ブログ「風の谷」  再エネは原発体制を補完する新利権構造

原発事故は放射能による公害。追加被曝阻止⇒放射性廃棄物は拡散してはいけない⇒再エネは放射能拡散につながる⇒検証を!

北九州市PCB廃棄物処理上積み問題(5)JESCO日本環境安全事業(株)~日本の環境行政の深い闇

2013-11-27 | PCB

北九州のPCB処理事業を行うJESCOについて調べました。

JESCO 日本環境安全事業株式会社 http://www.jesconet.co.jp/index.html

国の監督のもとPCB廃棄物の処理を行うため、旧環境事業団(JEC)のPCB廃棄物処理事業等を継承して、平成16年4月1日に100%政府出資により設立

 JESCO北九州事業所    http://www.jesconet.co.jp/facility/kitakyushu/index.html

 

 

北九州ポリ塩化ビフェニル廃棄物処理事業実施計画  を見ると

平成19年度廃棄物処理施設整備に対する国庫補助事業に関する事前評価結果(PCB廃棄物処理施設整備事業)

つまり、この事業費に 821+468=1289億円 かかってるということ?国がPCB製造メーカーの肩代わりをして、税金がこんなに使われていたなんて・・・・・知らんかった・・・・_| ̄|○  施設だけで約400億円って (゜д゜lll)

ジャーナリスト山本節子さんの著書『ごみを燃やす社会』http://amzn.to/1dCOyzN より本文を転載させていただきながら、この問題を読み解いていきたいと思います。資料はこちらで追加しています。


(引用ここから)

p83より・・・しかし、環境事業団には実際の処理事務を行う能力などはありませんから、実務は全て民間企業~それも国が認定したPCB分解技術を持つ巨大企業~に丸投げせざるを得ません。つまり環境事業団に求められているのは税金(補助金)の受け入れ窓口としての役割だけです。

ちなみに主なPCB処理の技術名と開発企業は次の通りです(http://www.sanpainet.or.jp/service/doc/24-3.pdf) しかし、いずれの技術も、独立した第三者機関によって安全が確認されたわけではなく、自己申告ばかりです。

一見、「民間でできるものは民間に」ではなく、「民間にしかできないものを国が」やるように見えますが、実はこの政策はもうひとつ手が込んでいました。実際は「民間にしかできないものを国がやり、しかも民間の事業に見せかける」政策です。

そのため政府は他の二つの法律を用意していました。環境事業団法を分けて、日本環境安全事業株式会社法環境再生保全機構法にしたのです。この中で、現行の環境事業団と公害健康被害補償予防協会(以下「協会」)は、平成16年4月1日をもって廃止することを決めています。

これまで協会が行ってきた公害健康被害補償や民間団体の環境保全活動支援などの業務は、環境再生保全機構が引き継ぎ、環境事業団法のPCB廃棄物処理事業は、新たに設立する特殊会社・日本環境安全事業(株)が継承することになっています。(図)

業務移管の詳細 より 

 「特殊法人の独立行政法人化等に伴う政府出資額の増減」についての詳細 より

  

しかしこのようなことは環境事業団法には書かれておらず(第42条に「事業団の解散については別に法律で定める」とあるだけです。)、議論も特殊法人改革の中だけで行われたため、ごみ問題だけを追っている人には知られていないかもしれません。

日本環境安全事業(株)は政府が100%出資する特殊会社です。必要ならいくらでも増資できるし、政府保証付きで起債や長期借入金の借り入れもできます。またPCB処理に限らず、大臣認可を得ればその他の事業も行うことができるという規定もあります。これは、環境事業団が民間企業として一般的なごみ処理事業にも参入できるという意味にほかなりません。しかも上述のように、日本環境安全事業(株)には実際の業務を遂行できる能力はなく、他の民間企業に丸投げするしかありませんから、たしかに「特殊」です。

この制度は「循環型社会」政策の下で、日本の廃棄物ビジネスの「核」であるダイオキシンやPCBの「分解・無害化」技術を世界的に売り込むために考えられたようです。株式会社化しておくことによって、いずれ出てくる市民(納税者)の追求や情報公開の請求を「民間企業のノウハウ」としてかわすことができるという読みです。

なお、現在日本で行われているPCB処理は主に化学分解法ですが、政府は当初、PCBをすべて焼却で処理するつもりでした。実はカネミ事件と同じ頃、もうひとつのPCB事件が、瀬戸内海に面した兵庫県高砂市で起きていました。海浜の埋立地にはPCBの製造企業である鐘淵化学高砂工場と、PCB原体を加工して感圧紙を製造していた三菱製紙、三菱重工、武田薬品工業の工場が並んでいました。それらの工場からの廃水によって付近の海域は汚染され、廃水が直接流れ込んだ高砂西港では、最高で3300ppmという高濃度のPCBが発見され、漁業も禁止されました。しかし、企業も行政もこれにまったく有効な手を打とうとせず、怒った漁民がデモを繰り返す騒ぎになっていたのです。

その高砂市に、ユショウ事件のあおりを受けて、全国から続々とPCBやそれを含む製品が送り返され始めたのです。国は鐘淵化学を指導してそれらを焼却処理させますが、1972年までに100トンほどを処理した段階で、住民の反対で中止されました。しかし国は焼却に固執し、やがて高砂工場に新しい焼却炉を建てて、本格的な焼却処理に取り組みます。

http://www.env.go.jp/recycle/poly/kento_r/02_3.pdf

ここには書かれていませんが、おそらく高温焼却による何らかの弊害が発生したため。化学処理方式に切り替えたものと考えられます。(この化学処理のコストの高さも、国にPCB処理を押し付けた原因かもしれません)。

処理済みPCBは、汚染から「卒業」したとして、廃棄物処理法の手続の中で、やはり焼却⇒溶融固化⇒再利用されることになっています。そこから出てくる「最終製品」がどこに行くかについてはまったくわかりません。

カネミ油症の「復活」劇の裏にあったのは、PCB処理を通した日本の政府組織と民間企業との合体のシナリオでした。日本環境安全事業株式会社が始動することによって、日本の将来の環境行政は、さらに深い闇に包まれることになります。民間と政府が一体化してしまえば、そこには監督者はいなくなるからです。

なお環境省は2003年9月。カネミライスオイル被害者で血中ダイオキシン値の濃度が高い人を、油症として認定する方針を発表しています。

(引用ここまで)


入札公告(建設工事) と 北九州PCB廃棄物処理施設(第1期)建設工事の契約内容について  をみると、

 

 

北九州PCB廃棄物処理施設(第2期)設置工事(施工業務)の契約について

 

たしかにJESCOは施設建設工事を 新日鉄のJVに丸投げしていました!そういえば、震災がれき広域処理の時もJVに丸投げってあったな~(゜д゜) 結局どうしようもない廃棄物とか毒物って、「どうにかしなきゃ!」という心理になるから美味しい巨大な利権になるんだね。

ハコモノもでかいしゼネコンも絡む大型公共事業。運用も含めてJV一人勝ち。高コストの原因となっているしくみが見て取れるわけです。

社長は 前 東京海上日動火災保険株式会社 常勤顧問。前の社長は旭化成副社長。http://blog.goo.ne.jp/wa8823/e/7f4bd5711f1d7e05d5007bb9f9f68c22

取締役は当然天下り。http://www.jesconet.co.jp/company/pdf/prelease130627.pdf

http://www.jesconet.co.jp/company/outline/index.html

代表取締役社長  矢尾板 康夫 (やおいたやすお)  前 東京海上日動火災保険株式会社 常勤顧問
取締役  由田 秀人 (よしだひでと)   元環境省   http://ci.nii.ac.jp/naid/40016497606  
取締役  小鞠 昭彦 (こまりあきひこ)  元内閣府地方分権改革推進室次長 http://www.kaikeijin-course.jp/pdf_link/2-3.pdf
監査役(常勤) 北沢 克巳 (きたざわかつみ) 元環境省大臣官房付  http://www.kensetsunews.com/?p=15551
監査役(非常勤) 田中 清 (たなかきよし)    古河スカイ  http://www.furukawa-sky.co.jp/company/profile/officer_11.htm
監査役(非常勤) 関口 恭三 (せきぐちゆきみ) 関口会計税務事務所代表

国と電力、製鉄、重工、化学関連の大企業との癒着。どの事業所もまる投げ。

http://homepage2.nifty.com/koshi-net/sub/pcb/gijyutu/bid.htm  より

 

環境省の資料は

北九州市の資料は

日鉄住金環境プラントソリューションズ株式会社  http://www.nses.co.jp/

北九州環境プラントサービス株式会社 http://www.keps.co.jp/

http://www.keps.co.jp/partner/partner.htm  わかりやすいリンク

神鋼環境ソリューション http://www.kobelco-eco.co.jp/company/

 新日鉄住金エンジニアリング http://www.eng.nssmc.com/

PCB問題、続きます。


北九州市PCB廃棄物処理上積み問題(4)説明会の実際。処理方法。責任者名。周知されてないトラブル。

2013-11-24 | PCB
 平成21年08月08日 プラズマ溶融分解設備の活性炭吸着塔の火災事故
 
 
 
