mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

雨は神の思し召し

2014-06-08 17:32:17 | 日記

 一日雨。これくらい降ると、いかにも梅雨らしい。ポコポコと顔を出した庭のシソの葉も、小さな水玉を乗せてゆらゆらと風にそよいでいる。ひところの暑さでぐったりしていた山椒の葉も、間もなくさなぎになりそうな蝶の幼虫を枝に着けながらも、きりりと姿勢を正し、ときおり落ちる雨粒に揺らいでいる。雨は植物にとって、我が世の到来を告げる神の思し召しなのであろう。

 

 田島が原の植物観察をするカミサンを送っていくついでに私も、そのあたりをうろついてみようと車を出す。静かな公園の駐車場には、ポツンと1台止まっているだけ。降りてサクラソウ園地に入ろうとして、水がたまっているのに気づいた。さすがにカミサンは、ちゃんと長靴を履いている。これじゃだめだと、田島が原をあきらめて、ピクニックの森にフクロウを海に行くことにした。カミサンは待ち合わせて友人と、長靴のままで、園地に入る様子だから、ここで別れた。

 

 ピクニックの森の駐車場は、すでに何台かの車が止まっている。何やらイベントもあるらしく、何人かの人が傘をさしてたむろしている。私は、そそくさとフクロウのいるあたりを目指す。

 

 このフクロウは毎年、ここの森で出産する。枯れた大木のうろを住処にしていたが、それが倒れたものだから、いまはどなたかがしつらえた、巨木に掛けられた、やはり大きな枯れ木の幹をくりぬいた巣箱で育てていたらしい。先月3羽のひなが巣立ちして、目下子育て中。

 

 ところが今日は、いつもならいる望遠の砲列を構えるカメラマンが一人もいない。回遊路には水がたまり、防水の利いた軽登山靴でも、ちょっと歩くのははばかられるほどだ。立ち入り禁止のテープを張った森は、生い茂る木々の葉と蔦と下草に埋もれてひっそりと雨を受け止めている。

 

 先月初旬に、フクロウの親鳥がいたあたりを除いてみる。森の木々が葉を茂らせている間を見通す、その先に伸びている枝に、ポツリと止まって目をつぶっていたりあけていたりしたのだが、むろん同じところにはいない。雨が蕭蕭と降り注ぐ。シジュウカラの声がツピー・ツピーと響く。ティーピュリリュリーッとにぎやかにガビチョウがうたい、エナガが声もなく小さい体を飛びかわしている。

 

 長靴を履いた方が森を覗きながらやってきて、「いませんよね」という。彼の話では、一昨日、この森の裏側の方に3羽のひな鳥はいたらしい。雨が降りつづくようになって、親鳥がまだ満足に飛べない雛を連れて場所を変えているようだ。昨日は見つからなかったと言い、今日も、森の中に踏み込まないとみられないとぼやく。「あなたは長靴なんだから、踏みこめばいいじゃないか」というと、「この長靴の七分目まではいっちゃうくらい(水が)溜まっているからねえ」と、尻込みする。20分くらいうろうろしてみたが、あきらめて帰ってきた。

 

 雨に濡れた森は、やはり神の恩恵を受けているかのように、青々と勢いづいているように見えた。