ブログ「風の谷」  再エネは原発体制を補完する新利権構造

原発事故は放射能による公害。追加被曝阻止⇒放射性廃棄物は拡散してはいけない⇒再エネは放射能拡散につながる⇒検証を!

3号機使用済燃料プール内瓦礫撤去クレーン作業中に操作卓と架台570kgを燃料10体の上に落下!

2014-08-31 | 被爆者、被害者、市民の声

(管理人より)2014/8/29 0時45分に 東京電力は福島第一原発3号機の燃料プールで重さ400kgの操作卓という機材を落下させました。

命懸けのクレーン操作ですが、こんなに簡単に400kg落下と報じていいのでしょうか。不安ですが時系列に見ていきます。

福島第一3号機使用済燃料プール内瓦礫撤去作業中における 燃料交換機操作卓の落下について

http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/handouts/2014/images/handouts_140829_05-j.pdf  より

 

そして、8/30 の報道関係各位一斉メール

続報 http://www.tepco.co.jp/cc/press/2014/1241158_5851.html 

続報2 http://www.tepco.co.jp/cc/press/2014/1241193_5851.html 

プールの温度も35.5度まで上昇していたし、水中カメラで見たら昨日より落下してたものが増えてます!

しかも、そんな大事なことをさらっと伝えてるこの東電の一斉メールに驚き! 170kgも追加されてました!  400+170=570kgの物を落としてるわけです。 

「燃料2体の上に落下」ときのう言ってたのに、燃料10体に増えてます!

一体プールの中はどうなってるんでしょうか? 

8/30の水中カメラ調査

福島第一3号機使用済燃料プール内瓦礫撤去作業中における燃料交換機操作卓の落下について(水中カメラによる調査結果)

 水中カメラ調査画像(操作卓および操作卓が据えつけられていた架台)

 


もともと福島第一3号機使用済燃料プール内の状況は、このようにがれきでぐちゃぐちゃですが・・・

もう、不安しかありません。祈るだけしかできません。人間がクレーン操作するのですから失敗もあると思います。被曝で中枢神経がやられて手元が狂ってしまうことも増えるかもしれません。

ふくいちプラントパラメータモニタ http://fukuichi.mods.jp/

 

 

 


 

 http://www.tepco.co.jp/cc/press/2014/1241198_5851.html 8/31


新小野田火力発電所火災は16時間も燃え続けたのに、翌日午後にしか報道しなかったNHK。そしてすぐ削除!

2014-08-18 | ニュース

http://www.asahi.com/articles/ASG8K6S65G8KTZNB00F.html より

(管理人より)

原発事故だけでなくすべての発電所での事故・危険性が過小評価、隠蔽の方向性に持っていかれてることを知る必要があります。

発電というものが国策で守られ利権の温床になっています。企業は何も言わないし市民も利害関係者であることが多く、本質的な問題を追求しない状態。

発電という公共事業の腐敗は凄まじいということを今回の火災事故であらためて感じました。

今回の火災の報道は、NHKのネットの山口県内ニュースで翌日の12:21に流れました。火が消えたあとになって報道。

合計約16時間も燃え続けたのに!しかも、そのニュースはあっという間にネットから削除されました。

私がかろうじてNHKニュース動画の画面を残していますのでこちらにあげときます。あとでコピーペーストしようと思っていたら消されてしまった形です。

これからは大事なニュースはすぐ画像で残しておかなければと思いました。

 

発電所火災は鎮火 NHK山口県のニュース 08月18日 12時21分

 (リンク切れ)

中国電力のプレスリリース http://www.energia.co.jp/press/14/p140817-1.html


毎日新聞の記事

中国電力:ベルトコンベヤー焼く 山口・新小野田発電所

http://mainichi.jp/select/news/20140818k0000m040085000c.html

毎日新聞 2014年08月17日 21時31分

 17日午後4時40分ごろ、山口県山陽小野田市新沖の中国電力新小野田発電所から「ベルトコンベヤーが燃えている」と119番があった。県警山陽小野田署などによると、発電所に石炭を運ぶベルトコンベヤーが焼損したが、けが人はなかった。 

 中国電力によると、コンベヤーは貯炭場から石炭を供給するためのもので、長さ約200メートル、幅約4メートル。消防車両約15台が消火にあたった。新小野田発電所には発電機が2機あり、出力は計100万キロワット。【田中理知、柴山雄太】


産経の記事

中国電力発電所で火災 山口

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140817/dst14081722510026-n1.htm

2014.8.17 22:51

 17日午後4時45分ごろ、山口県山陽小野田市新沖の中国電力新小野田発電所で、火災が発生したと110番通報があった。山陽小野田署によると、発電所内の石炭を運ぶベルトコンベヤーで火災が起きたとみられ、消防が消火に当たっている。出火当時、作業員はおらず、けが人もいない。

 中国電力によると、新小野田発電所は石炭を燃やして電気をつくる火力発電所。火災の発生に伴い稼働を停止したが、他の発電所からの電力供給などにより、停電は発生していないという。


(管理人より)

毎日と産経は似た報道。朝日はヘリで空撮してましたが続報なし。メディアは死んでると思いました。

新小野田火力発電所に問合せをした方からツイッターで情報をいただきました。ありがとうございます。以下やりとり

 

Q:火災が起きたことをいつ市に報告したのか?

A:8/17 16:30頃火災が発生し、緊急マニュアルに従って、16:38に発電所から山陽小野田市に報告をした。市が市民に発表するかしないかは、市の判断である。

Q:ベルトコンベアが燃えたのなら有害物質など煙で出ていないのか?

A:ないとは言えない。

Q:何を燃やしているのか

A:輸入石炭と山口県産のチップを5%混焼

 


山陽小野田市のHP http://www.city.sanyo-onoda.lg.jp/life/1/7/

何も掲載されていません。月曜日です。更新されていません!  宇部市HPにも記載なし。http://www.city.ube.yamaguchi.jp/kurashi/bousai/kinkyuu/index.html

宇部日報には紙面に小さく掲載されていただけで、HPにはありません。 

これでいいのでしょうか?


「停電にならなかったからよし」ということではありません。

発電所周辺には、夜中に燃えている間ずっと大量の煙、粉塵が流れていきました。

みんなの空を汚したことに一切触れていない中電のプレスリリースに電力会社の傲慢さを感じます。

燃やしているチップについても不明な点があります。

 

 




中国電力新小野田火力発電所で火災。被災地域の木質系廃棄物、東北の木のチップを受け入れている可能性。 

2014-08-17 | 放射能汚染

火災速報-中国電力新小野田発電所で火事、爆発音も

http://breaking-news.jp/2014/08/17/011021

■2014/8/17 17:32 最終更新■

山口県山陽小野田市新沖2丁目1-1にある中国電力新小野田発電所で8月17日、比較的大規模な火事が起きたとの情報が入りました。

新小野田発電所からは大量の煙が立ち上っており、火災の規模が見てとれます。立ち上る白煙は、遠くからでも目視できるほど。

なお、現時点で警察や消防・中国電力などから正式な発表はなく、火事による煙なのかその他トラブルによる煙なのか詳細は分かっていません。

近隣住民の方の話によると、「ドーン」という爆発音のような音が聞こえたとの情報もあり、何らかの爆発事故が起きて火災に発展している可能性も考えられます。

新小野田発電所は火力発電を行っている施設で、延焼によるさらなる爆発などが心配されます。

現場は、JR小野田港駅から南西方向に約1kmほどの地点。この火事に関する詳細な情報が入り次第、随時更新していきます。


 テレビニュース(YAB、KRY)20:59

火災は16:40頃発生。石炭を運ぶベルトコンベアから出火。現在も消火活動中。けが人なし。停電の心配はない。

 


(管理人より) 火災が発生して、ネットのニュースでほとんど流れていないことに驚きました。

私はツイッターで知ったのですが、火力発電所のこれだけの火災でも、こんなに報道が少なくて気付くのが遅れるのなら、原発事故ならもう終わりだと感じました。

とりあえず、この火力発電所も木質バイオマスを燃やしているのでどんなPMが出ているかわかりません。煙は風でどこにでも流れていきます。

ツイッター上に早速、「放射能を撒いてない分まだマシ」という不謹慎なツイートが流れていました。

「原発事故よりまし」と言うのは間違っています。

風向き、PM2.5のデータなど検証していきます。

新小野田発電所 http://www.energia.co.jp/onoda-h/



 事故発生当時(16:40)の風向き 


そらまめ君 PM2.5 宇部市

山陽小野田市須恵健康公園

 

お盆で周りの工場が休んでいたとしたら、もっと低いはずなのにPM2.5の値は上がっています。

311以前は宇部市にもモニタリングポストがあったのに、311後なくすことになって本当に悔しいです。

北九州がれき問題の時に山口県庁で質問しましたが、宇部市にはモニタリングポストは設置しないと言われました。

 

 

 中国電力 新小野田発電所で、宮城県の木質廃棄物が燃やされているかも知れません。

http://www.yoneda-masako.com/20110519mokuzaikaishu.pdf   より

https://twitter.com/oldblue2012/status/404505316101853184  より

以前に中国電力新小野田発電所に電話して聞いたとき、燃やしているのは

オーストラリアからの輸入石炭と木質バイオマスを混焼。木質バイオマスは山口県森林組合と日本樹木リサイクル協会経由で仕入れた5cmのチップ」と言っていました。

実際どこから来ているかわかりません。東北北関東の会社が相当入っています。放射性物質の汚染状況重点調査地域の木を使っている会社かもしれません。

放射能汚染された木質バイオマスを燃やすと放射性PMが拡散する可能性があります。


関連記事↓

汚染状況重点調査地域でCLTの実証事業。福島産の木材が岡山県の工場でCLTに加工される!

汚染バークは日本中に!ペレット乾燥の燃料、バーク堆肥、石炭火力の混焼?農地改良材?

その木、どこの木、何ベクレルの薪なのか?農林省の薪ストーブ、恐怖のプロパガンダ

【再エネ公害】汚染木質チップ撒き散らしてどこが再生可能?国策「バイオマス」自然エネルギーを検証する

 

電話して、どういうものを燃やしているか確認することが必要だと思います。

新小野田発電所
所在地 山口県山陽小野田市新沖2丁目1番1号
電話番号 TEL:0836-88-2460 FAX:0836-88-3528



追加しておきます。

福島県の県木連が、東電に対して猛烈に放射能汚染された樹皮(バーク)を、石炭火力発電所で混焼するよう求めていました。 http://blog.goo.ne.jp/flyhigh_2012/e/1436e005b1d15c73f3eba8fbecbc2c58

電気事業連合会HP電気事業のデータベース(INFOBASE)より


中国電力・新小野田発電所で出火 山口

http://www.asahi.com/articles/ASG8K6S65G8KTZNB00F.html   2014年8月17日21時58分

17日午後4時45分ごろ、山口県山陽小野田市中国電力新小野田発電所(石炭火力)の従業員から「ベルトコンベヤーから火が出ている」と110番通報があった。けが人などは確認されていないが、夜になっても鎮火せず、消防による消火活動が続いた。

 県警や同社によると、発電所に燃料の石炭を運搬するベルトコンベヤーから出火したとみられるという。同社は、火災による停電などの心配はないとしている。

 




山田征さんの自然エネルギー学習会、自然エネルギーの是非を問うイベントで共感の声!東京新聞に記事掲載!

