mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

雨は神の思し召し

2014-06-08 17:32:17 | 日記

 一日雨。これくらい降ると、いかにも梅雨らしい。ポコポコと顔を出した庭のシソの葉も、小さな水玉を乗せてゆらゆらと風にそよいでいる。ひところの暑さでぐったりしていた山椒の葉も、間もなくさなぎになりそうな蝶の幼虫を枝に着けながらも、きりりと姿勢を正し、ときおり落ちる雨粒に揺らいでいる。雨は植物にとって、我が世の到来を告げる神の思し召しなのであろう。

 

 田島が原の植物観察をするカミサンを送っていくついでに私も、そのあたりをうろついてみようと車を出す。静かな公園の駐車場には、ポツンと1台止まっているだけ。降りてサクラソウ園地に入ろうとして、水がたまっているのに気づいた。さすがにカミサンは、ちゃんと長靴を履いている。これじゃだめだと、田島が原をあきらめて、ピクニックの森にフクロウを海に行くことにした。カミサンは待ち合わせて友人と、長靴のままで、園地に入る様子だから、ここで別れた。

 

 ピクニックの森の駐車場は、すでに何台かの車が止まっている。何やらイベントもあるらしく、何人かの人が傘をさしてたむろしている。私は、そそくさとフクロウのいるあたりを目指す。

 

 このフクロウは毎年、ここの森で出産する。枯れた大木のうろを住処にしていたが、それが倒れたものだから、いまはどなたかがしつらえた、巨木に掛けられた、やはり大きな枯れ木の幹をくりぬいた巣箱で育てていたらしい。先月3羽のひなが巣立ちして、目下子育て中。

 

 ところが今日は、いつもならいる望遠の砲列を構えるカメラマンが一人もいない。回遊路には水がたまり、防水の利いた軽登山靴でも、ちょっと歩くのははばかられるほどだ。立ち入り禁止のテープを張った森は、生い茂る木々の葉と蔦と下草に埋もれてひっそりと雨を受け止めている。

 

 先月初旬に、フクロウの親鳥がいたあたりを除いてみる。森の木々が葉を茂らせている間を見通す、その先に伸びている枝に、ポツリと止まって目をつぶっていたりあけていたりしたのだが、むろん同じところにはいない。雨が蕭蕭と降り注ぐ。シジュウカラの声がツピー・ツピーと響く。ティーピュリリュリーッとにぎやかにガビチョウがうたい、エナガが声もなく小さい体を飛びかわしている。

 

 長靴を履いた方が森を覗きながらやってきて、「いませんよね」という。彼の話では、一昨日、この森の裏側の方に3羽のひな鳥はいたらしい。雨が降りつづくようになって、親鳥がまだ満足に飛べない雛を連れて場所を変えているようだ。昨日は見つからなかったと言い、今日も、森の中に踏み込まないとみられないとぼやく。「あなたは長靴なんだから、踏みこめばいいじゃないか」というと、「この長靴の七分目まではいっちゃうくらい(水が)溜まっているからねえ」と、尻込みする。20分くらいうろうろしてみたが、あきらめて帰ってきた。

 

 雨に濡れた森は、やはり神の恩恵を受けているかのように、青々と勢いづいているように見えた。


道楽の極み

2014-06-07 16:51:41 | 日記

   昨日は、弟Jの友人たちが主催する「酒宴 Jの会」。いわゆる、故人を「偲ぶ会」であった。100人ほどの人たちが50坪ほどの「会議場」に集まり、料理を持ち込みお酒を用意して、3時間近く語り、歌い、飲んで食べる集まり。

 

 会場には、等身大のJの顔写真人形が設えられている。彼がよく着ていたTシャツにパーカーを着てディレクターズ・チェアに座る。ズボンを履いた脚を組み、手元には、四万十川へ行くといつも飲んでいた好みの栗焼酎の一升瓶を抱えている。いうならば、Jの依代だ。彼の魂がそこに降りてきて、前にきて声をかける人と言葉を交わしているような気配さえ漂う。

 

 Jがかつて勤めていた会社の同僚を中心に、仕事上かかわりのあった人たち、その行きがかりで深い付き合いをしていた家族の子どもが、すでに成長してカメラパーソンになり、あるいは、Jの子どものころの活動の助っ人に入ったかかわりでその後20何年も行き来のある人などが、あちらこちらから集まってきていた。

