ブログ「風の谷」  再エネは原発体制を補完する新利権構造

原発事故は放射能による公害。追加被曝阻止⇒放射性廃棄物は拡散してはいけない⇒再エネは放射能拡散につながる⇒検証を!

琵琶湖汚染木材チップ問題テレビ報道と放射能汚染地域の樹皮(バーク)について

2014-01-11 | 放射能汚染

滋賀県琵琶湖汚染木材チップ問題の続報です。 

3・26政府交渉ネットhttp://gareki326.jimdo.com MLより

琵琶湖(滋賀県高島市)に不法投棄された放射能汚染木質チップの処理作業は6日から始まり同日搬送先不明のまま滋賀県下を抜け日本海側を北上。

 

富山県を抜け福島県下に入ったことはすでにお知らせしたとおりです。
「善意の業者」の木質チップを積み荷した車両は、福島県中央部を迷走した揚句、本日午前9時頃放射能汚染木質チップを載せたまま出発地点である琵琶湖に車両は戻りました。
二社のメディアと市民団体の「善意の業者」の車両を3日間追尾したたことが、搬入先を不明のまま琵琶湖に戻ると言う事態になったと言えます。
嘉田県知事は今回の不法投棄された放射能汚染木質チップを行政の責任として処理せず、匿名の「善意の業者」なるものに丸投げした揚句、搬入先さえも明らかな出来ない「善意の業者」に関する情報をいまだに開示していません。

以下は現地からの報告です。
●「搬出された車両は、朝9:00頃、高島市の現場にチップを載せたまま戻っています。(一部マスコミにともなって。)「キャスト」(テレビ朝日)16時から追跡の模様が放映されるとのことです。地元の方に朝にインタビューしたとのこと。以上が状況ですが県へ電話では「車両は現場にあるが、どこから来たのか経過は明らかにできない」を繰り返すはかりなど。あと、基本の話と合わせ住民説明会の開催や記者発表の要求をしましたが検討中の繰り返し。これらに対する対策は地元などで検討しています。」以上。
 

1/11 木下さんブログよりhttp://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/765111b1c5bf0b8c69387b05fc026fc0

琵琶湖高濃度汚染木材チップは、現場付近が降雪の為、きのうは作業が為されていません。出戻ってきたトラックも、現場に置かれたままです。

1/15 木下さんブログより

琵琶湖高濃度汚染木材チップですが、ツイッターなどではお伝えしましたが(終日外にいてPCが使えずブログなどには遅れました)、昨日未明、一部はトラックで持ち出された模様です。

不法投棄はされませんが、最終処理工程は不透明です。但し、関係者情報を総合すると、放射能汚染のあるエリア(東日本)に運ばれていると認識しています。

 


読売TV 2014年1月9日  「琵琶湖近くに放置“放射性セシウム木くず”なぜ?どこへ?」より画像転載

(管理人より) 滋賀県の木材チップは石田先生の測定では6880、7390、8900、12400ベクレル/kg。

8000ベクレル/kg超があります。震災がれきをはるかに超える汚染度。がれきに反対した人はみんな声を上げなければならないレベルです。

 

 

木材チップとなっていますが、汚染の度合いからして、樹皮(バーク)のようです。

福島で引き取り手がなくて余っているバークが なんと7~8万トン! 

 

バークの処理に困った業者が、放射性物質の取り扱いの知識のない産廃業者に騙されて、バークが日本中にばらまかれてしまう可能性があるということがよくわかります。滋賀県の例は氷山の一角。

高濃度汚染地域からの樹皮の放射性廃棄物は、広域処理された震災がれきよりもむしろタチが悪いと思います。

滋賀県に放置された木質チップは、行政から産廃業者の名前が出てきません。数千ベクレル/kg以上の放射性廃棄物がフレコンバッグ詰め状態で、通常の産廃車に入れられ、一般道を走り回っている異常な事態。放射性物質は集中管理が原則であるにも関わらず、このずさんな管理、ずさんな移動に驚かされます。

 

放射性微粒子が、移動先々で微量に漏れ出て環境中に再拡散していることは間違いありません。滋賀県の元の位置に戻ったそうですので、また水源地のすぐそばです。雪が降って、水源地に放射能汚染地域の木の皮(バーク)が放置されるのは本当にまずいと思います。

燃やしても環境中に浮遊し、結局微粒子は水源に入るし、焼却灰も更に手に負えなくなります。やはり汚染地域に無人エリアを作って集中管理するしかありません。希釈して処理してはいけないのです。

東大農学部名誉教授 森敏氏ブログ をご覧下さい。樹皮のオートラジオグラフから滋賀木材チップ放置事件の深刻さがわかります。

コナラ樹皮の放射能汚染 より  コナラの樹皮のオートラジオグラフ  

 

 校庭の松の樹皮の放射性セシウム汚染について

東電福島原発から降ってきた放射性セシウムは雨によって松葉や樹皮に吸着したのち、徐々にその後の雨などによって樹を下方に移行しながら、割れ目やこの横向きの小さな穴を通じて松の中心軸方向に向かっても徐々に体内に取り込まれているのではないかと想像された。

臼石小学校のこのオートラジオグラフの感光に使った松の樹皮のセシウム値

Cs134   213,114 Bq/kg (乾物重)   Cs137  254,812 Bq/kg(乾物重)

セシウム合算で 46万7926ベクレル/kg ! 

 

 ということは、行き場のない福島県のバークの中にこういった桁違いの汚染樹皮が隠れている可能性は高いと思われます。今回の滋賀に放置された木材チップも、もっとサンプリングすればさらに強烈な汚染が出てくるかもしれません。

上の画像にもありますが、工場長が樹皮はバイオマス燃料として使うと言っています。

今、再生可能エネルギー(国策)に対する政府の補助金が億単位でジャブジャブ注ぎ込まれています。

それを見込んで木質バイオマスで発電をし、売電して儲けようという西日本の自治体や、市民による発電所が作られています。西日本でも受け入れようというところがあるかもしれません。

東北汚染地域の樹皮は、西日本近隣の樹木の汚染とは、汚染の度合いがまったく違います。

発酵系にしろ燃焼系にしろ、確実に放射能再拡散につながるわけで、それを避ける対策がとられているという資料はみたことがありません。排ガスの検査はインチキですし、使うチップの汚染を測定したデータも出されてません。

木質バイオマス発電の近くの住民が、どういうルートで、どこの木が来るのか確認できるのでしょうか?

再生可能エネルギーの木質バイオマス発電も、放射性物質の拡散につながるということがわかります。

放射性廃棄物の集中管理を強く要求しなければならないはずの脱原発市民が、再エネを進める矛盾。

 

 

産廃業者には、マニフェストというものがあり、同処理されたのか追跡できる仕組みが一応あるようです。http://www.shokusan.or.jp/manifest/main/gimu.html

 

 

 

このマニフェストを嘉田県知事は市民に見せなければいけないと思います。

しかし嘉田県知事の考え方は、どうやら、がれき広域処理の時と同じ 「絆」のようです。 これでも環境学者なのでしょうか?

 

 


 

1/13 追記 転載します。

【転送・拡散歓迎】 高島の木質汚染チップの適切処分に向けての要望

みなさま

滋賀の井野です。複数のMLに送信しています。重複ご容赦願います。 

ML上でも話題になっている、迷走する滋賀県高島市の木質汚染チップの件で、有志の方々が滋賀県への要望書を書いてくださいました。

お目通しいただき、是非ご賛同いただけますようお願いいたします。【転送・拡散歓迎】携帯の方、長文になりますがご容赦ください。 

本要望書では、汚染チップを県外に持っていけばそれで良いというのではなく、搬出元に戻し、3.11前の放射性物質の取り扱い基準に従っ てドラム缶に入れて保管するなど、適切な処理・管理を求めるもので、滋賀県には搬出元に戻した後の汚染チップがどのように処理、管理されるのかまで見届け、結果を公表することを要求した内容になっています。 

滋賀県が適切な対応をすることによって、さらなる拡散、不適切処理を防ぐことができるとも言えますので、とても大事な機会です。環境省の指示を受けて動いている県行政も、市民の声が大きければ動かざるを得ません。何とぞ、みなさまのご賛同をお願いいたします。 

ご賛同いただける方は、

八木 nenecanto@yahoo.co.jp

井野 enagakun@zeus.eonet.ne.jp

まで、個人名(または団体名)、住所(または所在地)をご連絡ください。よろしくお願いします。 

 


数百種類の放射性核種が環境中に存在する東日本。西日本に住んでいても吸気被曝・大気汚染を直視する。

2014-01-01 | 放射能汚染

放射性物質がついたスリッパ http://mphoto.sblo.jp/article/76670689.html

動画 文字おこし

 
フェアウィンズ・アソシエーツの設立者、会長のマギー・ガンダーセンです。 今回は、スペシャルゲストのマルコ・カルトフェン氏です。
放射線化学とモニタリングの専門家で、マサチューセッツ, WorcesterのWorcester Polytechnic Institute大学の客員教授です。
カルトフェン氏が、はじめに研究内容と自己紹介をされます。
皆さんから何百ものEメールを頂いております質問、放射線についてお答えしたく思います。
私は法律パラリーガルで、他の専門家たちもこの財団で働いておりますが、我が財団より放射能について深い研究をされている他の専門家に、お聞きしたく思います。
私の夫、アーニー・ガンダーセンは、原子炉の専門家で、福島原発事故で起こったこと、発生した放射能がつくる問題、米国の他の原子炉の問題についての解説をしました。
マルコ・カルトフェン教授は、放射線が出てどうなるか、放射線は何処へいくのかを語ります。
マルコさん、出演ありがとうございます。

どういたしまして!私はWorcester Polytechnic Institute大学で、核の降下灰(フォールアウト)と、遠距離飛散した放射能の追跡の研究をしています。福島の放射能の放出で、最も興味深い事は、一般的な放射線許容量について聞かれることです。 

たとえば車の窓からのガイガーカウンターでの計測を考えますと、マイクロスコープやナノスケール・サイズの高放射性粒子は、小さ過ぎて風に吹かれて、時には非常に遠隔地まで飛散します。調査したところ、100マイルや1,000マイルの場所まで飛散します。

何が起こるのかと言えば、日本では放射能被曝地域から、人が車で移動して粒子が移動しています。 

これらの放射性粒子は世界中に移動しています。あなた方がそれらを吸えば、体が放射性粒子を運びます。それはまったく違う影響を与えます。 放射性物質の種類の背景はともかく、重要なのは、食べたり息を吸ったりしたときに体に取り込んでいるのです。

これは非常に興味深いことを聞かせていただきました。皆さまからの多くの質問ですが、歯科レントゲンとの違いはなんですか?

歯科レントゲンは、セットモニター放射線で、誰がどの種類の放射線を浴びるか予測できます。

放射性粒子は全然違います。個々の粒子は明らかに違う量の放射線です。身体に入るとダメージを与え始め、細胞や組織を痛めつけます。 放射性粒子は細胞に生き残り、強力に腫瘍に変化します。ですから、どのように放射性粒子が移動するかを心配しています。

もし、その様な放射性粒子を避けたければ、粒子が飛散したどこの空気を呼吸するか、どこの食物や水を取るのかという、我々の行動により違いが出てきます。放射性粒子の影響は、それが遠くに移動してもそう違いはありません。

すでに他の学者が発表したように、ここ米国でも空気中に粒子が、そして日本でも多くの粒子が観測されています。アメリシウム、ユーロピウム、ビスマス、ウラン他の放射性粒子が、日本の空気中と土壌から、米国西海岸や他の地域から見つかっています。 

私が、マルコさんのおっしゃったことを正確に理解したとしますと、たとえば、たばこから出る放射性物質は、体内からのものとおっしゃるのですか?

そうです。たばこを長期間吸うことにより、自然放射性が体内から出ます。これにはいろんな要因があり、たばこで肺がんになることが知られています。 

飛行機での旅行や胸部レントゲン撮影の放射線と、今回の放射線は同程度だとよく最近聞きますが、どう違うか説明して頂けますか?

もちろんです。これらは短期間の被ばくで、飛行機は数時間、レントゲンは瞬間で終わります。 

問題なのは、飛散している放射性粒子は、家に入り込みリサイクルして、継続して人々を被曝させます。この放射線被曝は、数時間や瞬間で終わらない。継続しています。 

被曝したら、強力に放射性物質は体内に一生残ります。放射性粒子による塵及び、追加計測による放射線の減少を見分けるのが重要です。

たとえば、この汚染地域に住んでいる人たちは、放射性物質を取り込んでいるし、呼吸する時に放射性物質は見えませんね。 

なにが起こっているかと言えば、これらの放射性粒子は、表面近くに張り付き、服、肌、コンクリート、カーペット、植木などにも張り付きます。ですから、被曝を減らしたければ、粒子の最初の飛来場所、服をきれいにする、影響受けた土壌を取り除く。とにかく、長期間の放射線被ばくを減らすことです。

放射性物質汚染は、日本だけですか、世界中ですか?  

我々は、米国内でも同様の放射性物質サンプルを確認しています。我が大学が設置した空気中放射性物質観測装置で、西海岸、東海岸、ハワイ、そして日本でも。日本で観測された放射性物質は、ヨウ素、セシウム、アメリシウムも含まれます。同じ現象が、米国でもあります。はっきりと福島原発事故関連の放射性物質です。 

これは深刻ですね。もう少し説明していただけますか?放射性粒子の塵は、フクシマから拡散して、北半球、又は地球全体へ行くのですか?

北半球が主ですね。1960年代には、我々は大気中で核実験をしていました。北半球で爆発すれば、放射性物質は北半球で確認された。米国、北アメリカ、同緯度の日本でもです。ですから、我々はここ米国でもっと多くの放射性物質の塵を確認しました。同じルールで、今述べたのと同種類レベルのことが、日本と世界中で、50年から60年代の核実験の期間よりおそらくもっと広く起こっています。 

今のフクシマの放射性物質の拡散レベルは、50-60年代の核実験期間より広範囲ですか? 

日本が受けている放射線物質量に関しては、そうです。我々は、米国にはどの程度の放射性物質が来ているかを考察しなければなりません。考慮すべきは、存在する放射性粒子の塵は、どこかの場所へ飛来し、誰かを継続的に被曝ばくさせているのです。物質を研究室で調査実験して、どの程度大きな問題に米国でなるのかを調べなければなりません。物質は、間違いなく米国で確認されており、食物と植物の種類ごとの調査をして、どのような深刻な問題を引き起こすかどうかを調べます。 

なにを食べて、なにを育てていいのかの情報はありますか?先ほど、教授は土壌汚染についておっしゃりましたが、何百人もの庭を持つ人達から、多くの質問がきています。 

半減期の長い物質、セシウムのような放射性粒子は、長期間留まり影響します。セシウムの影響はテストされ、ポタシウム(カリウム)の土壌への影響と同じです。多くの庭師の方がお馴染みのカリウムを基礎とした科学肥料はこれを含んでいます。放射性粒子セシウムが、カリウムと混ざっているのです。それらが、カリウムの代わりに吸収されるのです。

これは憂慮すべきで、どの程度植物に影響をあたえるかを、市場に出る前にサンプリング検査すべきです。この事は、ブリティシュ・ペトロリアムの原油流失海上汚染と同様で、FDAAと独立調査機関、私の研究所もシーフードやオイスター、蟹を検査しています。

放射性物質拡散の影響に多くの調査力が必要です。なぜなら、ひとつの国家だけの問題ではなく、国際的な問題だからです。

しかし、わたしはEPAの資料を読みました。“魚の検査はしないし、いくつかのモニタリング調査は終了した。”私たちはどうしたらいいのでしょうか?

私も現時点で、牛乳の検査を除く、魚と農産物の検査結果のどんなデーターも観ていません。牛乳の成分への放射性物質レベル検査はあり、なぜならヨウ素は日々の食品に濃縮されるからです。我々は、この検査を広げる必要があります。穀物は、より繊細で放射性粒子の塵に影響を受ける。

我々は、本当に満足いく、どんな決まった放射線数値も知らされていません。 

では市民は、現時点でどうすべきだというのです? 

市民が、長い間、科学的粉塵と戦ってきたことを思い出すべきです。公的教育は、医療的に子供たちへの粉塵公害の排出を減らしてきた。これは大きな公衆健康問題で、この問題に対処し、正していく行動をしてきました。

我々は、これらのデーターが主に示すように、大規模で同程度の公衆健康を守り、放射性物質の粉塵の影響を減らす方法を探すべきです。まず、最初のステップは検査です。数量に関係なく、どの程度進め、どの程度的確な行動をするかです。 

視聴者やリスナーへの回答として、人々は今、なにをすべきでしょうか?私は、市民に、市長、知事、州の研究所と最も重要なのは連邦研究所にコンタクトしなさいと言っています。観測システムが、我々を守ってくれますとも。的が合っていますか? 

部分的には、合っていると思います。私は、日本に住む人達と、放射性物質の影響のある地域の人達にこう言います。単純です。食物を準備する前に手をよく洗うこと。これは、ここ米国でも言えることです。

他の問題として、我々はいくつかの検査ができることです。落ちてきた放射性物質を、食物からの取り除く方法、農作物を観察して確認して、汚染が拡散するのを防ぐことです。 

この放射性物質は、すべて周囲にあるのですね? 

はい。 

どういう意味があるのですか?家のドアのところで靴を脱ぐ、汚れた服を家の中に入れない、このようなことですか? 

いい答えですね。研究所では、いろんな塵の計測をします。外への放出を防御しています。そのような塵を家の中に入れたりしたくないでしょう。約70%の家の塵は、家のすぐ周りからの汚い塵です。塵の家の内への侵入を減らすことが出来ます。いわゆる家の放射線を考えてみてください。 我々は、特に原発事故の前から、それを防ぐ少しの経験があります。我々は、余分な放射性物質の計測をしなければなりません。これらは、我々が家に入る前に防げば、拡散していきません。 

なるほど論理的ですね。このような場合はどうでしょう?日本や米国で、夏季に外出したり、夏休みに屋外活動するのはどうですか? 

