mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

ほんとうに徒然なるままに、よしなしごとを、だね

2015-07-12 17:45:32 | 日記

   
 ちょっと小さな集まりがあった。12年にわたってある会の会長さんをなさってきた方が、後輩に席を譲った。80歳を超えたとは言え、まだまだかくしゃくたるものだ。ご当人は「なにも力になれなかった」と感想を述べていたが、なかなかどうして。人が良く、穏やかな語り口、なにより体を動かしていろいろな場に馳せ参ずる行動力。そしてその空洞のような構えがあったからこそ、百鬼夜行とまではいわないが、周りの様々な思惑を「いつの間にかなんとなく」ひとつにまとめ、取り巻きの事務局と執行部は思いのままに動いて、会をつづけてくることができた。その旧知の懇意な人たちが集まり、小さな感謝の会をもうけたのだ。その会長を務めた方のそばにはいつも奥さんが顔を出していた。同じくらいの年の奥さんは、旦那の面倒を見るために同行している(つもりな)のだが、傍から見ていると、旦那が奥さんの面倒を見るためにへばらないで頑張っているようにみえる。夫唱婦随というところか。

 

 懇意な人として集まったほとんどの人は、現役の仕事を引退している。60歳代の半ばから80歳代前半くらい。動きも緩やかならば、話しぶりも、飲み食いもおっとりしている。おおむねここ20年くらいのことをつい昨日のことのように思い出しては話を切りだす。5年前から加わったという人もいる。

 

 私はじつは、その会の「くっつきの・を」のような立場にいる。ほかの方々は執行部にいたり、ほぼ毎週のようにあちらこちらで開かれる「探・会」のリーダー役を務め、参加する一般の方々の案内をしている。たまたま私のカミサンがその役をやっていて、私は、「くっつきの・を」として会員になり、ときどき、その懇意な方々と一緒に国内各地へ「探・」に出かけたり、コスタリカやアラスカへ連れて行ってもらったりした。要するにカミサンの縁で「くっついて」つながっている「を」なのだ。だから、ほんとうに久々に顔を合わせる方が多い。なかには初対面で、紹介されていろいろと話を聞いてきた方もいる。

 

 その中の一人に、ブログをアップしているという方がいた。はじまりは得意のアンプのあれこれをつくったり批評したりしていたが、この会に入ってからはもっぱら写真。鳥や動物、植物の写真を写して紹介しているらしい。サイトをみている人に聞くと、一般の鳥写真と違って、鳥の表情が生き生きとして見える、さらにそれにつけられた言葉がいい、という。そうか、そういう目を持った人なのだ。話を聞いているとカメラのあしらい方も、並みではない。TV放送を仕事としてきたというだけのことはある。ところが彼が、ブログは2年半の寿命という。ブログを開いている人は、たいてい2年半でネタが尽きて後は放置されたまんまになるという「常識」があるらしい。そうして彼は公園にってみても鳥の姿もいつもと同様で、写真もネタ切れと述懐する。


              
 そうか。カメラがあるのだから、公園なら鳥ばかりでなく、小さい子どもを見るだけでもいくらでもショットを狙うことはできるではないか。子どもの表情もある。小さい子と小さい子同士の関わり合いをテーマにすると、もっといろいろと面白い。母と子とやるとまた違った局面が見える。子を介して母と母のかかわり方を眺めると、さらに面白いのではないかと(私は)話す。彼は苦笑いをしている。そこまでブログにこだわっているわけではないと言いたいのか。

 

  彼が訊いてきたので、私のブログはもう8年の半ばを経つつあると明かすと、それはすごいという。ただし文章だけ。カメラは記録として用いるが、ブログにアップはしない。なぜ? う~ん、なぜかわからない。そこまで踏み込んで考えたことはない。私の文章を、「センテンスが長くて、読むのがつらい」という友人がいた。別の友人は、「文章の息が長いけど、なじむと、結構読みごたえがあることを言っている」と評した。私は、なるほどといつも聞いているが、ちょうど体質のようなもので、そう簡単に変わらない。いずれ、なぜ? に応えるようなことも考えなければならないなあと思ったが、「まあ、一杯」というお銚子の傾きに、すぐに忘れてしまっている。

 

 ほんとうに暑い日だったが、昼間からお酒を飲んで、御馳走を食べて、夕食も摂らずに休んでしまった。夜中に目が覚めて本を読んだりしたから、昼間眠くて仕方がなく、やっと今ごろになってこうして書きつけている。ほんとうに徒然なるままに、よしなしごとを、だね。