 

 私は、「親族 ○○○○」という名札をもらってぶらさげ、正面に座るJの奥さんと息子とは別に、多数の人に紛れ込んで、会の進行をみていた。名札を見て「お兄さんですか」と声をかけられ、あいさつをした人も、何人かいる。その方たちは、Jとの出会いと、その間に味わった人柄の味わいとでもいう感触を、思いを込めて聞かせてくれた。

 

 だがこの集まりは、決してしんみりしていたりはしなかった。何だか昔の仲良したちが何十年ぶりかで顔を合わせ、やあやあといいながら、てんでに酒を飲みおしゃべりをし、実際に歌ったり踊ったり、にぎやかに過ごしていた。Jにつながれた人たちのネットワーク。要の部分に、すでにいなくなったJの代わりにJの息子と奥さんをおいてはいる。だが、Jの人形と一緒に、ワイワイと酒を酌み交わしている日ごろの様子が再現されているようであった。

 

 私はふと、Jはいわば「ハレの場」を仕事の日常としていたことに気づいた。岩登り、山歩き、スキー、アウトドア、川遊び、釣り、カヌーと、仕事の領域で手掛け、取材に歩き、それらにかかわる人たちと行動を共にしながら、雑誌の編集や写真集の刊行や、スキー場の設計や、川遊び教室の開催などに至るまで、思えば、高度成長した日本社会の生み出した余剰を、いかに謳歌して堪能するか、そのノウハウを手とり足とり拾い上げて広く人々に配り続けてきた。そういう仕事であった。

 

 私たち上の世代からみると道楽の極みばかりである。だが、それを職として営業し、かかわる何百人という人たちやその家族を食わせていくとなると、片手間でできることではない。少なくともここに集まった人たちが、生涯をかけて取り組んで、なお、沈むことなく泳ぎつづけてきているのだ。

 

 道楽集団のつねらしく、きっちりした型を踏まない。開場時間の1時間前から手伝っていたスタッフは、開会前すでに、お酒で顔を赤らめている。到着する客人たちも、どうぞご自由にという声に促されて、コップを手に持ち、そちらこちらでたむろして歓談し、あるいはJ人形のところに寄って呼びかけ、すでにてんでに、「酒宴」ははじまっている。開会を宣言する進行役のあいさつも、雑踏のようなおしゃべりの声にかき消されかねない様子であった。

 

 さすがに、Jの息子があいさつをした時は、しんとして聞き入った。Jの息子のあいさつは、Jの仕事とその仕事仲間の「かんけい」をよく見て取っているように、すうっと聞く者の心に入り込んでくる率直さと響きを湛えていた。私は、私の息子がこれほどのあいさつをすることができるだろうかと、思ったほどであった。

 

 まるで湿っぽさがない。久々に再会した同胞が旧交を温め、喜びに満ちて言葉を交わす場面がそちこちにみられた。Jがテキスト出版を手掛けたという、沖縄の三線の師匠がしみじみと歌いはじめ、やがてにぎやかな曲に移り、みなが手拍子を打って唱和し、前に出てきて踊り始めるころには、Jとの親交を偲んで、にぎやかに酌み交わす会になっていたように思った。あっという間に2時間半が過ぎた。Jの会社を継ぐことになったスタッフが最後のあいさつをしている時になって、Jの息子がうつむいて涙しているのが目に入った。

 

 終了の声とともに、スタッフが机の上のものを片付け、床を掃除し、机を並べ替え、椅子をひとつひとつにおき始めて「会議場」であったことに気づいたのだが、彼らはこのあと、この会場から5分ほど離れたJの会社に行って二次会を行うと話している。たくさんの荷を、手ぶらでなくもって行ってくれと言うスタッフの(悲鳴のような)訴えの声が響いていた。

 

 私と兄は、おおむね部屋が片付いたのを見て、失礼を詫びて早々に退出したのだが、彼らのあの勢いでは、夜を徹して「酒宴」が続いたのではないかと、思われた。こういう交遊も、やはり、道楽の極みだと思った。


「こころ」は「かんけい」を感知する感性

2014-06-06 08:49:14 | 日記

 いよいよ梅雨に入った。といっても霧のような小雨。何時間かかけてやっと地面にお湿りが降りる程度だから、むしろ、昨日までの暑さが和らいでありがたいくらいだ。湿っぽさも、このくらいなら気にならない。