2014-08-12 | 被爆者、被害者、市民の声

8月に山田征さんのお話会が神奈川・群馬において連続で行われました。市民の中に共感の声が広がっています。

【山田征さん講演会】 オルカナ学習会2014年8月2日 

 

 

山田征さんの資料より

国及び推進者側の動き(2014.8.8記)

●1994年度      太陽光発電(ソーラーパネル)設置者への補助金制度スタート

●1997年度      風力発電(風車)設置企業への補助金制度スタート

           東電による生活クラブ生協などへの「太陽光発電」普及促進のための助成金制度始まる(ソーラーパネル設置費用の一部を助成) (審査委員:山地憲治ほか)

●2008年後半    「原発に代わる自然エネルギー」という根拠のない言葉が意図的に作られ、特に反原発の運動体(グループ)などに送り込まれる。

●2009年前半    麻生政権時、「2020年までに2800万kw分のメガソーラーを設置する」という目標値が打ち出される。

●2009年11月1日  太陽光発電の余剰電力買取制度スタート (むこう10年間)

          家庭及び小さな事業所での太陽光発電の余った電気(9kwまで)をデンキ利用者が高価格で買取り負担する、というもの。

          これはこの制度が始まってから10年ではなく、パネル設置者が売電を始めてから10年ということです。

                        従って新しい設置者が出る度、そこから10年で、この制度の終わりはない、ということです。

●2009年11月  経産省内に「次世代エネルギー社会システム協議会」を設置(メンバー:柏木孝夫、山地憲治ほか)

          目的~部課長クラス主体による「スマートグリッド関連企業開拓」 スマートグリッドビジネスの指令塔となる。

●2010年     「スマートグリッド」関連図書が続々出版される 

●2010年7月1日  一般財団法人として「低炭素投資促進機構」設立。代表:柏木孝夫

●2011年1月  「行政刷新会議」が行われる 

               ・議題「再生可能エネルギー促進による規制緩和提言」 参考⇒ http://www.cao.go.jp/sasshin/kisei-seido/publication/240326/item240326.pdf

               ・対象~民有林、国有林、保安林、農地など(工場立地法含む)

               ・「ソーラーパネル」設置は緑化設備とみなす。

              工場立地法によれば敷地の1/4(25%)を緑地帯にするという義務づけがあるが、パネル設置の際は周辺の樹木を広範囲に取り除く必要があるため、

              この立地法が適用出来ないのでパネル設置を環境設備とする。

●2011年3月11日(午前)再生可能エネルギー特別措置法案」閣議決定

                10kw以上の営業用太陽光発電、風力発電、地熱、中小水力、バイオマス発電などによって作られたデンキは、全量電気利用者が促進税として買い取り負担をする。 

●2012年3月19日 「低炭素投資促進機構」が費用負担調整機関(再エネ賦課金の集約先)の指定を受け事業を開始。 代表:柏木孝夫

●2012年7月   「固定価格買取り制度」スタート(むこう20年)(10kw以上の太陽光発電、風力、地熱、中小水力発電、バイオマス発電によるデンキの全量を買い取る)

                      これも新しい発電設備での売電が始まる度、そこから20年です。 

●2013年6月   農山漁村再生可能エネルギー法閣議決定(2013.11.22までに公布、2014.5までに施行)

                     ・全国土の12.1%(456万ha)までをこれらの設備用地とする

                     ・農地法、水利権、漁業権、保安林などの規制解除など各種転用手続きを地方行政の窓口が一括代行する、というものです。

                      2014年日経エコロジー より

                      

 

上記の記事をお読みになればすぐわかりますが、いま日本政府は法律を変え、国土の12%強を、いわゆる自然エネルギーによる発電設備で埋め尽くそうとしています。そのためには面倒な手続きを業者に代わり行政が一括して行うことにしました。

はっきりしているのは「いのち」より「経済」の考え方です。この先どういう結末になっていくのか。

決して土に戻ることのない鉛やカドミウム、放射性物質類を内包した危険物が処理方法もみつからないまま累々とその屍をさらすことになります。

まさに極めつけの「亡国の法」としか言いようがありません。

原子力発電が国策であるのと同様、この「再生可能エネルギー」も、それを超える規模の国策であり、決して原発に代わるものではないことを知って下さい。(2014.4.26記)

 

【付記】 

原発と並ぶ、というよりそれを大きく上回る国策としての「スマートグリッド化」社会、つまり再生可能エネルギー社会を進める上で不可欠品である「スマートメーター」なるものを、いま政府は国内全てのデンキ利用家屋にとりつける作業をすすめています。

※GE富士電機メーター製  http://www.gefujimeter.co.jp/

本来「スマートメーター」は、風力や太陽光発電など出力不安定な」デンキを過不足なく系統デンキに挿入するために不可欠な器具です。

デンキは電気利用者の需要に合わせて、多くもなく少なくもなく送り出す必要がありますが、各地に点在する風力や太陽光の発電装置は人の都合ではなく、風やおひさまの都合で発電するため、その気ままな発電状況を電力会社はスマートメーターを使いリアルタイムでキャッチし、風力や太陽光発電とセット化されている火力発電の出力を調整しなければならないからです。(ガバナフリー運転といいます)

これでわかりますように、風力や太陽光発電をいくら増やしても火力発電を減らすことはできません。

本文中に「根拠のない原発に代わる自然エネルギーという言葉」と書きましたが、本来「原発」は、定期検査時はもとより地震、事故による緊急停止に備えて同じ出力の火力が車で言えばアイドリング状態で用意(バックアップ)されています。

従ってこちらも、原発を止めるために他の発電設備(揚水発電以外の)は一切要らない造りになっています。

ましてや火力発電のお守り付きのおひさま次第、風次第のいい加減な発電設備では原子力発電の代わりはできない、不可能ということです。                                山田 征



この自然界は人だけのものではない (山田 征)

山田征さんプロフィール 

1938年生まれ。40年以上前から市民の立場で原発反対の活動をすると同時に、沖縄県石垣島白保の空港建設反対、ホームレス支援、神戸の仮設住宅に暮らす人々への支援、フィリピン・スモーキーマウンテンの子どもたちへの支援、内モンゴル植林、イラクやパレスチナ・ガザへの支援等、多様な活動を行う。 

現在、“原発に代わる”として進められている「自然エネルギー」について、一人ひとりが大きな流れの中で立ち止まり考えるべき問題である、と全国で伝え続けている。 

『山田さんのひとりNGO』、『ただの主婦にできたこと』ほか著書多数。 

山田さんのひとりNGO―「ニライカナイ・ユー通信」
山田 征
現代書館


 

 

 




(管理人より)

私たち市民は日頃、新聞テレビラジオ、ネットなどで情報を得ているが、自然エネルギーに関してはそれらの情報を鵜呑みにすることがほとんどだ。

しかも、その情報の中にはプロパガンダが多く含まれているため、「自然エネルギーはクリーンエネルギー」とか、「原発に代わる自然エネルギー」といった言葉やイメージを簡単に刷り込まれている。

それに輪をかけるように、311後、環境NPOなどが垂れ流す「小規模分散化」「エネルギーの地産地消・自給自足」などの言葉に完全に洗脳されている状態だ。

「核の平和利用」「原発は未来のエネルギー」と信じ込まされたあの当時の国民と何ら変わりがない。

国や企業が進めようとしているエネルギー供給技術の持つ本質的な欠陥や問題の検証を忘れ、またハメルンの笛吹きに踊らされている反原発の市民。

山田征さんはいつも考えるヒントを私たちに提示される。今回は時系列のまとめ。

原発をなくしたいと本気で考える人は、自分の頭で考えなければならない。

反原発で有名な人の言説ばかりを鵜呑みにせず、自分で調べて検証することの大切さを山田征さんに学んだ。

山田征さんだけに任せておいてはいけない。自分の言葉で、今のこの危機的な状況を市民一人ひとりが伝えなければ、次世代に負の遺産を増やしてしまうことになるからだ。

 

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原爆犠牲者慰霊平和祈念式典 「被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないでください」城台美弥子さん 

2014-08-11 | 被爆者、被害者、市民の声

動画より文字起こし↓(強調は管理人)

 一九四五年六月半ばになると、一日に何度も警戒警報や空襲警報のサイレンが鳴り始め、当時六歳だった私は、防空頭巾がそばにないと安心して眠ることができなくなっていました。

 八月九日の朝、ようやく目が覚めたころ、あのサイレンが鳴りました。

 「空襲警報よ!」「今日は山までいかんば!」緊迫した祖母の声で、立山町の防空壕(ごう)へ登りました。爆心地から二・四キロ地点、金毘羅山中腹にある現在の長崎中学校校舎の真裏でした。しかし敵機は来ず、「空襲警報解除!」の声で多くの市民や子どもたちは「今のうちー」と防空壕を飛び出しました。

 そのころ、原爆搭載機B29が、長崎上空へ深く侵入していたのです。

 私も、山の防空壕からちょうど家に戻った時でした。お隣の同級生トミちゃんが「みやちゃーん、あそぼー」と外から呼びました。その瞬間、キラッと光りました。その後、何が起こったのか、自分がどうなったのか、何も覚えておりません。しばらくたって、私は家の床下から助け出されました。外から私を呼んでいたトミちゃんは、そのとき何もけがもしていなかったのに、お母さんになってから、突然亡くなりました。

 たった一発の爆弾で、人間が人間でなくなる、たとえその時を生き延びたとしても、突然に現れる原爆症で多くの被爆者が命を落としていきました。私自身には何もなかったのですが、被爆三世である幼い孫娘を亡くしました。私が被爆者でなかったら、こんなことにはならなかったのではないかと、悲しみ、苦しみました。原爆がもたらした目に見えない放射線の恐ろしさは人間の力ではどうすることもできません。今強く思うことは、この恐ろしい非人道的な核兵器を世界から一刻も早くなくすことです。

 そのためには、核兵器禁止条約の早期実現が必要です。被爆国である日本は、世界のリーダーとなって、先頭に立つ義務があります。しかし、現在の日本政府は、その役割を果たしているのでしょうか。今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじった暴挙です。

 日本が戦争ができる国になり、日本の平和を武力で守ろうと言うのですか。武器製造、武器輸出は戦争への道です。いったん戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。歴史が証明しているではありませんか。日本の未来を担う若者や子どもたちを脅かさないでください。平和の保証をしてください。被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないでください。