難しい質問ですね。特に日本に住む人達には、外出して新鮮な空気を吸ったり、運動したり、新鮮な食物を食べるのは、放射線リスクを伴います。

人類が核実験していた期間に、わかっていることは、時には天候により一定の地域に影響を及ぼし、まれに核爆発があった地域から遠隔地でも影響がありました。

ですから、放射性物質の観測をしなければなりません。この放射性物質の影響は、オゾン層の破壊による影響が、夏の暑い日に大都市であるのと同じです。もし、運動したければ、おそらく翌朝にした方がよいでしょう。

なるほど、わかりやすいですね。日本の県、米国の州、カナダの県で、このようなプロセスについて公式に広報が必要ですね。

 まったくその通りです。 なぜなら、たとえあなたがガイガーカウンターを持っていても、窓に向けた計測機は役に立ちません。空気中の放射性物質の塵の計測は出来ません。通常、空気中の放射性物質の塵の計測には、もっと高価な計測装置が必要です。それは難しいことなのです。

ですから、我々は、政府に向かって、政府機関にこの観測をするよう請求すべきです。非常に深刻なことです。日々この観測情報を得なければなりません。

マルコさん、大変ありがとうございました。また次回の出演を望みます。私たちは、通常もっと多くの質問があり、もっと共有したい情報があり、迫りくる問題がありましたら、その見解をください。

我々は、継続して放射性粒子について研究しています。もっと多くのデーターが集まりましたら、すぐに公開していきます。インタビューして頂き、ありがとうございます。 

こちらこそ、ありがとうございます。 フクシマで実際に起きていることに関して、人々が知りたい事にお答えいただき、ありがとうございました。


 

(管理人より) 元旦から、吸気被曝のことを忘れないように記事にしておきたいと思います。

200種類以上の核種が無管理の状態で環境中に、膨大に存在し、浮遊する東日本。現在、そこに人が住んでいても、住んでいなくても、その事実にかわりはありません。放射性セシウムだけでチェルノブイリの3倍です。どこで何を吸ってしまうかわからない状況。崩壊系列をみると、一粒でも微粒子を吸わないようにしなければならないことがわかります。安定するまで何度も崩壊を繰り返し、その都度、放射線をゼロ距離で放出。

西日本に住んでいても、重金属汚染された廃棄物を燃やす工場やゴミ焼却場の周辺地域などは、一定、重金属のPMが排出されていますので、もし、福島由来の放射性微粒子が風向きなどで流れ込んだときに吸い込めば、複合汚染で、より悪い影響が出ることが懸念されます。

 

 

 

 

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採掘・製錬時に放射性物質を撒き散らすレアメタル・レアアースは自然エネルギーにも使われている事実

2013-12-11 | 放射能汚染

 レアアース・レアメタルについて検索をかけると、たくさん出てくるのですが、NIMS レアメタル・レアアース特集というサイトを見てまとめてみました。以下サイトから引用。 NIMS

レアメタル

産業に利用されるケースが多い希少な非鉄金属を指し、構造材料へ添加して特性を向上させたり、また電子材料・磁性材料などの機能性材料などに使用されています。レアメタルは、強度を増したり錆びにくくする構造材料への添加材として、また発光ダイオードや電池、永久磁石などの電子・磁石材料として、さらには光触媒やニューガラスなどの機能性材料として用途は多岐に渡り、現代社会では非常に重要な元素と言えます。例えばチタンなどは地中埋蔵量は多いのですが、高純度のチタンを精錬するのは非常に困難で、その技術コストが非常に高額になるため、“稀少な”金属となっています。


 レアアース

レアメタルのうち、スカンジウム、イットリウム、ランタンからルテチウムまでの17元素のグループは、一般的に希土類元素、あるいは「レアアース」と呼ばれています。

強力な永久磁石に欠かせない「ネオジム」や「ジスプロシウム」、強力な固体レーザーやカラーテレビの蛍光体に使用される「イットリウム」など、これらのレアアースもまた、現代の産業を支える重要な元素で、日本は世界需要の約半分を占めると言われています。しかし、大部分は世界産出量の97%以上を占める中国からの輸入に頼らざるを得ません。


(管理人)再生可能エネルギーに使われるレアメタル・レアアースを調べてみました。

太陽光パネル、巨大風車のブレードやタワー、蓄電池などです。周辺機器やハイブリッドカーなども含めたらもっとあるのではないかと思いました。

新エネルギー導入促進に伴うレアメタル需要(2009.11 金属資源レポート)

http://mric.jogmec.go.jp/public/kogyojoho/2009-11/MRv39n4-14.pdf  より

 ⇒クリックすると拡大します。(表11 と同じものですが字が小さくて見えなかったので追加しました)

 

 

 

★風と太陽の光=無料(無限) だけど

自然エネルギーの発電装置は=たくさんのレアメタルやレアアースをもとに大量の火力の電力を使ってつくる工業製品(寿命有り)

太陽光発電も風力発電も蓄電池も、レアメタル・レアアースを大量に使うということがわかります。 

 法定耐用年数を調べてみました。http://www.meti.go.jp/committee/chotatsu_kakaku/pdf/005_02_00.pdf  より

 

巨大風車1基1億円~5億円以上かけて作って、壊れたら撤去費用に1基8000万円かかるそうです。http://no-windfarm.net/misuji20101216.pdf

それで外部電源で回すという・・・・20年程度しか持たないものをこんな経費をかけて作る意味があるでしょうか?原発と同じように危険性や妥当性や経済合理性を検証しなければならないのに、いつの間にか国策で推進されて、ガッチリ再エネムラができています。

しかも、 レアメタル・レアアースは採掘現場も製錬過程でも環境中に、必ず放射性物質を放出します。ウラン採掘と同じです。労働者や周辺住民に健康被害が出ています。

これでも自然エネルギーは原発よりましですか?

 

 

 

 

 

 2050年までに多くの種類の金属が現有の埋蔵量ではまかないきれなくなります。

経産省は「地球上の存在量が稀であるか、技術的・経済的な理由で抽出困難な金属のうち、安定供給の確保が政策的に重要」などと言いますが、他国の貧しい労働者が被曝する犠牲の上で成り立つ自然エネルギーは、原発と同じく「人間を不幸にする」技術。

自然エネルギーは不自然エネルギー、再生可能エネルギーではなく、再生不能エネルギーだ、と私は思います。 

もうやめるしかありません。いくら利害関係者であっても、「原発に代わる自然エネルギー」という嘘を刷り込んではいけないと、私は思います。

被曝は危険という脱原発市民が再エネ推進する矛盾。これこそ、国策の嘘!

 

オーストラリア・ウラン鉱山で放射性汚染水大量流出。関電、九電、四電、伊藤忠商事の出資の日本企業

マレーシアのレアアース抽出工場~ブキメラ放射能汚染「私たちは、涙がかれる程たくさん泣きました」

 


オーストラリア・ウラン鉱山で放射性汚染水大量流出。関電、九電、四電、伊藤忠商事の出資の日本企業

2013-12-10 | 放射能汚染

  

 Spill of contaminated material at Ranger uranium mine; locals fear for Kakadu National Park 

レンジャー・ウラン鉱山で汚染物質の流出;カカドゥ国立公園で地元住民に恐怖

放射性汚染水が大量流出=世界遺産内のウラン鉱山で―豪  時事通信 12月10日(火)10時42分配信

【シドニー時事】オーストラリア北部準州のウラン鉱山「レンジャー」で7日、ウラン鉱や泥水をためたタンクが破損し、100万リットルを超える放射性汚染水が流出した。事態を重くみた豪政府は10日までに、安全性が確認されるまで操業を停止するよう鉱山の運営会社に命じた。
 鉱山は、先住民アボリジニが描いた壁画が残り、世界遺産にも登録されているカカドゥ国立公園内にある。英豪系資源大手リオ・ティント傘下のウラン生産会社エナジー・リソーシズ・オブ・オーストラリア(ERA)が運営する。 

(管理人より)

レアアース工場の問題をブログアップしたあとに、レンジャー・ウラン鉱山の事故・・・まず地図をどうぞ。http://www.mirarr.net/uranium-mining 

世界のウランの10%を供給する世界最大級のウラン生産企業であるエナジー・リソーシズ・オブ・オーストラリア(Energy Resources of Australia)社のウラン生産拠点、ノーザンテリトリー(北部準州)のレンジャー鉱山での事故。ざっと調べてみました。

http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=04-03-01-07  より

Ranger鉱山は北部準州、ダーウィン(Darwin)東方230kmに位置し、周囲をカカドゥー(Kakadu)国立公園に取り囲まれている。
 本鉱山はEnergy Resources of Australia Ltd.(ERA)社により運営され、収益の約68%をRio Tinto社が、約10%を日豪ウラン資源開発(株)が保有している。
 ウラン生産は1980年に始まった。鉱石は露天採掘法により採掘されている。1994年末には第一鉱体の採掘を終了し、1996年から第三鉱体の採掘に取り掛かっている。Ranger鉱山は2003-2004年度に4,667tU3O8を生産した。2003年1月現在のウラン埋蔵量は鉱石量は平均品位0.21%U、41,674tUである。

http://www.australia.arakawanet.com/html/shigen/uranium/rangeruranium.html  より

 原発ゼロの国オーストラリアが支える原発産業  より転載

2011年10月、福島第1原発5基以上(全6基)の原子炉でオーストラリア産ウランが使われていた事実を、オーストラリア連邦政府の外務省の役人が認めた。世界一のウラン埋蔵量を誇り、生産国として世界第3位を誇るオーストラリアは、原発を保有する世界各国にウランを輸出しており、その中にはアメリカやフランスなど核兵器保有国も含まれている。原発ゼロ、核兵器保有に対して反対の立場を取っている一見クリーンな国、オーストラリアはその実、世界の原発産業を陰で支える原子力産業の中核を担う国でもまたあるのだ。  中略

 国内のウラン産業が拡大すればするほど、鉱山があるエリアに住む先住民アボリジニは、放射能に汚染された汚染水などによる被曝に苦しめられることになる。オーストラリアのウラン採掘は、国内外に多大な犠牲を強いながら、なお推進されようとしているのである。


レンジャー鉱山には日豪ウラン資源開発(株)という日本の企業が絡んでいます。関西電力 50%、九州電力25%、四国電力15%、伊藤忠商事10%の出資で設立されているので他人事ではありません。

採掘されたウランは日本に送り続けられ、各地の原子力発電所へと供給され続けています。

レンジャー鉱山から採掘されたウランの3割以上は日本が原発の為に輸入。ジャビルカ鉱山で採掘予定の5割は日本が輸入予定。http://www.kankuma.jp/mondai/energy/energy10.htm

この地域にはアボリジニ・ミラル族の人たちが住んでおり、その村の水源が汚染されています。

 

 

 

資源採掘の段階で、放射性物質を環境中に撒き散らす発電は、原発にしても再エネにしても、先住民族の犠牲を容認する非人道的な技術だと思います。「じゃあ、電気使うな、パソコン使うな」という極論でなくて、 追加の汚染を防ぐにはどうすればいいかを、今こそ一人ひとりが調べてみる。まずこの問題の大元は何かについて考えることが必要です。 私たちが地球に住み続けるためには、すぐに原発をやめ、レアアースが必要な再エネも諦めるべきだと私は考えます。

電気のために、世界中の誰もが、被曝者にも加害者にもならないようにするにはどうすればいいか考えていきたいと思います。

マレーシアのレアアース抽出工場~ブキメラ放射能汚染「私たちは、涙がかれる程たくさん泣きました」

採掘・製錬時に放射性物質を撒き散らすレアメタル・レアアースは自然エネルギーにも使われている事実

以下http://savekakadu.wordpress.com/ より転載します。


2013.12.7 ジャビルカ通信 第156号    
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ レンジャー鉱山のウラン製錬設備でタンク破損      ┃
 ┃ ウラン硫酸溶液100万リットル漏洩か           ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

 ジャビルカ鉱山の開発凍結後、ずっと休眠している『ジャビルカ通信』ですが、隣接するレンジャー鉱山(関西電力などがウランを購入している山)で事故が起きましたので、ひさびさに発信いたします。

 12月7日未明、オーストラリア北部、世界遺産カカドゥ国立公園地域にあるレンジャー鉱山内のウラン製錬施設で、製錬前のウラン溶液を収容するタンクが破裂し、タンク内の溶液が噴出、一時、作業員が全員退避する事態となりました。けが人は出なかったとのこと。

 流出したのは、ウラン鉱石を細かく破砕したものと化学処理用の薬剤(硫酸など)とを混ぜ合わせたもので、「溶液」というよりは「濃い泥水」に近い状態のもの。タンクの容量から推計して流出量は100万立方メートル以上と見られ、重量にして数千トンに相当するものと推定されます。

 現場では1キロ四方の立入禁止区域が設定され、調査と除染に数週間は要する模様。放射能溶液の施設外への流出は今のところ確認されていません。施設を操業するERA社はまだ詳しい発表をしていませんが、タンクの老朽化、バルブの故障などいくつかの原因が考えられます。

 レンジャー鉱山の土地の先住民族土地権をもつミラル・グンジェイッミ氏族(Mirarr Gundjeihmi)の代表組織、グンジェイッミ先住民族法人(GAC)は、鉱山の全面操業停止と第三者機関による監査を求めています。

GACのジャスティン・オブライエン事務局長は、「だらしない鉱山会社がだらしない規制庁のもとでだらしない仕事をしてきた結果だ」と酷評。豪州環境保護基金(ACF)の核問題担当デイブ・スウィーニーもレンジャー鉱山を「aging, failing, risking」(老朽化、故障続き、危険増加)の三拍子だとして、会社側の無策を批判しています。

レンジャー鉱山の親会社であるリオティント社は、従来は採掘しないとしていた第3鉱床の採掘計画(R3D)をオーストラリア連邦政府に申請していますが、交渉権をもつ先住民族はこの拡張計画に対し、まだ承認を与えていません。 

詳細は ↓ こちら

[1] http://www.mirarr.net/media_releases/one-million-litre-nuclear-accident-in-kakadu

[2] http://ecnt.org/media/ranger-danger-massive-spill-one-million-reasons-end-uranium-mining-kakadu

[3] http://www.bloomberg.com/news/2013-12-07/rio-tinto-uranium-mine-spills-radioactive-acid-in-national-park.html

[4] http://www.abc.net.au/news/2013-12-07/spill-at-nt-uranium-mine-near-kakadu/5142148

[5] http://www.ntnews.com.au/news/northern-territory/contaminated-slurry-spilled-at-ranger-uranium-mine/story-fnk0b1zt-1226777753784

背景情報

[6] http://www.mirarr.net/uranium-mining

[7] http://ecnt.org/media/ten-years-and-ranger-uranium-mine-remains-threat-kakadu

[8]  http://j.mp/uranium433b(細川弘明 2012「福島第一原発で使用されたウランはどこからきた?」『オルタ』433号、地図修正版) 

 

 


マレーシアのレアアース抽出工場~ブキメラ放射能汚染「私たちは、涙がかれる程たくさん泣きました」

2013-12-05 | 放射能汚染

 

http://www.malaysiakini.com/news/163166  より翻訳はブログ風の谷管理人

途中の画像はhttp://www.consumer.org.my/index.php/homepage/slideshow/453-wasted-lives-lessons-from-radioactive-poisoning-in-bukit-merah  より転載

 

私たちは、涙がかれる程たくさん泣きました

ライ・カンさんがはじめてブキメラ、ペラ州のアジアレアアース工場敷地(ARE)に足を踏み入れてから約30年経ちました。
彼女はちょうど一番下、6人目の子供を妊娠していたことがわかったばかりでした。

しかし、彼女は貧しかったため地元の土建業者に労働者として就職せざるを得ませんでした。そしてその施設でさらなる建築物を建設するため雇われました。

何も知らずに日々の生活費のため、そのような決意をしたことで、結局彼女は心を痛めています。ARE工場での労働の数ヶ月後、彼女の息子は(彼女はコック・リオンとだけ名乗るよう頼んだ)身体障害者で産まれました。 

その男の子は目にシビアな問題を抱えていました。やがて彼が5歳の時、左目の視力を失いました。そのうえ彼は心臓に空いた穴で苦しんでいます。

しかし、ライ・カンさんを最も悩ませているのは、彼女の大切な息子に知的障害があるということです。コック・リオンさんは現在29歳の大人ですが、彼の知能は幼児期から発達していません。彼には言葉の能力がほとんどありませんし、オムツを外したことがありません。

安全のため彼が家から出て歩き回らないように、間に合わせの材料で胸までの高さのワイヤ製のドアをつくり、外の世界から切り離されて、彼は限られた部屋の後ろに閉じ込められています。

つまりライ・カンさんはもう69歳で、30年間、ずっとそこで息子の世話をして過ごしているのです。彼女が息子を連れて帰った最初の日からほぼ同じやり方で。

NONE

 

 

 

 

 

 

 

ライ・カンさんの娘達のうちの一人は学校をやめなければならなりませんでした。以前にも彼女は、家族を助けるために転籍したクラスをやめました。なぜならライ・カンさんの夫は家族を捨て、彼女は息子のそばを離れることはできなかったからです。

「私と息子を見て、あなたは、私がどんな思いでいるか感じることができますか?」と、客家語(限られた教育のために流暢である唯一の方言)で、彼女は言いました。

【追記】 コック・リオンさんは2012年の春、亡くなりました。 

放射線被曝上の手掛かりなし 

1980年代から1990年代初期まで日本企業の三菱化成によって経営されたARE工場は、レアアースを抽出するためスズを取り除く処理過程で発生する放射性廃棄物がずさんな管理であったと主張されていることによって、ブキ・メラに放射能汚染を拡散したと非難されています。 