 

 とはいえ、TVでは、大雨と洪水を報じている。高知県の窪川では575mmの降水という。そちらに住む友人がいるカミサンが電話をする。すると、カミサンの故郷のことを知っている彼の人は、檮原は降らなかったという。つまり太平洋岸の局地的な豪雨、四国山脈の背骨の山間部には及ばないらしい。ヘンなのか、そういうことを私が知らなかっただけなのかわからないから、コメントはできないが、何につけ現象が極端すぎるという印象は、たぶん間違いない。昔なら天の啓示を読み取ったに違いない。

 

 イーディス・バールマン『双眼鏡からの眺め』(古屋美登里訳、早川書房、2013年)を読む。短編集。著者は1936年生まれのアメリカ人。O・ヘンリー賞を何度も受賞しているというから、彼の国では著名人なのであろう。タイトルにひかれて、図書館の書架にあったのを手に取った。

 

 冒頭に置かれた「上り線」は、繁華な都会地で両親とはぐれた子どもの不安と親の慌てぶりを素材にとって、子どもの知的なかたちがかたちづくられていく過程を、街の人々の日常的な振る舞いの中においてみている。はぐれた子どもと親の間に交わされる行動予測的な期待、それがかなわなかったときの仄かな不安、それを上手に掬い取って、みごとに描き出している。O・ヘンリー賞受賞ということは読み終わってから知ったのだが、テーマや表現のさりげなさを考えると、さもあらんと思った。

 

 「双眼鏡からの眺め」も意表をつく顛末が、子どもの目を通した世界の枠をはみ出すところに設えられていて、面白い。

 

 そうして最後におかれた「自恃」。自らを恃(たの)みとするというのは、「自律/自立」という近代の色あいを帯びた言葉よりも、はるかに内面の自律性を表している。「自ら深く苦しむ者には、神すらも笞を振り上げはなさらない…ような…自恃」という里見の言葉遣いが似つかわしい。この短編は、人が迎える終末がどのように彩られた道程をたどるのか、ふと思い返したくなる奥行きを湛えている。

 

 読んでいる間、私の胸中に揺蕩っていたのは「こころ」とはなんだろうということであった。親とはぐれたことの不安、雑踏の中に子どもを見失ったとき親の心理に兆す「しまった」という罪障感、あそこに行けば行き会えるという仄かな確信ともし会えなかったらという心配、これは「こころ」の働きである。ということは、「こころ」は「かんけい」を感知する感覚ではないか。哲学者は「間主観性」ということばを使って、人と人との間に生じる「観念」や「感覚」の共有される様を示すが、それはまさに、「かんけいを感知しているこころ」のことではないか。

 

 「こころ」が心臓にあるというのは、心臓が停止したら命が絶えることからくる身体的な実感だと、何かの本で読んだ。あるいは、「こころ」は脳であるというのは、「こころ」が「意思的な働き」をすることまで含めた概念として提出されているからであろう(古田徹也『それは私がしたことなのか』新曜社、2013年)。

 

 だが、「こころ」を「かんけいを感知する感官」ととらえると、「意思」とも切り離されて、明快になることがある。人とのかんけいに「あったかさ」感じたり「つめたい」と思ったりするのも、「心の感性」が働いているからだ。「こころ」は皮膚の表面に宿っていると、どなたかがどこかで書き記していたが、その感触も、「かんけいを感知する感官」とみると、ぐうんと身体性に近くなって、実感にそぐう。

 

 イーディス・バールマンの短編集は、そうした肌の表面に宿る「かんけい」を取り出して不安や不思議の感覚を描き出し、それが「認識」とか「知的な意識」とに結びつくことによって意外性に至ったり、「かんけい」の安定に落ち着いたりする、知性と心の結びつきを一貫するテーマに据えているように思った。こころ洗われる本であった。


「祈り」ということ

2014-06-05 09:35:28 | 日記

 第8回Seminarの報告を書き記していて、ふと立ち止まったところがある。これでは正確には通じないな、と思いながら、でもどう表現していいか、わからない気分であった。講師の「信心」とか「信仰」に向かう態度から感じた私の所感の部分だ。

 