(管理人より) 11/22に北九州市で行われたPCB説明会に参加されたMIKOさんの感想がアップされましたので
 
 
(引用ここから)
 
環境省は要請したのですから、私の質問にシンプルに答えて頂きたかったのですが・・・見事に話は噛み合わず、余計な言い訳はしっかりしました。北Q職員でしょうか・・司会は、「追加質問はダメです、後でメールかFAXで質問して下さい」と繰り返すばかりで、戸畑区で無害化後の焼却処理していることに一切触れず、質問に対する回答が言い訳とずらしてばかりなので、私が知りたいことはわかりませんでした。「質問に答えてないぞ~」の声を出した方が数名いました。
 
一番驚いたのは、北Q市役所は市民の味方の立場ではない・・・そんな答え、やり取りばかりでした。本来納税者である住民が要求する前に「公害防止協定書」を市が環境省へ要求するのが、市の職員の役割だと思います。でも実際は環境省の事業の危険性を市民に知られまいとする努力をしているように感じました。危険性を知っている人を知らない人から遠ざける。そんな説明会(説得会)で、まだ、北Qは追加・延長の受け入れを表明してませんが、説明会に参加しやり取りを見た限りでは、市は受け入れたいのだと思いました。
 
多くの人たちがPCBの危険性を知りません。また、PCB処理の場所についても若松区のエコタウンだけだと思っている方が殆どで、無害化処理後の焼却を戸畑区でやっていると知っていた人は私が話した中ではたった一人でした。

その工場には、バグフィルターが付いていると説明してましたので、PM2.5、PM0.1等が出ていることでしょう。同じ工場で関東の汚泥の焼却は今も続いています。大気中は、様々な有害物質がどのようになっているのかについての説明は聞いても「安全」と言うばかりで、さっぱりわかりません。

事業主が「安全」と言って、従業員の健康管理をしている~と聞いた時点で、原発を思い出します。私の義父は福島第二原発内にある診療所で診察する仕事をしていました。勤めて2年ぐらいでしょうか・・・・・心不全で亡くなりました。勿論因果関係など証明出来ません。亡くなった事実があるだけです。
 
全国のPCB処理施設周辺住民の健康調査は行われておりません。でも濃度で安全と説得するのです。今の福島と同じ状況に思えます。
 
「危険物を管理するなら、人が住む場所でなく、人里から最低50km離れた場所で管理しろ」という声が何故出ないのでしょうか・・・多分、危険物、有害物質の焼却処理はお金を生むから~だと推測しています。

もう、見て見ぬ振りが出来ないくらいヤバイ状況だと感じました。新聞すら、写真はプラカードだけOKしましたが、勝手に顔を出され、でも載ってる記事は別の方が質問した内容になっています。このように、記事は作られるのだと改めて再確認しました。
 
 
私が言いたいのは、「公害防止協定」を締結しないと、更にPCBがやって来る~ということです。 
「公害防止協定書」を要求するのが、市と環境団体、地域の自治会の義務ですよ~~~~と思うのです。
今回住民に渡してきたチラシです。↓

 
北九州市とJESCO日本環境事業(株)との間で
「公害防止協定書」の締結を求めましょう。
 
PCB処理・・・これ以上九州で汚染物質の焼却は許しません。
 
既に受け入れている、 PCB処理ですが今回は処理対象物が「増える」わけですから、環境省に「公害防止協定を結べ!」と要求しましょう。
 
「公害防止協定を求めないと、この先、さらにPCBがやって来ます。」
 
北九州市と日本安全環境事業(株)の間には、PCB処理受け入れに関して、「環境保全協定」があります。

「環境保全協定」がありながら、事業者は「追加処理」を要請してきました。
「環境保全協定」が市民を守る歯止めにならないのは今回の要請であきらかになりました。
 
環境保全協定で、「市民」が出てくるのは第19条「市民への対応」しかありません。
 
「 乙は、処理事業の実施に伴い、環境の保全に関して市民からの苦情があった場合には、当該苦情が乙の責めによるものであるときは、自らの責任において適切に対処するものとする」
 
処理期間の延長、処理量増量の要請の歯止めにならなかった「環境保全協定書」に加えて、二度と処理期間の延長、処理量増量の要請が来ることのないように、「処理量」「処理期限」を決めた公害防止協定書の締結を求めることが必要です。住民の権利を守る「公害防止協定書」を要求できるのは私たちです。
 
北Qの子どもを守るねっとわーく(代表 塚本)  連絡先 kitakyu.mamoru@gmail.com  まで
 
(引用ここまで)
 
 
説明会当日のパワーポイント https://www.city.kitakyushu.lg.jp/files/000156826.pdf (環境省からの配布資料と同じ)
 
説明会当日配布資料は   
 
●環境省から  https://www.city.kitakyushu.lg.jp/files/000156826.pdf (パワーポイントと同じ) 
 
●JESCO北九州事業所から 
http://www.jesconet.co.jp/facility/pdf/kitakyunewpamp1110.pdf (北九州PCB廃棄物処理施設のご案内カラーパンフレット) 
 
説明会では、火災事故などのトラブルについての言及は一切なく、北九州市における低濃度PCB焼却処理施設(光和精鉱)のことは市民に伝えられなかったそうです。↓環境省の配布資料の赤下線のところに、なぜか光和精鉱の名前はありません。 http://www.kowa-seiko.co.jp/pcb/index.html 
 
住宅密集地の近くに低濃度PCB焼却処理施設があるということを住民に知らせたくないのか、質問が出たとき、壇上で焦っていたそうです。
  
 

説明会会場

環境省から 産業廃棄物課長 塚本直也氏、課長補佐 鈴木清彦氏、JESCO副所長 入江隆司氏。      

北九州市役所から  松岡俊和氏 青柳祐治氏 井上雄祐氏  が壇上。

会場には        森氏(司会)、作花氏、渡部氏  ⇒震災がれき処理の市役所担当メンバーとかぶる
 
 

 
(管理人より)MIKOさんの感想を読んで、やっぱり市民が勉強しなければ、質問もできないし、何がどう危険なのかもわからないから、市役所や企業にしてやられるんだと思いました。
無関心⇒不勉強⇒説明に騙される⇒毒物を空気に追加される⇒ジワジワ病気⇒公害  というのは避けたいですね。
まあ、ネットで調べましたけどいろんなところにPDFがあって迷路みたいですね~わざとわかりにくくしてんのかな・・
 
この北九州事業所、火災事故が起きてますね。なのにPCB処理施設周辺住民の健康被害調査は行っていないんですね。
火災事故なら危険なPMを含んだ煙が漂ったんじゃないかと思いますけどね・・・・(焦げた写真は冒頭)
そのほかにもトラブルがあります。ブログ一番下。たぶん、都合が悪いので、市政だよりには載せてないでしょうね。がれきの時もそうだった・・・
 
放射性物質やPCBなどの化学物質は、その場でコロッと死ぬわけではないので、ジワジワと年月をかけて病気になる。
目の前で死んでない、作業員の健康診断が大丈夫だからと言って、果たして周辺住民が安全と言えるのでしょうか?
 
PMなどの微粒子、アスベストなど吸い込む職場の労働者は、直前の健康診断にひかからなくても急性白血病で死ぬことがあります。
こういった毒物の曝露環境で仕事をすれば晩発性の難病になることは十分にありえます。
簡単に安全と言って欲しくありません。なので責任者の名前もブログに掲載しておきます。
 
 
 
 
北九州
福岡県
北九州市若松区
響町一丁目
鳥取・島根
岡山・広島
山口・徳島
香川・愛媛
高知・福岡
佐賀・長崎
熊本・大分
宮崎・鹿児島
沖縄
(17県)
1.5トン/日
(第1期、第2期合計)
第1期施設:
2004年12月

第2期施設:
2009年7月
※1
第1期施設:
操業中

第2期施設:
操業中
 

北九州事業

  • 平成13年11月01日 事業実施計画認可
  • 平成15年04月02日 産業廃棄物処理施設設置許可(第1期)(廃棄物処理法)
  • 平成15年04月23日 起工式開催
  •                 同時に北九州市との間で環境保全協定を締結
  • 平成16年06月     試運転を開始(~16年11月)
  • 平成16年12月10日 特別管理産業廃棄物処分業許可(廃棄物処理法)
  • 平成16年12月18日 開業式を行い操業開始
  • 平成19年08月28日 産業廃棄物処理施設設置許可(第2期)(廃棄物処理法)
  • 平成19年09月03日 第2期施設現場着工
  • 平成20年10月     第2期施設試運転開始(~21年5月)
  • 平成21年05月21日 特別管理産業廃棄物処分業許可の変更届出
  •              ・第1期処理施設 液処理設備 能力増強
  •              ・第2期処理施設 真空加熱分離設備(施設追加)
  •              ・第2期処理施設 液処理設備(施設追加)
  • 平成21年06月01日 上記施設の操業開始
  • 平成21年07月09日 特別管理産業廃棄物処分業範囲変更許可
  •              ・第2期処理施設 プラズマ溶融分解設備(施設追加)
  • 平成21年07月17日 上記施設の操業開始
  • 平成21年08月08日 プラズマ溶融分解設備の活性炭吸着塔の火災事故 ⇒ http://www.city.kitakyushu.lg.jp/files/000027034.pdf
  • 平成21年11月09日 プラズマ溶融分解設備の運転再開
  • 平成24年01月07日 2系プラズマ溶融分解設備操業開始
 