 福島には、原発事故の放射能汚染でいまだ故郷に戻れず、仮設住宅暮らしや、よそへ避難を余儀なくされている方々が大勢おられます。小児甲状腺がんの宣告を受けておびえ苦しんでいる親子もいます。このような状況の中で、原発再稼働・原発輸出、行っていいのでしょうか。使用済み核燃料の処分法もまだ未解決です。早急に廃炉を検討してください。

 被爆者はサバイバーとして、残された時間を命がけで、語り継ごうとしています。小学一年生も保育園生さえも私たちの言葉をじっと聴いてくれます。この子どもたちを戦場へ送ったり、戦禍に巻き込ませてはならないという、思いいっぱいで語っています。

 長崎市民の皆さん、いいえ、世界中の皆さん、再び愚かな行為を繰り返さないために、被爆者の心に寄り添い、被爆の実相を語り継いでください。日本の真の平和を求めて共に歩きましょう。私も被爆者の一人として、力の続くかぎり被爆体験を伝え残していく決意を皆様にお伝えし、私の平和への誓いといたします。


 平成二十六年八月九日

 被爆者代表 城台美弥子





原稿になかった長崎の怒り 集団的自衛権「憲法踏みにじる暴挙」

長崎は九日、被爆から六十九年の原爆の日を迎えた。長崎市の平和公園で営まれた原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で、被爆者代表の城台(じょうだい)美弥子さん(75)は、集団的自衛権の行使を容認した閣議決定を「憲法を踏みにじる暴挙」と批判した。用意した原稿にはなかった表現で、「出席した政治家たちを見て、黙っていられなかった」と振り返った。安倍晋三首相は式典後、被爆者団体との面談で閣議決定の撤回を求められたが、「国民の命と幸せな暮らしを守り抜く責任がある」とかわした。広島に続いて長崎でも、被災地の思いに応えることはなかった。

 「今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじる暴挙です」

 田上富久(たうえとみひさ)市長の平和宣言に続き、「平和への誓い」を読み上げる城台さんの表情は厳しかった。

 「日本国憲法を踏みにじる暴挙」のくだりは、事前に書いた原稿では「武力で国民の平和を作ると言っていませんか」となっていた。差し替えは、読み上げる直前に決意した。待機席で登壇を待っている時、来賓席に座る安倍晋三首相ら政治家たちの姿が目に入ったのがきっかけだった。

 「憲法をないがしろにする政治家たちを見て、怒りがこみあげました」。式典後、やむにやまれぬ思いをぶつけた理由を打ち明けた。

 一九四七年五月の憲法施行直後に発行された「あたらしい憲法のはなし」という教科書がある。城台さんは子どもの頃に読んで感動した。「憲法の素晴らしさが理解できた」。憲法を守りたい気持ちは強い。

 六歳の時に爆心地から二・四キロ南東へ離れた自宅で被爆した。山が爆風と熱線を遮り、奇跡的に無傷で、家族も全員助かった。だが、同級生や友人たちは成人後にがんや心臓、脳疾患などで次々と命を落とした。

 平和祈念式典に向け、遺族会メンバーから「平和への誓い」を読んでほしいと頼まれたのは昨年十二月。被爆者の中で比較的若い自分の責務と引き受け、原稿を書き進めた。

 そして迎えた本番。「暴挙」の部分に続いて、「日本が戦争できるようになり、武力で守ろうと言うのですか」と問いかけた。これも、原稿にはないアドリブだった。

 式典後の城台さんは、穏やかさを取り戻していた。「政治家の皆さんに、今日のことを少しでも覚えていてほしいという気持ちもあります」と振り返った。 (小松田健一)

◆「平和への誓い」抜粋

 今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじる暴挙です。日本が戦争できるようになり、武力で守ろうと言うのですか。武器製造、武器輸出は戦争への道です。いったん戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。歴史が証明しているではないですか。日本の未来を担う若者や子どもたちを脅かさないでください。

 

  


読売新聞 夕刊 より

 


(管理人より)

東京新聞の記事にあるスピーチ全文と、やや動画の文字起こしが若干違いましたので、当ブログでは城台さんの言葉そのままの文字起こしを載せました。

被害に遭った当事者の声こそ大切だと思います。ここが理解できなければ、核兵器も、原発も、戦争も、公害もなくすことはできないでしょう。

「~の平和利用」という言葉で、いのちと健康を脅かされる世の中は続いてしまうことになります。

被爆者の方の声を、今生きている人、一人一人がきちんと受け止めなければいけないのに、ツイッターで市民の反応を検索してみると、驚くようなツイートがあります。

https://twitter.com/search?f=realtime&q=%E5%9F%8E%E5%8F%B0%E7%BE%8E%E5%BC%A5%E5%AD%90&src=typd

被曝者の方のスピーチを冒涜する一般市民がいることに驚き、人間というものに心底嫌気がさしました。(軍需産業=原発産業)の利害関係者かもしれないと思いました。

そんな論調はおかしいと声を上げなければ・・・・被爆者の苦しみがなかったことになってしまいます。


The only thing necessary for the triumph of evil is for good men to do nothing エドマンド・バーク

悪が勝利するために必要な唯一のことは、善人が何もしないことだ

悪が栄えるために必要なのは、善人が何もしないことである。







 
 

新潟県泉田知事発言問題 (3)オカノリさんと新潟県庁とのやりとり「無責任な対応のあり方を反省すべき」

2014-08-06 | 被爆者、被害者、市民の声

http://renree.blogspot.jp/2014/07/1msv.html   より 全文転載

2014年7月19日土曜日

「累積1mSvで被爆者手帳は交付されない」 それを新潟県庁が、しぶしぶ認めるまでのやりとりを公開します 

平成26年6月30日

 岡  紀 夫 様

                                                        新潟県福祉保健部
                                                         健康対策課長      〇〇
                                                        新潟県防災局
                                                        放射能対策課長  △△
               

  おたよりをお寄せいただき、ありがとうございます。
 岡様のおたよりに知事からお返事するよう指示がありましたので、担当課長である私どもからお答えします。

 被爆者健康手帳制度は、ご指摘のとおり、原爆症認定とは異なる制度でありますが、結果として、初期被ばく線量が1ミリシーベルトとされる方々にも、医療費が無料となる手帳が交付されております。

一方、福島原発事故については、年間20ミリシーベルト以下の区域を「早期帰還を目指す区域」としているにもかかわらず、同様な措置がないことから、法の下の平等に反するのではとの考え方に立ち、わかりやすい比較として、被爆者健康手帳を引用したものです。
 被爆者健康手帳制度と原爆症認定制度を混同させる意図はありません。

 福島原発事故の被災者が多数避難されている当県といたしましては、引き続き被災者支援に取り組んでまいります。
 今後とも、県政に対するご意見、ご提言をお聞かせくださるようお願いします。

 

泉田知事様 


 「意図」がどうのというお話は答えにはなっていませんよ。私は御発言の【訂正】をお願いしています。
 
 2013年9月の御発言では 「長崎、広島でですね、被爆手帳貰える方っていうのは、【累積被爆量、1mSv 】を超えた人に交付されてるんです」
と知事は仰っていますが?
 
「混同させる意図はありません」ということですが、知事の間違った認識からの御発言が更なる混同を引き起こしているのは事実であり、誤解を招いていますよね。混同されているのは知事御本人についてのお話でしょう。私に指摘されてはじめて両制度の違いにお気づきになられたのではないですか。知事だけでなく〇〇様と△△様もそうでしょう。それでも相変わらず間違った主張を変えられていないようですが、それはどうしてでしょうか。
 
 私が申し上げてきたことを御理解されておらず見当はずれのお返事と感じました。
 
 「累積 1mSv 」と「初期被ばく 1mSv 」は全く違いますね。今回の御回答は昨年の知事の御発言と明らかに食い違っていますが、いつから「初期被ばく線量 1mSv」へと変更されたのでしょう?知事がお忘れなのか、それともこれは新潟県職員様が考案されたお答えでしょうか。「結果として~」とのことですが、結果としてなら尚のこと1mSv なんて数字は手帳制度と何の関係もないでしょう。制度が違うんですから。私が提示した「4.1km 地点で、300mSv 」の結果を出している論文についてはお答えできないんですか?
 
 また、「広島、長崎では【1mSv でちゃんと国の手当てがなされる】のに、これ避難することもできない」とも仰っていました。世間に大きな誤解を与えている御発言です。これも必ず訂正して下さい。
 
理由は今もって不明ですが、どうやら知事の仰る「1mSv」は原爆の爆発後、1分以内の、主に中性子線とガンマ線による瞬間的な外部被爆である「初期放射線」だけに必ず限定されており誘導放射線、残留放射線等の被ばく線量は除外するというお話のようですから、その意味であれば福島原発事故では住民の「初期放射線」はゼロですし年間被曝量もゼロでしょう。原爆の「初期」は1分以内の外部被ばくですから福島では今後何十年経ってもゼロのままですね。どうしても知事が「初期」のみに限定されるというのですから年間20mSv も嘘になりますし福島は全くもって安心・安全な被ばくのない場所ということになります。つまり福島は長崎・広島以上に「ちゃんと国の手当てがなされている場所」ですね。DSの「初期被ばく線量、1mSv」【限定】が根拠なのですから。
 
 私はこれでも、お答え頂いたことに対して至極真面目に返事をしているつもりです。私の真剣な問いに対して、あなた方はこういう類のお返事をされたのですよ。もう不誠実な回答はやめて頂きたい。
 
比較できるはずもない異なるタイプの放射線被ばくや違う性質の被害者を無理に比較して、しかも一方の被害者についてだけ都合よくつまみ食いした身勝手な解釈。それを 「わかりやすい比較として引用した」 などと根拠も無いデタラメを仰られても到底納得できません。そうではなく単に知事の思い込みから、うっかり失言したという話でしょう。原爆被爆者についての誤解と偏見を世間に招いておきながら、新潟県職員も一緒に加担して良識のなさゆえに迷惑を引き起こしていますね。私からのメール内容についても結局、ほとんどまともに答えられませんよね。そうでしょう。事実としてありもしない制度や法律を、いつまでもあるかのごとく紛らわしい表現を強弁し、さらに「法の下の平等」などとは、もはや屁理屈の域です。まずは間違えたことくらいきちんと認めて反省して頂かなくては、お返事こそ頂けても、そこに誠意など微塵も感じられません。私は私なりに真剣に知事にぶつかってきたつもりですが、これではあしらわれているだけという気がします。
 
 この10か月、知事の御発言によってどれだけ振り回され、多くの人達から理不尽な悪意を投げつけられてきたことか御存知ないでしょう。「私は知事の言うことを信じる。被爆者は、たった1mSvで金が貰えていい思いをしていることを知られたくないから、そんな画策してるんだろう」などという不愉快なメールも送られたりしました。こういうのも知事のせいですよ。それでもどこかで私も知事のことを信じたいと思っていましたから、待ち、我慢し、訴えかけ、支持もしてきました。
 