 

 

工場事業の余波で、クレダンの丘のふもと近くが永久的な敷地としてアジア最大の放射性廃棄物処理場の一つとなったのです。 

オーストラリアの鉱山会社ライナスによる別のレアアース処理施設建設計画(今度はパパンのゲベン)が最近公表されたとき、AREのエピソードから漏れている健康被害の影が、再び浮かび上がりました。 

ARE構内で労働していた時のことを語ると、ライ・カンさんは、全ての労働者が、構内にいるときはいつでも温度計のようなピンを胸につけることを要求されたことが少し奇妙だったと言いました。放射性物質への曝露を測定するために使用されるものだと後でわかったことですが。

職場では毎回、私は本当にひどい何かの匂いを嗅ぐことになりました。そのせいで喉が渇いたし、そうでなければ何もおかしいと感じませんでした。

「私は、パパンの住人が村に廃棄物を埋めるという工場の計画に抗議し始めたとき、放射性廃棄物に関して知っただけでした。村民はそのことを私に教えてくれました」と彼女が言いました。 

一番下の娘は赤ん坊だったので、絶えず病院を出たり入ったりするということは、彼女にとっては難儀であったと、ARE工場からの放射能中毒で家族が苦しんだもう一人の高齢者は言いました。 

パンチャバーナム Shanmugam(55歳)さんは、工場から多くの廃水が出されていることに気づいた時、1987年にARE工場のちょうど隣の一区画の土地上で森林を切り開く労働者として働いていました。 

 

「私たちの仕事は終了するまで約7か月かかりました。しばしば、たくさんの廃水が工場から出ましたし、それは私たちの膝とほとんど同じくらいの高さまで水位が上昇しました。水はとても臭かったのです」と彼女は自宅で語りました。

  「私の子どもは苦しんでいます」

1年後に、パンチャバーナムさんの一番下の子ども、カスツーリさんが生まれました。そしてまたすぐに困った問題が発生しました。 

彼女は赤ん坊のカスツーリさんが、突然病院の無菌環境の中で扱われなければならなかった点について、体中に炎症がどのように起きたのかを語りました。さらに彼女の娘はいつも割れるような頭痛がしていました。それは激しい鼻血を伴って時として失神しました。 

彼女が白血病を患っているということを医者が発見したのは、カスツーリさんがおそらく10歳か11歳ごろでした。彼女の上2人の兄弟のどちらもその病気にかかっていませんし、パンチャバーナムさんも、彼女の家族の中でその病気を持っている人はいないと語りました。

「彼女は友達のように走ることができませんでした。また彼女は、何かに集中することが難しいということがようやく分かりました。彼女は英語を話すことができます。しかし集中することは彼女にとって難しい...彼女は5年生を終了することができませんでした。」とパンチャバーナムさんは娘について語りました。

カスツーリ(現在23歳)さんは現在近くの織物店で働いています。しかし、パンチャバーナムさんは娘がまだ定期的に病院に出たり入ったりしていることを気にしていました。

「それは彼女にとってつらく苦しいものでした」と彼女を想う母親が言いました。

そしてライ・カンさんの娘(匿名を頼んだ)によって述べられたように、それは放射線によって病気にさせられた人達だけでなく、自分の愛する家族の運命を変える力がない家族にとってもまた耐え難いものなのです。

私は、同級生が私の兄弟を彼はどうだとからかうので、学校を辞める前はひどい目にあいました。私の母は、結婚披露宴にいくことも母の日を祝うこともできませんでした。私の兄弟の世話をしてくれる人が誰もいなかったからです。 

「私たちは、涙がかれる程たくさん泣きました」と、彼女は言いました。

 

 


(管理人より)

マレーシアのブキメラ放射能汚染は、日本人がバブルに浮かれていた1980年代頃に起きました。日本企業の三菱化成の合弁会社の工場が操業を開始した後、周辺住民に多大な健康被害が起きました。放射能による公害です。

ブログ記事冒頭に、健康被害者の方の現地のインタビュー記事を翻訳して載せました。(原文は記事下にスクロール)

この時の住民の訴訟の歩みを記録した書籍 『Wasted Lives』 が現地では出版されていますが、日本ではほとんど知られていないようです。

(左)マレーシア・ペナン消費者協会出版の原書 『Wasted Lives』 

(右)2000年に出された日本語訳の97pの冊子『ふみにじられた生命 ブキメラ放射能汚染』(編集:広島平和教育研究所、日本語訳:大庭里美)

発行元が広島県教育用品株式会社で、一般書店には販売されておらず電話で直接注文しましたが、もう在庫がないそうです。探していただき入手できました。なので、これからこの冊子から内容を少しずつブログアップしてご紹介していきたいと思っています。

反被曝という立場で原発の反対を訴える方や、再生可能エネルギーが脱原発の代わりになると思っている方にぜひ読んでいただきたい一冊です。

採掘・製錬時に放射性物質を撒き散らすレアメタル・レアアースは自然エネルギーにも使われている事実

目次

1.「わたしたちは子どものためにここに来ているのです」-ブキメラ住民のAREとの闘い

2.「なぜ、わたしたちは放射能に反対するのか」-ブキメラの勇気ある女性たち

3.死にゆく子どもたち-ブキメラ村の医療問題

4.希土類金属(レアアース)生産における放射能

5.低線量被曝の危険

6.危険度の過小評価-放射線被曝に安全値はない

7.「素手で仕事をした」-無責任な会社

8.広がる不信感

9.AREの劣悪な経済-140億年の長期にわたる代償

10.日本の責任

  

 (原文)Bukit Merah survivor: Our tears have run dry

It has been nearly 30 years to the day that Lai Kwan first set foot on the grounds of the Asian Rare Earth (ARE) factory in Bukit Merah, Perak.

She had just found out that she was pregnant with her sixth and youngest child, but poverty left her little choice as she had to take up a job as a labourer with a local contractor, hired to build an additional structure at the facility.

NONEUnknown to her, that decision to earn her family’s daily bread would ultimately break her heart.

Several months after her stint at the ARE plant, her son, whom she asked only to be identified as Kok Leong, was born disabled.

The boy had severe problems with his eyes, eventually losing sight in his left eye when he was five. He also suffers from a hole in his heart.

But what pains Lai Kwan the most is that her precious son is mentally challenged.

Kok Leong is now an adult of 29 years, but his mind is no more developed than a toddler’s. He has little or no capacity for speech, and he has never been out of diapers.

To keep him from wandering out of the safety of their home, he is kept at the back of their modest unit - separated from the rest of the world by a makeshift wire mesh door that stands up to his chest.

And that is where Lai Kwan, now 69, has spent the past three decades, caring for her boy all these years in much the same way that she had from the first day she brought him home.

One of Lai Kwan’s daughters had to quit school, even before she finished Remove class, to help support the family, since her husband had abandoned them and she could not leave her son’s side.

“When you see me and my son, can you feel how I feel?” she said in Hakka, the only dialect she is fluent in due to her limited education.

No clue on radiation exposure

The ARE plant, run by Japanese company Mitsubishi Chemicals from the 1980s to the early 1990s, is blamed for spreading radiation poisoning in Bukit Merah due to what is claimed to be its poor management of radioactive waste generated from processing tin tailings to extract rare earth.

NONEThe aftermath of the factory’s operations has been one of the largest radioactive waste clean-ups in Asia, with a permanent site set up at the foot of nearby Kledang hill.

Ghosts of the health hazards leaking out of the ARE episode resurfaced recently when plans by Australian mining firm Lynas to build another rare earth processing facility, this time in Gebeng, Pahang, were made public.

Recounting her time working on the ARE premises, Lai Kwan said it was a bit odd that all staff members were required to wear a thermometer-like pin over their chests whenever they were on site, which she found out later was used to measure exposure to radioactivity.

 “Every time at work, I would smell something really awful. It made me thirsty but        otherwise I didn’t feel anything strange.

 “I only found out (about radioactive waste) when the residents of Kg Papan   started protesting against the factory over plans to bury the wastes in the village. The villagers told me about it,” she said.

 Another senior citizen, whose family was also afflicted by radiation poisoning from the ARE plant, said it has been hard for her youngest daughter, having been constantly going in and out of the hospital since she was a baby.

 Panchavarnam Shanmugam, 55, was working as a labourer clearing forest cover on a plot of land right next to the ARE factory in 1987 when she noticed a lot of water being flushed out from the factory.

 “Our work took us about seven months to finish. Many times, there would be a lot of water coming from the factory and it would rise to almost as high as our knees. The water was very smelly,” she said at her home.

‘My child suffers’

 A year later, Panchavarnam’s youngest child, Kasturi, was born and almost  immediately the complications arose.

Sheazlan recounted how as a baby, Kasturi suddenly suffered inflammation all over her body to the point that she had to be treated in a sterile environment at the hospital.

Her daughter also had constant, splitting headaches, which came with heavy nose bleeds and on some occasions, fainting.

It was only when Kasturi was around 10 or 11 years old that doctors discovered that she was suffering from leukaemia. Neither of her two elder siblings has the disease, nor could Panchavarnam recall anyone in her family having the condition.

“She could not run like her friends, and she just found it hard to concentrate on anything. She can speak English, but it’s difficult for her to focus... she could not finish her Form Five,” Panchavarnam (right) said of her daughter.

Kasturi, now 23, is now working in a nearby textile store, but Panchavarnam noted that her daughter still goes in and out of the hospital regularly.

“It has been hard for her,” said the doting mother.

And, as described by Lai Kwan’s daughter, who asked not to be named, it is hard not only on those made sick by the radiation but also on their families, who are helpless to change the fortunes of their loved ones.

“I had a hard time in school before I stopped, because my classmates would make fun of my brother because of how he is. My mother couldn’t go for wedding dinners, or celebrate Mother’s Day because there wouldn’t be anyone to take care of my brother.

 “We have cried so much that our tears have run dry,” she said. 

 


さよなら原発11.10集会でのmikoさんの訴え【分断を恐れないで事実と向き合える方々との事実の共有を】

2013-11-11 | 放射能汚染

http://ameblo.jp/kitakyu-mamoru/entry-11683413759.html  より転載です。(管理人)

さよなら原発11.10九州沖縄集会(舞鶴公園)で、少しだけ話してきました。超早口ですが・・mikoの話と大体同じデス・・・ 

私の前に広瀬隆さんという方もお話しています。私は反原発の運動の事は全く知りません。原発の危険性についても、ど素人です。でも、原発事故が起こると、こうなる~という事だけは体験して知っています。知って欲しいと思い、集会の様子をお知らせします。

http://www.ustream.tv/recorded/40636839 01:03~辺り (画像クリックで動画へとびます)
 
 
 
この狭い日本に17か所54基の原発がありました。
そして原発事故があり、世界にある焼却場の3分の2にあたる1700基を持つ日本で放射性物質を含むゴミの焼却が今も全国で行われています。
 
また、全国の産廃施設では8000bq/kgまでの放射性物質を含む汚泥や焼却灰の焼成処理は震災後すぐから今も全国で行われており、人間にする仕打ちではない事を国民の意志として行っている事実に言葉もありません。
 
福島第一原発から30kmのいわき市に住んでいました。私の家は40kmぐらいありました。 
いわき市は福島県の中でも比較的放射線量が低く、と言っても311以前の約2倍、毎時0.11マイクロシーベルトです。
 
但し、これは行政の発表した数値であって、何の意味もありません。実際に私が見た数字は色々、0.08~22μsv/hまでありました。今年の夏に帰省したときも0.2~1マイクロシーベルトありました。
 
では、私が公式発表では、放射線量の低いいわき市から自主避難を選んだ理由と、今思っていることを体験を基に話します。
 
私の職業はピアノの講師。大好きなピアノと生徒達に囲まれて充実した毎日でした。多くの人々がそうであるように、日々の生活や趣味に追われて、政治のこと、環境のこと、原発のことを真剣に考えること、興味もなかったです。311地震のあった日も、「原発」のことなんて考えるはずもなく、地震で原発が爆発するなんて・・・知りませんでした。 
 
では、事故の話をします。
 
311直後、長崎大学の山下俊一教授が100ミリシーベルトまで安全だと言いました。 
年間100ミリシーベルト放射能を浴びても安全とテレビ、新聞、ラジオ、学校、講演会で行き渡ったころ、学校で0.5マイクロシーベルト、通常値の10倍でも、外の活動を安全だとして行いました。
 
給食も最初、地産地消ということになり、教育委員会が給食を食べない自由を認めたのは、2学期になってからです。 
ですから、100ミリ安全説を信じた人の子供たちは、地産地消をして、給食を食べていました。
 
外の放射線量は同じではありません。たった10cm違っても、2.3マイクロ、5マイクロ、普段の46倍、100倍、と様々です。
 
市の職員、学校の教員は子どもを守りませんでした。私が直接知っている学校の先生は、校庭が様々な放射線量であり、それを報告し、子どもを守ろうとしたら注意され、退職しました。
 
現在も子どもと長野に自主避難しています。当時私のピアノ教室に通っていた病院の医師は家族を避難させ、自分は転勤願いを出し続けています。そんな教師や医師を複数知っています。
 
3月11日の大地震の被害は、私の家は殆どありません。ただ、いわき市の水道が20日ほど、止まりましたので、地震の次の日、給水車に2~3時間程、子どもと一緒に、普段の460倍の放射線量、毎時23マイクロシーベルトあるのを知らずに外で並んでいました。並んでいる時も、屋内退避の広報車もなく、私達は原発が爆発したことを知らず、被曝しました。テレビで原発爆発のニュースが流れましたが、安全だと言っていましたので、危険を知らず、ヨウ素剤も配られない中、放射性物質入りの水を飲み、その水で調理して食べました。
 
事故直後「水を飲まないように~」という指示も、ヨウ素剤も配られませんでした。
 
3月12日1回目の爆発。あとでいわき市の測定データを見ると、23マイクロシーベルト、普段の460倍あり、知らされなかったことにショックを受けました。 
 
日本は今も安全と言っていますが、今現在私達母子3人とも、甲状腺に異常有りの血液検査の結果と、息子には、5mmののう胞があります。
報道をみると、甲状腺がんは生活習慣病になりました。また、国民病として、2人に1人はガンになるというパンフレットを福島の郡山市は子供たちに配布しています。たとえ癌になっても自己管理のせいといわれ、放射能の影響と国はいいません。
 
 
 
 
私は、事故直後、子供たちのホールボディカウンターをすぐにうけようとしました。しかし、どこに問い合わせても受けられませんでした。
 
では、甲状腺の血液検査を、と思い、電話しましたが、いわき市内一斉に「甲状腺の検査はしない」と、言われました。
どこで被曝した証拠を残せるかと福島県に聞きましたが、「ない」と回答されました。
 
私の主人はいわき市の職員です。何かあったら、1番に連絡があるはずだと主人は言ってました。でも結果は原発の爆発も知らされず、母子ともに外で被曝をしました。
また、私の主人(市職員)は放射能の知識は0ですが、国から与えられた文書を丸暗記し市民の放射能についての不安の声に「安全です」と回答する電話対応に追われていました。
 
「安全かどうか、わからないんだから、そんなこと言って良心痛まないの?」と聞きましたが、「大丈夫と思わないとやっていけない。」と言ってました。そのうち、夫婦の絆は消えました。
 
事故から7か月後、いわき市発表の放射線量は0.12μシーベルトでした。でも、市役所から借りたガイガーカウンターで測ると、その時0.24、~22.14μシーベルトという様々な数字を見ました。また、有志で土壌検査や剪定した木の測定値はkgあたり20000bq以上ありました。
 
国や行政は私たちを守らないと、主人の役所での言動と放射能の測定数字を見てそう感じました。 
また、市役所に水道水の中に含まれるストロンチウムやプルトニウムなどの核種の測定値を見たいと文書請求すると、「市民が混乱する」という理由で詳細なデーターを出さず、ヨードとセシウムNDの文書を出されました。  
 
私が避難を考えはじめたのは、放射能を怖がるというよりは、行政、学校、議員、弁護士の対応と自分の目でみた測定値と家族におこった体の異変です。
 
毎日続く下痢、鼻血、口内炎、鼻の中のできもの。これらは、原発事故後に家族、友人に実際おきたからだの変化です。
放射能の影響は癌だけではないと知ったのも後になってからです。
 
国の発表と事実はちがう。国は明らかに法律違反を市民に強要しているのに、行政職員は国の言いなりにしか動きません。
文書公開制度すら、嘘にならない嘘で市民を騙し、時間をかせぎます。
 
学校は子どもを守らない。放射能に気をつける父兄を許さない。放射能をなるべくさけようと、お弁当にすると、
他のクラスメートからいじめられ、暴力をうけても、いじめた児童父兄を指導せず、放射能を怖がらないように私が指導をうけました。
 
私が、直接避難を決意したのは、娘の登校拒否です。 
放射能を予防することを周りの空気が許しませんでした。
 
私は、それでも、両親と離れたくなかったので、いわきで暮らせる方法をたくさん探しました。
年老いた両親と離れるのは辛い、一緒に避難をしようと説得しましたが、今更ふるさとから離れられない。と言われ、
 
夫は安全論。夫の母には、「立場をわきまえなさい」と自分は娘と孫と岩手にいるのに、私達母子は避難することを許してもらえませんでした。
 
結局、家族、行政と格闘しながら、悩み、私の両親から子どもを1番に考えなさいと言われて、夫を捨て、年老いた両親を福島に残し、北九州に避難しました。
 
311からあっという間に2年が経ち、福島から人を避難させるのではなく、放射能を「絆」で拡散させることを国民に選ばせました.
「福島に住み続けたい」と福島県民に言わせて、福島は安全、福島を除染して福島復興という空気を最初は福島県の中から、続いてガレキ処理をきっかけに全国でつくられてしまいました。
また、放射能に不安を抱いていた人々に対しては、補償をしないことで、病気になっても泣き寝入り、死んでも仕方ない、逃げても生活ができないという空気が生まれました。
こんな苦悩を知らない方々、環境省の前で話す私たちに向けられた環境省職員の冷ややかな視線。
人々の頭の中に、福島の現実、こういう親子の存在すら関心が無いようです。
 