《自己批評性をもっているというか、自分の考え方や「信念」を突き放してみる、外部の目をもっている。そのようなあり方をしているときに、心の中に積もり溜まる「なにか」を、[祈り]を通じて[自然]への感謝を捧げることで、保ち続けようとすること、と感じた。》

 

 まず、《心の中に積もり溜まる「なにか」》とはなにか。

 

 「般若心経」は、とどのつまり苦も楽もない、と述べている(と私は理解している)。だが、私たちが生きている間にもつ「かんけい」では、「迷惑」をかけもしかけられもしている。目に見えることもあれば目に見えないところでそうしていることもある。また、そのときとところによって、「迷惑」になったり「気遣い」であったりもする。それがよかったかそうでなかったかも、価値観や受け取る立場、それを眺める時点や地点によって変わってくる。

 

 少し具体的にいうと、私は長く若い人たちの教育にあたってきた。定時制の高校生や全日制の高校生、最後には大学生を教えてきたが、基本的に学校の教師は「近代に適応することを推奨する」役割を果たしている、と考えてきた。

 

 それはしかし、時代を追うごとに過酷な「適応」を若い人たちに要求することが多かった。定時制の生徒たちには、成育環境のもろもろの事情によって「適応」が順調にいかなかった子たちが多かった。また大学生にしても、20歳ころまでのさまざまな事情によってであろうが、やはり「適応」がうまくいかず、それを己の内心に抱えて四苦八苦している人たちもいた。

 

 むろん学校のありようからすると、適応している方が優秀であり、多数派でもあった。それが進学や就職で「成果」として目に見えると、教師に対する周囲の評価もあがる。悪い気がしなかったこともある。

 

 しかし、教師が目にしている学校生活の日常では、四苦八苦する生徒の方に視線が向く。彼は何につまづいているんだ、彼女はどうして化粧やピアスなどばかりに気がむいているんだ、どうして彼らは果てしなくルーズで遅刻ばかりするのだろうか、まるで勉強が手につかないのはなぜだ、と。他方で彼らが文化祭や体育祭、球技大会や校外行事などで生き生きと活動しているのをみると、彼らを受けとめる社会の人間評価の仕方の方がイビツなのではないか、その社会をつくってきたのは自分たちではないのか、とも。

 

 その適応不全の生徒たちをみていると、適応を強要する方が悪いのではないか。適応できない在り様の方が自然なのではないか、と思うことも多かったのである。

 

 この戸惑いは、つまるところ、近代学校における教師の「原罪」を感じていたのだと言える。

 社会に適応しないでは生きていけない生徒たちを教育する仕事は、果てしなく自分を作り変えていく軌道に生徒を乗せることである。だが、ひょっとすると、適応できない生徒のありようの方が、大自然の人間のありようを反映しているのではないか。それは近代そのものに対する疑問であると同時に、自分の内部に、(今の)近代に適応したくないと感じてきた、人生数十年の経験的実感も込められている。

 

 そのような(社会に対する)違和感を、いつごろから抱きだしたかは別に取り上げるが、すべての仕事を終わって世の中を見てみると、経験的実感がさらに強く感じられるようになった。この、何がいいか悪いかは一口で言えない日常の営みにもつ戸惑いが、心に降り積もる「なにか」である。

 

 その「なにか」は、すでに過ぎ去ったことではあるが、忘れ去ることはできない。と言って自分でそれに対するなにがしかの「つぐない」をして、浄めることもできない。そもそも浄めることが忘れることにつながるとしたら、それこそ罪深いことではないか、と思う。

 

 人が生きるということが、そうした「原罪」をどうしようもなく積み重ねることだとしたら、「すまないことをしてきたなあ」と詫び、そのようにして生きてくることを許容してくれた「かんけい」の幸運と寛容とに感謝しつづけるほかない。それを「祈り」というのではないかと思ったのだ。

 

 この「祈り」の意味に気づいたとき、生きるということを、苦とか楽とか、理解するとか無知であるとか、偏見をもっているとか客観的であるとかいうこと自体、どうにでもいえ、それぞれに事情と理由と根拠をもち、それに分け入ることなしに価値的に結論を出してしまうことができない、と思う。つまり、「祈る」以外に、我が身の実在したことが犯してきた罪を感じていることの証はないのである。

 

 「小さいことはどうでもええが」「救いを求めることには何のご利益もない」という講師の祈りへの「信念」が、このあたりにあるのではないかと、思いあたった次第である。


第8回 aAg Seminar 報告(3)

