mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

自分を変数とする、スマホの使い方。

2014-06-23 07:04:31 | 日記

 どこかのTV番組で、「小中学生へのスマホ教育が必要」とニュースふうにやっていた。

 

 スマホのLINEなどを使っていると、見ず知らずの相手から「バカ、死ね、ウザイ」と悪罵を投げつけられる、という。ところが、親も教師たちも、LINEが何者で、アプリがなんであるかを知らない。そこで、熟知している高校生が中学生や小学生に使い方をコーチしている、という内容であった。インタビューに応える高校生が「先生たちにも知ってもらって、その上で教えてもらいたい」と話している。

 

 う~ん、そうかなあ。もちろん、スマホの機能がいかようなもので、そのネットワークに加わることが何を意味するか、どういう災いに遭遇するかを、教える立場にある人が知っているには越したことはない。だが、もっと別のことを教えることができるし、それが必要ではないか。

 

 悪罵を投げつけられることに高校生がどう対応しているのか、放送では触れていなかった。だが、たぶん学校では「人を傷つけるようなことを書き込んではいけない」とか「知らない悪意の他者が見ていることも考えて、個人情報は出さないようにしよう」と言っているのではないかと推察する。それはそれで大切なことなのだが、中学生相手ともなると、もっと踏み込んでいいのではないか。

 

 何に踏み込むのか。悪罵を投げつける自分がいることに、だ。

 

 遠い昔に過ぎ去った、我が中学時代の胸中の、実際の微細な動揺はすっかり忘れてしまったが、心中に浮かび上がってくる無数の「想い」が定めようもなくあったことは、まちがいない。親や兄弟とのやりとりに発するアンビバレンツな「想い」、友人の言葉に刺激された不安定な「かんけい」の感触、授業中に聞いた教材や教師の話から紡ぎだされた、茫洋とした「世界」の端緒、読んだ本やラジオの報道から触れた「未知の世界」。こうした「想い」のひとつひとつに、自分の固有性が付着してどう見定めていいかわからない不安と、でも知らないことへの驚きと惹きこまれるような魅惑を感じていた。

 

 そうした無数の「想い」が(ひとまずの)落ち着き先を見出すのは、自分の意識の中で「世界を分節化」している途上なのだと感知したときであったと、いまにして思う。つまり、「自分」をも変数として「世界」をとらえることがはじまっていたのだ。そうと知ったときに、そもそも確たる安定点など求めようがないのだ。「自分」自身が変数であると感知するというのは、過去の自分と現在の自分、未来の自分が、いずれも「他者」であると承知することにほかならない。それは同時に、今現在自分と向き合っている「他者」もまた、「自分」にほかならないと見て取ることを意味する。

 

 「バカ、死ね、ウザイ」と(見ず知らずの人に)悪罵を投げつける「彼/彼女」は、そうすることによって何を護っているのだろうかと考えると、実際の事情は分からないながら、我が身に置き換えてみることができる。友人といさかいを起こした、親に叱られた、自分のふがいなさに腹をたてている、ひょっとすると体調が悪いのかしらなどなど、自分ならやりそうなこと、ありそうなことに思いをはせると、気の毒には思えこそすれ、その文言に腹を立てることが無意味に思えてくる(と思うようになるのも、とっくにそれを通過した年寄りだからだと言えば、その通りだ。その経過中の中学生にそこまでの老成を求めているわけではない)。

 

 スマホの機能はわからないが、心無い他者がいるとみなしたり、用心しなさいと説いたりするよりも、「自分を他者」としてみつめることによって、「世界」との共感性をひろげ、「他者」と付き合うステージを形成途上にあると見てとることが必要なのではないか。そしてそこにこそ、親や教師の子どもや生徒に向き合うスタンスがあるのではないかと思う。

 

 それにしても、なぜ「中学生に対しては」なのか。

 

 私は、小学生にそこまで「自分」と「世界」を位置づけてみよというのは、過酷に過ぎると思っている。小学生はもっと、わけもわからず茫洋とした「かんけい」に身を置いたままでいていいと思う。だから、スマホを小学生に持たせるのは早いという主張に賛成である、とりあえず。

 

 考えてみると、いまの子どもは幼いころから「自分と世界」のかんけいを見定めるように、時代に要求されているのだ。言葉を換えていうと、早く一人前になれと、メディアからせっつかれている。

 

 そう思うと、私などの育った時代は、まだ純朴であった。心身が育つ速度と時代の変わりようが、まだ見合っていた。いまの子どもたちは、はるかに速い速度で変化する外界に、適応していかなければならない。パソコンのやり取りに起因して同級生を殺害した小学生がいたことを思い起こしながら、そんなことを考えた次第。