福島に人を閉じ込めるエートス活動成功です。保養も、食べて応援も、除染も私個人はエートス活動だと感じています。
 
なぜなら、事実と向き合えば、答えは一つなのに、補償もせず、事実もリスクも伝えない状況で、選ばせ、放射性物質を永遠に焼却し、リサイクルさせることを国民に選ばせてしまいました。
 
生活排水は高濃度の下水汚泥になり、汚泥や除染した土は焼却され、セメントなどに変わり、すべて自分に帰って来ますが、この現実と向き合うことはありません。 
 
そんな中、放射能が低いはずの、安全なはずのいわき市に住む私の友人の甥が先日、白血病と診断されました。 
元気だった従兄弟が突然死した次の日、友人も突然、死にました。311前は知り合いがこんなに死ぬことはなかったのですが・・
 
何でも放射能のせいとは言いません。ただチェルノブイリの教訓があります。
 

 
環境省は、焼却炉の排ガスを測定するということで、国民を説得しました。「濃度」で安全とされるモノを「量」で表したら、1立法メートルあたり3.1トン~18トンの放射性物質の入った灰じんが大気中に放出されています。排ガス濃度は煙突の数で調節できることも、教えていただきました。
 
 
また、排ガスの測定法が原子力発電所での測定法と違うことも教えていただきました。実験したら、今の方法ではセシウムが測定できないようです。知らないという事は恐ろしいことです。
 
 
今も全国で行われている放射性物質の焼却も体の弱い順に被害が出ます。放射性物質と重金属などの複合焼却の危険性は海外に文献はあっても、日本にはありません。
 
 
訳の一部⇒http://blog.goo.ne.jp/flyhigh_2012/e/fdf5d250fb06da26bdd09f0943dc339f  の後半部分にあります。
 
 
 
 
私は、北九州に来て、放射性物質の焼却以前に、焼却炉がとても危険であるという事実を知りました。北九州に来て初めて喘息になりました。
 
 
ところで、北九州市や福岡市では、清掃工場や企業は、住民との間に公害防止協定書を締結していません。他の県には公害防止協定書が存在します。協定書がない場合、被害にあった方が証明しなければならず、何かあったとき、実際は泣き寝入りになります。協定書があると、協定書に定めが無いときは協議する、が原則になり、協定違反をしたら契約違反で提訴できます。
 
行政職員は法律違反ができません。嘘にならない嘘を使って住民が許可してくれるのを待っているのです。ですから、私たちは一人一人が法律を勉強して断固としてNOと言える住民を増やせば良いのだと思います。
 
行政が真っ先に説得に行く公害施設近くの住民に事実をしらせ、対話し、行政が地区の代表(ボス)に「お一人様、説得会」をするように、その地区の住民一人一人に、「お一人様、勉強会」を私たちがそれぞれしていくことが、原発をなくし、遅いかも知れませんが、福島の本当の復興が始まります。
 
ごみ焼却の危険性を知って初めて選ぶべきことがわかってきます。
 
パソコンで調べることが出来る人、文書公開請求をする人、テレビ、新聞からしか情報を得ない人々との情報格差を、国はきちんと計算しています。
 
国や行政が住民を守ってくれる、報道は事実を知らせてくれるというのは幻想でした。 
 
原発事故がおこると、国は事実を隠し、地方の行政職員は知識がないので国の言いなりになり、勿論、全てではありませんが、政治家や様々な宗教、NPO、色んな団体が一致団結して、無知な国民を誘導し、それを、企業や国がバックアップしているのでしょうか・・
 
福島のある団体は、ホームページでは、放射能の危険性や避難についての情報が載ってますが、会員ページの中では、「放射能安全教育」が行われていました。また、瓦礫反対運動の中で、私たちが集めていた「公害防止協定書締結を求める署名」だけが運動仲間に無断でシュレッダーにかけられました。
 
また、「反対してる」と聞いていた団体や自治会長からの「反対声明文」は市役所に文書公開しましたが、明確に反対ではなかったので、もう一度はっきりと、「反対声明」を出して欲しいと頼みましたが、出してくれませんでした。
 
どうゆうことなのでしょうか・・反対運動の中で、止めようとすればするほど、私だけが恫喝され、陥れられてしまいました。 

  
今は311後日本全国で急性症状の出ない放射性物質の焼却処理実験がもう2年も行われてしまった事実を冷静に受け止めています。
 
更に、先日爆発した鮫川村の実験焼却炉で形だけの報告のあと、全国で放射性物質を使ったバイオマス発電、放射性物質の焼却炉建設が始まることでしょう。福島では建設されてしまいました。危険性に気づいている人はとても少ないです。 
 

 
今後も、これまでと同じようにメディアは国民を教育する報道をし続けることでしょう。
 
私達が、自分で考え、自分で動くことはこれからもないからです。
 
今、海外へ逃げるといっても、汚染はなくなりません。ここ九州に放射能が追いかけて来たように、人々の意識が変わらない限り、海外もまた同じです。北九州市の環境ビジネス・・日本人を騙してきた手法を使って、東南アジアの人たちも騙していくのでしょうか~
 
311前に見えていた、子ども達の未来が見せかけの自由、見せかけの平和、だったのでした。 
 
最後に、
 
「原発事故を経験した今でも、私たちが選んだのは生活スタイルを変えずに電気を使い、廃棄物を排出し続ける道でした。
原発がなくなっても、人々の生活スタイルや考え方が変わらなかったら、原発が別の何かになるだけです。
例えば、太陽光パネルを今CMで押してます。20年で寿命がきたあとは、廃棄物になります。その処理はどうするのでしょうか・・・人が住む場所で処理をするのです。原発も人が住む場所にあります。
私たちはエネルギーをどうするかではなく、生活を見直し、考え方を変え、生き方に真剣に向き合う勇気を持てたらと思います。
本当は、福島に、おうちに帰りたいです。お父さん、お母さん、友人たちに会いたいです。
でも、この国は放射能を拡散し、多くの人々がそれを受け入れ、放射能を受け入れた福島復興に動いています。私には全く理解できません。」
 
私は、分断を恐れないで、事実と向き合える方々との事実の共有を今本当に望んでいます。もう、殆ど諦めて、体も、心もぼろぼろですが、もう少しだけ未来に、人間に期待したいです。 
 
この集会に集まった方々、一人一人が、無関心な方々(情報格差による~)に「押しかけ、御一人様、勉強会」をするようになったら・・日本が変わるきっかけぐらい作れるかも知れません。もう少しだけ私も頑張りたいと思います。
 
 
 尚、記事の方は、時間の関係で端折った文章を付け足しています。

“Miko”, evacuee from Iwaki City, Fukushima 【To every mum in the world from Fukushima】

2013-11-09 | 放射能汚染

【完全版 英訳・動画付】福島県いわき市からの避難者mikoさんのお話 【世界中のお母さんへ】 

~From miko~
You have my consent to translate [my story] into English.I try to limit myself to describing what I personally saw,
experienced, or what I talked about with another person. So it's rather low-keyed.
Honestly, I can go on forever about the kind of health issues that require medical treatment.
For example, the cousin of my acquaintance had a baby several months after the earthquake
-- this baby was born with a hole in the heart.
Or that an acquaintance, my sister and her husband,and another relative were all diagnosed with cancer
and had to undergo surgery.
And there were nearly 20 cases of "Nii-bon" last year.(*The first summer "Bon" service held after death.)
There are similar episodes to share, but I omit them on purpose -- or else people will treat me
like I've been 'mentally affected' by radiation. I can't talk about them even if I wanted to.
That's the tragedy of Fukushima.

Miko Tsukamoto
 

http://ameblo.jp/kitakyu-mamoru/entry-11615553186.html 

“Miko”, evacuee from Iwaki City, Fukushima: 

I evacuated voluntarily from my hometown Iwaki City to Kitakyushu City last January because of the Fukushima Nuclear Power Plant disaster on March 11.  

Today I’d like to talk about what I saw, experienced and felt during the 9 months up to my move to Kitakyushu, as well as my current situation.   

I lived in Iwaki City, 42 kilometers from Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant. 

I taught piano lessons and my husband worked as a municipal employee. With our 2 children and my students, we were living happily.  

After 3/11 our life changed completely.  

The northern part of Iwaki City was within the 30 kilometer radius, but the mayor created the term “harmful rumor”and the radiation exclusion zone was extended to our area.  

The radiation level, which was at 0.05 microsieverts per hour before the accident, rose to 23 microsieverts. That’s 460 times [the normal level].  

Professor Shunichi Yamashita of Nagasaki University launched a mass campaign stating that it was safe up to 100 millisieverts, and this was accepted widely by the television, newspaper, radio, schools and in lectures. At the time, schools considered it safe to engage in outdoor activities even though the radioation level was at 0.5 microsieverts, 10 times that of the normal value.  

Since 100 millisieverts was regarded as ‘safe,’ school lunches were initially prepared from local produce(1 month after the accident). We worked hard to collect signatures to cancel the ‘local production for local consumption’ rule immediately. It wasn’t until the second academic term, though, that the board of education recognized the freedom to refuse school lunches. In other words, those who trusted the ‘safety principle’ continued to let their children eat school lunches. It was useless trying to reason with the school or teachers.  

The outdoor radiation level isn’t consistent. Ten centimeters apart, and itcan vary by 2~3 microsieverts or 5 microsieverts, which are 46 times and 100 times that of the everyday level.  

What I couldn’t understand was the fact that the municipal employees and school teachers did nothing to protect the children from radiation exposure.  

Now, let me talk about the time when the nuclear power plant exploded.  

Our home suffered minimal damage from the 3/11 earthquake itself. But we had no running water in Iwaki City for 20 days. My children and I lined up for two hours the following day to get our supply from the water distribution truck. 

The first explosion happened on March 12. The data we saw later measured 23 microsieverts, 460 times that of the normal level. 

There were no local public announcements warning us to stay indoors, and we remained outside for 2 whole hours,unaware of the explosion. 

We were told that Japan was safe, but blood tests have shown that my two children and I have thyroid problems, and my son has a 5-millimeter pustule. 

News reports now say that thyroid cancer is a lifestyle-related disease. If we develop cancer, I suspect we’ll be told that it’s a result of negligence and the government will not admit that it has anything to do with radiation exposure.  

I wanted my children to get a whole-body counting immediately after the explosion. But I couldn’t find a single facility that would admit us. Some people went as far as Tokyo to get themselves examined, but couldn’t get their own data. I called several places to confirm myself, but none of them would provide the data.  

So I made an inquiry about blood tests to check the thyroid condition, and was shocked to be told that there would be no mass thyroid examinations in Iwaki City.  

I asked Fukushima Prefecture how I could obtain evidence about the location of our radiation exposure, and was told that “there was no way.” 

My husband is a municipal employee. He said that if there was anything to know, he would have immediate access to such information. But no one informed us about the explosion and both my children and I were exposed to radiation while we were outside.  

My husband handled a flood of telephone calls even though he has zero knowledge of radiation, and he practically memorized the content of documents distributed by the government. 

Five months after the accident, the radiation level announced by Iwaki City was 0.12Sv per hour. But when I borrowed a Geiger counter from the city hall, I found that it was actually between0.24 and 22.14 Sv per hour. Volunteers inspected trimmed trees and the soil, and the radiation level was at 20,000 bq/kg.  

After seeing these radiation figures, my husband and I both agreed that the government was not going to protect us.  

For example, tap water is “ND [not dangerous]” according to the official Iwaki City website. 

So I asked for data on radionuclides such as strontium and plutonium, but was denied access to any detailed information on the grounds that it would “confuse the residents.” Instead, they gave us a document explaining that iodine and cesium were “not dangerous.” It made me furious because they were taking advantage of our lack of knowledge.
 
My decision to evacuate had less to do with the fear of radiation than it had to do with the attitudes of the government and the schools, the radiation measurements that we saw with our own eyes, and the health problems my family began to suffer. 
 

Diarrhea every day, nose-bleeding, canker sores, abnormal growths inside the nose. These are all symptoms that my family and friends began experiencing after the nuclear power plant explosion. I realized much later that there are health issues besides cancer that can be caused by radiation.  

What the state announces is different from the reality. The state obviouslyexpects people to accept any violation of the law, while public employees merely follow orders from above. The public disclosure system works to deceiveuswithdistorted information – nothing is disclosed and nothing is put in written form, all in the attempt to buy time. 

The schools won’t protect their students, our children. They are unforgiving towards parents and guardians who express concern about radiation. If I make a lunchbox for my children to avoid radiation exposure, they are bullied by other classmates. Even when physical violence was involved, the school did nothing to reprimand the bullies and their parents but instead called me in to ‘instruct’ me not to overreactto radiation. 

I decided to evacuate when my daughter developed school phobia. I tried looking for ways to continue living in Iwaki and sent many letters of request to the government, only to get evasive responses.  

I tried to reason with my elderly parents about evacuating, but they didn’t want to leave their hometown. My husband felt it was safe enough. My mother-in-law wouldn’t allow the evacuation and said that I was “out of line.” 

I fought against the government, I was distressed, and when my own parents told me to consider the children’s wellbeing first, I chose to evacuate to Kitakyushu, leaving my husband and elderly parents behind in Fukushima. 

As I just told you, what the media says and the facts are entirely different. 

The other day, an interim report on industrial waste disposal was made public. It stated that one company in Fukushima was acceptingcontaminated sludge and dust from Fukushima, Ibaraki, Yamagata and even Kanagawa. This company began operating beforeKitakyushu agreed to accept the debris, and continues to do so now. There is uproar regarding the acceptance of debris, yet all the while radioactive materials are being incinerated without a fuss, even though there is no bug filter installed. 

The media is preoccupied with PM2.5 air pollutants coming from China, but is this really true?  Kitakyushu’s industrial waste disposal factories and cement factories are taking in Fukushima’s coal ash for recycling.  

According to Kitakyushu’s official document, the pollutant PM2.5 rose over 230 in April last year, and the level often exceeded 100 during other months. There’s no doubt that the pollution originates in Kyushu, in other words, it’s‘domestic.’ 

What happened to Fukushima residents will soon affect all Japanese people.  

I think it will start from the air we breathe and the food we eat. The other day, there was an article in a local information magazine “Donna Mamma” with statements made by university professors and lecturers as well as administrative officers who said that the radiation level was not a threat. The claim that radiation is safe has completely spread throughout Japan. 

While some say that the radiation has dispersed and we are now safe, people are in fact dying in Fukushima. The day after my cousin died, my friend’s husband passed away. I am not saying that everything is caused by radiation. 
But there is the Chernobyl example. 

The state won’t admit it. But we do have the “right to choose”– based on what we hear and see, and by examining both arguments thatradiation is harmful or safe.  

I was unaware of the dangers of nuclear power plants, and that’s the reason why I find myself in the current situation. I was ignorant of the fact that radiation doesn’tsimply disappear and was trying to decontaminate the front of my home – all the while inhaling contaminated air.   

There are people living in Fukushima, now. They all say: 

“We’re guinea pigs after all, and if we try to evacuate we won’t be able to make a living since there is no government compensation”
“I don’t want to let go of my lifestyle”
“If the state says it’s safe, then it’s safe”
“Many people are dying, huh?”
“There’s nothing we can do, it’s useless, so why bother?”
“I’d rather focus on happy things”
 

and continue with their decontamination, but the polluted sewage turns into sludge and incinerated ash, which in turn produce highly radioactive waste. People refuse to face the fact that these will eventually come back to haunt them. 

Decontamination is useless. I tried it myself and I know. The level decreases from 0.5 to 0.2, then returns to 0.5 two weeks later. That’s the reality. Where does that massive amount of polluted soil go after decontamination? 

If the state were to manage the waste materials responsibly, they would have them handled by industrial waste disposal companies… but then again, they will be recycled as cement and pots and muck, and eventually come back to us.
It’s important for us to rest and recuperate, but it won’t help anyone at the fundamental level.  

I believe the only way to recover is by measuring radiation levels, disclosing the facts, guaranteeing sufficient compensation, and then allowing the residents of Fukushima to make their own decisions.  

Don’t disperse the radiation, but contain it inside Fukushima. My ancestral grave is 2 kilometers away from Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant. Please leave the radioactive wastes there. 

There are many Fukushima residents who feel this way, whether they have ancestral graves, homes or are large landowners. But they’re ignored.  

In March this year, I went to Samekawa Village in Fukushima to stop the construction of an experimental facility that would incinerate rice straws, which measured a radiation level of 8,000 bq.A press conference was scheduled and all we had to do was to submit some paperwork, but at the last moment, an individual who was ostensibly against the construction interfered and prevented us from proceeding. An opponentturned out to be a supporter. That’s the reality I experienced.  

Even during the campaign against Kitakyushu’s acceptance of contaminated debris, it was considered “OK” to sign up for the protest, but not to support the conclusion of the agreement on pollution prevention.  

I had heard that the last hope would be a statement of protest by Kitakyushu’s fisheries cooperative association, but when a request was made for the official document, I found out that the association had not submitted a statement of protest. Or rather, the “protest’”was not stated in clear terms.  

Protestors used to gather at the tent village after the incineration of contaminated debris started, and during that time I visited a number of fisheries associations to ask them to submit a “protest statement,” but only 2 agreed to see me, and neither of them issued a statement.  

If even one association had presented a protest document, or a demand for the conclusion of the agreement on pollution prevention had been made by even 2 residents living in the vicinity of the incinerator… There was so much resistance to prevent people from taking such action, and I, an evacuee from Fukushima, felt like I had been set up to fail.

