mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

古きをたずね新しきを知る

2014-06-13 14:51:49 | 日記

 宮本常一『私の日本地図――佐渡』(同友館、1970年)を読む。来週佐渡へ行くことになって、佐渡のことを一渡り知っておこうと、図書館で関係書のチェックをした。そのとき、宮本常一の名前にひかれてこの本を借りた。いや、面白い。佐渡が面白いというよりも、宮本常一さんが見て取っているものごとが、なかなか歴史性の奥行きと人々の心裡の辛苦を湛えている。

 

 やはり民俗学者だからなのだろうか。彼は、その土地の地形的な特徴をつかみ、それをそこに暮らす人々の生計とかかわらせて読み取る。すると、地形的なことから、開墾が困難なこと、田や畑を開墾しても、そこに通うことのむつかしさ、水を引くことの工夫と苦難を見て取る。にもかかわらずこれだけの田畑を開き、家や土蔵を設えるにはどれほどの家系的な道を乗り越えてきたかと、200年とか400年の径庭に目を向ける。やっぱり、古老や土地の人の話を聞く耳をもたなければならない。さらに、神社や寺、名主の家に納められている古文書を読めることが第一歩なのだろうかね。

 

 さらに彼は、新生活運動とか離島振興協議会などとかかわって、訪れたその地の人々がどう生きていくかに思いをめぐらし、実際に、生活改善や産業振興などについて村々の人々と話し合いもすすめている。そうすると、村を変えていくのに積極的か及び腰かという気風まで加わって、見てとることができる。むろん若い人たちへの期待の声も、行間にこぼれている。

 

 1970年ころといえば、私が20代の後半のころ。宮本が見ている若い人のうちに私の同世代も含まれていたかもしれない。そのときの佐渡の人々の暮らしぶりを想いうかべることができる。そうすると、私の育った瀬戸内の地方工業都市との違いも、鮮やかに浮かび上がる。もちろん高度経済成長に入る前の、戦前経済の発展ぶりも加算されて、やはり大きな地域格差があったと言える。

 

 私が東京に来たころの1961年、私の育った地方工業都市と東京の格差もまた格段の落差があった。だが、そこと佐渡はさらに大きな格差の違いを見せている。そのころ仕事場で同僚になった7歳ほど年下の、団塊の世代の男と子どものころの体験がとても似ているのに驚いたことがあった。彼は函館の漁師町で育ったのだが、そのとき、瀬戸内の地方工業都市と函館の漁村との文化的落差が10年ほども開いていると思ったことがあった。それを思い出させるような読後感を、宮本常一の本書に感じたのであった。

 

 来週月曜日から4日間、佐渡へ行く。私はまったくのおまけで、植物調査に行く何人かの人々のレンタカー運転手を務める。彼女らがお師匠筋と植物調査に夢中で歩いている間、私は好きに動いて良い。となると、金北山という佐渡の最高峰にも上ってこなくちゃならない。いわゆる名所旧跡はどうでもよいが、宮本が目にして心を遣った佐渡島の東南部、小佐渡もみておきたい。彼が目に止めたときから半世紀近い時が流れている。その間に佐渡はどう変わったか、それを見て取るのにも、面白い旅になりそうだ。

 

 そういうふうにして、少し、これまでの私の山歩きも含めた旅のやり方を、新規更新するように心がけるのもいいかなと、考えているところである。