私の説明を聞いて理解して下さる方は沢山いましたし訂正に快く応じて下さる方もいましたが、肝心の知事が沈黙を続けるせいで時には私が悪者のように侮辱される理不尽さまで味わいながら、何度も誤解している人たちに対して事実を説明し誤解を解いてきました。本来、知事が責任を持ってなさるべき後始末を、迷惑を被った側の私が行い修復してきました。一般常識からみれば訂正や謝罪など最低限の話であり、私の書いたブログ内容を紹介して頭を下げてお礼を言って欲しいくらいの気持ちです。今の知事には東電を批判する資格はないでしょう。その姿勢は最初の間違いと虚偽を強引に押し通して保身を優先させる東電社員と同じにさえ思えます。

そこまで自信をお持ちならば今後も同じ御発言を続けられてみては、いかがでしょう。知事を鵜呑みに信じて「筋が通っている」などと絶賛する人がまだ圧倒多数ですし、このまま黙ってさえいれば特に誰にも責められもせず恥もかかずに誤魔化せるでしょうから。卑怯ですよ。そうやって、御高齢で長年病気を抱えて本当に苦しんできた弱い立場の原爆症の人まで「政治家の無責任と大衆のエゴが重なって作り出す無理解」という暴力で踏みつけられ、みじめな思いで捨て置かれ亡くなられていくのでしょう。
 
 つい先日(26日)も、大阪の武田さんという原爆症の被爆者が、原爆症認定訴訟で闘い一度は勝訴したものの国に控訴され、次の裁判を待たずして落胆されたまま認定もされずに亡くなりました。武田さんは被爆者手帳の取得の際も証人が見つからず何年もかかり、手帳申請とその取得だけでも、とても苦労されています。原爆で人生を翻弄され、ガンという重い病気を患い手術をしながらも勇気を振り絞り、訴訟で闘ってきました。
 
長崎の被爆体験者訴訟原告団の会長だった小川さんという方も生前、同じことを言ってました。被爆未指定区域の住民だった小川さんは幼くして被爆しましたが生涯、被爆者手帳も持てないまま正式な被爆者とも認められず、病気を繰り返しました。敗訴の判決後にガンで他界されました。累積1mSv で被爆者手帳交付?貰えるわけないじゃないですか。いい加減にして欲しいですね。
 
 ただでさえ理解されずに偏見に苦しんできた被爆者について、大見栄きった軽率な発言をして後は沈黙。何ヶ月も放ったらかした挙句、自分の失敗を認められず最後は県の職員ぐるみで適当にお茶を濁して、この期に及んでまだ逃げようとする。こんな態度が通用するとお考えのようですが思い上がりも甚だしいですね。
 
 御発言の公式な【訂正】をお願いします。お答えください。
 
岡 紀夫  様

おたよりをお寄せいただきありがとうございます。

このたび岡様からいただきました電子メールにつきましては、確かに拝受いたしました。

お寄せいただきました御意見の内容につきましては知事に伝えますとともに、当県の担当部署にも伝えさせていただきます。


平成26年7月1日  新潟県知事政策局広報広聴課




新潟県知事政策局広報広聴課            担当者様
 
 
  メールで頂いた回答を拝見し、私が熟慮したうえで決めた事をこのたび重ねてお知らせします。
 
 国民に正確な情報を一番に伝え、実際に行われていることを正確に説明するべきであるはずの行政側が、その本来の責務を放棄し、泉田知事の発言による誤謬が社会に拡がることを容認・擁護している事実について悪質であると、回答から判断いたしました。
 
 このまま同じ様な回答が続くか、すみやかに訂正意向の回答が得られなければ、事実無根の情報を広められ、適切な対応を怠ったままによる精神的苦痛を公職の立場にある方々から与えられ続けていることに対して、泉田知事様および新潟県庁担当者様に対し、民事の法的手続きを視野に入れ検討していくことに致しました。

手配にはしばらくの時間がかかりますが、できるだけ年内には、そちら様へ正式な訴状がお手元に届くように粛々と進めていく所存です。その際には、またあらためて正式な書面にて詳細をお伝えする運びとなりますので、その事もあわせて泉田様、〇〇様、△△様へお伝えくださいますよう、どうぞよろしくお願い致します。                              

 
 
 
新潟県福祉保健部  健康対策課長      〇〇様

 私からの以下の質問について御回答ください。

〔質問1〕  原子爆弾の被爆者健康手帳に関して、その交付条件となる全ての事柄について「新潟県福祉保健部からの正式な回答」を私にご教示ください。

〔質問2〕  「累積被ばく量、1mSvで被爆者健康手帳が交付されるかどうか」について、「新潟県福祉保健部からの正式な回答」を私にご教示ください。


〔質問1〕および〔質問2〕の、どちらも必ず詳細に御回答ください。 
万が一、私からのこれらの質問に対し、7月8日までに何らかの御返信を頂けないか、もしくは質問に対してきちんとお答えされない場合、一般国民からの被爆者健康手帳交付要件の質問に対し、新潟県庁が「回答の義務を放棄した」とみなします。
 
仮に、回答拒否の御意向がある場合には「拒否します」と返信にてお答えください。 
これらは全て途中経過の重要な記録と致します。 よろしくお願いします。
                            
                                     岡 紀夫
 

 


                                                    平成26年7月8日

 岡  紀 夫 様

                                            新潟県福祉保健部
                                              健康対策課長      〇〇
                                            新潟県防災局
                                              放射能対策課長  △△


  おたよりをお寄せいただき、ありがとうございます。
 岡様のおたよりに知事からお返事するよう指示がありましたので、担当課長である私どもからお答えします。

 被爆者健康手帳は、原子爆弾が投下された際、一定の地域において被爆した方などに交付され、被ばく線量についての基準は示されていませんが、爆心地から3.5キロメートル(国の資料によれば、この地点は初期放射線量でみた場合、1ミリシーベルト相当であったとされています)の方にも、手帳は交付されています。
 そのままここにとどまれば、累積被ばく線量は上昇することが想定されますが、福島原発事故については、年間20ミリシーベルトの被ばくでも補償なしに帰還を求めることとなり、法の下の平等の原則から問題があると考えています。

 

新潟県福祉保健部      〇〇様
 
 
御返信ありがとうございます。
せっかくですが残念ながら、今回頂いたメールには私からの質問に対する御回答はどこにも見当たりませんでした。
誤解されている様ですので確認としてもう一度説明いたします。前回のメールにて私がうかがった事は被爆者健康手帳制度・交付要件についての法律事項に関する二つの質問です。
それらについて「新潟県福祉保健部からの正式な回答」を要求しました。
ですから知事宛てではなく新潟県福祉保健部、〇〇様宛てでメールを差し上げているはずです。
今回頂いた返信は知事個人の考えを再び仰った内容と見受けられます。
それともまさかとは思いますが、この御返事が被爆者手帳交付要件に関する法律事項の質問への「新潟県福祉保健部からの正式回答」と受け取ってもよろしいということなのでしょうか。
 
今回の〇〇様および△△様の御説明ですと、たとえばこれから手帳申請を希望される方には「果たして自分が手帳を取得できるのか、できないのか」、定められている法律条文と照らし合わせて様々な疑問について判断しようとする場合に、この御説明からは答えを得られませんし、これが新潟県庁の回答として満足なものであるとは到底思えません。
 
さらに、この内容ですと、まるで初期放射線、1ミリシーベルトの被爆であれば法律が手帳交付を確約しているかのようにも聞こえますが、新潟県に問い合わせた手帳申請希望者は、この説明で交付要件を正確に把握することができるとお考えでしょうか。
 
「初期放射線で見た場合...」と、前回から同じお話を繰返されていますが、初期ではなく「累積」と知事は発言されています、と私はすでに申してあります。その指摘に対する返答もまだ得られていません。また、初期だけに限定して原爆の被爆線量を語ることはナンセンスであることも私から詳細に説明しました。いちごをひとつだけ皿にのせて見せ「これはイチゴショートケーキだ」と言い張る位、極端で偏った主張です。
 
3.5km地点が1mSvというのは国側の主張に過ぎず確定事項ではありません。たとえば、素粒子物理学者で名古屋大名誉教授の沢田昭二氏は、直接被爆者の場合、3.5km地点で900mSvの被爆線量と計算しています。そして仰るような「結果として」の話なら尚更、原爆の場合だけ一瞬の初期被爆のみに固執して語ろうとされるのは理解できない理屈です。
 
それに初期としたところで、「初期放射線、1mSvの被爆で被爆者手帳交付を保証する法律」などありません。それは事実と異なります。知事の認識は原爆実相をご存じない方が陥る典型症状であり明らかな誤認識です。私から言えば「直接被爆者の3.5kmで900mSv、また、4.1kmで300mSvの被爆であっても被爆者手帳を持てない人など現実に大勢いますよ」ということです。それについてはいかがですかと申し上げています。
 
ですから「累積1mSvでちゃんと国の手当てがなされている」の発言などは、原爆症認定訴訟が今でも絶えないという世間の現実からは乖離しており、全く理解の範疇を超える誤認識です。この発言により社会に大きな誤解を引き起こしています。
 
こういうたとえ話をしてみます。
 
Aという人に暴力を振るったBが、「自分はAを殴ってはいない」と否認をし続けている。殴られて怪我を負わされたAがそれに怒り、Bに対して訴訟を起し、裁判で勝って、治療代などの賠償金を払わせることになった。それでもBはまだ否認を続けていて「自分は殴っていない。せいぜい軽く触れた程度。触れただけで怪我をするはずがない。それでも自分は、Aにこんなに金を払い続けている」と周りに言いふらす。
 
それまでのAとBの経緯をよく知らない周囲の人たちがBの一方的な話だけを聞いて「そうなのか、Aは軽く触れられただけで、ちゃんとBから賠償してもらっているのか」と信じ込む。
 
その様子を見たAは驚き「事実は違いますよ。Bは私を殴ったのです。軽く触れただけなんて嘘です。実際、大怪我させられました。裁判でも、Bが私を殴った事実は何度も証明されています。にもかかわらず殴った行為を、いまだにBは認めていません。現在Bから私に支払われている賠償金は、Bの主張する「軽く触れた」ことが根拠になっているわけでは決してありません。Bが自分の暴力行為を嘘で矮小化し続け、単に自分を正当化しているだけの話です。ですから、Bの〔触れただけ〕の主張と賠償金支払い約束のあいだには何も関連はありません。私は殴られました。誤解を広めないで下さい」と、説明しようとするのは当たり前のことです。
 