Seeing the reality of the so-called protest campaign, I lost all hope that Fukushima would ever be ‘saved.’
Just like the blatant lie that a bug filter can remove practically 100% of cesium, I suspect that [the government] will install a hepa-filter and declare that Fukushima is safe, then construct 8,000 bq incinerating facilities across Japan as well as biomass power stations that useFukushima timber.

The state has plenty of money to stop people from asking questions by manipulating the media, create a certain ‘mood’in the countryby releasing false information, and endorse campaigns to win over those people who disagree, and  

“Yet again, we unknowingly end up being a part of the herd.”  

What I believe to be a genuine connection can’t be madeby blindly following the words of those ‘at the top.’ Rather, it’s about teaching each other what we don’t know, sharing information and learning more, then passing on that information to those around us. If we have more courage, we can disclose the facts to fisheries associations and people residing near garbage disposal facilities, industrial waste incinerators and cement factories– facilities that the state will try to influence and control.  

In the same wayKitakyushu held ‘one-person explanatory meetings’for the leader of the residents’ association when the city agreed to accept the debris, we need to have ‘one-person study sessions’ for local residents because it’s the only way to protect our children. 

I was deceived by media reports and allowed my children to be exposed to radiation. Because I was ignorant and knew only superficial information, I couldn’t protect my children even though we evacuated. The only thing I can do is to tell others what I experienced. I hope you learn something to make the right choice. If at all possible, learn and share with others.

Don’t misread the facts. The facts will become evident if you have the courage and take the initiative to think and act for yourself. 

Our very last hope is found in the local municipality. We must begin with “resident education,” then the education of teachers and municipal employees by knowledgeable residents. It’s the only choice we have. I learned first hand that there is no way to protect my children unless I take action, regardless of how tiresome it may seem. 

No matter how busy I am taking care of my children, I hope to continue doing what I can within my limits. 


 http://ameblo.jp/kitakyu-mamoru/entry-11615553186.html 

 糸島お話会で映像が撮れなかったのですが、自宅で撮りなおして下さいました。映像をつくってくださったkumiさん、ありがとうございます。また、英訳していただいたY様ありがとうございました。北Qのブログに遊びにきてくださる皆様、ありがとうございます。

全国でガレキ処理がなんとなく落ち着いたように見えるこのごろですが、産廃では今も続いています。汚染地での生活と放射性物質の焼却は切っても切れないのです。

福島は、復興にむけ除染、がれきを使った堤防、除染したものを焼却するための焼却炉建設などの事業が始まっています。汚染の事実、焼却処分の危険性、無害化の本当の意味を知ったら、やってはいけないことだとわかりますが、事実は面倒臭い公文書を請求し、自分も勉強した上でないと、行政職員に質問できません。

質問すれば、「変」なことも、本当はどうすれば善いのかも自分で気づくことができます。

保養も除染も福島エートス活動に私には見えます。

311を経験しても、まだ国を信じ行政を信じ報道を信じている。また、議員や弁護士に頼っている限り、一人一人の成長はないし、本当の意味で解決しません。反対運動でさえ、自分の考えをしっかり持てないうちは翻弄され続けます。本気で反対している人達と事実の共有でつながっていくのは、とても難しいことですが、必要なことです。意外とシンプルに自分の勘を信じるのが一番正しかった・・

それぞれの立場が・・とか、考え方の違い・・とか、全て取っ払って、結果から考え、事実と向き合う勇気が必要なのかな・・と感じています。 


Miko played a duet on a piano with her son  in Itoshima.( 00:58~ 13:32)

Japanese  & English  ⇒ 【報道と事実は違います】 いわき市からの避難者mikoさんのお話 【日本中のお母さんへ】

いわき市からの避難者mikoさんのお話から「私のまわりでこんなに人が死ぬことは、311前はなかった」 


追記 字数の関係でタイトル・本文を英文に編集し直しました。ご了承ください。(管理人)


『チェルノブイリ被害の全貌』公共図書館所蔵 東日本調査(カーリル県域)福島県内はたったの10冊だった!  

2013-10-09 | 放射能汚染

当ブログ記事の調査は私個人の検索スキルで行うものです。そこに意図はありません。今回の検索は、カーリルの県域での公共図書館の所蔵検索です。今までカーリルの使い方が今ひとつわからなかったため、前回の調査では、カーリルは使いませんでした。しかし、カーリルの県域の検索ができることがようやくわかりました。

そもそもカーリルにしても、県立図書館の県内横断検索にしても、県内図書館を100%カバーしてるわけではありません。目安にはなります。今回大学図書館は入れてません。カーリル検索は県立図書館の横断検索よりも、数字が少なく出る場合もあるようです。逆に多く出るところもあります。なので、正確な数字や所蔵図書館名が知りたい方は最終的にはご自身でお調べください。リンクも貼ってます。

http://calil.jp/library/ 

カーリルの図書館カバー率は県によって違いますので、以下のリンク元の地図に行き、県名をクリックしご確認ください。

 

 カーリル県域 による検索結果(10/9現在)

★北海道 http://bit.ly/1a8LYhs 12冊/306図書館  

★青森県 http://bit.ly/15ljFOo  1冊/54図書館

★岩手県 http://bit.ly/15lk3wu  1冊/103図書館

★秋田県 http://bit.ly/15lkZ3U  1冊/72図書館

★宮城県  http://bit.ly/1a8NZdu 6冊/94図書館

★山形県  http://bit.ly/15lmzTp  2冊/51図書館

★福島県  http://bit.ly/1a8KSCr 10/114図書館


★茨城県  http://bit.ly/15lrmEc   9/177図書館 

★栃木県  http://bit.ly/1a8So08  3/112図書館 

★群馬県   http://bit.ly/15ls7x2     0/108図書館

★埼玉県  http://bit.ly/15ltWdv20  12/289図書館 

★千葉県  http://bit.ly/1a8Ua1h     9/326図書館 

★東京都   http://bit.ly/15luSyC   29/750図書館 

★神奈川県 http://bit.ly/1a8UOfe  11冊/283図書館 


前回の調査のブログ記事に対して以下のような、心外なコメントが、「図書館員@福島県」を名乗る人物より入りました。

『チェルノブイリ被害の全貌』図書館蔵書調べ 東北・関東編~汚染状況重点調査地域なのに!? 

<引用ここから>所蔵検索について (図書館員@福島県)2013-10-09 01:27:34

福島県での所蔵が2館のみとのことですが、そもそも検索サイトが福島「大学」のもので、公共図書館で対象となっているのは、福島県、福島市、郡山市の3自治体しかありません。(3自治体で)たった2冊と言われても、ミスリードかと思います。福島県立図書館は市町村立図書館より新刊が入るのが遅いので、この時点では所蔵がなかったものと推測されます。福島県立図書館の横断検索か、カーリルの県域での所蔵検索(可能です)を用いるべきです。該当資料については、現在福島県内で、11自治体1大学で所蔵があるようです。

<引用ここまで>

http://mets.elib.gprime.jp/libmeta_fukushima/resultBox.php 福島県内横断検索

福島県の検索の数字が、蔵書数として正確かどうかのみをとりあげ、「たった2冊と言われても、ミスリードかと思う」というこの人物の言い方から分かることは、この人物が、いわゆる「お役所的な仕事」をしていて、この福島県の蔵書の数が何を意味するかを考えていないこと、当ブログの記事の信用を少しでも落としたいという意図があるということです。

「カーリルを用いるべき」と、この人物は強く言っていますが、カーリルの方が、県内横断検索より少なく出る県もあります。知りたい人は図書館名を調べて自分で両方を照合すればいいだけだと思います。

カーリルで対象となっている福島県内の公共図書館の数は114。 

福島県は汚染重点査地域でありながら114の図書館で たった10冊しか所蔵してないということに変わりはありません。

原発事故が起きた県、もっともこの本が必要な県なのにです。その県の図書館員を名乗る人物が、私のような個人ブログにわざわざ、嫌がらせに近いコメントを入れてくる、それが日本のリアルです。

まあ、逆にこのようなコメントが入るということは、ブログ記事を書いた意味があったという証拠かもしれません。少なくとも、わずかではあるけれども、所蔵数が増えたわけですから。

私は『チェルノブイリ被害の全貌』を、福島県だけでなく日本中の学校図書館、公共図書館、大学、役所や公民館全部に税金で買って配置し、市民に宣伝するべきと思っています。

日本は原発事故が起きたレベル7の放射能汚染国だからです。

少なくとも図書館は営利目的ではないのですから、これから先、ずっと、放射能関連コーナーを目立つところに常設にすべきだし、この本をすすめる展示の工夫が求められると思います。

 


<追記>

図書館員@福島という人から さらにコメントがありました。福島県内の図書館から、勤務中に私の個人ブログを見て書き込みがなされたのかもしれません。コメントを見えるようにしておきました。ここにも貼っておきます。

<引用ここから>ご不快に思われたようなら申し訳ありません (図書館員@福島県)2013-10-09 11:00:03

「ミスリード」については、意図的なものということではなく、誤まった所蔵についての認識を元に結果的に、というつもりでしたが、ご不快に思われたようなら申し訳ありません。

「あげ足をとる」というつもりではなく、ブログを見た方が、福島県の図書館はたった2館しか所蔵していないと受け取られるとすれば事実と異なるということです。2館も10館も、たいして変わりはないということでしたらそれまでです。

現実的には、5000円の資料を分館にも全て所蔵するということは、図書購入費の乏しさや、原発事故関係の出版点数の多さからも困難なところです。福島県下のインターネットで検索できる図書館を持つ自治体数の21(この内、市は13)を母数としてお考えいただければと思います。(カーリルの113という数には、公民館図書室など、図書館法における図書館とは一般的にカウントされていないところも多く含まれています)

「図書館員なら、県内全ての図書館に所蔵するように努力するべき」とのことですが、図書館員は特定の資料について収集するように、または収集しないように他の自治体の図書館に働きかけをすることは職業倫理から禁じられています。(図書館の自由における収集の自由)
私の所属する図書館も発売後すぐに発注しましたが、このリストには入っておらず、「東北住民に知らせないようにしてるとしか思えない」というのはやや心外なところもあります。(そうお考えになるのもわからないではありませんが) なお、公共図書館の資料選定は図書館員が行ないますので、「知らせないようにしてる」のは図書館員ということになります。

福島県下の公共図書館は、首都圏などに比べると相対的に貧しい図書購入費をやりくりしながら、原発災害に関する資料もできるだけ幅広く住民に提供すべく努力をしておりますので、ご理解のほどをよろしくお願いします。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/chinokyoten/list/CK2013091902100017.html 

<引用ここまで>

国民の血税からなる膨大な復興予算が全く関係のないところに使われている事実を無視して、「予算がない」とかそういう末端の公務員の言い訳的な説明を聞いて、「はい、そうですか、仕方ないですね」と「ご理解する」市民ばかりではありません。

図書館は幅広く資料を集めると言いながら、重要な資料が抜け落ちていることには「図書購入費の乏しさ」で目をつぶるのですか?1冊5万円ではなく5000円です。

人間の「生き死に」がかかっている問題なのに、「図書購入費の乏しさや、原発事故関係の出版点数の多さからも困難なところ」という対応は、職務怠慢だと私は思います。

「図書館員は特定の資料について収集するように、または収集しないように他の自治体の図書館に働きかけをすることは職業倫理から禁じられています。」というなら図書館員も市民です。一市民として、普通にリクエストカード出せばいいと思います。家族が出してもいいのではないでしょうか?

勤務先の図書館で購入したのなら、貸出人数が増えるように、館内に新入荷の宣伝をするべきです。そして常時、重要な本として図書館はポスター貼るなどして啓蒙、推薦し続けるべきだと私は心から思います。

http://www.jla.or.jp/library/gudeline/tabid/232/Default.aspx

図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することをもっとも重要な任務とする。

  •  日本国憲法は主権が国民に存するとの原理にもとづいており、この国民主権の原理を維持し発展させるためには、国民ひとりひとりが思想・意見を自由に発表し交換すること、すなわち表現の自由の保障が不可欠である
    知る自由は、表現の送り手に対して保障されるべき自由と表裏一体をなすものであり、知る自由の保障があってこそ表現の自由は成立する。
    知る自由は、また、思想・良心の自由をはじめとして、いっさいの基本的人権と密接にかかわり、それらの保障を実現するための基礎的な要件である。それは、憲法が示すように、国民の不断の努力によって保持されなければならない。
  •  すべての国民は、いつでもその必要とする資料を入手し利用する権利を有する。この権利を社会的に保障することは、すなわち知る自由を保障することである。図書館は、まさにこのことに責任を負う機関である。
  •  図書館は、権力の介入または社会的圧力に左右されることなく、自らの責任にもとづき、図書館間の相互協力をふくむ図書館の総力をあげて、収集した資料と整備された施設を国民の利用に供するものである。
  •  わが国においては、図書館が国民の知る自由を保障するのではなく、国民に対する「思想善導」の機関として、国民の知る自由を妨げる役割さえ果たした歴史的事実があることを忘れてはならない。図書館は、この反省の上に、国民の知る自由を守り、ひろげていく責任を果たすことが必要である。
  •  すべての国民は、図書館利用に公平な権利をもっており、人種、信条、性別、年齢やそのおかれている条件等によっていかなる差別もあってはならない。
    外国人も、その権利は保障される。
  •  ここに掲げる「図書館の自由」に関する原則は、国民の知る自由を保障するためであって、すべての図書館に基本的に妥当するものである。

 


“Miko”, evacuee from Iwaki City, Fukushima いわき市からの避難者mikoさんのお話【英訳版】

2013-09-17 | 放射能汚染

http://ameblo.jp/kitakyu-mamoru/entry-11615553186.html

“Miko”, evacuee from Iwaki City, Fukushima:

I evacuated voluntarily from my hometown Iwaki City to Kitakyushu City last January because of the Fukushima Nuclear Power Plant disaster on March 11.

Today I’d like to talk about what I saw, experienced and felt during the 9 months up to my move to Kitakyushu, as well as my current situation. 

I lived in Iwaki City, 42 kilometers from Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant.

I taught piano lessons and my husband worked as a municipal employee. With our 2 children and my students, we were living happily.

After 3/11 our life changed completely.

The northern part of Iwaki City was within the 30 kilometer radius, but the mayor created the term “harmful rumor”and the radiation exclusion zone was extended to our area.

The radiation level, which was at 0.05 microsieverts per hour before the accident, rose to 23 microsieverts. That’s 460 times [the normal level].

Professor Shunichi Yamashita of Nagasaki University launched a mass campaign stating that it was safe up to 100 millisieverts, and this was accepted widely by the television, newspaper, radio, schools and in lectures. At the time, schools considered it safe to engage in outdoor activities even though the radioation level was at 0.5 microsieverts, 10 times that of the normal value.

Since 100 millisieverts was regarded as ‘safe,’ school lunches were initially prepared from local produce(1 month after the accident). We worked hard to collect signatures to cancel the ‘local production for local consumption’ rule immediately. It wasn’t until the second academic term, though, that the board of education recognized the freedom to refuse school lunches. In other words, those who trusted the ‘safety principle’ continued to let their children eat school lunches. It was useless trying to reason with the school or teachers.

The outdoor radiation level isn’t consistent. Ten centimeters apart, and itcan vary by 2~3 microsieverts or 5 microsieverts, which are 46 times and 100 times that of the everyday level.

What I couldn’t understand was the fact that the municipal employees and school teachers did nothing to protect the children from radiation exposure.

Now, let me talk about the time when the nuclear power plant exploded.

Our home suffered minimal damage from the 3/11 earthquake itself. But we had no running water in Iwaki City for 20 days. My children and I lined up for two hours the following day to get our supply from the water distribution truck.

The first explosion happened on March 12. The data we saw later measured 23 microsieverts, 460 times that of the normal level.

There were no local public announcements warning us to stay indoors, and we remained outside for 2 whole hours,unaware of the explosion.

We were told that Japan was safe, but blood tests have shown that my two children and I have thyroid problems, and my son has a 5-millimeter pustule.

News reports now say that thyroid cancer is a lifestyle-related disease. If we develop cancer, I suspect we’ll be told that it’s a result of negligence and the government will not admit that it has anything to do with radiation exposure.

I wanted my children to get a whole-body counting immediately after the explosion. But I couldn’t find a single facility that would admit us. Some people went as far as Tokyo to get themselves examined, but couldn’t get their own data. I called several places to confirm myself, but none of them would provide the data.

So I made an inquiry about blood tests to check the thyroid condition, and was shocked to be told that there would be no mass thyroid examinations in Iwaki City.

I asked Fukushima Prefecture how I could obtain evidence about the location of our radiation exposure, and was told that “there was no way.”

My husband is a municipal employee. He said that if there was anything to know, he would have immediate access to such information. But no one informed us about the explosion and both my children and I were exposed to radiation while we were outside.

My husband handled a flood of telephone calls even though he has zero knowledge of radiation, and he practically memorized the content of documents distributed by the government.


Five months after the accident, the radiation level announced by Iwaki City was 0.12Sv per hour. But when I borrowed a Geiger counter from the city hall, I found that it was actually between0.24 and 22.14 Sv per hour. Volunteers inspected trimmed trees and the soil, and the radiation level was at 20,000 bq/kg.

After seeing these radiation figures, my husband and I both agreed that the government was not going to protect us.

For example, tap water is “ND [not dangerous]” according to the official Iwaki City website.

So I asked for data on radionuclides such as strontium and plutonium, but was denied access to any detailed information on the grounds that it would “confuse the residents.” Instead, they gave us a document explaining that iodine and cesium were “not dangerous.” It made me furious because they were taking advantage of our lack of knowledge.
 
My decision to evacuate had less to do with the fear of radiation than it had to do with the attitudes of the government and the schools, the radiation measurements that we saw with our own eyes, and the health problems my family began to suffer.