2014-06-04 10:48:41 | 日記


★ 教説の神髄――個別の真実に語りかける

***my 「死後の世界はこういうものではないかと、解釈を述べている。単なる思想として述べているだけ。そういうものとして受け止めればいいんじゃないか。どういうことで此の世が成り立っているのかわからん、といっている。」
***hm「そういうことなのか。」

***sy「それにしても信者が多すぎない? 葬式の儀式につながるから、広がったってこともある」
***fk「ブッダがこうした教説を広めようとしたことはない、目の前の人の苦を取り除こうとしただけって言われている。釈迦にしてもソクラテスにしても、言葉で語りかけているけれども、普遍的な何かを書き残すってことをしたことはないって、いうじゃない。つまり、語り掛けるときとところと相手とにおいて、瞬間瞬間に真実はある、瞬間瞬間にしか真実はないよ、といっている。それが、「色即是空、空即是色」なんじゃないかと僕は思う。つまり、聞いた誰かが後でこれこれが真実じゃないかと、ことばに書き留めたときに、普遍的なこととして受け容れられたんだと思う。」

***hm「現実世界の解釈としてなら、よくわかる。それをね、死後の世界がどうだということとかかわらせるから、わかんなくなる。」
***ts「坊主も稼ぐためにやっている話だと。」
***fw「これを利用しているんだね。」

* (私たち自身が、広まった教説を「普遍的な真実」と理解する傾きをもっている。しかし、釈迦にせよ、キリストにせよ、真理を説いた人と言われている人たちは、ほぼ例外なく、口説(くぜつ)のひとである。その場、そのとき、その人に向かって話したことが、伝聞と物語に彩られて「普遍的な真理」として伝えられてきている。私たちが理解するときに、それを今度は、いま私が、ここで、聞いていることと受け止めると、俄然、教説の彩が違ってみえてくる。hmくんの「現実世界の解釈としてなら、よくわかる。」というとらえ方が、これをあらわしていると思った。)


★ 自分に向き合う


km:この人のお母さんが、浄土真宗の信者だのに般若心経をあげられるって聞いて違和感があったんよ(浄土真宗は般若心経を唱えないっていわれてきたから)。(わたしは)浄土真宗だから浄土三部経って思い込んできたんじゃないかと思うと、この本(般若心経)も読んでみればいいんじゃないかと思うようになった。気持ちが安らぐんなら、どちらでもいいんじゃないかと思った。「羯諦羯諦……」という呪文も、慰めになるんなら、それはそれでいいんじゃないか。私は口をついて南無阿弥陀仏っていうて、心が落ち着くことがある。脳梗塞が起こるから気をつけなきゃならんとおもうと、南無阿弥陀仏っていいながら風呂に入る。人並みの生活をしてきてな。それでもな、風呂に入る瞬間に、不安に思いよんじゃな。その瞬間は苦に思いよんじゃな。

***fk「ブータンいったときに、豪勢な仏間がある。でもお位牌はない。曼荼羅や観音菩薩を飾ってある。死んだら川に流す。それは、この世に執着がないってことだよね。」

km:浄土真宗だって、そうだよ。過去帳があればいいんで、仏壇だっていらん。

(お清めの塩もいらない。)(戒名って、日本だけのモノよ。)(金儲け)(仏壇も墓地もお金儲けよね。お葬式いうと、お寺さんが来て。)
km:仏壇やお墓はな、仏縁をいただきなさい。愉しく楽に生きなさいっていうことなんじゃ。

***sy「マイナス思考の人が頼るんじゃない?」
***my「いや(般若心経は)、世界の解釈を淡々と述べているだけであって、頼るとか頼らないとか、そういうもんじゃない」

★ 日常を照らし出す言葉

***fk「スマナサーラさんが述べていることに、「無」を説く般若心経は生きる希望を取り去るようなことだと非難している。だけど、そうか。平々凡々たる日常では何も感じないことでも「無」という地点から見つめなおしてみると、急に、周りの人のお世話になって、ありがたいことだと見えてくることもある。ふだんは何でもないことと思っていたことが、大変な数の人々の関係に包まれて成り立っていることだと見えるようになる。そういうふうに生きているってことが見えてくる。そうでない何かに出逢ったときに気づくってことだと。「空即是色」ということも、目に見えないことが起ちあがって見えてくる。」