当然ですが、Bの「軽く触れただけだ」との主張が賠償金支払いを保証する理由や根拠になっているわけがありません。
 
「触れただけでAに金を払っているから、私にも払わなければ不平等だ」と、今度はCが筋違いの要求をしてみたところで、Bが「そうですね。少し触れたあなたにも払いましょう」となどと支払いに応じるわけもなく、むしろ被害事実を覆い隠す誤解が人々に拡がる副作用を招くだけです。Aにとっては迷惑このうえない話です。
 
 
今の知事は、Bの言い分だけに思い込みで同調していて事実経緯の知識がない人そのままの姿であり、混同と飛躍したこじつけに過ぎません。Bを責めているどころか、Bに加担している迷惑行為です。
 
「Aは、軽く触れられただけでも、ちゃんと賠償されているんです。医療費無料になるんですよ。触れられただけで、ちゃんと手当てがなされている。法の下の平等はどうなってるんですか」
 
滑稽な発言です。
 
そこで私が知事に向かって「事実は違います。本当はAは酷く殴られています」と説明すると「Bによれば最初、触れただけですが、Aは賠償されています」と知事がお答えになる。私が「実際にはAが怪我をするほどの回数をBが殴っています」と言うと知事があくまで〔最初に触れたこと〕のみに限定して話を続けていこうとする。
 
私が知事に、「Bの言う〔最初に軽く触れただけ〕を理由としてBがAに賠償支払いしている事実などありません。今までの経緯をよく知らない人には一見そんな風に見えるだけです。事実と違います。軽く触れただけで賠償されたりはしません」と知事に言うと知事は「Aは最初、軽く触れられました。それでも、Aは賠償されています」と相変わらず論理の飛躍を繰返す。
 
したがって、知事個人の解釈らしき曖昧な話の提示などではなく、法律と事実の見地に基づいた公的機関にふさわしい御説明が新潟県庁から行われて然るべきであり、それをこの機会に拝聴したく、制度について〇〇様に返答をお願いしています。
 
広島県庁や長崎県庁の担当課からは被爆者健康交付要件に関する私からの同じ質問事項に対し即、明瞭なお答えを頂きました。 
他県と同様、新潟県庁からも以下の質問への回答を、お願い致します。 
まだ回答が得られていない事項について質問いたします。 
 
〔質問1〕 原子爆弾の被爆者健康手帳に関して、その交付条件となる全ての事柄について「新潟県福祉保健部からの正式な回答」を私にご教示ください。

〔質問2〕 「累積被ばく量、1mSvで被爆者健康手帳が交付されるかどうか」について、「新潟県福祉保健部からの正式な回答」を私にご教示ください。
 
前回と同じ二つの質問です。どちらも詳細かつ明瞭にお答えください。恐縮ですが、新潟県として、すみやかに御回答くださいますよう、お願い致します。
 
7月15日までに回答が得られなければ、「新潟県は私の質問への正式回答が出来ない」と受け取ります。 
よろしくお願い致します。
 
                                                                岡 紀夫


      平成26年7月9日

 岡  紀 夫 様

                                         新潟県福祉保健部
                                                    健康対策課長    〇〇

  おたよりをお寄せいただき、ありがとうございます。
 ご質問いただきました件について、次のとおり回答いたします。

[質問1について]
  被爆者健康手帳の交付については、原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(以下、「法」という。)に基づき、法第1条各号のいずれかに該当する者であって、
法第2条に定める申請をしなければならないとなっています。


 [質問2について]
   累積被ばく量1ミリシーベルトをもって交付されるものではありません。

  今後とも、県政に対するご意見、ご提言をお聞かせくださるようお願いします。

 

↑  たったこれだけ(赤色)の、役所本来の姿としてあるべき当然の回答を得るまでに、これだけの長いやりとりと労力、期間を費やしました。広島県や長崎県は被爆者手帳に関する私の質問に対し正確、明瞭、すみやかな回答を一度で返答してきました。なぜ新潟県も最初からきちんと回答を示せないのか。県庁という非常に重要な公的組織の人達が一体何をやってるんでしょう。国民に正確な情報を説明しようとしないのは地方公務員法にも抵触しかねない違反行為です。役所こそ真っ先に率先してそれを行うべき義務があり、公私混同と言わざるをえません。原爆や被爆者について、新潟県庁の意識の低さには唖然とします。

2013年9月に行われたメディア懇談会での泉田知事の発言以来、私は被爆者手帳についての発言部分が事実とは違うことを指摘し、知事御本人に対して何度も訂正を呼びかけてきました。以来、約10カ月間、間違った情報はネットを中心に席巻し続け、今でも知事の発言がもとで誤解したままの人達が沢山います。はっきり言えば、被爆者が社会からの正しい理解を得るために地道に行ってきた努力にも泥を塗られたかっこうとなりました。それでも私は、できるかぎり穏便に解決したいとつい最近まで考えていましたし、知事を信じて何らかの訂正を待っていました。実は、この事実無根の話に腹を立てていた知人の被爆者は私の周りにも何人かいたのですが、私は陰でその人達を説得し、知事をかばったりもしていました。

しかし私の想像とは全く違い、泉田知事や新潟県庁には「人に迷惑をかけた」という意識さえもなかったことが、やりとりを通じてみてだんだん判り、良識の欠如に驚きました。自分達をひたすら正当化して逃げ続けた態度に怒りがおさまりません。

「はだしのゲン」などでも御存知のように、原爆にあった人は、こういった無理解やデマにも苦しんできました。この件について、泉田知事と新潟県庁は無責任な対応のあり方を反省すべきです。今回、新潟県庁からは、ようやく正しい回答を得ました。それも私からの詰問の末ようやく、しぶしぶです。しかし泉田知事ご本人はまだ発言の訂正はしていません。おそらくこのまま訂正はしないつもりでしょう。私が、これらのやりとりを公表しなければ何も問題なかったことにされてしまいます。ですから思い切ってこれらのやりとりも公開しました。


間違えたこと自体を私は咎めてはいません。非常に影響力が大きい公的立場にかかわらず無責任に放置を続けたことが問題です。公式の場で行われた際の発言ですから、間違いと判った時点で再び公に訂正すべきなのは当たり前のことです。混乱と誤解を引き起こしたのは事実で、一般人の発言の話とは次元と責任がまるで異なります。
今度のこの件に関して、この人たちの態度に私は本気で怒っています。
 
 
 
 

 


新潟県泉田知事発言問題 (2)オカノリさんの被爆者健康手帳の交付に関する行政などへの問い合わせ 

2014-08-06 | 被爆者、被害者、市民の声

被爆者健康手帳の交付要件【PDF資料】

念のため広島県庁に私から確認の問い合わせをして、この件について正式な回答を頂きました
 
〔私からの問い合わせ〕
 
被爆者健康手帳が交付される場合、広島県のホームページでも公開されている申請交付要件には記載されてないようですが、こんな噂があります。「長崎・広島では累積被ばく量、1ミリシーベルトで被爆者手帳が交付される」という話を聞いているのですが、これは本当でしょうか。累積で1ミリシーベルトの被ばくなら被爆者手帳が貰えるのでしょうか。このような事実はありますか。被爆地である広島に問い合わせれば判ると考えメールを送信致しました。広島県としての回答を、ご教示下さいますよう、どうぞよろしくお願い致します。
 
 

〔広島県からの正式回答〕

ご照会のありました,被爆者健康手帳の交付条件ですが、手帳交付の要件に、
「累積で1ミリシーベルトの被ばく」という要件はありません。
よって、「累積で1ミリシーベルトの被ばく」をもって、手帳を交付することはありません。よろしくお願いします。
 
【広島県被爆者支援課】
 
被爆者団体、日本被団協にも確認してみましたが同様のお答えを頂いています。


もちろん仰る通り、被爆者手帳に線量規定などなく、間違った認識が拡がることは本当に困ります」 

【日本被団協】 
 
また、上記に加え、同様の質問についての長崎県、長崎市、さらに隣の岡山県、山口県、それぞれの回答を以下に掲載します。


〔長崎県からの正式回答〕
 
お問い合わせいただいた被爆者健康手帳については、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(以下、被爆者援護法)第1条第1項の1号から4号に該当する方に交付されます。
被爆者援護法の概要はホームページに紹介しておりますが、
被爆者援護法には「広島・長崎では累積被ばく量、1ミリシーベルトで被爆者手帳が交付される」という規定はございませんので、当然、被爆者援護法の被爆者として認定されることはございません。
 
今後とも被爆者援護法の規定をホームページなどで広く皆様にお知らせし、被爆者援護法の適正な運用を図ってまいります。 
 
  
〔長崎市からの正式回答〕
 
被爆した放射線量を被爆者健康手帳の交付要件とする法の規定はございませんし、交付した事実もございません。
 
長崎市回答時の添付資料


 
 
 
 
 
〔岡山県からの正式回答〕
 
被爆者健康手帳の交付要件については、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(平成6年12月16日法律第117号)」で定められております。
この法律の前段には、国の責任においてということが明記されており、原爆施策については、国の指針に基づき、各県及び広島市、長崎市において実施しているところです。

手帳の交付要件につきましても、この法律に則り、法律に定めのある要件に該当することが証明できるものについて認定を行っております。
この要件の具体的な区域については、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行令(平成7年2月17日政令第26号)」に規定があるとおりです。
岡山県においては、他の他府県両市と同様に、国の定めた認定基準に沿って認定をおこなっているところです。

なお、お問い合わせの文中に、1ミリシーベルトという標記がございますが、
上記の法律に、手帳の認定において、1ミリシーベルトという要件記載はありません。
 
 
 
〔山口県からの正式回答〕

被爆者健康手帳の交付については、原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律に基づき、都道府県が審査し、交付することとなっています。

審査に当たっては、申請者について被爆の事実等を確認していますが、被ばく量について確認するようなことはありません。

したがいまして、「累積、1ミリシーベルトの被ばくで被爆者手帳が貰えて国の手当てがなされる」といった事実はありません。


新潟市にも質問してみました。すぐ対応して下さり御回答を頂きました。

〔新潟市からの回答〕

回答させていただきます。

ご質問の交付条件については、添付資料をご確認ください。

また,被爆者手帳の交付と被ばく量については、現時点では、国から示されているものや情報はありません。

 
 
 

私から新潟県に対しても、これらと同様の質問を出していますが、現段階では、まだ返信と正式回答が来ておりません。その理由は不明です。被爆者健康手帳交付要件に関する新潟県庁からの正式な御回答を、お待ちしております。

 

2013年9月5日

〔新潟県知事メディア懇談会での泉田知事の発言〕 

「それから、もうひとつ、同じ、これは放射能の被害っていう意味では、日本は長崎・広島、経験してるわけで、この、長崎、広島でですね、被爆手帳もらえる方っていうのは、累積被爆量1mSvを超えた人に交付されてるんです
この被爆者手帳貰うと、医療費無料になるんですよ。福島は年間20mSv浴びてでもですね、そこで子育てをして、医療費無料の対象にもならないと。日本は一体どうなってるんですかと。
広島、長崎では1mSvで、ちゃんと国の手当てがなされるのに、これ避難することもできない」