 
  氏名 所属
主査 伊規須英輝 福岡中央総合健診センター施設長
  上野 晋 産業医科大学産業生態科学研究所職業性中毒学研究室教授
  篠原 亮太 熊本県立大学名誉教授、特任教授
副主査 田辺 信介 愛媛大学沿岸環境科学研究センター特別栄誉教授
  森田 昌敏 愛媛大学農学部客員教授
  渡辺 信久 大阪工業大学工学部環境工学科教授
 
 
北九州ポリ塩化ビフェニル廃棄物処理事業の処理施設についてhttp://www.jesconet.co.jp/business/contents/pdf/1311houkokusho.pdf
平成13年11月環境事業団ポリ塩化ビフェニル廃棄物処理事業検討委員会
 
 
 
 北九州市PCB処理監視委員会 委員
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
評価済PCB処理技術一覧 (廃棄物処理法に基づくPCB処理技術)http://www.sanpainet.or.jp/service/doc/24-3.pdf
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
海外先進国では、ごみ焼却と毒物汚染・健康被害の関係の研究は多くその結果は市民にも多く知られています。
市民の間ではいかなる最先端のゴミ処理技術~ガス化溶融炉・無酸素熱反応炉・プラズマ溶融炉~も「ダーティ・テクニック」として嫌悪されています。 
山本節子著『ごみを燃やす社会』より
 
 
 
 
 
北九州市のHP上にまとめ 「トラブル等」
 
全国にあるほかの事業所でもこんなにたくさんのトラブルが起きています。 
 
 
 
 

北九州市PCB廃棄物処理上積み問題(3)説明会報告とPCB廃棄物の経緯、全国処理施設と北九州周辺地図

2013-11-24 | PCB

 

昨日、北九州市において 環境省主催の「PCB廃棄物処理に係る国の検討要請に関する説明会」が開催されました。

環境省からは 産業廃棄物課長 塚本直也氏、課長補佐 鈴木清彦氏、JESCO副所長 入江隆司氏。

説明会に参加された北Qのこどもを守るねっとわーくのMIKOさんに、報告していただきましたので質疑応答を取り急ぎブログアップ致します。

なんとこの説明会で反対派市民のほとんどは、「北九州だけでなく全国五箇所でやれ」と主張していたそうです。(゜д゜)

【質疑応答】 MIKOさんのメモより

Q:バグフィルターがついていると説明されてましたが、大気に放出されたモノはPMになってませんか?煙突から排出されるモノを濃度ではなく量で教えて下さい。

A:量は答えず、濃度で安全とだけ(抵抗しましたが、追加の質問は受け付けませんとはねつけられました。)

Q:PCB処理施設周辺住民の健康被害調査は行ってますか?

A:安全だからやってない。従業員の健康検査の結果で被害がないということで証明される。

Q:PCB無害化処理後の焼却は戸畑の産廃で行われてますが、同じ工場で関東の汚泥、灰じんを焼却処理しています。危険だと思うのですが、安全の根拠はありますか

A:今日はJESCOのことだけです。紙に書いて投函して下さい。後ほど回答します。

QJESCOと北九州市には「環境保全協定書」しかありませんが、再延長しないと先ほど環境省の説明で言ってましたので、「量」「期限」を明確に書いた「公害防止協定書」を締結してください。

A:(この質問だけ、北九州市が答えた)硫黄酸化物など規制される物質を排出していない、大量のモノを排出する施設ではないので「公害防止協定書」は結べない。公害防止協定書よりもっとよい「環境保全協定書」しか結べません。

 

上の新聞記事は今朝の西日本新聞ですが、プラカードの文字が見えないように写真が撮られています。質問者の質問内容は載せていません。なんと写真だけ使ってあるそうです。「写真だけ使うとは、(しかも無断で)新聞記事はウマく作られる」と言われていました。私もそれを聞いて驚きましたが、プラカードの画像も送っていただいたので、重要なことなのできっちりアップしますね。

JESCO北九州事業所 http://www.jesconet.co.jp/facility/kitakyushu/environment/agreement.html  

環境保全協定はこれ http://www.jesconet.co.jp/facility/kitakyushu/environment/pdf/kitakyukyoutei.pdf  


PCB廃棄物処理の経緯について見ていくことにします。昨日の環境省の作った説明会資料より

配布資料 PCB廃棄物に関する今後の処理促進策(案)について  より

  

カネミ油症事件」は世界的に知られる「食品公害」なのに、「食中毒」と書くところも被害を過小評価している気がします。

カネミ油症事件のショックで、焼却処理施設が住民の反対運動によって30年間作ることができなかったことは、以下の動画でもよくわかります。資料に「39戦39敗」なんて書くとは、むしろ反対する市民を「ニンビー」扱いしているような感じを受ける環境省の資料です。

2001年にPCB特措法が成立し、全国に処理施設が作られました。「国策」によって日本が抱える約5万トンのPCBを全量処理しようというものです。

このあたりのことを山本節子さんが『ごみを燃やす社会』の 第3章の2 ユショウ に詳しく書かれていますので、ぜひご覧ください。 

ごみを燃やす社会―ごみ焼却はなぜ危険か
山本節子
築地書館

P82より PCB特別措置法と環境事業団

(中略)~しかしこの法の一番の問題点は、廃棄物処理法と同様、PCB処理を完全に国策化している点です。

まず国(環境大臣)が基本計画を定め、これにもとづいて都道府県(政令市含む)がPCB廃棄物処理計画を策定します。しかし、処理を行う「事業者」は民間企業ではなく政府の特殊法人・環境事業団と定めています。

そのため環境事業団法を改正して製造企業だけでなく事業団のPCB処理の責任を帰し、さらに株式会社化することとしました。

(同法第3条 事業者の責務「事業者はそのPCB廃棄物を自らの責任において確実に適正に処理しなければならない」)

企業は多少の基金を支払うほか、「国などの施策に協力する」義務が求められているだけで、製造者責任、使用者責任はまったく問われていません。いわばPCB特別措置法は、企業責任を国が完全に肩代わりすることを意味しています。 


 

 


 

廃棄物処理法に基づく無害化処理認定施設について(平成25年10月25日現在)http://www.env.go.jp/recycle/poly/facilities.html

廃棄物処理法第15条の4の4の第1項に基づき無害化処理認定を受けた者は下記のとおりです。

事業者名設置場所問い合わせ先処理の方法廃棄物の種類
(微量PCB廃電気機器等・低濃度PCB含有廃棄物)
廃油トランス・コンデンサ等その他汚染物処理物
財団法人愛媛県廃棄物処理センター 愛媛県新居浜市 089-941-2111 焼却
(ロータリーキルン式焼却溶融炉及びローラーコンベア式連続方式加熱炉)
光和精鉱株式会社 福岡県北九州市 093-872-2100 焼却
(ロータリーキルン式焼却炉及び固定床炉(二次燃焼炉を含む。))
株式会社クレハ環境 福島県いわき市 0246-63-1231 焼却
(ロータリーキルン式焼却炉) 
 
東京臨海リサイクルパワー株式会社 東京都江東区 03-6327-3190 焼却
(流動床ガス化溶融炉方式)
     
エコシステム秋田株式会社 秋田県大館市 0186-46-1436 焼却
(ロータリーキルン式焼却炉)
     
神戸環境クリエート株式会社 兵庫県神戸市 078-651-5060 焼却
(ロータリーキルン及びストーカー炉焼却方式)
     
株式会社富山環境整備 富山県富山市 076-469-5356 焼却
(ロータリーキルン式焼却炉及び固定床炉(二次燃焼室を含む。))
株式会社富士クリーン 香川県綾歌郡 087-878-3111 焼却
(ロータリーキルン及びストーカー炉燃焼方式)
     
関電ジオレ株式会社 兵庫県尼崎市 06-6411-3690 焼却
(ロータリーキルン燃焼方式)
     
三光株式会社 鳥取県境港市 0859-44-5367 焼却
(ロータリーキルン式焼却炉及び固定床炉(二次燃焼室を含む。))
杉田建材株式会社 千葉県市原市 0436-96-1311 焼却
(ストーカー炉焼却方式及び固定床炉)

 

これは震災がれきの広域処理の時と同じですね。特措法であっという間に国策にしてしまい、自治体は環境省のいいなり。国が東電の代わりに放射性物質がついたがれきを税金で処理したように、国がPCB製造メーカーの鐘淵化学工業と三菱モンサント化成の肩代わりで税金で処理しようということです。

北九州市における高濃度PCB処理は北九州環境プラントサービス(株)(KEPS) [新日鐵住金㈱系資本] http://www.keps.co.jp/

所在地:北九州市若松区響町1丁目62-14

北九州市立小石小学校が一番近いです。さらに対岸の彦島にも、保育園と下関市立西山小学校。

 

低濃度PCB処理は光和精鉱株式会社が大臣の認定を受けています。

http://www.kowa-seiko.co.jp/pcb/index.html  戸畑中央小学校が近いです。

 

 

2001年に処理施設を受け入れた時に、条件をつけていっぱい飴をもらってますね。新日鉄が儲かる仕組み。やっぱりがれきの時と同じ(゜д゜)

 

 

 PCB問題まだまだ連載します~  


北九州市PCB廃棄物処理上積み問題(2)PCB廃棄物ってどんなものか?

