立ち入り禁止にしたが、それまでずっと研修などでこの建物を使っていた。汚染された建物に出入りしていた従業員を特定し、健康診断をしたところ、異常はなく、外部被曝の線量は、最大でも年間約21Oマイクロシーベルトで、健康上問題なしと判断したという。
 今回、現場を取材すると、担当者が口をそろえるフレーズがある。これだ。
「国が『直ちに影響はない』と言っているから大丈夫」
 だが、低線量の放射線を長期間にわたって浴びる危険性の研究を続けてきた肥田舜太郎氏(元全日本民医運理事)はこう言う。
「微量の放射線を浴びても、人体の防衛機能が働くから大丈夫というのは間違いです。広島、長崎の被爆地で、多数の内部被曝者を診てきましたが、数カ月後から数十年後に発症した『ぶらぶら病』は、低線量放射線の影響と考えるのが最もよく説明できます。検診で異常は見つかりませんが、疲れやすい、根気がないなどの症状が続くのです」
 東日本大震災後、「国の楽観的見通しはウソだ」とわかった。そのことは、福島原発の爆発後の汚染実態を見れば明らかだ。

 

 


 



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