mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

こんな~日本に~誰が~した~、だね。

2014-06-30 19:28:21 | 日記

★ 「集団的自衛権」提起の背景

 

 「集団的自衛権」が安倍首相の口から飛び出したとき私は、朝鮮半島有事の際の「対処」を考えているのだと思った。かつて朝鮮戦争の時、日本はアメリカの占領下にあった。だから米軍は好き放題に日本を後方兵站基地として使用したし、労働力や医師や看護師の動因にもそれほどの不都合を感じないで日本の人材・資材を動かすこともできた。

 

 その後日本が独立し日米安保が成立してからも、自衛隊発足について吉田首相と厳しいやりとりがあったことは周知のこと。憲法九条で日本を無力化しのはアメリカの方針であり、それを逸脱することはできないと、軍事非協力を貫いて警察予備隊・自衛隊の発足と活動にタガをはめたのは吉田首相であった。

 

 だが今は違う。日米安保は「軍事同盟」になった。中曽根政権のころはまだ「日本は不沈空母」と呼ぶだけの、つまり米軍の足場すぎないとの自覚があった。だが、冷戦が終結し、父ブッシュによる湾岸戦争のあとから「日米軍事同盟」とか「同盟関係」という表現が日本側の政府関係者から言われるようになった。いつまでもアメリカの保護下にいる気分ではいられないと感じていたのであろう。アメリカ側も日本を保護的に遇する必要はないと考えるようになっていた。それが具体化したのは2005年、「日米同盟:未来のための変革と再編」が策定された。普天間の返還や米軍基地のグアム移転が合意された協議であった。

 

 その背景には、アメリカの財政赤字、国防予算も逼迫あった。出来得るならば金銭面だけでなく、具体的な軍事行動において日本の協力を引き出そう。さらに中国が軍事的にも経済的にも力を急進させており、その抑制装置としての日本の位置もそれなりに確立しておきたい。さらに、北朝鮮の核開発とミサイル技術の進展がある。北朝鮮が(国内的な破たんを契機に)中国との協議なしに軍事行動に出る可能性も否定できない。


    
 上記のような事情を背景に「集団的自衛権」が提起されることになった。これを安倍政権のひとり相撲のようにメディアは取り上げているが、アメリカの強い要請なくして、今回のような「閣議決定」で乗り切ろうという着想は出てくるまい。安倍首相やその側近の思いつきだけとは考えがたい。

 

★ 「国家権力は暴走する」道筋を開いた

 

 そうして今日、いよいよ、「集団的自衛権」が閣議決定されることになりそうだ。それも国会審議を経ず、与党間の「調整」でそうなる。私はいま、イヤなことを思い出している。「国家社会主義ドイツ労働者党」が政権を掌握した直後の運びである。

 1933年、「国家社会主義ドイツ労働者党」の党首が首相の座に就いた直後に、「閣議」で「民族と国家の保護のための大統領令」と「ドイツ民族への裏切りと反逆的策動に対する大統領令」の二つの緊急大統領令制定を提案し、決定した。これは「法的考慮に左右されずに決着を付ける」ためのものであり、政府は非常大権を得た、とされている。これがのちにヒトラーの「全権掌握」の始まりであった。このことは《ドイツ語でMachtergreifung(乗っ取り、権力掌握)と呼ばれており、世界的にもこの語が用いられる》と、wikipediaが教えてくれた。

 

 私がここで問題にしたいのは、ヒトラーの横暴ではない。この時のドイツの憲法は、「ワイマール憲法」であった。当時世界で最も民主的とも言われた憲法のもとで、法的に正式の手続きを経て「非常大権」を手に入れることが可能であった、ということである。


 
 「日常」ではない。「非常大権」である。この時ヒトラーが便乗したのは「国会放火事件」であった。共産主義者が放火したという流言飛語を梃子に「国家権力は暴走」した。それと同じ「国家権力の暴走」の道へ、安倍政権は舵を切り始めた。北朝鮮や中国と戦争になるかもしれない、という不安を梃子に。安倍首相が暴走するとみなしているわけではない。だが、「暴走の歯止めを取り払う」やり方、考え方をつくりあげたとみている。