2013-11-21 | PCB

北九州市のPCB処理・上積み問題ですが、私のような一般市民にとっては、その問題を読み解くことが難しいので、少しずつ記事化することにします。

まず①何を ②どこで ③どうしようとしてるのか・・・・ について見ていこうと思います。

①に関しては 北九州市PCB廃棄物処理上積み問題(1)カネミ油症事件の起きた地域に何故?PCBの有毒性を知る でも触れましたが、

絶縁油にPCBを使用した代表的な電気機器、トランスやコンデンサ、蛍光灯安定器で廃棄物になったものが、PCB廃棄物  

香川県のサイトがわかりやすかったのでリンクを貼っておきます。ついでに環境省のサイトも。

PCB廃棄物とは
 

 

★トランス⇒トランス(変圧器)とは、交流の電圧を上げたり下げたりする装置。

トランス内はPCB油とトリクロロベンゼンの混合液(重量比3:2)で満たされています。例えば、50KVAの場合で約85kgのPCBが入っています。

★コンデンサ⇒コンデンサ(蓄電器)とは、電気を一時的に蓄える、電圧を調整する、位相を変化させる、といった効果を持つ装置。

コンデンサ内はPCB油で満たされています。例えば、100KVAの場合で約40kgのPCBが入っています。

★安定器 

蛍光灯の安定器の中にも、低圧コンデンサが使われています。コンデンサ内の巻紙のすき間に少量のPCB油が含浸されています。
昭和47年8月以前に製造された業務用・施設用蛍光灯器具の安定器では数十g程度のPCBが入っているものもあります。
ただし、一般家庭で使用されている蛍光灯には、PCBは使用されていません。
 
 
 
 

 
正直なところ、一般の市民は電気機器の名前を聞いても、それが何なのかもわかりませんし、その危険性をすぐイメージできませんので、役所や専門家のいいなりになる可能性が高いなと私は思いました。住民説明会で意見を言うことすらできないわけです。
 

「PCB廃棄物処理に係る国の検討要請に関する説明会」の開催について

平成25年10月25日に行われたPCB廃棄物処理に関する国からの検討要請について、環境省による説明会を下記のとおり開催します。  

  1. 日時
      平成25年11月22日(金曜日) 18:30開始  ←明日
  2. 場所
     若松市民会館 大ホール (若松区本町3-13-1)
  3. 内容
     PCB廃棄物処理基本計画の見直しに係る北九州市への検討要請について
     (要請内容に関する説明及び質疑応答)
  4. 申込 
     不要
  5. その他
     駐車場(無料)には限りがありますので、ご来場の際は、できる限り公共交通機関をご利用くださいますようご協力をお願いいたします。 

意見の受付

 PCB処理事業や国からの検討要請に関する皆様のご意見を伺います。住所、氏名、意見(様式自由)を記入の上、下記のいずれかの方法にてご提出ください。

   Eメール :  kan-haikibutsu@city.kitakyushu.lg.jp

   郵便    : 〒803-8501 小倉北区城内1-1 環境局産業廃棄物対策室 宛

   ファクス : (FAX番号)093-582-2196 環境局産業廃棄物対策室 宛 

 
 
40年以上前に作られた電気機器の廃棄物処理のために、今、処理施設周辺住民が健康被害をうける可能性が出てきています。ほとんどの市民がその重大性に気づくことのないまま、このような廃棄物処理事業が進められています。
 
これらの電気機器を作ったメーカーの人間はほとんどもうこの世にはいないでしょう。つまり次世代につけを回しているということです。
 
1950年代から原子力発電は夢のエネルギーとして推進されてきて、同時期にこのPCBの電気機器も作られていたわけです。
このPCB廃棄物も、人間が電気を使うために、生み出された負の遺産だと思います。
 
テレビや洗濯機などたくさんの電化製品に使われていました。便利な家電を次々に欲しがった私たちの暮らしの始まりです。
 
このPCBの油が危険なので漏れ出さないように適正保管することが義務付けられています。
こんなに危険なゴミを、次世代に回すことの愚かさを痛感します。
電気のことは難しくてよくわからない、苦手な分野、などといって見て見ぬふりしてきたつけだと言わざるを得ません。

http://www.env.go.jp/recycle/poly/pcb-pamph/full2.pdf より

 

 生活の様々なところに使われていたんですね。知らなかったとは言えゾッとしますね。

廃PCBを処理する段階で 、さらに汚染物が出ます。廃棄物処理も防護服が必要なくらい危険作業。福島第一原発を思わせる重装備。

危険な化学物質を扱うというのはこういうこと↓  防護具、作業着など、これらが全部ゴミ=PCB廃棄物になるわけです。 

 PCB廃棄物は特別管理産業廃棄物に指定されています。猛毒の水銀や、吸ったら肺がんになるアスベストと同じ扱いです。


 

 


 こんなに大変危険なPCB廃棄物が、北九州市に処理を上乗せ、延長されようとしています。

 


山口県にも風力発電がこんなに!「風車は外部電力で回ってる!」山田征さんのお話会のご案内

2013-11-12 | 太陽光発電は危険

http://agora.ex.nii.ac.jp/earthquake/201103-eastjapan/energy/electrical-japan/type/7.html.ja 

日本全国の風力発電所一覧地図 より

 

 10:35~

・・・ゆっくりゆっくりすべての風車が同じ速度で回っているのを見ると思うんですが、それは風で回っているわけではなくて、通電して回っているわけです。これは私は自分の考えで言ってるんではなくて風車を建てた人とか建てた業者とかから聞いている確実な情報です。・・・

止まってるとカッコ悪いから回すんですよ・・・

 

 http://ameblo.jp/hiro2361/entry-11673625675.html より転載

山田征さんのお話会~自然エネルギーについて~


山口では4回目となります。山田征さんをお迎えして自然エネルギーのことを詳しくお話してくださいます。

今、山口でも太陽光パネルがあちこちにつくられ、阿東町のほうでは風力発電、下関の沖では洋上風力が作られようとしています。

これらのことについてほとんどの人がよく知らない状態です。今、とっても聞いていただきたい、そして素晴らしい生き方をされてきた山田征さんのお話をぜひお聞きください。


11月28日木曜日 午後6時~ 下関市長府

下関長府公民館2Fの第2研修室20 下関市長府土居の内町1-6 ℡083-246-3413

問合せ:村川 ℡090-2862-1367 

 

11月29日金曜日 午前10時~ 山口市小郡 

小郡東津の正福寺 山口県山口市小郡東津下 ℡083-972-5495   参加費500円
問合せ:おやコマ実行委員  コミヤ ℡090-4484-6724

 

11月29日金曜日 午後5時~ 防府市

空間茶天 山口県防府市上天神町6-17 ℡0835-22-0073

問合せ:浅田 ℡090-5701-1905 

 

11月30日土曜日 午後1時30分~ 萩市

土原三区公会堂 萩市土原三区(サンライフ横)

問合せ:愛 ℡090-3539-4829

 

12月1日日曜日 午後1時~ 阿東町

旧亀山小学校  山口県山口市阿東徳佐上1133番地1133

問合せ:浅田090-5701-1905

※29日以外のお話会は基本カンパ制で行います。東京から手弁当で来てくださる山田征さんのお話を聞いてみて、それぞれのお気持ちをいただけたらと思います。よろしくおねがいします。


さよなら原発11.10集会でのmikoさんの訴え【分断を恐れないで事実と向き合える方々との事実の共有を】

2013-11-11 | 放射能汚染

http://ameblo.jp/kitakyu-mamoru/entry-11683413759.html  より転載です。(管理人)

さよなら原発11.10九州沖縄集会(舞鶴公園)で、少しだけ話してきました。超早口ですが・・mikoの話と大体同じデス・・・ 

私の前に広瀬隆さんという方もお話しています。私は反原発の運動の事は全く知りません。原発の危険性についても、ど素人です。でも、原発事故が起こると、こうなる~という事だけは体験して知っています。知って欲しいと思い、集会の様子をお知らせします。

http://www.ustream.tv/recorded/40636839 01:03~辺り (画像クリックで動画へとびます)
 
 
 
この狭い日本に17か所54基の原発がありました。
そして原発事故があり、世界にある焼却場の3分の2にあたる1700基を持つ日本で放射性物質を含むゴミの焼却が今も全国で行われています。
 