 
 
 

2013年9月7日

〔岩上インタビューでの泉田知事の発言〕

「それから福島の方から私のところに哀願の手紙来るんですけれども、どういうことかっていうと、広島長崎で被ばくされた人。累積です。累積で1ミリシーベルト超えると被爆者手帳貰って医療費タダになるんです」(1時間25分頃から)
 


 
 
 
私が何度か頂いた返事では、泉田知事に発言の訂正意思はないようです。この発言内容が誤りであることも認めません。
現在、新潟県在住の被爆者健康手帳取得者は100名以上。被爆者援護法では、被爆者手帳は各都道府県知事の承認のもとに交付されることが定められています。
つまり新潟では被爆者手帳は泉田知事のもとに援護法条文に基づき、承認交付されています。
 
この点について、自らの誤った発言によって原爆被爆者についての誤解・誤謬が社会に拡がることを指摘されながらもそれを軽視し、いまだもって泉田知事が発言訂正の意向を拒否しているのは非常に残念なことです。被爆者手帳の承認交付においても、知事職は重要な立場であり、今回の「訂正拒否」は知事としての責任感と良識に著しく欠けた行動であると私は思います。


〔その後、新潟県からの正式回答を得られるまでのやりとりも下記リンクで公開しています〕

 
累積1mSvで被爆者手帳は交付されない

 それを新潟県庁が、しぶしぶ認めるまでのやりとりを公開します http://renree.blogspot.jp/2014/07/1msv.html




新潟県泉田知事発言問題 (1) オカノリさんの泉田知事へのメール 「被爆者の本当の事を知って欲しい」

2014-08-06 | 放射能汚染

(管理人より)

「長崎、広島では、累積被ばく 1mSvで被爆者手帳が交付されている」という新潟県泉田知事の発言について、1年に渡りその間違いを指摘し続けてこられた、オカノリさん。(ツイッターアカウント名)

オカノリさんは運動家などではなく、一般市民の方です。被爆者ばかりの一家に生まれ、家族を通じて身近に多くの被爆者とかかわり、その方たちを見てこられました。「被爆者の本当の事を知って欲しい」とツイッターで発信しておられます。

ツイッター⇒  @okanori75   ブログ⇒ 記録と記憶 http://renree.blogspot.jp/

原爆投下、そして原発事故が起きた国に暮らす私たちにとって、被爆者健康手帳制度と原爆症認定制度についての正しい知識が必要だと考え、本日、3つに分けて、オカノリさんのブログから全文転載させていただきます。オカノリさんにご本人にご了解いただきました。本文、文字の強調、画像はそのまま引用させていただきました。(3つの記事ともに途中に管理人の私見は一切ありません) 


〔泉田知事へのメールを公開〕

「長崎、広島では、累積被ばく 1mSvで被爆者手帳が交付されている」という御発言の間違いについて


泉田知事様

昨年9月から、ツイッターで呼びかけていたオカノリです。
 
先日、ツイッターのダイレクトメールで知事から短い文面を頂き、意見のアドレス指定がありました。その後、ご指定のアドレスに2度ほど送信いたしましたが御返事は頂けませんでしたので、私が考えていることを、ここでまとめて伝えさせて頂こうと思います。
 
知事から頂いた文面についての私の印象ですが、昨年9月の被爆者手帳に関する御発言について、現在も考えや主張を変えてはいらっしゃらず、訂正の意向はないとの旨に受け取れました。
 
そこで、知事の御発言の根拠について、私にとってまだ不明な点、それらについて確認をさせて頂きたいです。 
 
はじめに、知事は 被爆者健康手帳制度 と 原爆症認定制度 のふたつの別の制度について、その違いを正確に把握していらっしゃるでしょうか。というのも、この二つの制度を混同している方が本当に多いのです。両者は全く別の違う制度なのですが、その区別がつかない人が殆どです。

一番よく見かけるのが「3.5km 以内なら、被爆者手帳が交付されている」と誤解している方です。これは被爆者手帳原爆症認定が違う制度であるという正確な知識が不足しているために起きる、よくある誤解です。両方とも国民には馴染みがない制度なので仕方ないですが、なかなか正しくイメージ出来ないようです。万が一、知事がこれらと同様な混同をされているとしたら、その初歩的な部分からご理解頂かなくてはなりません。
 
ふたつめのケースは、「この二つの制度の違いはわかっているが、国の被爆線量評価では 3.5km 地点は初期放射線が、1mSvであるから、3.5km 地点でも被爆者手帳を受け取れている人は実際にいる」 と知事が仰りたいのかなとも思ったのですが、そうでしょうか。原爆症認定と被爆者手帳の違いくらい、わきまえているが、要は3.5kmで手帳を持つ人は存在するのだから、1mSvで交付されるという言い方は間違いではない、と。そのようにもまた受け取れました。これらの点において知事の仰る意味が、あとひとつ私にはわかりませんでしたので、その辺を伺いたいと思っていますが、教えて頂けないでしょうか。
 
原爆の話は複雑で、色々な知識が必要です。それを、できるだけわかりやすく私からお伝えしたいのです。順を追って最低限の知識を共有しなければ、いつまでも認識自体がすれ違い、かみ合いません。それを昨年から何度も、いろんな方と経験してきました。
 
では、知事の御発言での根拠が、上記(2種類の憶測)の私の想像とさほど違っていないという前提で、あえて一歩先に進んで御説明したいと思います。
 
知事がDMで仰った、初期被爆線量が3.5kmで1mSvである、というお話は、直接被爆者(1号)のお話であろうと思います。厚労省のホームページに掲載された同心円図などでも示されてある線量数値ですね。厚労省が「3.5km地点は1mSv」と言い出したのは、まだ最近です。たとえば、昭和50年代頃の政府見解では、3km 以遠は「ゼロ」と発表しています。1mSv の数字は手帳ではなく原爆症認定基準が大幅改定され、3.5km という距離が初めて採用された2008年以降からであり、それ以前は「2.5km 以遠は、ほぼゼロである」という表現しかしていませんでした。

原爆投下当日に、広島、あるいは長崎にいて原爆に遭った人の「初期放射線」が、たとえば3.5kmの場所ならば1mSvである、という御指摘ですね。確かに「初期放射線」に限定すれば、直接被爆者の場合は大方そうであるとしましょう。(これについては後述)。しかし原爆被爆者の存在というのはその人たちだけではありません。入市被爆者(2号)救護被爆者(3号)という被爆者もまた、法的に認められている正式な「原爆被爆者」です。
 
この場合の「法的に認められた被爆者」とは「被爆者健康手帳を取得した者」と同義です。私の家族にも入市被爆者が何人かいます。長崎の原爆で入市被爆した私の叔父は、長崎原爆が投下された当日は、そこにはいませんでした。その日は佐賀にいました。大きな爆弾が落ちたことを連絡で知り、家族を捜すために電車で急遽、長崎に帰りました。原爆が投下されたその翌日に長崎近くに到着しました。そしてそのまま長崎市中心部へと向かい、吹きとんでいた家の焼け跡場所(爆心地から500m付近)で家族の遺体を捜しました。叔父は現在も存命で、入市被爆者(2号)として被爆者手帳を持っています。この私の叔父のケースのように原爆投下の当日には、その場(広島・長崎)に居なかった入市被爆者は「初期放射線」は、全く浴びていません。叔父の場合、8月9日にいた佐賀の場所は長崎から 100km 以上の距離があります。3.5km どころではありません。叔父の初期放射線の被爆線量は当然ながら「ゼロ」です。しかし法的に認められた「被爆者」として、被爆者手帳を所持しています。
 
つまり、もし知事が仰るように初期放射線に限定し、また直接被爆者の直線距離の被爆線量だけに限定し、それ(3.5km = 1mSv)に依拠した論を展開なさるのなら、入市被爆者と救護被爆者は全員が「ゼロミリシーベルト」で手帳が交付された、という理屈になります。
 
被爆者は年々減っていますが、現在でも、入市被爆者は4万8千人、救護被爆者が2万2千人います。合計で7万人の被爆者のほとんどが今も「ゼロミリシーベルト」を根拠に手帳が交付されている、という事になってしまいます。被爆線量がゼロでも交付されるなら、1945年8月当時に生きていた人は日本人全員が申請しても、誰でも手帳が交付されますよ、という(これは極端ですが)変な話にもなってしまいます。
 
ですから知事が、国のDS02 線量評価体系の直接被爆者の直線距離の初期放射線量だけを根拠にあげて「1mSv から交付される」であると...、その1mSv が交付されている根拠だと、そう主張なさるというのであれば、それは正しくは 「長崎、広島ではゼロミリシーベルトから手帳が交付される」「約7万人が今もゼロミリシーベルトで交付を受けている」 が、より正確な言い方であるということになります。
 
でもそれは客観的に見た時、明らかに解せない、妙な話になります。いかがですか。原爆投下当日の初期放射線のみを取り上げ、「残留放射能」をほとんど無視している国の線量評価手法というのは原爆の被爆実態を全くあらわしていない机上の空論であり極めて過小評価されたものなのです。

このように国の理屈と現実の間に様々な矛盾と乖離が生じるため、手帳制度には線量の縛りなどはありませんし、線量基準の法律は手帳制度にありません。線量評価に基づいた放射線起因性判断で、手帳交付が行われているわけではありませんもうひとつの制度、原爆症認定制度の審査では国が行っている個人被爆線量評価も、手帳制度の場合は無関係なのです。
 
なぜそう言い切れるのかというと、原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(通称: 被爆者援護法)という法律が被爆者の定義をその趣旨で定めているからです。放射線起因性の証明は手帳審査には求められません。それは援護政策を行っている政府自身が一番よく知っていることです。下は東京高裁で国が援護法の定義をあらためて正式に示した一節です。被爆者健康手帳の交付では 「具体的な被曝線量を問わない」 としています。
 
 
さらに例を出して言うと、原爆に遭って原爆症になり原爆症認定集団訴訟で闘った入市被爆者や遠距離被爆者の多くは、推定被爆線量は「ゼロ」であると国から結論付けられました。その人たちは、もし国が被爆線量推定をすれば「ゼロ」(被爆していない)のはずなのに原爆症認定のための申請資格条件である被爆者健康手帳を先に取得できていたということになります。知事の「1mSv から交付」というお話はここからもう事実と違っています。なぜ「ゼロ」なのに取得できるのでしょう。知事の御発言が本当ならば、入市、救護を合わせた7万人の「ゼロ」の人たちには逆に交付されないことになるはずです。
 
