mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

陣笠のシニシズム

2015-07-28 07:13:07 | 日記

 安保法案の審議が参院に移ったが、それよりも何よりも、私は自民党の国会議員に対する「規制」がイヤな感じである。TVに出るな、アンケートに応えるなと「引き締めに懸命」というのであるが、彼ら国会議員は自らを何だと思っているのだろうか。「国会議員が国民の違憲を代表する」というのは、「党が代表する」というのとは全然異なる。不祥事があって比例区選出国会議員の辞任が問題になるときも、「党を除籍/離脱」しても「国会議員資格」を失わないのは、個々の人が「代表している」とみているからである。

 

 55年体制のときの自民党は、それこそ論議百出といわれるくらいピンからキリまで意見が分かれた。つまり、政権に結びつくメリットだけで野合していて、その分、派閥に分かれていわば「内々のかたち」で論議をしていたとみることができる。それが内部の力関係の変化を醸し長期政権のエネルギーに転嫁していたと言える。それでも大きな問題を抱えたときの「引き締め」はあったし、野党からすると「陣笠代議士」と呼ばれる形がよくみられた。とどのつまり日本の民主主義は「数」ではないかと言われる「常識」が広がったのも、この「陣笠」のおかげである。

 

 これが「同調圧力」と言われて、日本社会の集団規範の悪評例になるほど非難されてきたことは、良く知られている。ことに日本社会が高度消費社会に移行したころから、個性が強調され、「同調」が非難され、オンリーワンが歌になるほど固有性が尊重されるようなご時世になった。だがやはり、それは「文化の変化」と呼ぶにはまだまだと言わねばならないほど、表層だけの変化だったようだ。

 

 この(個別性尊重の)表層は、経済社会の付加価値創出現場にだけ通用するコトと言いかえることができる。言葉を換えれば、創造的なエリートにおいては「オンリーワン」が大切であるが、それにしたがって作業をする「労働力商品」とすると、従順で同調的な低賃金を受け容れるものがよいと、はっきり区別している。アベノミクスをみていると、その仕訳をしながら、雇用する側が自在性を獲得し有利に事を運ぶ制度設計へと移りつつある。あきらかに雇用される側が不安定になる方向へ舵を切りつつある。「オンリーワン」という社会的掛け声が、そのような制度設計に利用されていることを、忘れるわけにはいかない。

 

 それを「代議士」が証明してみせた。自民党の衆議院議員に対する党の規制が受け容れられて、皆さん「同調」している。まさに「陣笠」に戻った瞬間である。これが参院に移って、同じ場面を繰り返すのだろうか。「同調圧力」を非難していたいじめ問題に取り組む議員たちが、これにどう「反抗」したか聞いてみたいものだ。

 

 私は陣笠に期待はしない。彼らは頭数であり、とどのつまり自分の意見を確立し公表し大衆の意見にしていくことを「執行部任せ」にして、「数」として右往左往するだけの金食い虫である。むろん、かつての戦闘では「陣笠」はそれなりの力を発揮した。「執行部」の戦略戦術の手足となって、人々を動員する人力としてである。公明党も、けっきょく自民党の手足をなって、細々と命脈をつないでいる一派閥に過ぎない。

 

 戦後70年の総決算をみたところ、結局ほとんど一歩も動いていなかったという慨嘆は、世界や世間に対してではない。己に対するシニシズムである。やめたやめた。山に籠って、座禅でも組まねばならないのかもしれない。