また、全国の産廃施設では8000bq/kgまでの放射性物質を含む汚泥や焼却灰の焼成処理は震災後すぐから今も全国で行われており、人間にする仕打ちではない事を国民の意志として行っている事実に言葉もありません。
 
福島第一原発から30kmのいわき市に住んでいました。私の家は40kmぐらいありました。 
いわき市は福島県の中でも比較的放射線量が低く、と言っても311以前の約2倍、毎時0.11マイクロシーベルトです。
 
但し、これは行政の発表した数値であって、何の意味もありません。実際に私が見た数字は色々、0.08~22μsv/hまでありました。今年の夏に帰省したときも0.2~1マイクロシーベルトありました。
 
では、私が公式発表では、放射線量の低いいわき市から自主避難を選んだ理由と、今思っていることを体験を基に話します。
 
私の職業はピアノの講師。大好きなピアノと生徒達に囲まれて充実した毎日でした。多くの人々がそうであるように、日々の生活や趣味に追われて、政治のこと、環境のこと、原発のことを真剣に考えること、興味もなかったです。311地震のあった日も、「原発」のことなんて考えるはずもなく、地震で原発が爆発するなんて・・・知りませんでした。 
 
では、事故の話をします。
 
311直後、長崎大学の山下俊一教授が100ミリシーベルトまで安全だと言いました。 
年間100ミリシーベルト放射能を浴びても安全とテレビ、新聞、ラジオ、学校、講演会で行き渡ったころ、学校で0.5マイクロシーベルト、通常値の10倍でも、外の活動を安全だとして行いました。
 
給食も最初、地産地消ということになり、教育委員会が給食を食べない自由を認めたのは、2学期になってからです。 
ですから、100ミリ安全説を信じた人の子供たちは、地産地消をして、給食を食べていました。
 
外の放射線量は同じではありません。たった10cm違っても、2.3マイクロ、5マイクロ、普段の46倍、100倍、と様々です。
 
市の職員、学校の教員は子どもを守りませんでした。私が直接知っている学校の先生は、校庭が様々な放射線量であり、それを報告し、子どもを守ろうとしたら注意され、退職しました。
 
現在も子どもと長野に自主避難しています。当時私のピアノ教室に通っていた病院の医師は家族を避難させ、自分は転勤願いを出し続けています。そんな教師や医師を複数知っています。
 
3月11日の大地震の被害は、私の家は殆どありません。ただ、いわき市の水道が20日ほど、止まりましたので、地震の次の日、給水車に2~3時間程、子どもと一緒に、普段の460倍の放射線量、毎時23マイクロシーベルトあるのを知らずに外で並んでいました。並んでいる時も、屋内退避の広報車もなく、私達は原発が爆発したことを知らず、被曝しました。テレビで原発爆発のニュースが流れましたが、安全だと言っていましたので、危険を知らず、ヨウ素剤も配られない中、放射性物質入りの水を飲み、その水で調理して食べました。
 
事故直後「水を飲まないように~」という指示も、ヨウ素剤も配られませんでした。
 
3月12日1回目の爆発。あとでいわき市の測定データを見ると、23マイクロシーベルト、普段の460倍あり、知らされなかったことにショックを受けました。 
 
日本は今も安全と言っていますが、今現在私達母子3人とも、甲状腺に異常有りの血液検査の結果と、息子には、5mmののう胞があります。
報道をみると、甲状腺がんは生活習慣病になりました。また、国民病として、2人に1人はガンになるというパンフレットを福島の郡山市は子供たちに配布しています。たとえ癌になっても自己管理のせいといわれ、放射能の影響と国はいいません。
 
 
 
 
私は、事故直後、子供たちのホールボディカウンターをすぐにうけようとしました。しかし、どこに問い合わせても受けられませんでした。
 
では、甲状腺の血液検査を、と思い、電話しましたが、いわき市内一斉に「甲状腺の検査はしない」と、言われました。
どこで被曝した証拠を残せるかと福島県に聞きましたが、「ない」と回答されました。
 
私の主人はいわき市の職員です。何かあったら、1番に連絡があるはずだと主人は言ってました。でも結果は原発の爆発も知らされず、母子ともに外で被曝をしました。
また、私の主人(市職員)は放射能の知識は0ですが、国から与えられた文書を丸暗記し市民の放射能についての不安の声に「安全です」と回答する電話対応に追われていました。
 
「安全かどうか、わからないんだから、そんなこと言って良心痛まないの?」と聞きましたが、「大丈夫と思わないとやっていけない。」と言ってました。そのうち、夫婦の絆は消えました。
 
事故から7か月後、いわき市発表の放射線量は0.12μシーベルトでした。でも、市役所から借りたガイガーカウンターで測ると、その時0.24、~22.14μシーベルトという様々な数字を見ました。また、有志で土壌検査や剪定した木の測定値はkgあたり20000bq以上ありました。
 
国や行政は私たちを守らないと、主人の役所での言動と放射能の測定数字を見てそう感じました。 
また、市役所に水道水の中に含まれるストロンチウムやプルトニウムなどの核種の測定値を見たいと文書請求すると、「市民が混乱する」という理由で詳細なデーターを出さず、ヨードとセシウムNDの文書を出されました。  
 
私が避難を考えはじめたのは、放射能を怖がるというよりは、行政、学校、議員、弁護士の対応と自分の目でみた測定値と家族におこった体の異変です。
 
毎日続く下痢、鼻血、口内炎、鼻の中のできもの。これらは、原発事故後に家族、友人に実際おきたからだの変化です。
放射能の影響は癌だけではないと知ったのも後になってからです。
 
国の発表と事実はちがう。国は明らかに法律違反を市民に強要しているのに、行政職員は国の言いなりにしか動きません。
文書公開制度すら、嘘にならない嘘で市民を騙し、時間をかせぎます。
 
学校は子どもを守らない。放射能に気をつける父兄を許さない。放射能をなるべくさけようと、お弁当にすると、
他のクラスメートからいじめられ、暴力をうけても、いじめた児童父兄を指導せず、放射能を怖がらないように私が指導をうけました。
 
私が、直接避難を決意したのは、娘の登校拒否です。 
放射能を予防することを周りの空気が許しませんでした。
 
私は、それでも、両親と離れたくなかったので、いわきで暮らせる方法をたくさん探しました。
年老いた両親と離れるのは辛い、一緒に避難をしようと説得しましたが、今更ふるさとから離れられない。と言われ、
 
夫は安全論。夫の母には、「立場をわきまえなさい」と自分は娘と孫と岩手にいるのに、私達母子は避難することを許してもらえませんでした。
 
結局、家族、行政と格闘しながら、悩み、私の両親から子どもを1番に考えなさいと言われて、夫を捨て、年老いた両親を福島に残し、北九州に避難しました。
 
311からあっという間に2年が経ち、福島から人を避難させるのではなく、放射能を「絆」で拡散させることを国民に選ばせました.
「福島に住み続けたい」と福島県民に言わせて、福島は安全、福島を除染して福島復興という空気を最初は福島県の中から、続いてガレキ処理をきっかけに全国でつくられてしまいました。
また、放射能に不安を抱いていた人々に対しては、補償をしないことで、病気になっても泣き寝入り、死んでも仕方ない、逃げても生活ができないという空気が生まれました。
こんな苦悩を知らない方々、環境省の前で話す私たちに向けられた環境省職員の冷ややかな視線。
人々の頭の中に、福島の現実、こういう親子の存在すら関心が無いようです。
 
福島に人を閉じ込めるエートス活動成功です。保養も、食べて応援も、除染も私個人はエートス活動だと感じています。
 
なぜなら、事実と向き合えば、答えは一つなのに、補償もせず、事実もリスクも伝えない状況で、選ばせ、放射性物質を永遠に焼却し、リサイクルさせることを国民に選ばせてしまいました。
 
生活排水は高濃度の下水汚泥になり、汚泥や除染した土は焼却され、セメントなどに変わり、すべて自分に帰って来ますが、この現実と向き合うことはありません。 
 
そんな中、放射能が低いはずの、安全なはずのいわき市に住む私の友人の甥が先日、白血病と診断されました。 
元気だった従兄弟が突然死した次の日、友人も突然、死にました。311前は知り合いがこんなに死ぬことはなかったのですが・・
 
何でも放射能のせいとは言いません。ただチェルノブイリの教訓があります。
 

 
環境省は、焼却炉の排ガスを測定するということで、国民を説得しました。「濃度」で安全とされるモノを「量」で表したら、1立法メートルあたり3.1トン~18トンの放射性物質の入った灰じんが大気中に放出されています。排ガス濃度は煙突の数で調節できることも、教えていただきました。
 
 
また、排ガスの測定法が原子力発電所での測定法と違うことも教えていただきました。実験したら、今の方法ではセシウムが測定できないようです。知らないという事は恐ろしいことです。
 
 
今も全国で行われている放射性物質の焼却も体の弱い順に被害が出ます。放射性物質と重金属などの複合焼却の危険性は海外に文献はあっても、日本にはありません。
 
 
訳の一部⇒http://blog.goo.ne.jp/flyhigh_2012/e/fdf5d250fb06da26bdd09f0943dc339f  の後半部分にあります。
 