 

★ 「国家権力」は国民の味方なのか

 

 「国家権力」を自分たちで奪い取ったことがない私たちの歴史的経験が、こんなところに転がり出てきた。私たちにとって「国家権力」は味方であるという観念が、広まり浸透しているのであろうか。これこそが「平和ボケ」と非難されるべきことではないかとさえ思う。

 

 私の父の世代は、国家権力が暴走することを身に染みて体験してきた。第二次大戦に徴兵され、従軍した。しかし単に1銭5厘で徴兵されたという受け身であっただけとは言えない。戦争という非日常の日々を自分なりに受け止め、家族を守るためであったり、故郷を護るためであったり、仁義を尽くすためであったり、忠義に準じるためであったりしたであろうが、それぞれの想いをもつことによって自ら参戦したという側面をないがしろにはできなかった。だから「一億総懺悔」と言われても、そういうことも言えるよなと、だまって受け止めたのであった。だが、生きることに懸命であった庶民が戦争に反対することも、口をはさむこともできなかったのは、事実である。

 

 とすると、敗戦後に考えなければならなかったのは、「国家は国民の味方なのか」という問題ではなかったか。いや実は、そんな論題は問題にもならなかった、ともいえる。なぜなら、当時の庶民は、国家が国民の味方であるなどと考えたこともなかったからだ。ただ、味方かどうかは別として、国家は庶民にとっては、乗船している船である。船長や乗組員が、どちらに向けて舟をこぎだすか進路をとるかは関知外できないにしても、同舟であることには違いがないから、その船の状況には適応せざるを得ない。荒波に遭遇して力を貸せと命じられれば、力を貸さないわけにはいかない。選択の余地はなかったと言える。


 
 では「国家が国民の味方なのか」と問うことは、無意味ではないか。そうではない。そこが「戦後民主主義」のもたらしたものだと、私は思っている。船長は乗客の意見に耳を傾けて操船せよと、憲法が規定した。船長が勝手気儘に振る舞うことへの「抑制装置」も三権分立として取り入れている、と理念を学校で教わってきた。「権力抑制装置」をもつという「権力」の自己批評性、それが、システムへの国民の信頼と安心の土壌であった。つまり理念においては、「権力の抑制」機能を作用させることによって「国家は国民の味方」にするというのであった。そして国民は基本的に、そうなるものと思ってきた。

 

 これは「洗脳」と同じではないかと、「自主憲法制定派」は言うかもしれない。その通りだね。教育は洗脳を含む。その点では日本も北朝鮮も同じである。ただ、日本では戦後、学校での洗脳を教育に転轍する自由を保障してきた。教わったことを鵜呑みにする不自由ではなかった。思想表現の自由というのは、そういうことだが、それが保たれてきた。つまり憲法の持つ、権力の地保批評性は、国民の自らに対する自己批評性をも組み込んでいたと言える。

 

 学校で教わる理念を鵜呑みにしないで事実をみつめたとき、憲法に謳う「三権分立」の抑制機能が働くとはいかないことがあると知った。司法も立法も行政のシンクタンクの官僚機構に実務を握られてしまって、力の抑制が働いていないことまで出来するようになった。芯の部分を抜き出して極端に言えば、官僚機構が国家を操船していると言える実態を長年続けてきたのであった。このシンクタンクの「力の抑制」は、縦割り組織内部の対立によってかろうじて機能しているという、皮肉な実態にあったと言える。

 

★ 上司が誤ることがあるという判断を組み込むドイツ

 

 「集団的自衛権」の問題を我がこととして考えなさいという論調を、朝日新聞の編集員が展開している(6/29)。「殺し合い あなたが命令されたら」と見出しを振った[政治断簡]。「殺し、殺される恐れが格段に高まる憲法解釈の変更を、おかしいと思う人は多いはずだ」から、もし日本に徴兵制が敷かれていたら、だれもが我がこととして考えるだろうと展開している。甘い見通しだと思う。物騒な話だが、編集委員氏の引いているドイツの例をみて、ドイツは「国家権力の暴走」を実際的に反省し繰り返さない仕組みを組み込んでいるのだと知った。

 

 ドイツは2011年まで徴兵制を採用していたようだ。東西冷戦の、分断された国家の当事者であったわけだから、それを不思議とは思わない。だが、2011年に徴兵制が停止されると「理想との逆行を懸念する声が上がった。」というのだ。どういうこと? 