***hm「おれは信心なんて言葉は好きじゃないが、毎日毎日自分の日々を確認していくというところね、「自己確認」が仏教のなかにもあって、やってきてんじゃないかと思う。」

***fw「今も、毎日お経をkmさんはあげてんでしょ?」
km:私な、毎朝じゃないけど、日曜祭日にお寺さんに行って正信偈をあげる。築地本願寺のそばに住むようになったから、元気になれば行こう思うとんよ。
***fw「私は、感心してたんよ。いつも、あきもせず(仏説の本を)読んでる。」
***ts「いろんな解釈ができて、人それぞれでいいんじゃないのかな。」

*(「信仰」とか「信心」ということを考えさせられた。般若心経を浄土真宗の信者が読むことに感じた「違和感」を、講師のkmさんは「浄土真宗は浄土三部経」という自分の執着にあるのではないかと考えて、般若心経を読み始めたという。それは、自己批評性をもっているというか、自分の考え方や「信念」を突き放してみる、外部の目をもっている。そのようなあり方をしているときに、心の中に積もり溜まる「なにか」を、[祈り]を通じて[自然]への感謝を捧げることで、保ち続けようとすること、と感じた。hm君のいう「自己確認」も、kmさんの「自己批評性」にちかい、自分に対する態度だと、思った。)


★ どういう物語りに私たちは生きているのか

***fk「スマナサーラは、上座部仏教は直伝だというが、口伝であったかどうかは別として、それらしく物語としてつくってきたでしょ。大乗が物語りというのなら、上座部も同じなのよ。ということは、同じ物語としてお経を読むのであれば、どちらが自分にとってふさわしい物語りかということで、見てとればいいのではないか。」

km:大乗と小乗は、乗り物の違いをいうとるんじゃ。大乗はたくさんの人が乗れる(救われる)、小乗は厳しい修行を積んだ人しか乗れない(救われない)ってこと。
(小乗って差別語だよね)(そうか、そういう乗り物の違いってことか)

***fk「小乗と大乗の違いはカトリックとプロテスタントとの違いに通じるよね。ところが、小乗のタイなどでは仏教に対する敬意の表し方と大乗の私たちにとっての仏教の受け止め方とでは、大きな違いがある。お坊さんを大事にする。それはなぜ、どうしてなのか。単なる葬式仏教になっちゃってる。」

km:日本は豊かになったから、仏教に救済を求めなくなったんじゃろうか。

***sy「経済発展したからな、日本は。タイは仏教に縋り付いてるんじゃろう?」
***fk「タイの人たちが仏教に縋り付ているとは思えない。仏教や僧侶に対して真摯で誠実でしょ。」
***sy「経済のレベルがあるよ。日本は豊かになった。」

***hm「仏教で悟りの境地ってあるの? 禅宗は修行するよね。」
(千日回峰行もあるし、四国のお遍路というのも、そういう修行の名残が見えるよね。)
km:悟りを開いたのは、御釈迦さんだけ。親鸞さんは厳しい修行の延長上に悟りの境地があるって、考えなかった。

***ts「仏教は何で西に広がって行かなかったのかな」
km:中国は文明が発達してたから、そちらへ向かったなんじゃないか。
***ts「わからないことがなんでありがたいん?」
km:分からないから、ありがたいんじゃない?  わかってしもうたら、なんもありがたみがないようになる。
***fk「わからないことに、超越的な何かを感じとっているんじゃないか」
***hm「そうか、漢字か」

* (「修行を積む」というのは来世に善きことがありますようにと思ってやることじゃない。厳しい修行を積むことが「悟り」に役立つという趣旨で「修行」というのは行われるのであろうが、誰もが同じように厳しい修行に耐えられるわけではない。そこから、修行を積む上座部と修行をしない者のことも考える大衆部の違いが生まれたと言える。とすると、修行者と非修行者との間をどうつなぐか、という「論題」が発生したであろう。それがどうであったかはともかく、修行者と非修行者の区別が貫かれたタイで仏教への敬意が強く生き残り、いずれも大衆化してきた日本で、仏教への敬意はなくなり、葬式仏教と言われるようになってきた。その違いは、たいへん面白い問題を提示しているように思った。簡略にいうと、僧侶と一般大衆との「かんけい」がフラットになってきた日本で、超越的なこと(神秘的なこと)への経緯が蒸発し、両者の峻別が厳しくとりあつかわれてきたタイで「敬意」が残り続けるというのは、人間の精神性の不思議を示していると思う。)