手帳を取得した後、原爆症認定を申請したが推定被爆線量「ゼロ」を理由に「原爆症ではない」と国から却下された。そして今度は訴訟を起し、「原爆症を発症するほどの被爆をした」との司法判決が出て勝ったことで認められ、国側の主張、「被爆ゼロ」にもかかわらず原爆症に認定されてしまった、という経緯になります。それでも、その人たち(原告勝訴で原爆症認定された人たち)に対する国による被爆線量推定値は今でも修正されていません。相変わらず「ゼロ」のままです。

被爆者手帳を持っていて、さらに原爆症訴訟でも裁判で勝ち、その病気について被爆者援護制度トップランクの原爆症認定を受けた人たちでさえ、内部被曝の影響を無視され続け、DS評価では、初期放射線、残留放射線の両方を合わせて「ゼロミリシーベルト」(被爆していない)推定であるとの扱いなのです。ましてや、1mSv 以上の被爆を理由として被爆者手帳が手厚く交付されるという事実などありません。
 
たとえば他にも、2008年に発表された、こういう論文があります。これは広島で爆心から4.1kmで被爆し、初期放射線をほとんど浴びていない被爆者の染色体異常率から被曝線量を推定したものです。推定結果は300mSv でした。4.1km で 300mSv です。被曝要因は主に黒い雨による内部被曝です。この被験者は多重ガンや骨髄機能障害など、被爆者特有の疾患複数を持っています。
 
【論文】一般演題27 フォールアウトによると思われる3重癌と3つの放射線関連疾患を持つ1症例
 
直接被爆者(1号)だけに限定したとしても、それは同じように言えます。長崎の被爆指定地域は南北12km、東西7kmという歪な形をしています。手帳範囲を市の行政区画で線引きしたため、そうなってしまいました。いわゆる「同心円」ではありません。ボコボコ、グニャグニャした縦長型です。

 
 
長崎の被爆指定地域は爆心地から一番離れた南の場所の場合など一部地域は、初期放射線は全く届きません。やはり「ゼロ」です。そうすると、もし(3.5km = 1mSv)が根拠であるなら、直接被爆者(1号)でさえも長崎の遠い場所ではゼロミリシーベルトで手帳が交付されている、となってしまいます。しかし長崎では長崎医科大学が調査した報告があり、遠方でも少数ながら急性症状が出た人の学術記録が残されています。後年、機密をとかれて公開された米マンハッタン調査団の調査報告も同様です。
 
初期放射線が届かなくても、爆風や黒い雨に混ざった放射性物質が遠くまで流れて到達したからです。原爆投下時に使われた米の調査用ラジオゾンデが爆風に乗って流れて行き、遠方に落ちた記念碑が今も長崎市郊外にあります。爆心地から相当に離れていても現実には放射性降下物により被曝被害がありました。10km 以上離れた場所でも、農作業をしていた人が爆風の風圧で倒れたり、屋根や塀が壊れたりしました。大量の放射性物質を含んだ塵がそこまで届きました。しかしそれらのことも、現在のDS体系の初期放射線のみに偏った被爆推定値では全て無視され一切被曝が無いことにされています。長崎原爆の放射性降下物は風に乗って島原半島や熊本まで到達しました。それは原発事故の時に放射性物質が、たやすく数百キロの広範囲に拡がった事と同じです。「現在、指定されている長崎の被爆地域は、半径12km 全域が放射能の影響を受けたと考えている」が長崎市の公式見解です。
 
 
また、「DS体系に基づいた初期放射線の被爆線量推定は、1.3km 以遠では過小評価の疑いがある」、という指摘が何度も訴訟判決で出されています。つまり知事の仰るような初期放射線に限ったお話の場合でも、3.5km地点が1mSvであるというのは過小評価であり、それすら実は事実ではありません。
DSの不完全さ(残留放射能や遠距離の過小評価)は、裁判の中で30回以上も指摘され否定され尽くしていることなのです。にもかかわらず、認定を却下するための武器として、これに固執しているのが政府であり厚労省です。それに、DS線量評価体系は国側の、いち知見に過ぎず知事が仰るような「法律」ではありません。
 

大阪高裁判決文 DS86 および DS02  〔線量推定の過小評価〕

 

医師団意見書 〔DS線量評価システムでは現実の急性症状を説明できない〕



長崎では、初期放射線が届かなかった遠方地域で黒い雨が降り、その被曝が百ミリシーベルトに達した可能性もありながら、理不尽な行政区画の線引きによって切り捨てられて被爆者手帳申請資格がない地域の住民がおり、現在も裁判で係争中です。いわゆる「被爆体験者」と呼ばれる、法的には認められていない(手帳を貰えない)黒い雨の被爆者たちです。長崎同様に、広島にも黒い雨で被曝しながらも手帳資格がない地域住民が多々います。 

以下は本田孝也医師による被ばく未指定地域(被爆者健康手帳の資格がない)住民の被曝線量推定についての裁判意見書、一部抜粋です。長く機密になっていて近年公開されたマンハッタン調査団による当時の貴重な「実測値データ」を使って計算された信頼性の高い被曝線量推定値です。福島の線量とも対比してあります。これ全て、被爆者手帳を持つことができない未指定地域住民の話です。これだけの被曝の可能性がありながら被爆者と認めてもらえず手帳資格もないのです。




原爆において、このタイプの被曝(放射性降下物や残留放射能による低線量内部被曝)を認めず無視し続ける国の姿勢こそが、原発事故による被曝を過小評価しようとする姿勢に通じる同じ問題をあらわした隠蔽の本質です。原爆のたとえを挙げて原発事故被害者への国による補償を強く要求するのであれば、本当に指摘すべき、批判すべき政府のやり方はここなのです。

決して1mSv を理由にして交付されたのではなく、昔から交付されている事実に対して国が被爆線量の極端な矮小化を今も続け、頑なに被曝被害を否定しているだけなのです。そこを非常に勘違いなさっていませんか。

知事の御発言だと、1mSv が交付を担保していて、それが制度化されているかのように聞こえます。1mSv の被爆であることを理由に手帳を交付された方は具体的には、どなたでしょうか。お名前をあげることはできますか。そのような被爆者はいらっしゃいません。証人探しで苦労したり、手帳を持てないままの方も大勢いるのが現実です。



以上のことから、御発言の中での「1mSv で被爆者手帳が交付される」の箇所は、初期放射線に限ったお話の場合でも、それ以外の被曝まで考慮に入れたお話の場合でも事実ではありませんし、むしろ長年の国による黒い雨被爆者の切捨てや、原爆の内部被曝を過小評価した隠蔽プロパガンダを逆に助長する結果となってしまいました。国は、少ない原爆被害でも被爆者を手厚く保護しているのだという印象を植え付ける宣伝をしてきました。本当は、それらは被爆者が非常に長い闘いの中で少しずつ勝ちとってきた事なのです。

被爆者が1mSv 基準で医療補償される事実などなく間違った認識による知事の御発言は、被爆者に対する世間の誤解を招く表現になっています。凄惨な被爆実相を世に伝えようと、これまで被爆者が長年努力してきたことについて、いかが思われますか。
逆の立場でお考えになってみてください。原発事故被害者が、国の過小評価の理屈を振りかざされて事実にないことを言われ、それにより受けてもいない条件で医療補償を受けているかのような誤解が広められたら、きっと反発されるのではないでしょうか。
環境省が「避難した住民も十分補償されている」と言ったら、それをそのまま事実のように広めるのですか。それと同じです。原爆被爆者の被害を国の理屈を借りて過小評価すれば、遠回りして原発事故被害者の被曝の過小評価へと跳ね返ります。やがて原爆、原発双方の被害者補償の道を逆に狭めかねません。
 
正しい理解のために必要な知識となる、手帳制度の歴史的経緯について御説明します。
被爆者手帳制度と、DS02を使った線量評価システムの間に関連はないです。原爆医療法成立で制度化された被爆者健康手帳は、原爆の線量評価体系がほぼ確立されたと言われる「DS86 」の、30年前に作られた古い制度であり、その線引きの根拠は(個人被爆線量評価の方法が無い時代であったため)実際の被害実態を見ながら考慮し、交付基準を決めていきました。



 当時の厚生省の技官が広島と長崎に視察に行き、病院の現場を見たり被爆地の医師たちの話を聞いて調査。また、原爆後に大規模に行われた日米合同調査団の原爆災害調査で学術報告された急性症状発症例などに基づき、最終的には技官の半ば独断も取り入れながら定めていきました(1957年当時、原爆医療法制定にあたって手帳の制度作りに関わった浦田純一・元厚生技官自身が「独断だった」と後年に証言しています)。
そのため、「入市被爆」、「救護被爆」といった難しくて捉えにくい被爆被害も実際に起きた事例として考慮され、手帳の分類枠として設定されました。線引きによる切捨ての問題は残念ながら残ったものの、「入市被爆者」や「救護被爆者」を手帳枠として制度設定できたのは、起きたことをつぶさに見て判断した成果とも言えます。それら時代背景を丁寧に紐解けば明白です。

手帳基準は、主に急性症状率や死亡率等、現実の被爆実態を考慮したうえで定められた昔の政策判断が基本なのです。

 
 
 


同心円状の直線距離ではなく、既成の行政区画を基礎にして大雑把に対象範囲を区切ったことが、その典型です。

仮に、原爆の手帳制度に厳密な1mSv単位の被爆線量の根拠を無理やり持ち込もうとするならば、これまでに述べたような様々な矛盾がいくつも生じて制度の理屈は根本から破綻するでしょう。そもそも原爆被爆者の個人被爆線量を、1mSv の細かい単位まで見極めることは不可能なのです。この現代でさえも原発事故当時の初期被ばくデータを正確に明らかすることが困難な程なのですから。過去、ピークで38万人、いま現在でも約20万人いる被爆者健康手帳所有者の被爆線量など、データそのものが存在しません。ですので、せいぜい初期放射線の、おおまかなシミュレーション推定(それがDS02です)程度しかできません。それに手帳制度で、そんな膨大で煩雑な作業を行政は行っていませんし、仮にやろうとしたところで出来ません。被爆線量評価が関係してくるのは、もうひとつの制度、原爆症認定制度での話となります。そのふたつは違う別の制度で、原爆症認定制度では、3.5km (ガン疾患等の積極認定範囲の場合)以内の認定目安なのです。手帳制度原爆症認定制度、この2つがしばしば一緒にされ誤解されています。
 
また、知事が、かねてから「法の下の平等に反する」とも主張され、頂いたDMでも同じことを仰いました。しかし再三申し上げてきた通り、1mSv を超えたら被爆者手帳が交付される法律、は存在しません存在しない法律を根拠にあげて「法の下の平等」を主張されても土台が間違いなので論理は破綻しています。間違った認識や事実にないことを根拠にしても正当な主張になりません。間違いを根拠にしてしまえば、他の本当に正しく大切な部分まで信頼性や説得力が失われかねません。真剣な主張こそ丁寧に行くべきです。このまま押し通せば、いつか足元をすくわれかねません。ここは私が特に知事に申し上げたいと思っている部分です。
 