 
 
 
私は、北九州に来て、放射性物質の焼却以前に、焼却炉がとても危険であるという事実を知りました。北九州に来て初めて喘息になりました。
 
 
ところで、北九州市や福岡市では、清掃工場や企業は、住民との間に公害防止協定書を締結していません。他の県には公害防止協定書が存在します。協定書がない場合、被害にあった方が証明しなければならず、何かあったとき、実際は泣き寝入りになります。協定書があると、協定書に定めが無いときは協議する、が原則になり、協定違反をしたら契約違反で提訴できます。
 
行政職員は法律違反ができません。嘘にならない嘘を使って住民が許可してくれるのを待っているのです。ですから、私たちは一人一人が法律を勉強して断固としてNOと言える住民を増やせば良いのだと思います。
 
行政が真っ先に説得に行く公害施設近くの住民に事実をしらせ、対話し、行政が地区の代表(ボス)に「お一人様、説得会」をするように、その地区の住民一人一人に、「お一人様、勉強会」を私たちがそれぞれしていくことが、原発をなくし、遅いかも知れませんが、福島の本当の復興が始まります。
 
ごみ焼却の危険性を知って初めて選ぶべきことがわかってきます。
 
パソコンで調べることが出来る人、文書公開請求をする人、テレビ、新聞からしか情報を得ない人々との情報格差を、国はきちんと計算しています。
 
国や行政が住民を守ってくれる、報道は事実を知らせてくれるというのは幻想でした。 
 
原発事故がおこると、国は事実を隠し、地方の行政職員は知識がないので国の言いなりになり、勿論、全てではありませんが、政治家や様々な宗教、NPO、色んな団体が一致団結して、無知な国民を誘導し、それを、企業や国がバックアップしているのでしょうか・・
 
福島のある団体は、ホームページでは、放射能の危険性や避難についての情報が載ってますが、会員ページの中では、「放射能安全教育」が行われていました。また、瓦礫反対運動の中で、私たちが集めていた「公害防止協定書締結を求める署名」だけが運動仲間に無断でシュレッダーにかけられました。
 
また、「反対してる」と聞いていた団体や自治会長からの「反対声明文」は市役所に文書公開しましたが、明確に反対ではなかったので、もう一度はっきりと、「反対声明」を出して欲しいと頼みましたが、出してくれませんでした。
 
どうゆうことなのでしょうか・・反対運動の中で、止めようとすればするほど、私だけが恫喝され、陥れられてしまいました。 

  
今は311後日本全国で急性症状の出ない放射性物質の焼却処理実験がもう2年も行われてしまった事実を冷静に受け止めています。
 
更に、先日爆発した鮫川村の実験焼却炉で形だけの報告のあと、全国で放射性物質を使ったバイオマス発電、放射性物質の焼却炉建設が始まることでしょう。福島では建設されてしまいました。危険性に気づいている人はとても少ないです。 
 

 
今後も、これまでと同じようにメディアは国民を教育する報道をし続けることでしょう。
 
私達が、自分で考え、自分で動くことはこれからもないからです。
 
今、海外へ逃げるといっても、汚染はなくなりません。ここ九州に放射能が追いかけて来たように、人々の意識が変わらない限り、海外もまた同じです。北九州市の環境ビジネス・・日本人を騙してきた手法を使って、東南アジアの人たちも騙していくのでしょうか~
 
311前に見えていた、子ども達の未来が見せかけの自由、見せかけの平和、だったのでした。 
 
最後に、
 
「原発事故を経験した今でも、私たちが選んだのは生活スタイルを変えずに電気を使い、廃棄物を排出し続ける道でした。
原発がなくなっても、人々の生活スタイルや考え方が変わらなかったら、原発が別の何かになるだけです。
例えば、太陽光パネルを今CMで押してます。20年で寿命がきたあとは、廃棄物になります。その処理はどうするのでしょうか・・・人が住む場所で処理をするのです。原発も人が住む場所にあります。
私たちはエネルギーをどうするかではなく、生活を見直し、考え方を変え、生き方に真剣に向き合う勇気を持てたらと思います。
本当は、福島に、おうちに帰りたいです。お父さん、お母さん、友人たちに会いたいです。
でも、この国は放射能を拡散し、多くの人々がそれを受け入れ、放射能を受け入れた福島復興に動いています。私には全く理解できません。」
 
私は、分断を恐れないで、事実と向き合える方々との事実の共有を今本当に望んでいます。もう、殆ど諦めて、体も、心もぼろぼろですが、もう少しだけ未来に、人間に期待したいです。 
 
この集会に集まった方々、一人一人が、無関心な方々(情報格差による~)に「押しかけ、御一人様、勉強会」をするようになったら・・日本が変わるきっかけぐらい作れるかも知れません。もう少しだけ私も頑張りたいと思います。
 
 
 尚、記事の方は、時間の関係で端折った文章を付け足しています。

“Miko”, evacuee from Iwaki City, Fukushima 【To every mum in the world from Fukushima】

2013-11-09 | 放射能汚染

【完全版 英訳・動画付】福島県いわき市からの避難者mikoさんのお話 【世界中のお母さんへ】 

~From miko~
You have my consent to translate [my story] into English.I try to limit myself to describing what I personally saw,
experienced, or what I talked about with another person. So it's rather low-keyed.
Honestly, I can go on forever about the kind of health issues that require medical treatment.
For example, the cousin of my acquaintance had a baby several months after the earthquake
-- this baby was born with a hole in the heart.
Or that an acquaintance, my sister and her husband,and another relative were all diagnosed with cancer
and had to undergo surgery.
And there were nearly 20 cases of "Nii-bon" last year.(*The first summer "Bon" service held after death.)
There are similar episodes to share, but I omit them on purpose -- or else people will treat me
like I've been 'mentally affected' by radiation. I can't talk about them even if I wanted to.
That's the tragedy of Fukushima.

Miko Tsukamoto
 

http://ameblo.jp/kitakyu-mamoru/entry-11615553186.html 

“Miko”, evacuee from Iwaki City, Fukushima: 

I evacuated voluntarily from my hometown Iwaki City to Kitakyushu City last January because of the Fukushima Nuclear Power Plant disaster on March 11.  

Today I’d like to talk about what I saw, experienced and felt during the 9 months up to my move to Kitakyushu, as well as my current situation.   

I lived in Iwaki City, 42 kilometers from Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant. 

I taught piano lessons and my husband worked as a municipal employee. With our 2 children and my students, we were living happily.  

After 3/11 our life changed completely.  

The northern part of Iwaki City was within the 30 kilometer radius, but the mayor created the term “harmful rumor”and the radiation exclusion zone was extended to our area.  

The radiation level, which was at 0.05 microsieverts per hour before the accident, rose to 23 microsieverts. That’s 460 times [the normal level].  

Professor Shunichi Yamashita of Nagasaki University launched a mass campaign stating that it was safe up to 100 millisieverts, and this was accepted widely by the television, newspaper, radio, schools and in lectures. At the time, schools considered it safe to engage in outdoor activities even though the radioation level was at 0.5 microsieverts, 10 times that of the normal value.  

Since 100 millisieverts was regarded as ‘safe,’ school lunches were initially prepared from local produce(1 month after the accident). We worked hard to collect signatures to cancel the ‘local production for local consumption’ rule immediately. It wasn’t until the second academic term, though, that the board of education recognized the freedom to refuse school lunches. In other words, those who trusted the ‘safety principle’ continued to let their children eat school lunches. It was useless trying to reason with the school or teachers.  

The outdoor radiation level isn’t consistent. Ten centimeters apart, and itcan vary by 2~3 microsieverts or 5 microsieverts, which are 46 times and 100 times that of the everyday level.  

What I couldn’t understand was the fact that the municipal employees and school teachers did nothing to protect the children from radiation exposure.  

Now, let me talk about the time when the nuclear power plant exploded.  

Our home suffered minimal damage from the 3/11 earthquake itself. But we had no running water in Iwaki City for 20 days. My children and I lined up for two hours the following day to get our supply from the water distribution truck. 

The first explosion happened on March 12. The data we saw later measured 23 microsieverts, 460 times that of the normal level. 

There were no local public announcements warning us to stay indoors, and we remained outside for 2 whole hours,unaware of the explosion. 

We were told that Japan was safe, but blood tests have shown that my two children and I have thyroid problems, and my son has a 5-millimeter pustule. 

News reports now say that thyroid cancer is a lifestyle-related disease. If we develop cancer, I suspect we’ll be told that it’s a result of negligence and the government will not admit that it has anything to do with radiation exposure.  

I wanted my children to get a whole-body counting immediately after the explosion. But I couldn’t find a single facility that would admit us. Some people went as far as Tokyo to get themselves examined, but couldn’t get their own data. I called several places to confirm myself, but none of them would provide the data.  

So I made an inquiry about blood tests to check the thyroid condition, and was shocked to be told that there would be no mass thyroid examinations in Iwaki City.  

I asked Fukushima Prefecture how I could obtain evidence about the location of our radiation exposure, and was told that “there was no way.” 