★ 「悟る」とはなにをどうすることか


***sy「kmさんは死に対する恐怖とか、楽になった?」
km:むかしからそんなに深刻に考えておらんかったから、楽になったかどうかはわからんが。だけど、そんなに長く生きられんのに、何をくよくよすることがあるんじゃと思うようになった。他人の猫が死んでも哀しくないが、私のそれがなくなると哀しい。それが執着だと思う。思う通りにならん。どうすりゃそんなにいつまでもくよくよ思うてって。私は私で勝手にさせてもらう。わりいことはないんじゃ。

***fk「あらゆることが、私の……ってことでしか世界を見ていない。自分のポジションからみているのを、みなにとっていいと表現しているだけではないのか。」
km:それはいけん、言うてるんよ。
***hm「いいとか悪いとかではなくて、俺が感じたり認識したりする以外に……ものの見方ってのはないじゃないか。」
km:そこを抜け出なさいって、ここに書いてあるんじゃ。ああ、私いいこと言うたな。それが結論じゃ。私結論が分かったよ。
(hmくんは苦しんでないんだから……と傍らから声。)

***fk「退職してからすっきりそのあたりが見えるようになったって、思う。」
***ts「あるがままできているから、わかんないよ」

***fk「あるがままで来ていても、いろんな幸運に恵まれて、いまここにあるって、思うよね。事故にせよ病気にせよ、自分のことにせよ自分の家族のことにせよ、さ。」

***ts「輪廻ってことは出てこないね」
***fk「ネパールの人は輪廻を切実に受け取っているよね。」
***hm「ヒンドゥから来ているよね、輪廻って。」
***fk「御釈迦様は散華っていってる」
(華と散る、か。)

進行:時間が過ぎました。ありがとうございました。

* (良し悪しではなく、人は結局「いまの、自分の位置からモノ・コトをみている」という事実がある。それを、生きる上での「業」と読んでもよかろう。「業」は、必ずしも悪いことではない。我がことと考えるから、モノ・コトに真剣になれる。真摯に向き合うこともできる。我がこととは考えないから、みていられない悲惨な出来事や暮らしぶりにの中に置かれた人たちがいることも忘れて、歌ったり踊ったりすることもできる。むろん喜びも悲しみも、どうしていいかわからないような哀切さを感じることも「業」あるゆえである。それを執着だとみると、生きることの悦びは執着の中にあり、悲しみもまた執着の中にある、と言える。痛切さを忘れていられるのも「業」ゆえだ。だからそう簡単に「苦」から離脱すると言えないのだ。
 その「業」から抜け出さない限り「執着」から自由になれないというのが、「解脱/さとり」の教えだとすると、その両者の間には、ものすごいギャップがある。そのギャップをどうやって跳躍するか。それが「修行」であったり「他力本願」であったり「信心」であったりするのだと思われた。
 だが考えてみると、「死ぬということ」は、「業」から解放されるということでもある。「いや、よく生きてきた、お前さん。ここまでの喜びも悲しみも、苦も楽も、思い返せば華ですよ。死ぬということは散華、華と散ること。次の世代にバトンを渡したってことを思えば、散ってしまうのは、心地いいことではないか」というのが、釈迦の心境であったろうか。
 講師のkmさんは「信心」の道を歩みはじめている。[理解]しようとか、自分流にわかってしまって得心している私たちをしり目に、「そんなことはどうでもええが」と恬淡としている。
 だが、果たして「解脱/悟り」の跳躍が必要なのかどうかも感じていない私たちは、「どうでもええが」と思えないまま、それこそ「業」を抱えたまんまで、一歩一歩「現実」の階段を踏み歩くしか方法がない。つまり、「解脱の世界に跳躍」する、超能力的な瞬間移動ができないから、現実世界のコトゴトを、なぜ? どうして? と思い煩いながら、よろこんだり悲しんだりしながら、死への歩みをつづけるのだ。そのときひとつ、「死は散華である」と頭で(死の意味を)識ることが少しばかり、我が心を「執着」から引きはがしてくれるような気もする。
 そんなことを考えさせてくれたSeminarであった。)    (報告・おわり)