Diarrhea every day, nose-bleeding, canker sores, abnormal growths inside the nose. These are all symptoms that my family and friends began experiencing after the nuclear power plant explosion. I realized much later that there are health issues besides cancer that can be caused by radiation. 
 

What the state announces is different from the reality. The state obviouslyexpects people to accept any violation of the law, while public employees merely follow orders from above. The public disclosure system works to deceiveuswithdistorted information – nothing is disclosed and nothing is put in written form, all in the attempt to buy time.

The schools won’t protect their students, our children. They are unforgiving towards parents and guardians who express concern about radiation. If I make a lunchbox for my children to avoid radiation exposure, they are bullied by other classmates. Even when physical violence was involved, the school did nothing to reprimand the bullies and their parents but instead called me in to ‘instruct’ me not to overreactto radiation. 


I decided to evacuate when my daughter developed school phobia. I tried looking for ways to continue living in Iwaki and sent many letters of request to the government, only to get evasive responses.

I tried to reason with my elderly parents about evacuating, but they didn’t want to leave their hometown. My husband felt it was safe enough. My mother-in-law wouldn’t allow the evacuation and said that I was “out of line.”

I fought against the government, I was distressed, and when my own parents told me to consider the children’s wellbeing first, I chose to evacuate to Kitakyushu, leaving my husband and elderly parents behind in Fukushima.


As I just told you, what the media says and the facts are entirely different.

The other day, an interim report on industrial waste disposal was made public. It stated that one company in Fukushima was acceptingcontaminated sludge and dust from Fukushima, Ibaraki, Yamagata and even Kanagawa. This company began operating beforeKitakyushu agreed to accept the debris, and continues to do so now. There is uproar regarding the acceptance of debris, yet all the while radioactive materials are being incinerated without a fuss, even though there is no bug filter installed.

The media is preoccupied with PM2.5 air pollutants coming from China, but is this really true? 
 

Kitakyushu’s industrial waste disposal factories and cement factories are taking in Fukushima’s coal ash for recycling.

According to Kitakyushu’s official document, the pollutant PM2.5 rose over 230 in April last year, and the level often exceeded 100 during other months. There’s no doubt that the pollution originates in Kyushu, in other words, it’s‘domestic.’

What happened to Fukushima residents will soon affect all Japanese people.

I think it will start from the air we breathe and the food we eat. The other day, there was an article in a local information magazine “Donna Mamma” with statements made by university professors and lecturers as well as administrative officers who said that the radiation level was not a threat. The claim that radiation is safe has completely spread throughout Japan.
 

While some say that the radiation has dispersed and we are now safe, people are in fact dying in Fukushima. The day after my cousin died, my friend’s husband passed away. I am not saying that everything is caused by radiation.


But there is the Chernobyl example.

The state won’t admit it. But we do have the “right to choose”– based on what we hear and see, and by examining both arguments thatradiation is harmful or safe.

I was unaware of the dangers of nuclear power plants, and that’s the reason why I find myself in the current situation. I was ignorant of the fact that radiation doesn’tsimply disappear and was trying to decontaminate the front of my home – all the while inhaling contaminated air. 

There are people living in Fukushima, now. They all say:

“We’re guinea pigs after all, and if we try to evacuate we won’t be able to make a living since there is no government compensation”
“I don’t want to let go of my lifestyle”
“If the state says it’s safe, then it’s safe”
“Many people are dying, huh?”
“There’s nothing we can do, it’s useless, so why bother?”
“I’d rather focus on happy things”

and continue with their decontamination, but the polluted sewage turns into sludge and incinerated ash, which in turn produce highly radioactive waste. People refuse to face the fact that these will eventually come back to haunt them.


Decontamination is useless. I tried it myself and I know. The level decreases from 0.5 to 0.2, then returns to 0.5 two weeks later. That’s the reality. Where does that massive amount of polluted soil go after decontamination?

If the state were to manage the waste materials responsibly, they would have them handled by industrial waste disposal companies… but then again, they will be recycled as cement and pots and muck, and eventually come back to us. 


It’s important for us to rest and recuperate, but it won’t help anyone at the fundamental level.

I believe the only way to recover is by measuring radiation levels, disclosing the facts, guaranteeing sufficient compensation, and then allowing the residents of Fukushima to make their own decisions.

Don’t disperse the radiation, but contain it inside Fukushima. My ancestral grave is 2 kilometers away from Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant. Please leave the radioactive wastes there.

There are many Fukushima residents who feel this way, whether they have ancestral graves, homes or are large landowners. But they’re ignored.

In March this year, I went to Samekawa Village in Fukushima to stop the construction of an experimental facility that would incinerate rice straws, which measured a radiation level of 8,000 bq.A press conference was scheduled and all we had to do was to submit some paperwork, but at the last moment, an individual who was ostensibly against the construction interfered and prevented us from proceeding. An opponentturned out to be a supporter. That’s the reality I experienced.

Even during the campaign against Kitakyushu’s acceptance of contaminated debris, it was considered “OK” to sign up for the protest, but not to support the conclusion of the agreement on pollution prevention.

I had heard that the last hope would be a statement of protest by Kitakyushu’s fisheries cooperative association, but when a request was made for the official document, I found out that the association had not submitted a statement of protest. Or rather, the “protest’”was not stated in clear terms.

Protestors used to gather at the tent village after the incineration of contaminated debris started, and during that time I visited a number of fisheries associations to ask them to submit a “protest statement,” but only 2 agreed to see me, and neither of them issued a statement. 

If even one association had presented a protest document, or a demand for the conclusion of the agreement on pollution prevention had been made by even 2 residents living in the vicinity of the incinerator… There was so much resistance to prevent people from taking such action, and I, an evacuee from Fukushima, felt like I had been set up to fail.

Seeing the reality of the so-called protest campaign, I lost all hope that Fukushima would ever be ‘saved.’


Just like the blatant lie that a bug filter can remove practically 100% of cesium, I suspect that [the government] will install a hepa-filter and declare that Fukushima is safe, then construct 8,000 bq incinerating facilities across Japan as well as biomass power stations that useFukushima timber.

The state has plenty of money to stop people from asking questions by manipulating the media, create a certain ‘mood’in the countryby releasing false information, and endorse campaigns to win over those people who disagree, and

“Yet again, we unknowingly end up being a part of the herd.”

What I believe to be a genuine connection can’t be madeby blindly following the words of those ‘at the top.’ Rather, it’s about teaching each other what we don’t know, sharing information and learning more, then passing on that information to those around us. If we have more courage, we can disclose the facts to fisheries associations and people residing near garbage disposal facilities, industrial waste incinerators and cement factories– facilities that the state will try to influence and control.

In the same wayKitakyushu held ‘one-person explanatory meetings’for the leader of the residents’ association when the city agreed to accept the debris, we need to have ‘one-person study sessions’ for local residents because it’s the only way to protect our children.

I was deceived by media reports and allowed my children to be exposed to radiation. Because I was ignorant and knew only superficial information, I couldn’t protect my children even though we evacuated. The only thing I can do is to tell others what I experienced. I hope you learn something to make the right choice. If at all possible, learn and share with others.

Don’t misread the facts. The facts will become evident if you have the courage and take the initiative to think and act for yourself.

Our very last hope is found in the local municipality. We must begin with “resident education,” then the education of teachers and municipal employees by knowledgeable residents. It’s the only choice we have. I learned first hand that there is no way to protect my children unless I take action, regardless of how tiresome it may seem.

No matter how busy I am taking care of my children, I hope to continue doing what I can within my limits.

 

Miko played a duet on a piano with her son  in Itoshima.( 00:58~ 13:32)

Japanese  & English  ⇒ 【報道と事実は違います】 いわき市からの避難者mikoさんのお話 【日本中のお母さんへ】


「草木をゴミに出して燃やせば放射性物質は永遠と循環するんじゃないか」 避難者kaoriさんのお話

2013-09-17 | 放射能汚染

(管理人より)

【報道と事実は違います】 いわき市からの避難者mikoさんのお話 【日本中のお母さんへ】  

このおはなし会の日に、自主避難者のmikoさんとkaoriさんの2人がお話されたのですが、今回の記事はkaoriさん内容おこしの手記と動画を転載します。太字、色文字は管理人によります。

http://ameblo.jp/kitakyu-mamoru/entry-11615566572.html

http://ameblo.jp/kitakyu-mamoru/entry-11568043836.html  より

 

糸島「ひなん者お話会」から kaoriさんのお話

3・11のちょうどその時は一番下の息子と福島市のドラッグストアで買い物をしていました。
息子を買い物カートに乗せ、レジでお会計の最中に14時46 分になりました。
地面がガチャガチャとゆすぶられるような感じ。地球が壊れる!と思いました。
レジの台の下の50センチ四方の場所に、息子を押し込め、空いたスペースに頭を入れて凌ぎました。お店の入口の一面がガラスが割れたらもう終わりだと、本当に怖かったです。結果割れませんでした。地震の影響でレジの電源が落ち、買い物はできませんでした。一番大きな揺れが収まったので、店員に促され外に出ました。

駐車所に行き車に乗っても大きな余震が何度も来るので、乗ったり降りたりを繰り返して全く走らせる事ができずにいました。携帯で主人に連絡を取ると、一度だけ話ができました。仕事場から少し抜けさせてもらい、小学校に二男と三男を迎えに行くと言ってくれました。
大通りの車の流れには乗れないと思い、裏道を行きました。でも、裏道はブロック塀や瓦が散乱していて帰るのにとても時間がかかりました。お店はほとんど閉まりました。

私の住んでいた伊達市は停電しました。すぐ隣の福島市は、山間部等の電線の被害等のあった地域以外は県庁があるので停電していなかったです。
断水は福島市も伊達市もしました。停電しても、ガスを引いている家庭は料理が出来ました。
私の家はIHだったので、出来なくなりました。
暖房器具はほとんど電気に頼っていたので、電気がないと何もできない家でした。

長男が石油ストーブを借りてきてくれたので暖房器具としてまた、上に鍋やヤカンを乗せて使いました。しばらくは冷凍ご飯を使って雑炊を作ったりしましたが、それがなくなると、米を炊く事ができず、炊飯器にお米をセットして、橋を渡って福島市へ行き、見ず知らずのお宅に伺ってコンセントをお借りしてご飯を炊かせて頂く事もありました。

ご近所の奥さんが「お子さん多くて大変でしょう」って卵やウインナーなんかを下さいました・・感謝でした。

停電の間は、日の出と共に起き、日没と共に寝る生活でした。生まれて初めての体験で
私はこの時、頭の中が静まりかえった感覚になりました。震災前はいつも何かを考え、情報で一杯にしていたと。この話の先は長くなるので今回は省きます。

灯油の残量を思うと、何度も、家にあるバーベキューセットを出してお湯を沸かしたり、料理をしたりしたい衝動にかられました。しませんでしたけどね。
停電も断水も5~7日くらいだったと思います。とても長く感じました。

原発が爆発したという話を聞いたのは、14 日(月)の午後でした。(爆発は12日)

午前中だけ出勤になった夫が会社でみんなが騒いでいたと話していました。
家にはラジオがなく、今回の事で手巻き式のラジオ兼懐中電灯を買いました。
主人の仕事も長男も仕事も15日からありましたし、ガソリンもわずかでした。
コンビニもスーパーもいつ開くのかわからない状況でした。
いろんな情報が流れて不安になりましたが、この時は自分自身に放射能の知識がなく、こんな時に家族がバラバラになる事が私は怖くて、主人には「春休みの間だけでも実家に帰るか?」と聞かれましたが、「行けない」と思いました。

原発が爆発したと聞いても、どのくらいの危険さなのか、避難しなくていいのか?
そういう知識が全くありませんでした。ただ、「ここは60 キロくらい離れているから大丈夫じゃないか・・」というような会話を夫婦でしました。

ガソリンの供給がままならない状況の中、いつどこでお店が営業するか判らない状態でしたから、夫には自転車で営業している探しに行ってもらいました。
停電が解除され、携帯やPC が使えるようになると別々のお友達から同じ内容のチェーンメール?が届きました。3 月22 日くらいです。

内容は↓


「知り合いの看護師さんが送ってくれました・・。
県立医大の放射線科の医師、宮崎先生からのメールです。貴重で重要な情報と思い、皆さんにも転送します。

宮崎先生から・・

この一週間は大学で生活していたようなもんです。最長は災害による患者さんの対応に始まり、後半は放射能との戦いでした。特に極めて少ない放射能が子供に与える影響をどう判断するか、について。(現状のレベルでは大人には何も影響しません。飲料水も含めて。水曜日~金曜日まで、沢山の人が頭を振りしぼって考えた現時点での結論は、少なくとも福島県中通りでは「逃げなくてもいい」「ヨード剤の服用も必要ない」です。これは私個人の意見ではなくて、福島医大や長崎大のスタッフ全体の総意です。まだ、公にはなっていませんが。ただ、爆発や新たな放射能漏れがあれば話は別ですから、注意は必要です。爆発した場合は家の中に居る事で劇的に放射能を下げる事ができます。その時には、またアドバイスできる時間はあるともうので・・。(爆発の可能性は限りなく低い、とも考えられていますが)また、子供については、長期間国による健康フォローが必要と考えています。(すでに働きかけが始まっています)今はむしろ、希望を持って仕事をしていますよ。なんせ、子供達を守るための仕事をしていますからね。すべての事故が収まったのに20 年後には子供がいなかった、なんてのは願い下げです。このメールは、必要であれば各所に転送してもらって・・というより転送お願いします。

以上」


というものでした。これを読んで、私は更に「
避難はしない」という思いが強まりました。
PCも使えるようになったので、もっと情報を集められたのですが、読んでいると怖くて見ていられなくなっていました。

「大丈夫と思いたい」「家族バラバラは嫌」「行政を信じたい」
そんな心境でした。今思うと、大変な思い違い、依存的だったなと思います。

幼稚園は自由登園から春休み、小学校は休校からそのまま春休みになりました。
3 月末に那須塩原まで新幹線が通ったと聞いて、実家へ行き、3泊ほどしました。

両親と話しましたが、両親も「避難区域でもないし、本当に危ないのなら、国からお達しがあるはず。50 キロ以上も離れているから大丈夫だと思う」という見解でした。

私も転校を少しだけ考えてみましたが、4 月3 日から始業式との連絡があり、福島に返りました。4 月は小学校も幼稚園も行かせました。
マスクをさせ、登下校時以外は、ほとんど外に出ない、出さない生活をさせました。とても不自然だと思いました。でも怖いので仕方なかったです。

テレビのテロップでは毎日放射線量が出ていました。震災直後で福島市は21(μ㏜)くらいだったと記憶しています。伊達市はそれより低かったです。生活圏が福島市だったので、福島市ばかり見ていました。

4 月に入ると積算値を考えるようになりました。この時も毎朝テレビでは原発事故の事が話題になっていました。

見るたびに不安が増しました。
少しでも被ばく量を増やしたくないと思い、いろいろな情報を探しました。

その時はまだ借り上げ住宅の措置がされていない時期でおおくの場所でそれまでの避難所がありました。私達のような避難区域ではない者も受け入れてくれる場所を探しました。
私は幼稚園のママ友と新潟の湯沢町で、あるNPOにお世話になり、宿泊施設に滞在しました。新潟の方は親切で暖かく接して下さって、今でも感謝しています。
その時は子供達の様子かおかしくなり、本当は7 月の夏休みまで居られたらと思っていましたが結局は5 月の一カ月だけ新潟に滞在した形になりました。

6 月に福島に戻ると、私もですが、子供達の体調に異変がありました。

元々二男は喘息持ちでした。3 男も軽い気管支炎にはなった事はありましたが、3 人共喘息と診断されるような症状で、6 月の一カ月は週に2~3 回は通院していました。私は咳が止まらず、一緒に通院しました。新潟と福島の気候の違いもありますし、6 月は梅雨で喘息はでやすい時期です。なので、放射能のせいとはいいきれませんが、この状況はとても怖かったです。

家の放射線の数値は家の中で0.2~0.3(μ㏜)二階のベランダで0.7(μ㏜)くらい
玄関の外から門のあたりは0.5~1(μ㏜)前後という感じで出ていました。ただ、コケや芝生や隅の方の地面はもっと高かった所もあったと記憶しています。こうやって点在しているのに、正確な数字など、測れれるのか?という疑問がいつもありました。

御存知の方も多いと思いますが、モニタリングポストの数字はそこに限った数字というだけで、決して平均というわけではないと思います。1 メートル先はわからないのです。

少なくとも私の周りの友達や知り合いは皆その事を承知していました。
そこだけをきれいにして測ればその時はそうなる。と認識していました。

自治体によって除染方針は違います。
因みに、私の家のある地域は伊達市や福島市の中ではかなり低いと認識されている地域です。伊達市の除染は段階に分かれており、うちは自分達で除染をしてわからない事は専門家に相談しながらやって下さい。という場所です。

福島市は市が全域を除染する事になり、進めていますが線量の高い地域では1(μ㏜)を目指そうと言って除染しています。

それで、私の地域では「家の周りは低い」という認識になってしまうのです。

除染の仕方、土は削り敷地内に置く。屋根は効果がないとわかったのでやらないと。壁やコンクリート部分は高圧洗浄です。

生活の話にもどりますが、結果的に福島に戻ってからは小学校の行事、給食、地域の行事、その度にどうしようと悩みながら選択していました。とても居心地が悪かったです。私は元々、みんなと違う行動をとる事が苦手な人間でしたから。今も少しそうですが・・。

給食は季節の食材が使われます。震災後だからと言って特別な事はないのだなと思いました。秋にはキノコ類のメニューが多く出ていたと思います。お米は震災前は地元産だったのが、会津のお米に変更してくれていました。それが、去年の5 月の連休明けから地元産のお米に戻します。とお手紙がきていました。

