http://ameblo.jp/datsugenpatsu1208/entry-11367306721.html 脱原発の日 小出さんのメール
わたしたちの願い,小出裕章
たとえば,あなたのクラスに34人の生徒がいるとします。その中の33人が,あることを賛成したとします。よく考えて賛成というひともいるし,あまり考えずに「みんながそうなら、そうしよう」と、まわりに合わせてしまうひともいるかもしれません。
クラスは、あなたひとりを除いて,「賛成」の意見でまとまりそうです。けれど,あなた自身は,どうしても賛成できません。そのとき、あなたはどうするでしょう。
...
たったひとりで、33人を前に「反対」といえるでしょうか。
「いえない」とあなたが思うなら,それはなぜでしょう。
みんなとちがうと、クラスで浮いちゃうから?孤立するから?みんなに合わせておいたほうが、らくだから?ひとりだけちがうと、「かっこつけて」とか「目立ちたがり」とか「生意気」とかいわれそうだから?そして,仲間外れやいじめにあいそうな気がするから?
理由はたぶんいろいろだと思います。しかし,反対なのに,反対である自分を消して,まわりに合わせた自分を,あなたはいつか「いやだな」と思うようになりませんか?
そうして,いつも,まわりに合わせてしまうことがあなたのくせになって,ずっとそんなふうに生きていくことになったら、あなたは自分を好きでいられるでしょうか。
みんなの意見に無理に自分を合わせることに必死だった11歳のある子は。ある日、いいました。
「ずっと、ずっと、消しゴムでゴシゴシ自分を消しているみたいだった。そんなのいやだと思いながら,ゴシゴシ消していた。そしたら、自分が消えて、自分でなくなっちゃったみたい」と。
わたしは、日本という国がひとつになって,原子力発電に賛成する人たちがどんどん多くなっていくときにも,反対をしてきたひとりです。
「たいへんだったでしょう」と、よくいわれます。
けれど、わたしは、そうは思いません。
自分に対して誠実に生きることはとても気持ちのよいものです。自分にウソをつくことのほうが、わたしにはたいへんなことであり、いやなことであるからです。
少なくとも私は,自分の考えを裏切らずに済みましたので,ありがたい人生だと思います。
しかし,十分に原発の危険性を伝えることができず,今回の事故が起きてしまったのは,とてもくやしい思いがします。
原子力発電は、あなたのいのち、あなたの人生に直接かかわることなのですから,しっかりと学んでください。
私はやがてはいなくなります。あなたよりずっと年上なのですから。
そのときに、自分で考えて,ひとりでも行動できる,そういうひとになってほしいと願います。そして思ったことをひとに伝えて、みんなで話し合いながら未来を考え,決めていくような社会が来ることをこころから願います。
起きてしまった原発の事故を起きなかったことにはできないし、過去を変えることはできないけれど,現在と未来をつくることができるのは,一人ひとり
の「あなた」です。
私はこの小出さんのメールを「たったひとりで「がれきの広域処理に反対」と言えるか?」にあてはめてみました。
北九州市役所や環境省は、広域処理予算のうち39億円を広告代理店に渡して世論を誘導しました。国策がれき広域処理に楯突く市民は悪い市民だ、「絆」がないのか!「非国民」だ!の大キャンペーンをしました。それにも負けずに、命懸けで試験焼却の際、トラックを止めようとした善意の市民に今度はネガティブレッテル貼り。
そうして、ついに北九州市はネット監視、風評被害対策室や機動隊、警察が怖くて自由にモノが言えない街になりました。しかしそうして作られた多数派賛成派に道理はありません。
「自分で考えて,ひとりでも行動できる,そういうひとになってほしい」と小出先生は言われています
がれきを本気で止めるかあきらめるか? マスクをするかしないか? 主体的に考えて行動するということはそういうことだと思います。
自分が考えず、誰かが考えてくれる、気にしないのが一番⇒こうして原発事故も起きたし、がれきも燃やされたのです。
実害を被るのは私たちです。実際には被災地への助けにもなっていません。
がれきを止めなければ小出さんの言う福島の子供を助けることすら無理になると思います。今日で14日間燃やされました。110×14=1540トン燃やされました。この間宇部市では運動会も開催されました。一体どれだけの家族が私のブログを見て体育館で食事をしたのかわかりません。もしかすると一家族もいないかもしれません。
小出先生にお会いしてから7ヶ月走り続けてきました。でも今、無力感があります。