知事を信頼している方々は多いのですから、この一部分については、すみやかに何らかの形で訂正して頂きたいと思います。悪気のない勘違いや思い込みなど誰にでもあり、それは仕方ないことです。しかしいまだに誤解を招いていることは事実で、大きな影響力をお持ちの政治家として責任を持って訂正してくださらないことについては残念な気持ちでいます。原発事故で苦しむ方々の状況を、少しでもよくしてあげたいという正義感から、踏み込んだ重要な発言をなさって下さったことは頼もしく感じていますし、支持しています。20mSv でも政府の帰還政策が続けられていることへの憤りと御指摘、1mSv以上で、原発事故被害の補償対応を今後きちんと求めていく趣旨自体など、それは私も共感しており賛成なのです。
 
でも原爆の被爆者手帳交付基準に関する一部分だけは根拠にはならず間違いです。万が一、「引っ込みがつかない」程度の理由で今も意固地になられているのだとしたら、それだけはどうかやめて頂きたいです。原発事故によって苦しんでいる被害者の方々に馳せる想いと同じように、無理解や偏見がもたらしてきた被爆者の苦しみの歴史について知識と良識を持って対応して頂きたいです。私が言うまでもなく、知事が手帳を承認交付している新潟県にも被爆者の方はいらっしゃいます。修正すべき点は認め修正して、堂々と主張なさるべきです。私は知事が誠実な方だと思っているから訴えかけているのです。
 
知事のお考えについて返信を頂けないでしょうか。訂正拒否の意向を考え直してください。私はこのメールをブログで公開し、他の方たちにも一緒に考えて頂けるきっかけと更なる問題提起をするつもりでいます。必ずしも知事お1人に向けてということではなく、これをひとつの転機に変えたいと思っています。原爆被爆者の何が理解されていないかが示唆された根深い問題だと感じるからです。今でも知事と対立するつもりなど毛頭ありませんし、私のお願いを理解して頂きたいという思いだけです。知事を支持している私にとって不本意ですが、しかし知事の御発言の責任は被爆者側にはありません。知事が、そこの箇所の発言訂正をして下さるまで、今後もやむを得ず訂正を求めていく私の考えは変わりません。原爆によって苦しみ亡くなっていった大勢の方たちが後世に何を訴え、伝えたかったか。人生や命と引き換えに残した教訓、私達が引き継いでいくべきこと、それを今一度お考えになってみて欲しいのです。原発事故の話とも決して無関係ではないはずです。
 
もしこれらの私の話が信用しかねるのであれば、ご多忙とは思いますが、原爆症認定訴訟関連の本などをお探しになり、一度お読みになられるといいと思います。


〔泉田知事へのメールはここまで〕
 
 
文字数の関係で次の記事に続きを載せます。
 

 


Why did I leave Tokyo? A message from Dr. Mita to his colleagues in Kodaira, Tokyo

2014-08-01 | English

A Tokyo doctor who has moved to western Japan urges fellow doctors to promote radiation protection: A message from Dr. Mita to his colleagues in Kodaira, Tokyo  

Doctor Shigeru Mita, who recently moved to Okayama-city, Okayama prefecture, to open a new clinic there, wrote a short essay in the newsletter published by Association of Doctors in Kodaira, metropolitan Tokyo.

Although the target readers for this essay were not the general public, it has been cited in a weekly e-mail magazine published by journalist Kota Kinoshita, who has been organizing actions to urge people to leave radiation affected areas (including Tokyo) since 3.11, 2011.  

On many occasions, public talks and gatherings, both Dr. Mita and Mr. Kinoshita have acknowledged the danger of radiation and they have called out for immediate action for radiation protection. 

In November 2013, WNSCR translated an essay that Dr. Mita wrote for parents concerned about radiation: (Please read the article here). Despite the interests of many parents in Japan, there are very few doctors who show serious concern on the issues of radiation, and commenting on the issue publicly is even rarer.  

It is the opinion of WNSCR that Dr. Mita’s views have significant meaning for the general public, especially for those who are interested in the health impact of radiation on the general population. We have permission to translate a new essay of Dr. Mita, through Mr. Kinoshita    

 
Why did I leave Tokyo?

 
Shigeru Mita (Mita clinic) 
 
To my fellow doctors,
 
I closed the clinic in March 2014, which had served the community of Kodaira for more than 50 years, since my father’s generation, and I have started a new Mita clinic in Okayama-city on April 21.
 
I had been a member of the board of directors in the Kodaira medical association since the 1990’s, the time I started practicing medicine at my father’s clinic. For the last 10 years, I had worked to establish a disaster emergency response in the city.
 
In Tokyo, the first mission of the disaster response concerns how to deal with earthquakes.
 
In the event of a South Eastern Earthquake, which is highly expectable, it is reasonable to assume a scenario of meltdown in the Hamaoka nuclear power plant in Shizuoka prefecture, followed by radiation contamination in Tokyo.
 
I have been worried about the possibility of radiation contamination in Tokyo, so I had repeatedly requested the medical association, the municipal government and the local public health department to stock medical iodine. However, every time my request was turned down; the reason given was that Tokyo did not expect such an event. Hence there was no plan for preparing for the event.
 
In the afternoon of March 11, 2011, Tokyo experienced slow but great motions in the earthquake. I thought, “now this is what’s called long-period seismic motions. The South Eastern Sea earthquake, with the following Hamaoka NPP accident, are finally coming”. Instead, the source of the earthquake was in Tohoku. The temperature of the reactors in Fukushima Daiichi NPP rose and it caused massive explosions, followed by meltdowns and melt-through.
 
It is clear that Eastern Japan and Metropolitan Tokyo have been contaminated with radiation.
 
Contamination of the soil can be shown by measuring Bq/kg. Within the 23 districts of Metropolitan Tokyo, contamination in the east part is 1000-4000 Bq/kg and the west part is 300-1000 Bq/kg. The contamination of Kiev, the capital city of Ukraine, is 500 Bq/kg (Ce137 only). West Germany after the Chernobyl accident has 90 Bq/kg, Italy has 100 and France has 30 Bq/kg on average. Many cases of health problems have been reported in Germany and Italy. Shinjuku, the location of the Tokyo municipal government, was measured at 0.5-1.5 Bq/kg before 2011. Kodaira currently has 200-300 Bq/kg contamination.
 
I recommend all of you to watch the NHK program, “ETV special: Chernobyl nuclear accident: Report from a contaminated land”, which is available on Internet. I think it is important to acknowledge what people who visited Belarus and Ukraine, and heard the stories of the locals, have seen and felt there, and listen to those who served in rescue operations in Chernobyl in the past more than 20 years.
 
Their experience tells them that Tokyo should no longer be inhabited, and that those who insist on living in Tokyo must take regular breaks in safer areas.
 
Issues such as depopulation and state decline continue to burden the lives of second and third generation Ukrainians and Belarusians today, and I fear that this may be the future of Eastern Japan.
 
Since December 2011, I have conducted thyroid ultrasound examinations, thyroid function tests, general blood tests and biochemical tests on about 2000 people, mostly families in the Tokyo metropolitan area expressing concerns on the effects of radiation. I have observed that white blood cells, especially neutrophils, are decreasing among children under the age of 10. There are cases of significant decline in the number of neutrophils in 0-1 year-olds born after the earthquake (4500). Patients report nosebleed, hair loss, lack of energy, subcutaneous bleeding, visible urinary hemorrhage, skin inflammations, coughs and various other non-specific symptoms.
 
Kodaira, in western Tokyo, is one of the least-contaminated areas in Kanto; however, we began to notice changes in children’s blood test results around mid-2013 even in this area. Contamination in Tokyo is progressing, and further worsened by urban radiation concentration, or the effect by which urban sanitation systems such as the sewage system, garbage collection and incineration condense radiation, because contaminated waste is gathered and compressed. Data measured by citizens’ groups showed that radiation levels on the riverbeds of Kawabori River in Higashiyamato and Higashimurayama in Tokyo have increased drastically in the last 1-2 years.
 
Other concerns I have include symptoms reported by general patients, such as persistent asthma and sinusitis. The patients show notable improvement once they move away.
 
I also observe high occurrences of rheumatic polymyalgia characterized by complaints such as “difficulty turning over,” “inability to dress and undress,” and “inability to stand up” among my middle-aged and older patients. Could these be the same symptoms of muscle rheumatism that were recorded in Chernobyl?
 
Changes are also noticeable in the manifestation of contagious diseases such as influenza, hand-foot-and-mouth disease and shingles.
 
Many patients report experiencing unfamiliar symptoms or sensing unusual changes in their bodies. Perhaps they feel comfortable speaking to me, knowing that my clinic posted signs informing of possible radiation-related symptoms immediately after the nuclear accident. Many young couples with small children and women worried about their grandchildren visit my clinic and earnestly engage in the discussion, and there is not a single patient who resists my critical views on the impacts of radiation.
 
Ever since 3.11, everybody living in Eastern Japan including Tokyo is a victim, and everybody is involved.
 
We discovered that our knowledge from the discipline of radiology was completely useless in the face of a nuclear disaster. The keyword here is “long-term low-level internal irradiation.” This differs greatly from medical irradiation or simple external exposure to radiation. I do not want to get involved in political issues; nonetheless, I must state that the policies of the WHO, the IAEA or the Japanese government cannot be trusted. They are simply far too distanced from the harsh realities that people in Chernobyl still face today.
 
The patients from Eastern Japan that I see here in Okayama have confirmed the feelings that I have had for a long time, since I was based in Tokyo. People are truly suffering from this utter lack of support. Since 3.11, mothers have researched frantically on radiation to protect their children. They studied in the midst of their hostile surroundings in Tokyo, where they could no longer trust either government offices or their children’s schools. Family doctors were willing to listen about other symptoms, but their faces turned red at the slightest mention of radiation and ignored the mothers’ questions. Mothers could not even talk openly to friends anymore as the atmosphere in Tokyo became more and more stifled.
 
I believe that it is our duty as medical doctors to instruct and increase awareness among the Japanese public. This is our role as experts, having knowledge of health that the general public does not possess. Three years have quickly passed since the disaster. No medical schools or books elaborate on radiation sickness. Nevertheless, if the power to save our citizens and future generations exists somewhere, it does not lie within the government or any academic association, but in the hands of individual clinical doctors ourselves.
 
Residents of Tokyo are unfortunately not in the position to pity the affected regions of Tohoku because they are victims themselves. Time is running short. I took an earlier step forward and evacuated to the west. My fellow doctors of medicine, I am waiting for you here. And to the people in Eastern Japan still hesitating, all my support goes to facilitating and enabling your evacuation, relocation, or a temporary relief in Western Japan.