My husband is a municipal employee. He said that if there was anything to know, he would have immediate access to such information. But no one informed us about the explosion and both my children and I were exposed to radiation while we were outside.  

My husband handled a flood of telephone calls even though he has zero knowledge of radiation, and he practically memorized the content of documents distributed by the government. 

Five months after the accident, the radiation level announced by Iwaki City was 0.12Sv per hour. But when I borrowed a Geiger counter from the city hall, I found that it was actually between0.24 and 22.14 Sv per hour. Volunteers inspected trimmed trees and the soil, and the radiation level was at 20,000 bq/kg.  

After seeing these radiation figures, my husband and I both agreed that the government was not going to protect us.  

For example, tap water is “ND [not dangerous]” according to the official Iwaki City website. 

So I asked for data on radionuclides such as strontium and plutonium, but was denied access to any detailed information on the grounds that it would “confuse the residents.” Instead, they gave us a document explaining that iodine and cesium were “not dangerous.” It made me furious because they were taking advantage of our lack of knowledge.
 
My decision to evacuate had less to do with the fear of radiation than it had to do with the attitudes of the government and the schools, the radiation measurements that we saw with our own eyes, and the health problems my family began to suffer. 
 

Diarrhea every day, nose-bleeding, canker sores, abnormal growths inside the nose. These are all symptoms that my family and friends began experiencing after the nuclear power plant explosion. I realized much later that there are health issues besides cancer that can be caused by radiation.  

What the state announces is different from the reality. The state obviouslyexpects people to accept any violation of the law, while public employees merely follow orders from above. The public disclosure system works to deceiveuswithdistorted information – nothing is disclosed and nothing is put in written form, all in the attempt to buy time. 

The schools won’t protect their students, our children. They are unforgiving towards parents and guardians who express concern about radiation. If I make a lunchbox for my children to avoid radiation exposure, they are bullied by other classmates. Even when physical violence was involved, the school did nothing to reprimand the bullies and their parents but instead called me in to ‘instruct’ me not to overreactto radiation. 

I decided to evacuate when my daughter developed school phobia. I tried looking for ways to continue living in Iwaki and sent many letters of request to the government, only to get evasive responses.  

I tried to reason with my elderly parents about evacuating, but they didn’t want to leave their hometown. My husband felt it was safe enough. My mother-in-law wouldn’t allow the evacuation and said that I was “out of line.” 

I fought against the government, I was distressed, and when my own parents told me to consider the children’s wellbeing first, I chose to evacuate to Kitakyushu, leaving my husband and elderly parents behind in Fukushima. 

As I just told you, what the media says and the facts are entirely different. 

The other day, an interim report on industrial waste disposal was made public. It stated that one company in Fukushima was acceptingcontaminated sludge and dust from Fukushima, Ibaraki, Yamagata and even Kanagawa. This company began operating beforeKitakyushu agreed to accept the debris, and continues to do so now. There is uproar regarding the acceptance of debris, yet all the while radioactive materials are being incinerated without a fuss, even though there is no bug filter installed. 

The media is preoccupied with PM2.5 air pollutants coming from China, but is this really true?  Kitakyushu’s industrial waste disposal factories and cement factories are taking in Fukushima’s coal ash for recycling.  

According to Kitakyushu’s official document, the pollutant PM2.5 rose over 230 in April last year, and the level often exceeded 100 during other months. There’s no doubt that the pollution originates in Kyushu, in other words, it’s‘domestic.’ 

What happened to Fukushima residents will soon affect all Japanese people.  

I think it will start from the air we breathe and the food we eat. The other day, there was an article in a local information magazine “Donna Mamma” with statements made by university professors and lecturers as well as administrative officers who said that the radiation level was not a threat. The claim that radiation is safe has completely spread throughout Japan. 

While some say that the radiation has dispersed and we are now safe, people are in fact dying in Fukushima. The day after my cousin died, my friend’s husband passed away. I am not saying that everything is caused by radiation. 
But there is the Chernobyl example. 

The state won’t admit it. But we do have the “right to choose”– based on what we hear and see, and by examining both arguments thatradiation is harmful or safe.  

I was unaware of the dangers of nuclear power plants, and that’s the reason why I find myself in the current situation. I was ignorant of the fact that radiation doesn’tsimply disappear and was trying to decontaminate the front of my home – all the while inhaling contaminated air.   

There are people living in Fukushima, now. They all say: 

“We’re guinea pigs after all, and if we try to evacuate we won’t be able to make a living since there is no government compensation”
“I don’t want to let go of my lifestyle”
“If the state says it’s safe, then it’s safe”
“Many people are dying, huh?”
“There’s nothing we can do, it’s useless, so why bother?”
“I’d rather focus on happy things”
 

and continue with their decontamination, but the polluted sewage turns into sludge and incinerated ash, which in turn produce highly radioactive waste. People refuse to face the fact that these will eventually come back to haunt them. 

Decontamination is useless. I tried it myself and I know. The level decreases from 0.5 to 0.2, then returns to 0.5 two weeks later. That’s the reality. Where does that massive amount of polluted soil go after decontamination? 

If the state were to manage the waste materials responsibly, they would have them handled by industrial waste disposal companies… but then again, they will be recycled as cement and pots and muck, and eventually come back to us.
It’s important for us to rest and recuperate, but it won’t help anyone at the fundamental level.  

I believe the only way to recover is by measuring radiation levels, disclosing the facts, guaranteeing sufficient compensation, and then allowing the residents of Fukushima to make their own decisions.  

Don’t disperse the radiation, but contain it inside Fukushima. My ancestral grave is 2 kilometers away from Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant. Please leave the radioactive wastes there. 

There are many Fukushima residents who feel this way, whether they have ancestral graves, homes or are large landowners. But they’re ignored.  

In March this year, I went to Samekawa Village in Fukushima to stop the construction of an experimental facility that would incinerate rice straws, which measured a radiation level of 8,000 bq.A press conference was scheduled and all we had to do was to submit some paperwork, but at the last moment, an individual who was ostensibly against the construction interfered and prevented us from proceeding. An opponentturned out to be a supporter. That’s the reality I experienced.  

Even during the campaign against Kitakyushu’s acceptance of contaminated debris, it was considered “OK” to sign up for the protest, but not to support the conclusion of the agreement on pollution prevention.  

I had heard that the last hope would be a statement of protest by Kitakyushu’s fisheries cooperative association, but when a request was made for the official document, I found out that the association had not submitted a statement of protest. Or rather, the “protest’”was not stated in clear terms.  

Protestors used to gather at the tent village after the incineration of contaminated debris started, and during that time I visited a number of fisheries associations to ask them to submit a “protest statement,” but only 2 agreed to see me, and neither of them issued a statement.  

If even one association had presented a protest document, or a demand for the conclusion of the agreement on pollution prevention had been made by even 2 residents living in the vicinity of the incinerator… There was so much resistance to prevent people from taking such action, and I, an evacuee from Fukushima, felt like I had been set up to fail.

Seeing the reality of the so-called protest campaign, I lost all hope that Fukushima would ever be ‘saved.’
Just like the blatant lie that a bug filter can remove practically 100% of cesium, I suspect that [the government] will install a hepa-filter and declare that Fukushima is safe, then construct 8,000 bq incinerating facilities across Japan as well as biomass power stations that useFukushima timber.

The state has plenty of money to stop people from asking questions by manipulating the media, create a certain ‘mood’in the countryby releasing false information, and endorse campaigns to win over those people who disagree, and  

“Yet again, we unknowingly end up being a part of the herd.”  

What I believe to be a genuine connection can’t be madeby blindly following the words of those ‘at the top.’ Rather, it’s about teaching each other what we don’t know, sharing information and learning more, then passing on that information to those around us. If we have more courage, we can disclose the facts to fisheries associations and people residing near garbage disposal facilities, industrial waste incinerators and cement factories– facilities that the state will try to influence and control.  

In the same wayKitakyushu held ‘one-person explanatory meetings’for the leader of the residents’ association when the city agreed to accept the debris, we need to have ‘one-person study sessions’ for local residents because it’s the only way to protect our children. 

I was deceived by media reports and allowed my children to be exposed to radiation. Because I was ignorant and knew only superficial information, I couldn’t protect my children even though we evacuated. The only thing I can do is to tell others what I experienced. I hope you learn something to make the right choice. If at all possible, learn and share with others.

Don’t misread the facts. The facts will become evident if you have the courage and take the initiative to think and act for yourself. 

Our very last hope is found in the local municipality. We must begin with “resident education,” then the education of teachers and municipal employees by knowledgeable residents. It’s the only choice we have. I learned first hand that there is no way to protect my children unless I take action, regardless of how tiresome it may seem. 