 

 ドイツでは、徴兵制によって「制服を着た市民」と称される軍の核心が継承されてきたという。ナチスの政権獲得の時代には「突撃隊、親衛隊、鉄兜団」と呼ばれたナチ党の暴力装置が、公的な認知を得て我が物顔に秩序維持を図った。それを反省してドイツでは、「抗命権・抗命義務」を盛り込んだ。「人の尊厳を傷つける命令には従わなくてよい、違法な命令に従ってはならないと法に記した。命令の適否判断する権利と義務と一人ひとりに負わせたのだ。」という。実際に「2003年にある少佐が、イラク戦争は国際法違反で米軍には協力できないと任務を拒んで裁判になったが、結果は無罪」になったという。

 

 

 上司が誤ることがあることを前提として、命令系統とそれに従う将校・兵士との実際的関係を法的に保障しようという仕組みである。それによって、ドイツは「国家権力の暴走」も含めて、力の抑制装置としているともいえる。徴兵制の停止によって「制服を着た市民」の検証力が弱まるという懸念は、まさに、市民が体を張って国家権力を監視しつづけなければならないという態度をあらわしている。それこそ近代民主政体下における「主権者」の姿ではないか。

 

 『失敗の本質――日本軍の組織論的研究』(1984年、ダイヤモンド社)において、「日本軍は環境に過度に適応し、官僚的組織原理と属人ネットワークで行動し、学習棄却(かつて学んだ知識を捨てた上での学び直し)を通しての自己革新と軍事的合理性の追求が出来なかった」と指摘されてきた。にもかかわらず、官僚組織の無謬性は堅持されたままである(諫早湾の可動堰にかかる訴訟の成り行きがそれを証明している)。

 

 安倍政権の「危うさ」などとマスメディアは称しているが、自己批評性をもたない国家権力は暴走する。今日はその、暴走の第一歩を踏み出した記念すべき日となる。こんな~日本に~誰が~した~、だね。


「ご笑覧ありがとうございました」とお別れをしてきました。

2014-06-30 19:28:21 | 日記

 いま気がついた。あと5時間くらいで、この、ぷららのブログサイトは閉鎖なんだね。今ごろアップしても、何人の方がご覧になるか、わからない。それなのに今日も、ごたごたとややこしいことを考えて、書きつけていた。

 

 まだ仕上がらないから、アップしないことにしたが、申し訳ない。

 

 長らくこのブログをご笑覧くださり、ありがとうございました。

 

 先日、小学生の修学旅行の生徒たちの、奥日光のガイドをした。そのとき、誰かが「いくつ?」と聞いたので、ひょいと思いついて、「そうだ、君たちは午年だね。私も午年だよ」と応えた。

 

 すると……、「36?」「ブー」、「60?」「ブー」、「わかった。48だ」「ブー」といって、やり取りは終わった。

 

 私も子どものころは大人の年齢が分からなかった。70歳を少し超えて亡くなった母方の祖母は、人間を超越しているように思っていた。いまの私と違わない。彼らは60以上の年齢をわからないのだ、と思った。

 

 

 子どもにとっては、私らの年寄り世代は、異界の人なのだ。いまあらためて想い起すのだが、そういう異界という感じがあったから、そのあとのガイドでサルの遺骸をみたとき、「ありがとう」と言ったのではないかと思った。

 

 異界の人と思われるのは、しかし悪い感じではない。泥濘の海の中から、ちょっと自分だけが取り出されて脚光を浴びているような気分というか。違和感を持ってみて戸惑っている子どもたちが明るい世界にいるような気がして、希望が湧いてくるように感じた。

 

 そういうわけで、ブログはまだ続きます。

 

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