mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

1年前の私

2015-07-08 21:32:14 | 日記

 gooブログから「1年前の記事」というのが配信されてくる。去年の7月8日には「火打山と妙高山」を訪ねた記録があった。へとへとになって帰宅し、10時間以上も寝たと書き、筋肉痛が出てきたと嬉しそう付け加えている。歩いたときの情景がふつふつと胸中に湧き上がる。今年はまだ、去年同様の体力を保っているだろうか。

 

 山の力は山で鍛えると私は考えてきた。だから、トレーニングとして歩いたりはしていない。週1回くらいのペースで山を歩けば、おおむねその後の1週間は体の中がもぞもぞと運動を続けている気分になる。それを鍛えると言っていいかどうか、じつは疑問だと私も考えている。それ以外をのんべんだらりと過ごしていては、やはり着実に力は落ちるに違いない。そう思うから、4kmくらいは歩こうと思っているし、散歩に出るときは2時間から3時間それなりの速度でさかさかと経めぐってくる。それで保てない力なら仕方がない。あえて、健康のために歩くとか、何かのためにトレーニングをするというのは、どういうわけか私の性に合わない。自然(じねん)のままに生きていきたいと思うのである。

 

 昨日は、大学時代のサークルのOBGが集まった。私のいっていた大学は41年前に廃校になったから、いちばん若い人でも還暦を越えた。今回参加の最高齢者は81歳であったが、その方以前に名を連ねていた何人もの人たちが亡くなっている。それどころではない。私と現役時代を共に過ごした2年上の人たちから1つ下の人たちの間でも、8人が亡くなっている。三分の一の死亡率である。編集者とか新聞記者という仕事が、ストレスの多い仕事だということもあろう。私のように教師稼業で、気ままに過ごしてきたものは案外寿命を保っていられるのかもしれない。それにしても、みなさん、衰えた。毎日21種もの薬を飲んでいるという方もいた。彼はほとんど周りの他人に気配りをすることができない様子であった。出歩けなくなったと欠席連絡をしてきた人も多数いる。世話役の幹事も、「今回を最後としたい」と案内状に記してあった。連絡をつけるのに不都合がたくさん出来したのだと、私は推察している。皆年を取ったのだ。

 

 7年ぶりの出逢いに調子付き、つい飲み過ぎて今日は一日身体がだるかったが、天気さえよければ明日は山へ向かいたいと、天気を調べたり、ルートを探したりした。だが、残念。明日の関東地方は雨と曇の予報だ。明後日は回復するというから、そこを狙おうと気持ちを緩やかにアップビートにもっていく。2日つづけて山に入るのが身体に応えるようになっているのだとしたら、月末の北岳の案内は、むつかしくなるかもしれない。そんなことを考えながら、一年前の私と向き合っているわけ。