私は全部の期間ではありませんが、数か月お弁当を作っていました。給食のメニューとなるべく同じものにしてほしいと先生からはお願いされましたので、頑張りましたが、スーパーでそろえる事が本当に大変でした。宅配で西の食材を手に入れても、メニュー通りになりません。本当にお金がかかりました。そして、学校では子供同士で言い争いになってしまいました。

この子のお母さんは給食は安全と言う。
でもこの子のお母さんは心配だから弁当を持たせる・・。

学校の先生は、できる限りの配慮をしてくれたと思っています。でも、先生方の出来ない事が学校にはあると思います。特に放射能から子供を守るなんて先生に出来ないと思いました。家の子達なんて、登校時にしていたマスクを下校時につけていた事なんてほとんどありませんでした。でも、言いつけもちゃんと守ってなのか、一日中マスクを着けて、体育の時もマスクしながらマラソンしているお子さんも見かけました。私も暑くて苦しいとマスクを外してしまう事は日常的でした。

今は放射能の授業があると福島市の友人から聞きました。

夏には北海道の保養に参加したり、実家に滞在したり、岡山にも行かせていただきました。
特に岡山の保養へ行った時は移住を考えましたが、主人と話すと「家のローン、仕事」となって、もうそれから先は前向きな考えは出ませんでした。

もう、こうやって悩むのは終わりにしたくて「これからは保養と食生活で排泄しながらここで頑張って行こう」と思うようになりました。

元気のない時は「感覚がマヒしてもいいや」と思うような時も多くありました。

主人と言い争いになりたくないとも思っていました。

さて、11 月か12 月に入ってから回覧板で「ゴミ出しに土や木は入れないで下さい。草や枝等は一回のゴミ出しにつき各家庭一袋までにしてください」とありました。

その後、震災後からずっと無かった地域の掃除が再開されました。伸びきった雑草、落ち葉、苔等、共通の道路だけでも沢山のゴミが出ました。

でも次の日の月曜日に収集されるはずのゴミの中の、お掃除で出たゴミだけが収集されませんでした。
夜に班で召集がかかって「収集車の線量計が鳴ってしまったので、途中で収集を止められた」との事でした。

持ち帰って各家庭で家庭ごみに分けて少しずつ出して下さい」との事でした。もちろん、地域の掃除はまた無くなりました。

このあたりから、不安と疑問が私の中にありました。線量は一向に下がらない。

草木をゴミに出して燃やせば放射性物質は永遠と循環するんじゃないかって。

捨ててはいけない切った木を縛って大量に軽トラに積んでいく車も見かけました。

でも、ここで生きるって決めたのに、突き詰めて考えても不安になって、自分が壊れていくのがわかったので、それ以上は考えないようにしていました。

その後の年末から年明けに小学校と未就学児の甲状腺のエコー検査がありました。
ホールボディーカウンターもあり、それはすぐ結果がきて「問題ない」と出て、この分だと、エコー検査も大丈夫じゃないかって、少し安易になっていました。
2 月は幼稚園の近くの小児科で成長フォルモンの血液検査をしてくれると聞いて受けました。お友達のお子さんのほとんどが「問題なし」の結果でしたが、私の子達は要経過観察と言われました。多分アレルギーがあるとかかな、と思っています。

そして、3 月にエコー検査の結果がきました。結果は2 男3 男が「A2」4 男はA1の問題なしでした。子供が喘息がひどい。血液検査が経過観察、甲状腺のエコー検査がのう胞あり。家の子達は確率的に非常にやばいんだと思いました。もう、私の力で福島に居ながら子供達を守る事は出来ないと自分に断言しました。私の頑張りでは到底無理だと。

何とか家族みんなで、この家で元気にくらしていきたいと思っていましたが、諦めました。

主人とは別居になるけど、仕方がない。実家は拝み倒せばなんとか住まわせてもらえるだろう。長男と主人でこの家に住んでもらおう。とにかくここから離れよう。

で、すぐ夫に検査結果をメールして、話があるからって入れました
主人が帰宅してからの話は、ケンカになるどころか、一緒に福島を離れる決断をしてくれました。
その後、引っ越しに向けての準備にとりかかりました。いろんな人のおかげでここにこうしています。

近所の方々には「転勤で引っ越しします」と挨拶しました。皆、放射能から離れたいという思いからの行動だと理解しているようでした。でもその先の深い話はしませんでした。
住んでいるときの心境は「放射能の話をした所で、この先もずっとここで暮さなきゃならないのに、気分が落ち込むだけだ」って思うのです。誰かと話してスッキリするのは初めだけだったように思います。

放射性物質が無くなるまでに何十年、それ以上の期間がかかるものに囲まれて「今、耐えれば希望がある」なんて誰も思いませんよね。

私は福島に住んでいる時は避難できないと思っていたので、福島で、必死に家族をまもろうと生活している時に、ネット等で避難しない人に対しての言葉を見る事が本当に怖かったし、傷つきました。私が直接言われているわけではないのに、罪悪感ばかり募りました。

私は保養しながら福島に住んでいましが、離れる事を選びました。今も福島には沢山の人が住んでいます。その方達は「福島で生活する事を選択した」その事実があるだけです。

これは避難区域にならなかったけれども汚染されている地域の現実です。
国の方針が原因で、今の状況が結果ですね。

これは、福島や他の汚染されたといわれている地域だけの問題ではない、どこの県でも市でも起こりうる事だと思います。

国が守るのは経済であって人の暮らしではないという今の日本の動きを変えていけるのは、政治でも行政でもなく、一般の微力な私達一人ひとりの意識と行動だと思うのです。

福島には7 年と3カ月住んで、そのうちの5 年は新築した家にすみました。今は人に貸しています。成人している長男が、福島市で一人暮らしをしています。
一緒に来ないかと話したけど、福島に残りたいそうで・・無理やり連れてくる事はしませんでした。


私が思う私の理想は、どんどん行動を起こして矛盾や葛藤もなく潔く生きていく事でした。でも現実はこんな感じです。
ただ、今は「もっと自分の感覚を信じて行動していいのだな」と思うのです。それが間違いでも、失敗でも体験してでしか得られないものがあると。

誰かの言う事を鵜呑みにするのではなく、自立して考えて動いて自分のものにする。誰かの意見にぶら下がっているとそれは自分の経験ではない、他のだれかの考えの元に体験がないまま、誰か別の方の思い通りになってしまう危険があると思うのです。

例えばデモ等はその一つだと。デモに参加する事自体、自分の意思の表現だと思うのですが、今はさらに先に行動を起こす時なのかなと思うのです。

必要な知識を調べ身につけ、行動する時期なのではないかなと思います。
・・と言いながら私は大した事はしていません。mikoさんのお手伝い的な事しかできていないので、私自身もこれからなのですが・・

少し正しい事を言っている人がいても、全てそうなのか?調べてみる必要があるし、調べるにしても知識も身につける必要も出てきますよね。

法律を勉強したりするのは面倒だけど、
一人一人がそういった働きかけをして行く事が、同じ間違いを起こさない、今のような不自然な流れを変える力になると思うのです。

 


【必読】ナタリア・マンズロヴァ作 『Hard Duty』 チェルノブイリでの体験 【動画】リクビダートルのその後

2013-09-16 | 放射能汚染

 

 

東京在住者逮捕話で気になる、マンズロヴァ博士『Hard Duty』。数日で数十倍に膨らむ地下水汚染。

(管理人より)

木下黄太さんのブログで紹介された ナタリア・マンズロヴァ氏の著作 『Hard Duty』。必見です。

放射線生物学者であるナタリア・マンズロヴァ氏が、「区域内」で過ごした四年半のなかで体験した恐ろしい現実は、実際にPDFで読んでいただきたいと思います。http://www.zenplanning.com/nuke/HardDuty/HardDuty_JP.pdf

ヘリコプターでの鉛投下作業の失敗、囚人たちがリクビダートルとして罪を軽減してもらうために、線量計なしで原子炉近くの作業をさせられたことも記述されています。危険性は知らされず。

ナタリア・マンズロヴァ氏が、仕事中の線量計すら拒まれた事実も記載されています。


 

以下の2つのリクビダートルについての動画もどうぞ。やはり、作業員らの被曝隠しも公然と行われていることを示しています。今の福島も同じような形で作業が進められていることは容易に想像がつきます。 

<一部文字起こし>

原子炉で二ヶ月働いた。電気技師として。セメントを打つときの証明を確保していた。設置のため原子炉によじ登ったものだ。どこにでも入っていった。私の場合、わずか「11.92レム」と書かれた。

「いかさまを書かれたとボスに言いに行ってやる!」と言ってボスのところに行くと、椅子に腰掛けて笑みを浮かべながら

「高くてよかったと感謝しろ 感謝しないならもっと低い数字にしてやってもいいぜ」

 

 

<一部文字起こし>

夫は六ヶ月寝たきりで、いわば生きながらにして体が崩壊したのです。肉体組織がすべて崩壊し始め腸骨が見えるほどになりました。

私は医者に指導された通りのやり方で夫の看病をしました。女の医師のところに出かけて方法の説明を受けました。夫の心臓が止まるまでそんな調子で続けました。

肉がすべてそげ落ちて 背中はペタンコで骨がむき出しでした。

太ももの関節も手でさわれるほどでした。

私は手袋を使って手で骨の消毒をしました。

分解し腐乱した骨の残骸を取り除きました。

何故かわからないのですが急に容体が悪化しました。医師に助けを求めたり、大学教授に頼ったりしました。可能な限り誰にでもすがったのです。

しかし言われました。「こんな病気は初めてでよくわかりません」「病状を緩和することしかできません」といった調子なのです。

骨髄が駄目になっていくのに直面して彼らはお手上げでした。なすすべがなかったのです。

夫はもう死なせてくれと頼みました。苦しまなくて済むようにと。痛くてたまらなかったのでしょうね。

寝返りを打たせると歯ぎしりをしたりうめいたりしました。でも彼は絶対に叫び声を上げたりせず耐え抜いたのです。意志の強い人でした。

娘には腎臓の異常があります。息子は少し吃音があり目も病気です。


 

JCO事故での大内さんの経過と重なる奥さんの証言です。 http://www8.plala.or.jp/grasia/dokushyo/JCO/Hibaku2.pdf

これは何を意味するか?

つまり、これから日本が東京オリンピックで放射能汚染を隠蔽、国威発揚に利用して、福島第一原発の作業員を集めるつもりではないかと私は思います。

がれきに反対する市民を「非国民」呼ばわりした、「絆でがれき広域処理」の時と同じく、新聞の全面広告を使って、一気に推し進めてくるでしょう。

リクビダートルにされるのは私たちの息子や娘です。

子供がいるお母さん、一番仲良しのお母さんひとりでもいいのでこのことをじっくり伝えてください。

どうかよろしくお願いします。


【動画】高放射線量地域 浪江町ムソー教授の調査 ツバメの奇形 白斑 アルビノ

2013-09-14 | 放射能汚染

  

高放射線量地域で生物に異変、奇形疑われるツバメも

TBS系(JNN) 9月11日(水)19時27分配信

 東日本大震災の発生から11日で2年半です。地震が起きた午後2時46分にあわせて、各地で黙祷が捧げられました。岩手・宮城・福島では今もあわせて21万人以上が仮設住宅での生活を余儀なくされています。

 また、福島第一原発の事故については、汚染水の問題が深刻化、さらに除染作業も遅れていて問題は山積みです。そんな中、海外の専門家たちが、福島県内の放射線量の高い地域で生き物の調査を行いました。調査では、奇形が疑われるツバメが高い確率で見つかりました。ビデオでご覧ください。(11日15:01)

 


  (管理人より)

ツバメに関する記事を集めました。ツバメの尾羽の奇形が出ています。チェルノブイリのツバメにはお尻に腫瘍が出来てますね。

事故後2年半経ってムソー教授・メラー教授の浪江町調査で、捕獲した10羽のツバメのうち3羽で奇形の疑い。(2013年9月)

・毛虫の死骸多数(鳥が食べない)

・1年目に鳥類、チョウが減少、今年はさらに減少

・野生のネズミ、1匹も捕獲できず

・ツバメに白斑 、尾羽の奇形

2011年8月のモニタリングでもウグイスのお尻にもできものが出来てたことが報告されていました。(以下参照)

鳥は、汚染した虫を食べて内部被曝しているのでラジオオートグラフ(モノクロのレントゲン写真のようなもの)でとると、放射性物質が黒くなって可視化されます。鳥は砂浴びをしますので点々になっています。羽に放射性物質が付着してしまうのです。(以下参照) 原因物質がそこにあるということがよくわかります。

http://mphoto.sblo.jp/article/55571894.html

 

(鳥が砂浴びをするときは、少なくとも一方の羽を開いて砂地に体をこすりつけます。顔を洗ったり、羽を逆立せるように動くものもいる。毛づくろいをしない鳥は砂浴びだけで体を清潔に保っている)

放射性降下物が多かった地域での砂浴びは鳥にとっては危険な行為だけれど、習性なのでやめることはできません。動画を見てもわかるようにお尻を砂にスリスリしています。お尻にも羽の中にも細かい放射性物質がついてしまいます。

 

ツバメもウグイスも砂浴びしたんだなと思います。かわいそうに体にたくさんつけてしまいました。

福島県内でアルビノのツバメが8羽確認されています。徳島県でも見つかっています。 ツバメの大量死も起きてます。

ツバメの体を放射能検査して欲しいです。行政の担当者が鳥インフルしか調べないってありえないです。

もっと真剣に生物のモニタリングをしなければ・・・・

ツバメなどの小鳥はBioindicator 生物学的指標 にふさわしい生き物。ちゃんと国が環境モニタリングすべき。

http://www.wbsj.org/nature/research/tsubame/result2012_tsubame.html 


 

 

 

 http://www.a.u-tokyo.ac.jp/rpjt/event/20111119-7.pdf  より

高線量地帯周辺における野生動物の生態・被曝モニタリング

石田 健(東京大学大学院農学生命科学研究科・フィールド支援担当・准教授)

 8月の調査で4羽の換羽前のウグイスの雄、10月の調査で1羽の換羽後の若鳥と思われるウグイスの雌を捕獲しました。3羽は、赤宇木地区で捕獲しました。その内1羽の尻(上尾筒)にはおおきな「おでき」の病変が観察されました(写真左)。各個体の羽毛(主に尾羽)を採取し、
放射線の測定をしたところ、高い被曝、汚染が確認され、セシウム134, 137, 銀110m等が検出されました(写真中央と右)。 


  http://www.topics.or.jp/localNews/news/2013/08/2013_13771330879718.html より

 


  http://www.mbs.jp/news/jnn_2013309_zen.shtml

 

12日兵庫県上郡町の県道で41羽のツバメが死んでいるのが見つかりました。警察と県が原因を調べています。

 12日午前11時半ごろ、上郡町高山の県道でツバメが大量に死んでいると通行人の男性から通報がありました。警察によりますと、死んでいたツバメは全部で41羽で、道路上の64メートルにわたっていたということです。

 「完全に死んでいて、ほとんどが車に潰されていた。万一のこと考えて、鳥インフルエンザの検査」(兵庫県西藩磨県民局 堀川道信副所長)

 鳥インフルエンザの簡易検査は陰性だったということですが、兵庫県では引き続き国の施設などで鳥インフルエンザウィルスの遺伝子検査を行い、死因を調べるということです。(13日00:00)

 


日本野鳥の会HPより転載 http://www.wbsj.org/nature/research/tsubame/result2012_tsubame.html 

 経過報告:放射性物質の影響調査 

チェルノブイリ原発事故では、ツバメに部分白化や尾羽の異常が生じたことが報告されているため、当会では主に支部会員に呼びかけ、情報を集めました。その結果、ツバメの部分白化については全国平均で5.7%、尾羽の異常は3.1%の割合で発生していました。一方、福島では、部分白化の発生率が0.6%、尾羽の異常が0%。隣接する宮城県でも部分白化の発生率が6.5%、尾羽の異常が3.2%で有意に高くなる傾向は初年度の調査では、特には見られませんでした。
 しかし、2012年7月に、宮城県内で尾羽に異常のあるツバメが複数いるとの報告が寄せられ、巣立ち後の巣を持ち帰り汚染の有無を調べたところ、5巣中2巣から、それぞれ7,200、6,700ベクレル/kgと比較的高濃度の放射性物質が検出されました。今後ツバメの被曝の有無や繁殖率などについても地域を絞って継続的な調査をする必要があると考えています。

※ツバメへの放射性物質の影響について
 2012年3月23日には、環境省自然環境計画課により、福島第一原子力発電所から約3キロ離れた福島県大熊町で採取したツバメの巣から、1キログラム当たり約140万ベクレルの放射性セシウム(セシウム134と137の合計)が検出されたことが発表されました※1。
 1986年に発生したチェルノブイリ原発事故では、放射性物質の影響により、ツバメに部分白化や尾羽の不均一な個体が生じたことや、放射線量の多い地域では雛の数が少ない等の現象が報告されています※2。

※1出典:環境省自然環境計画課調査結果/3月23日発表による
※2出典:Moller, A. P. & Mousseau, T. A. 2006 Biological consequences of Chernobyl: 20 years after the disaster. Trends Ecol. Evol. 21, 200-207.

 

 


燃やして減らせの鮫川村焼却炉も、郡山下水汚泥焼却施設も、空に毒を撒き散らす愚かな行為!