No matter how busy I am taking care of my children, I hope to continue doing what I can within my limits. 


 http://ameblo.jp/kitakyu-mamoru/entry-11615553186.html 

 糸島お話会で映像が撮れなかったのですが、自宅で撮りなおして下さいました。映像をつくってくださったkumiさん、ありがとうございます。また、英訳していただいたY様ありがとうございました。北Qのブログに遊びにきてくださる皆様、ありがとうございます。

全国でガレキ処理がなんとなく落ち着いたように見えるこのごろですが、産廃では今も続いています。汚染地での生活と放射性物質の焼却は切っても切れないのです。

福島は、復興にむけ除染、がれきを使った堤防、除染したものを焼却するための焼却炉建設などの事業が始まっています。汚染の事実、焼却処分の危険性、無害化の本当の意味を知ったら、やってはいけないことだとわかりますが、事実は面倒臭い公文書を請求し、自分も勉強した上でないと、行政職員に質問できません。

質問すれば、「変」なことも、本当はどうすれば善いのかも自分で気づくことができます。

保養も除染も福島エートス活動に私には見えます。

311を経験しても、まだ国を信じ行政を信じ報道を信じている。また、議員や弁護士に頼っている限り、一人一人の成長はないし、本当の意味で解決しません。反対運動でさえ、自分の考えをしっかり持てないうちは翻弄され続けます。本気で反対している人達と事実の共有でつながっていくのは、とても難しいことですが、必要なことです。意外とシンプルに自分の勘を信じるのが一番正しかった・・

それぞれの立場が・・とか、考え方の違い・・とか、全て取っ払って、結果から考え、事実と向き合う勇気が必要なのかな・・と感じています。 


Miko played a duet on a piano with her son  in Itoshima.( 00:58~ 13:32)

Japanese  & English  ⇒ 【報道と事実は違います】 いわき市からの避難者mikoさんのお話 【日本中のお母さんへ】

いわき市からの避難者mikoさんのお話から「私のまわりでこんなに人が死ぬことは、311前はなかった」 


追記 字数の関係でタイトル・本文を英文に編集し直しました。ご了承ください。(管理人)


グリーンコープ神在太陽光発電所に行ってみた!鎮守の森にメガソーラー。トトロの森が泣いている・・・

2013-11-03 | 太陽光発電は危険

グリーンコープが福岡県糸島市神在地区に建設をすすめていた市民発電所・第1号「神在太陽光発電所」が、9月1日より売電を開始しました。組合員に配布される「共生の時代」の記事の写真と説明ではよくわからなかったので、実際に現地に行って見てきました。

  現地に到着してまず、約2万平方メートルの敷地の広さ、そこに並べられた4228枚の太陽光パネルの数に驚きました。

パノラマにしてみました↓ 下手でごめんなさい。

この場所は、糸島市にある神在神社のほこらのちょうど真裏にあたります。ここは元愛の家自動車教習所の跡地だったそうで、共生の時代によると15年放置されていたそうです。自動車教習所ですからアスファルトの部分と草の部分があります。

雑木や雑草に覆われていた」と共生の時代(327号4p)にも一文が記載されています。共生の時代にはその様子の写真は掲載されてはいません。

そこで私はグーグルマップで調べました。グーグルマップの航空写真にはその証拠があります。この航空写真がいつのものかわかりませんがおそらく工事に入る前でしょう。↓ http://bit.ly/1bOORGr

グリーンコープ生協くまもとの最新情報・取り組み報告 の中にはグリーンコープのHPよりはやや詳しい説明と画像があります。 

「ここに建設するにあたり、地元説明会を行うなど丁寧な対応を行い、地域の方々の意見や要望にも丁寧に対応してきた。その過程の中で次第に地域の方々との関係も深められた。日照を妨げるような木を切ることへの承諾も得られ、地元の方々の理解、協力のもと建設に至った。また、もともとあった土地の地形をできるだけそのまま活用して、最大限敷き詰められる太陽光パネルを設置した。」

とありますが、本文中の画像に関しては、なぜか伐採した巨木の切り株は小さいサイズの写真で、その他の太陽光発電の施設内の写真は何倍も大きいサイズで扱われていました。これでは、どのくらい大きい木が、何本この太陽光発電所のために切り倒されたのかはっきりとはわかりません。

【追記】 今、巨木の切り株の写真を見ると削除されたのか何かわかりませんが出てきませんのでキャプチャーしといた同じものをこちらに貼っておきます。

実際に切り株を見ると直径が80センチもあるような大きな木(おそらくクスノキ)でした。

少なくとも、この敷地が自動車学校だった時には、敷地周囲にあったこの大木は存在しており、この発電所のために今回新たに切り倒されたことは間違いないわけです。

フェンス横の直径80cm以上ある大きな古い切り株。こんな巨木になるのに何年かかったのでしょうか?↑

切り口が新しい切り株が敷地の周囲にいくつもいくつも道に沿って並んでいました。当然ですが売電するための電柱も建てられています。太陽が当たらなくなると困るので敷地の周囲の木が、日当たりをよくするため何本も切られています。

広報いとしま86号に工事関係車両が写っています。http://www.shigetomi.co.jp/ebook/koho130801/index.html#page=3

仮設とは言え、建設用重機、トラックなどの工事関係車両が通る道路も造成されています。

 

 

 

神社地の裏手には、竹林とコナラ、クヌギ、シバグリなどの広葉樹も見られました。ちょうど境目のところに何種類かのどんぐりがたくさん落ちていました。腐葉土をかきちらして造成した形跡。一部赤土も流れ出ていました。どんぐりの木も竹林の竹も境目のところは一部切られていました。

私は神社地の周りの森は、トトロの森のように鎮守の森であり、守るべきものだと考えているので、このような状態を見るとなんとなくやりきれない思いになりました。神在神社の裏はどんぐりが何種類も落ちている本当にトトロの森でした。

15年前にすでに自動車学校が作られていたため敷地内にはアスファルトが敷かれていたとは言え、今回はその周りまでさらに造成した様子。地元の方々に理解してもらったということですすめて完成させていますが、私が現地の周囲を見て歩いて見た限りは、傷跡は痛々しかったです。その自然の痛々しい様子の写真はHPには一切載せず、工事中の遠景写真、竣工セレモニーの華々しい様子と、輝く太陽光パネルの写真。ここにも、「見て見ぬふり」=意図的な無視というものを感じずにはいられませんでした。

せっかく、15年かけてアスファルト以外の場所は森に戻ろうとしていたのに、また傷を広げたようにも思えます。少なくとも航空写真を見る限りにおいては、発電所ができる前の方が木や竹林はもっと残っていました。

グーグルマップで神在神社を検索すると神社境内から写した写真も出てきます。この写真もいつアップロードされたかはわかりませんが、お社の裏手はその段階でもかなり後ろがスカスカした感じです。http://bit.ly/1h93tHE

私が撮った写真↓

 

「鎮守の森のトトロ」 2:35~  「・・・神社っていうのは、社よりもこの森が重要なんですね・・・・・」寺田喜朗先生 

「トトロっていうのは神社のシンボルで表されていて村の鎮守の神様だというふうに見える」と寺田さんは言われています。私もそんな気がします。

本当のエコを目指すなら、生態系を守るために、太陽光パネルを置くのではなく、自動車学校の跡地のアスファルトを剥がしてまずは地面に戻してどんぐりを植えるべきではなかったのかと思いました。こんなふうに早く大きくなるといいけど↓

せっかく自動車教習所がなくなったのなら鎮守の森に戻せばいいのにと思いました。いかにも「もう切り拓いてるんだから有効利用」「ちょうどいい」みたいな論調がおかしいです。共生の時代とかHPなど、どこにも発電所が「大昔からの神社のすぐ裏」ということが書いてないです。これも関係者の見て見ぬふりではないかと思います。 「神在」という地名を無視してる感じもします。 

糸島は玄海原発から約30kmの地点。玄海原発が事故を起こせば、今の福島県の双葉町や大熊町のようになるような場所です。

共生の時代327号にも掲載され、グリーンコープは飯田哲也氏といっしょになって自然エネルギーを推し進めるようにしていますが、組合員の総意ではありません。脱原発と自然エネルギーをセットにするのはおかしいという組合員の意見がどこにも反映されていません。

グリーンコープの職員方の中にも反対意見もあります。https://twitter.com/deathcabfortenG/status/396912480116428800

 

私はもう10年以上組合員を続けています。原発はもちろん反対ですが、太陽光発電にも賛成はしていません。人間の手に余る技術である原子力をやめるためにという方便で、新しく大量生産された発電用装置の工業製品にたよるのは間違いだと私は思います。太陽の光は確かに自然の恵みで「ただ」だけど、発電装置は「ただ」ではないし、化石燃料を大量に使って作るものです。しかも寿命もあります(約20年)。

自然エネルギーは、電気にした段階でもう「自然」ではないのです。だから自然エネルギーも結局は、自然を壊すのです。

この敷地内にも、入口付近に更に研修施設を建設する計画だそうです。(10月スタート3月完成)

太陽光パネルが「原発よりまし」かどうかは、もっとしっかり検討されなければならないのに、あっという間にこんなに巨大な発電所が作られてしまいました。 共生の時代には、組合員のQ&Aがありましたが、回答にはソースが何もなく納得がいく内容ではありませんでした。これについてはまた記事にしていきたいと思います。 

共生の時代には、まったく グリーンコープに都合がいいことしか書いてないなあと正直思いました。http://www.greencoop.or.jp/kyousei/