2013-09-05 | 放射能汚染

 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukushima/news/20130901-OYT8T01041.htm  より 


 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130831-00000014-fminpo-l07

9月上旬、本格稼働 郡山に汚泥減容化焼却施設が完成

福島民報 8月31日(土)11時36分配信

 東京電力福島第一原発事故の影響から下水汚泥がたまり続けている問題で、環境省が郡山市の県県中浄化センターに設置した減容化焼却施設の落成式が30日、同浄化センターで行われた。9月上旬に本格稼働する。 
 同省や地元自治体、工事関係者らが出席した。井上信治副大臣が「地元の不安を払拭(ふっしょく)し、一日も早く震災前の暮らしを取り戻したい」と式辞を述べた。村田文雄副知事が「汚泥が減少することで、目に見える形で復興を感じてもらうことができる」と完成を歓迎した。点火式では同センター供用エリアの郡山、須賀川、本宮、鏡石、矢吹の5市町の首長らを交えてボタンを押した。 
 施設は焼却で汚泥の重量を約20分の1に減容する。臭いも防げる。一日当たり90トン処理できる。 
 同省は「指定廃棄物」となる放射性セシウム濃度1キロ当たり8000ベクレル以上を含む汚泥とその覆土合わせて約1万5千トンを年度内に焼却する。基準を下回る汚泥の処理については未定で、井上副大臣は「県と協議したい」とした。  


(管理人より) 郡山市の下水処理汚泥の放射性物質濃度を見てみます。

http://www.city.koriyama.fukushima.jp/upload/1/4801_torikumi7_higai.pdf  3pより

http://www.city.koriyama.fukushima.jp/upload/1/2061_kaiken0601.pdf  4pより

 http://www.excite.co.jp/News/science/20120229/Fujiyama_water_2478.html  より

2012年2月24日、福島県は郡山市の県中浄化センターで下水処理時に発生した下水汚泥の「溶解ダスト」から

1キロ当たり247万ベクレルの高濃度放射性セシウムが検出されたことを発表した。
(参考:放射性汚染された浄水場汚泥9万2000トン、下水汚泥、焼却スラグ2万7000トンの処分先がない
image from 福島県下水道公社

この高濃度放射性セシウムが検出された「溶解ダスト」は下水汚泥を脱水し高温で溶かした粉塵である。同センターによると、5月に回収した溶解ダストから検出された数値であるという。

溶解ダストの量は58トンであり現在は飛散を防ぐため、30センチ厚のコンクリート製の箱に保管し、敷地内の格納庫に置かれている。付近は立ち入り禁止となっており、安全には十分配慮を行っているとのことである。

 


流域下水道終末処理場における放射性物質を含む下水汚泥等の状況について(8月15日更新)

溶融スラグ・ダストの放射能濃度推移表・グラフ(H23.4.28~H25.7.31)

http://wwwcms.pref.fukushima.jp/download/1/gesuidouka_kenchu_youyu250815.pdf

 

 

 


今年になってからも28567ベクレル/kgの下水汚泥が出てます。桁違いです。

これを24時間、90トン燃やし続けるわけです。

燃やせば量は減っても濃縮してさらに始末に負えない粉塵が出てしまうということにどうか気づいてください!

燃やせば、煙突からバグフィルターから漏れた放射性のPM、目に見えない微粒子が周囲に飛散します。もう住むのは無理です。住めば下水汚泥が必ず発生する。

完全に「減容化」という名前で、国が公害を引き起こしています。環境省のHPを見ると驚きます。 

環境省で実施している実証事業というサイトをご覧下さい。⇒ http://shiteihaiki.env.go.jp/04/01.html 

どれも根っこは同じです。「薄めて燃やせ」 「燃やして減らせ」です。

 

★環境省の排ガスの検査がインチキ検査だという証拠⇒http://youtu.be/up-tKf9MlPw

★バグフィルターの危険性を知らせてない⇒バグフィルターで99.9%除去できる保証 試験はしていない!!


市民に気づかれないと思っているのでしょうか? 環境省、郡山、須賀川、本宮、鏡石、矢吹の5市町の首長が白い手袋をして点火ボタンを押す写真↓

みなさん、この人物をよく覚えておきましょう。責任をうやむやにしてはいけません。復興じゃなくて公害!

排ガスのインチキ検査やバグフィルターの危険性を

隠蔽する行政の人たち↓ 

 


これは鮫川村の皆さんに現地で、焼却の危険性をお知らせするために作られたチラシ文です。とても参考になりますので掲載します。

福島から九州へ避難された方が、福島のために判断材料を集めて、自分の頭で考え作り鮫川村で配られたチラシです。


鮫川村の皆様へ

お盆明けから、8000bq/kgの放射性物質の焼却がはじまります。
始まる前に、もう一度、考えていただきたく、このチラシを配布いたします。

環境省は、焼却炉の排ガスを測定するということで、皆様を説得したと思いますが、「濃度」で安全とされるモノを「量」で表したら、どのぐらいになるかをご存知でしょうか?

私が避難している北九州市の発表(H12年度)では、「排ガスは基準値内」ですが、それを「量」で表すと、1m3あたり3.1トンの灰じんが大気中に放出されています。

北九州市では100bq/kgの放射性物質の焼却で、焼却炉から10km離れた所に住むかたの着けていたマスクからセシウムが検出されました。

また、焼却後100件を越す健康被害の報告がありますが、その声は握りつぶされています。

たった、100bq/kgの焼却でも、体の弱い順に被害が出ることを知って下さい。

私は、北九州市の焼却場から2kmのところに住んでいます。こんなに直ぐそばに焼却場があるとは知らずに避難してしまいました。

結果、12か月咳が止まりません。初めて、この歳(48)で「喘息」です。

放射性物質の焼却以前に、焼却炉がとても危険であるという事実を知って下さい。

海外の報告書には、日本とちがって、焼却炉の危険性を報告した文献がたくさんあります。

環境省や行政が住民を守ってくれるという幻想から目を覚まして「事実を自ら調べてください。」

本当に安全であれば、「なにか村民の体に異常、異変があった場合、焼却炉の運転を止め、健康被害を認める」という、「公害防止協定書」をきちんと締結する筈です。

できないのは、世界で初めての経験だからです。

わたしから、皆さんにお伝えしたいのは、テレビ、新聞の「報道」に、私が見てきた事実が載っていないということです。

パソコンで調べることが出来る人と、テレビ、新聞からしか情報を得ない人々との情報格差を、行政はきちんと計算しているということです。

まず、排ガス濃度を「量」で示すように、行政に「質問」してみましょう。

色々ごまかし、決して量を具体的に示しません。

最後に、「排ガス濃度は、煙突の数を増やせば、濃度規制をクリアできる」すなわち、どれだけ、大気中に放射性物質が排出されようと、事業者(環境省)は数字合わせが出来るわけです。

パソコンで検索できる方は、是非wonderful world を見てみてください。

私のブログには、健康被害の報告書もあります。 「北九の子供を守るネットワーク」で検索してください.

 


【必見】9/2に出された環境省の鮫川村焼却炉爆発事故の第1次事故報告書に対する樗木博一氏の見解 

2013-09-03 | 放射能汚染

 

 

(管理人より)

http://wonderful-ww.jugem.jp/?eid=879 事故報告書

9/3ジャーナリスト山本節子さんのブログが更新されました。当ブログでは、動画や画像を盛り込んで全文転載させていただきます。


<山本節子さんのブログ引用ここから> 

鮫川村焼却炉爆発事故からわずか四日後、環境省は何と「一次報告書」を出していました。http://shiteihaiki.env.go.jp/pdf/q5_samekawa_130902.pdf

村民に事故があったことを伝えもしなかったくせに、これはまた何とすばやい。もちろん、これほど「拙速」だと、中身も予想できます。下はその初めの部分。下線山本。



ね? 原因は「炉の欠陥」ではなく、「人災」だと言ってる。でも、矛盾してない?可燃性ガスが漏れていたなら、主灰だって漏れていたはずでは?可燃性ガスだけなら、なぜ爆発音が二回だったの? そもそも、ガスは排気塔の方へ行く設計じゃなかったの?

 この事故について、樗木博一氏の見解を、その了承を得た上で掲載します。

彼は鮫川焼却炉の排ガスを直接測定しようとして、日立と環境省に拒否された技術者です。彼の「提案」ビデオはここ→http://youtu.be/up-tKf9MlPw


鮫川村焼却炉爆発事故原因究明についての私の考えをお知らせします。
ご参考になれば幸いです。

 
1.爆発の原因者であり、施設管理者でもある環境省・日立造船に爆発原因を調査させるのがそもそも間違っています。本来であれば、消防、警察とが現場保存がなされている状況で立ち入り、調査すべきです。消防、警察で技術的に手に負えなければ、消防、警察から第三者の信頼できる研究機関に調査依頼を出すべき事柄です。
 
2.爆発原因調査方法(案)
現場保存がなされている場合の仮の話です。粉塵爆発であることを確認する調査としては下記ようになると思います。
(1)現場状況写真の撮影
  焼却炉、焼却炉から焼却灰が排出される箇所、コンベア機構を収納したダクトの
 外側およびダクト内の状況  (ダクトにさわらないで撮影可能な範囲)
 
(2)運転中において焼却炉から焼却灰(高温)が排出されることの確認
   ・日立造船の設計者の事情聴取

   ・焼却炉の試運転による確認
 

*IWJのインタビューに答えて、環境省の作業服を着た方が、毎朝運転前に焼却灰

を抜き出す作業をしているが、炉の構造上、抜きだす棒(シャフト)と炉の間に2mm~3mmの隙間があり、運転中も焼却灰が少量出てくるといった説明をしていました。http://www.ustream.tv/recorded/38002527
 (鮫川村 廃棄物焼却炉  事故現場確認 (37:04) 2013/08/21:41)
 

※17:18から現場確認↓ 画像はキャプチャーです。クリックしてください。 

(3)ダクト内残存物、コンベア機構付着物、ダクト内壁の付着物調査

 付着物は焼きついていると予想されるので、ダクト、コンベア機構は現地で取り外 して検査機関まで運び、そこで、分析用サンプルを作るため、切断し、
  ・光学顕微鏡、SEM(Scanning Electron Microscope、走査型電子顕微鏡)による付着状況写真、付着物自体   の形態写真の撮影を行う。
  ・イオンクロマトグラフでの成分分析を行う。

*粉塵爆発によって高温になった焼却灰が、ダクト、コンベア機構に焼きついているのが確認されると思います。


3.環境省・日立造船がどの程度の分析能力・技術的能力を持つ人材をかかえ ているのかわかりません。原因究明などできない可能性もあります。また真の原因究明を行って公表した場合、焼却炉の構造問題に波及し、簡単には運転を再開できないことになるので、運転再開を急ぐため、別の理由をだしてくる可能性もあります。

 
4.環境省の報告書(下記)を見ました。
 
*****第1次報告の概要(抜粋)**************
これまでの調査の結果、当日の朝、主灰を排出する際に開放するゲー ト(ゲートシリンダ;焼却炉の下部に位置する)を閉め忘れたことな どから、焼却炉を回転させる軸の隙間から可燃性ガスが少しずつ漏れ、 主灰コンベア内に滞留し、着火したことが原因と考えられます。
******************************
 
 上記のように、やはり、真の原因究明などできないので、すぐに運転再開ができるストーリーになっています。

5.こわれた部品を新規に製作して交換するだけであれば、8月29日に事故が発生 してから2週間程度で運転が再開されるものと思われます。予備部品があればもっとはやくなると思います。 

 これで、日立がなぜ事故を消防にも警察にも届けなかったか、村での報告会を中止したのか、報道統制しているか、よくわかります。私も、この事故は粉塵爆発であり、それはシステムそのものの構造的欠陥による、従って、今後も常に同様の事故の危険性はある、と考えていますが、現段階でこうだから、この先、もっともっとウソを積み重ねることでしょう。鮫川村民、どうする気よ。2013.9.3

 <山本節子さんのブログ引用ここまで>


 (管理人より)

鮫川村問題は西日本に住んでいる私たちにとって、遠いところの出来事ではありません。福島第一原発は収束など一切していませんので、これから先もどんどん、放射能汚染物が出てきます。それを、「減容化」の名のもとに小型焼却炉をバンバン作って汚染物を薄めて燃やそうという国の姿勢ですから、日本中どこに高濃度放射能廃棄物が運ばれてもおかしくはありません。運んで儲けようという業者はいます。

今回の焼却炉が日立造船製であることから、焼却炉メーカー=原子炉メーカーというのも、知る必要があります。ああ!マッチポンプ丸出し!

この環境省の第一次報告書を読んで「目視と線量で判断する?そんなアホな!」と思いました。「放射性微粒子は目には見えない」ということを、市民が知らないとでも思っているのでしょうか!「線量に反映していなければ放射性物質はないということ」と北九州の環境局職員も平気で嘘を付きます。 樗木博一氏の言われるように、精密に分析、検査しなければ何もわからないと思います。

「ごく少量」でも灰が拡散すれば、その灰の中にどれだけの放射性物質があるかわかりません。空気中に浮遊塵として舞っていれば、吸い込んでしまい内部被曝を引き起こします。どんなに微量であっても決して安全ではないのです。

気のせいではなくて微粒子があるかないか物理的な問題です。

 

 

 


高濃度汚染水流出問題 ニュース動画まとめ 24兆ベクレルが漏出。ボルトはサビサビ! 

2013-09-02 | 放射能汚染

ニュース動画を上から時系列に並べました。

 

 


 汚染水漏れ:「タンク、金かけず作った」協力会社会長証言  

毎日新聞 2013年08月25日 07時40分(最終更新 08月25日 09時24分)

地盤沈下が原因で移設されていたことが明らかになった東京電力福島第1原発の汚染水タンク。高濃度の放射性物質を含んだ汚染水約300トンの漏出は、この移設が原因なのか−−。廃炉作業に参加している東電協力会社(福島県いわき市)の会長(72)は毎日新聞の取材に「タンクは工期が短く、金もなるべくかけずに作った。長期間耐えられる構造ではない」と証言した。

 同社は事故前から原発プラントの設計・保守などを東電から請け負い、同原発事故の復旧作業では汚染水を浄化して放射性物質を取り除く業務に携わっている。このため汚染水を貯留しているタンクを設置したゼネコンともやり取りがあり、内部事情に詳しい。

 会長が東電幹部やゼネコン関係者から聞いた話では、今回水漏れを起こしたタンクは、設置工事の期間が短かった上、東電の財務事情から安上がりにすることが求められていた。タンクは組み立て式で、猛暑によってボルトや水漏れを防ぐパッキンの劣化が、通常より早まる可能性も指摘されていたという。

 会長は「野ざらしで太陽光線が当たり、中の汚染水の温度は気温より高いはず。構造を考えれば水漏れは驚くことではなく、現場の感覚では織り込み済みの事態だ。現場の東電の技術スタッフも心配はしていた」と明かす。

 現在、タンク内にあるのは原子炉を冷却した汚染水から放射性セシウムを除去した汚染水。今回のような事態が続くと住民感情が悪化しかねない。会長は「そうなれば廃炉作業への影響も出る。政府が前面に出た上で、早く敷地内への地下水の流入を防ぐ抜本的対策を講じるべきだ」と強調した。【袴田貴行】

http://www.47news.jp/CN/201309/CN2013090101001635.html より

 


東京電力報道配布資料より   

9/2 福島第一原子力発電所構内H4エリアのタンクにおける水漏れに関するサンプリング結果  より

 9/2 H3エリアタンクで確認された高線量箇所について 

 

 

9/2 福島第一原子力発電所タンクパトロールの結果について

 

 

 


(管理人より) 地球に生きている生き物みんなの海なのに、日本人が海に300トンもの高濃度汚染水を流しました。この高濃度汚染水は1リットルあたり8000万Bq。 合計24兆ベクレルが漏出。

ついに日本は環境犯罪国家になってしまいました。太平洋を死の海にしてしまう責任は誰がとるのでしょうか?

原子力規制委員会は21日、漏洩量に鑑みこの事故を国際原子力事象評価尺度(INES)の「レベル3(重大な異常事象)」に該当すると判断しました。

日本はレベル7+3=レベル10 と言うべきと思います。なぜ同じ場所の出来事なのに分けるのか?原発事故が原因なのだから一緒にしていいと思いますが評価尺度まで過小評価したいんでしょうね。泣けてきます。

いい加減自覚したほうがいい。 史上初の世界最悪のレベル10の事故が起きた国、日本。環境犯罪国家、日本。

タンクのフランジは溶接せず、ボルトはサビサビになっていた。

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/99413 によると タンクの耐用年数は10年、それが350基、1基数千万円。

 


 

http://jp.wsj.com/article/SB10001424127887323748004579049691692584928.html?mod=JWSJ_EditorsPicks より

毎時約1800ミリシーベルトで、もう1カ所は1700ミリシーベルトだった。この線量は2011年3月11日に同原発が津波に襲われた直後からの測定値の中で最も高い部類に入る。東電によると、人間がこの線量を浴びると4時間以内に死亡する。

 


 

http://www3.nhk.or.jp/fukushima/lnews/6054211601.html

8月31日にH3エリアのタンクで計測された最も高い1時間あたり1800ミリシーベルトという放射線量は、ベータ線と呼ばれる放射線によるものがほとんどで、防護服などで遮へいすることができますが、直接、皮膚に触れると重い熱傷を引き起こすほか、目の場合は、白内障などの障害につながるおそれがあります。
国の規則では、作業時の目の水晶体の被ばく限度は年間150ミリシーベルトと定められていて、1800ミリシーベルトはこの限度に5分で達する、極めて高い値です。

 


 

http://www.tepco.co.jp/cc/press/2013/1230178_5117.html

平成25年8月31日
東京電力株式会社

 本日(8月31日)午前9時45分頃、福島第一原子力発電所6号機Fタンクエリアにおいて、ドラム缶の移動作業に従事していた協力企業作業員が体調不良を訴えたため、入退域管理棟救急医療室にて医師の診察を受けておりましたが、医師により緊急搬送の必要があると判断され、同日午前10時46分頃に救急車を要請しました。
 
 なお、当該作業員に身体汚染はありませんでした。病院の診断結果については、わかり次第、お知らせします。